アマ小説家の作品

◆パペット◆第18回 by日向 霄 page 1/3
「ずいぶん弱気になるじゃないか。さんざん人の心をかき乱しておいて。大体どうやって戻れっていうんだ? あんた、あそこへ戻るトラップを知ってるとでも言うのか? それじゃああんまり無責任ってもんじゃないか」
 そう一気にまくしたてると、ふいにジュリアンは真面目な顔になった。
「俺は自分のことを知りたいとも思わないし、いつ死んだってかまわない。――命やるって言ってんだ、簡単にあきらめるなよ」
「ジュリアン」
 驚いた。まさかジュリアンに励まされるとは思ってもみなかった。マリエラのこと以外でジュリアンが真摯な態度を見せるのは初めてだ。
 そうか。口では何と言おうと、本当はジュリアンもこのままでは終わらせたくないのだ。知るのが怖ろしいという気持ちはもちろん強いのだろうが、しかし一方ではっきりさせたいという想いもある。自分に自信が持てないままでは、おそらく二度と彼女に、マリエラに逢いには戻れないだろうから。
 ムトーは壁から身を起こし、言った。
「ありがとう」
 そのまま照れを隠すかのように、足早に歩き始める。ジュリアンも後を追った。
 もはや公安に顔を出すのは得策ではない。俺だけが捕まってジュリアンは門前払いになるのがオチだ。さっきキャロルに訊いてみるべきだった。ひょっとしてジャン=ジャック=ムトーも既に捕まっているのかと。
 ムトーはひとまず”隠れ家”へ向かうことにした。自宅とは別に借りている部屋だ。危険と隣り合わせの特捜部員の性質上、いつでも身を隠せる場所を確保しておく必要がある。いくらか金も置いてあるし、武器もある。自宅よりは公安の手が入っている可能性が低いはずだ。地下へ向かったとわかっている人間を捜すために、公安がわざわざあの部屋を割り出す手間をかけるとは思えない。自宅すら捜索したかどうか怪しいものだ。
 地上へ出た。
 夕暮れ時だった。
 高層ビルの隙間からのぞく空はどんよりと曇り、陽の名残りはどこにもうかがえない。その代わりに無数の人工の光が街路を照らし、時間の感覚を狂わせている。
「これが地上か―――」
 ジュリアンが呟いた。かつて、地下を逃げ回る以前はジュリアンもレベル2にいたはずなのだが、記憶は乏しい。頭上に天井はなく、両脇に壁が迫るわけでもない。太陽が顔を見せていなくても、十分すぎるほど明るく開放的なはずなのに、奇妙な息苦しさを感じる。あまりにも地下に長くいすぎたせいだろうか。それともあの楽園を目にしてしまったからか? 同じ夕暮れでも、あの落日の景色はなんと美しく荘厳だったことだろう。
 ムトーも同じような違和感を覚えていた。ほんの数日あの楽園で暮らしただけで、『地上』の概念が変わってしまった。こんなものは地上ではない。レベル3やレベル4とどう違うというんだ? 『区別する』と決めたから、違っているように感じるだけじゃないか。
 ちょうど帰路につく時間なのか、人通りは多かった。ムービングウォークに乗って無言で流れていく人波は、ベルトコンベヤの上の無機質な部品そっくりだ。時折二人に目を向ける者がいるが、『賞金首だ!』と叫ぶような野暮はいない。普通の市民は手配書の顔などじっくり見ないものだ。犯罪とは、自分とは関係のない場所で起こるものなのだから。
「なんだか妙だな。地下へ逃げれば逃げるほど追っ手が増えて、地上にいるのが一番安全だなんて」
 ジュリアンが小声で言った。
「本当にそうだといいんだが」


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