アマ小説家の作品

 SFマガジン2001年11月号『リーダーズ・ストーリィ』選評にて「人間の所業に疲れ果てた神々を描いた一篇です」と紹介されたショートショート。
 お楽しみ下さい。(ちなみにこれを書いた時点では、まだ国内で狂牛病は確認されていませんでした。)


◆そして神は死んだ◆ by日向 霄
 荒々しい足音と猛々しい鼻息が近づいてくる前から、わしは憂鬱な気分だった。胃がキリキリと痛む。まったく人神(ひとがみ)なんて長くやるもんじゃない。
「おい、こらっ、人神!」
 怒声ととともに、牛神(うしがみ)が転がり込んできた。『御用の方はノックを』という張り紙なぞ、こいつには何の意味もないらしい。
「何の用じゃね」
 用件などわかりきっとるが、素知らぬ顔で尋ねる。
「何の用だと? 人間どもが我らが牛族をどれほど愚弄しとるか、お主、知らぬと言うつもりか!?」
「ああ、あの、日本の出来事のことかね」
「そうだ。あの日本の事件だ! 牛族は今日まで人間どものために精一杯尽くしてきた。その力も肉も、乳までも捧げてきた。たいした見返りも要求せずにな。それがどうだ、人間の奴ら、こともあろうに乳を――我らの新しい命を育むための命の水をああも疎略に扱うとは! 今度という今度はもう我慢ならん! この責任、どう取るつもりだ、え?」
 これだから牛ごとき家畜の神は困る。地球上に一体何億の人間がいるか知っとるのか。どっかのバカがずさんな管理で大量の牛乳をパーにしたからって、どうしていちいちこのわしが責任を取らにゃならんのだ。
「いや、まったく、わしの不徳のいたすところじゃ。申し開きのしようもない」
 日本人の所業には、日本人お得意の無意味な言い訳を使うに限る。
「監督不行き届きを認めるんだな。よし、では向こう一年間、牛族は一切その乳を人間の手に渡さん。承知してくれような?」
 可愛い罰じゃこと。もしわしが牛神の立場なら乳に病原菌でも混ぜてさっさと人間の数を減らしてやるがな。
「まぁそれも仕方あるまい。しかし日本人のしでかしたことだ、もちろんその罰は日本人だけに適用されるんじゃろうな?」
「まさか。全人類対象に決まっとる。たまたま今回は日本人だったが、よその連中も似たり寄ったり。狂牛病は流行らせる、胎児を化粧品なんぞに使いよる、ろくなもんじゃない。わしも牛神になって長いが、まったく今の人間どもは最低だな。ここらでちと灸を据えてやらんことには、お主とてこの先頭が痛かろうが」
 ふん、そんなわかりきったこと、牛神ごときに言われとうないわ。わしだってできることならもう人間なんてとっとと絶滅させてやりたいぐらいじゃ。
「今回のことはわしも誠に遺憾に思っとる。しかしだ、何だかんだ言ってもお主ら牛族、人間のおかげで今日の安寧な暮らしがあるんじゃないか。一年も全世界で牛乳が採れなくなってみろ、せっかちな人間のことだ、何か別の物で乳もどきを作ってさっさと牛を見捨ててしまうかもしれんぞ。お主も言うた通り、狂牛病騒ぎで肉牛の立場も揺らいどる、このうえ乳牛もではなぁ」
 人間が損をすれば人間が怒鳴り込んでくるし、牛が損をすれば牛神が怒鳴り込んでくる。どっちに転んでも責任を取らされるのはこのわしと来とる。まったく何が哀しゅうて人神なんぞに生まれてしまったんだか。
 わしは何とか牛神を丸め込むことに成功した。日本限定で、しかも半年までに負けさせた。これでももちろん日本人はパニックを起こすに決まっとろうが、しかしすべては身から出た錆。少しは食べ物のありがたみを感じるがいいさ。
 さてと、うるさい牛も帰ったことだし、茶でも飲むか。
「ちょっと人神さん、何のんきにお茶なんか飲んでんのよ」
 ……今度は猫神(ねこがみ)かぁ? まったくどいつもこいつもノックぐらいたらどうだ。わしにはプライバシーってもんがないのか。
「そんなのあるわけないでしょ。どこぞのおバカな大臣じゃあるまいし、公人だの私人だのってレベルじゃないのよ、あたしら神さまは」
「そうか。ならわしがお前さんの風呂場をのぞいても一向に文句はないわけだ」
「あのね、人神さん、そーゆーのってセクハラよ、セクハラ。いいこと、もしそんなことしてごらんなさい、いくら最高神だからってあたしのサポーターが黙ってないんだから」
「冗談じゃよ、冗談」
 虎神(とらがみ)だの犬神(いぬがみ)だのに喰いちぎられるのはごめんじゃ。
「それで一体何の用じゃ。人間は猫をことさらに可愛がっとるはずじゃが」
「猫が人間を可愛がってやってるのよ。それなのに人間のバカ、あたしら猫の耳をそぐのよ! 今年になって何匹の猫が脚を切られたか知ってる? 食べられるなら仕方ないわよ。三味線の皮だって我慢するわよ。でもね、今の人間ときたら面白半分であたしら猫を虐待するのよ。こんなことが許されて――」
 あー、やっぱりお茶は新茶に限るのぉ。このまったりとした味わい。
「ちょっと人神、聞いてるの!?」
 毎日毎日こんなことの繰り返し。まともに聞いとったら神経がもたんわい。猫が帰ればその次は鯨、鯨が帰ればその次は……。
 ええぃ、もうわしは知らん。今度こそ廃業じゃ。隠居してやる、出家してやる、人間なんか金輪際見捨ててやる! どうでも勝手にするがいいさ。どうせ今でも十分勝手にやっとるんだから。
 かくして、人神の部屋の張り紙は『人神は死んだ』に張り替えられた。
「ちょっと、何これ?」
「夜逃げか?」
「じゃあ今度から誰が人間の尻ぬぐいをしてくれるわけ?」
「責任者出てこーい!」



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