アマ小説家の作品

◆さよなら人類◆ by日向 霄
 今日、人間の赤ちゃんが生まれたというので、大人達は大騒ぎしていた。
「ずいぶん元気じゃない」
「意外と可愛いもんだね」
 研究所から送られてくる立体映像をぼくも見た。でもあんなの、どこが可愛いんだ? 毛のない、妙につるつるした肌。丸くつぶれた扁平な顔。4本しかない不格好な手足。もちろん、それは人間全体に共通することで、赤ちゃんだから特別に、というわけではないけど。うん、まぁ、確かに大人の人間に比べれば、小さいだけまだ少しは可愛いげがあるかもしれない。
 大人の人間の映像もあった。ぼくたちの大陸では最後の一頭だというメスだ。こっちは頭にだけもじゃもじゃと毛がある。しなびた乳が垂れ下がり、すごく貧相だ。
「このメスは高齢でもはや生殖能力がありません。ご承知の通り、今回生まれた赤ん坊はレミビア大陸から送られてきたペアのものです」
 そんなことはみんな知っている。だって、あのレミビア大陸のメスが妊娠したのはもう1年近くも前のことだもの。その時も大騒ぎだった。受精から出産までが1年もかかるなんて、まったく間の抜けた生き物だと思う。
「赤ん坊は比較的元気ですが、まだまだ油断はできません。赤ん坊は母親とは隔離され、研究者チームの手によって育てられます。母親が赤ん坊に危害を加える可能性が強いからです。自力で歩けるようになるのに最低1年、成体になるまでに10年以上かかると見られ――――」
 バカじゃないか? そんなに暇がかかってたらすぐに天敵に食べられるに決まってる。絶滅するのも当たり前だ。
「どうして人間なんか保護してるんですか? わざわざ繁殖させてやったりしなくたっていいじゃないですか」
 ぼくは長老に尋ねた。
「別に人間だけを保護してるわけじゃない。絶滅の危機にある生き物はみなひとしなみに保護されている。それが、この星に対する礼というものだ」
「でも、絶滅するのは仕方ないことじゃないですか? その生き物の知恵が足りないんですよ。私達だって、いつかは滅ぶんだろうし」
「それはそうだが、我々がこの星にやって来たことで滅びのスピードが速くなってしまった。特に人類はな。おまえも知っている通り、この大陸にはもはやあの高齢のメスしか残っていない。他の大陸にはまだ十の単位で生存しているというのにだ。先々代の長老達は、数少なくなった人類を捕獲しようとした。保護するつもりだったんだが、これが裏目に出て一層数が減ってしまった。我々を警戒した人類が自ら命を絶ったりしたからだ。それにどうも人類は、狭い場所で飼育するとうまく繁殖することができないらしい。新しい子供が生まれないまま、成体達は次々に死んでいった。非常に不本意なことだ。失敗をそのまま放置しておくわけにはいかない。少なくとも、機会があるうちはな」
 つまり、とぼくは思った。
 つまり、この大陸の長老達だけが失敗するわけにはいかないっていうことだ。この大陸にだけ人間がいなくなってしまうのは、沽券にかかわるってこと。でも、結局よそからペアを譲ってもらうしかなかったんだから、同じことじゃないんだろうか。潔く負けを認めて、もっと別のことで勝負する方がいいのに。
 そう思ったけど、口には出さなかった。長老に嫌われたくはない。
 立体映像はまだ続いていた。他に伝えるべき事件はないんだろうか。
 さっき長老が口にした、「人類と我々の不幸な過去」に関する映像。レミビア大陸からペアが送られてきた時の映像。ペアの交尾の様子。これはなんだかとても見苦しい。これまでに何回も同じ映像が流されているのに、どうして大人達はこの映像を嬉しそうに見るんだろう? メスの奇声が耳障りだ。
 メスの妊娠が確認される。体の中心が膨れ、それでなくても不格好な体がますますバランスを欠いていく。妊娠のストレスからか、メスは凶暴になり、自分自身をも傷つける。何度も訪れる流産の危機。
 そして今日。無事赤ん坊を取り上げて勝利の笑みを浮かべる研究者達。ぐったりと横たわるメスの姿。
 そのメスの目を見たとき、突然ぼくは激しい嫌悪を感じた。メスにではない。研究者達にだ。なぜ喜べるのかわからない。メスをあんな状態にしておいて。あんな疲れ果てた、あんな虚ろな目にしておいて、その横で嬉しそうに自分たちの成果を発表できるなんて。
 違う。それは、あんた達の成果なんかじゃない。
「研究者チームは、メスの体調が回復し次第、次の交尾を行わせようと準備しており、少なくともあと3体の子供を確保できると考えています」
 くらくらした。次の交尾だって? あと3回も産ませるって? そんなことして何になるんだ。どう見てもあのメスは繁殖を喜んでいないのに。長老達のつまらない自尊心のためにあと3回も繰り返すだなんて。
 人間の情報に接するたび、ぼくはいつもむかむかするような不快な気分になった。それは人間の存在が不快だからだと思っていた。とても知性があるようには見えない不格好な生き物。あんなもの放っておけばいいのに、って。
 そう、放っておけばいいんだ。放っておかない大人達に対して、ぼくはむかむかしていたんだ。「保護」という名のもとに、自分たちの行為を正当化する大人達に。
 ぼくなら嫌だ。もし僕たちの種が絶滅寸前で、ぼくが最後の生き残りになったとしても、こんなふうに無理矢理繁殖させられたいとは絶対思わない。こんなふうに別の種の娯楽になり、見せ物になるなんて嫌だ!
「あーっ!」
「バカ、やめろっ!」
 急に周囲が騒々しくなって、ぼくは我に返った。
 目の前で、惨劇が起こっていた。
 血しぶきが飛んできた。ぼくたちとは違う紅の、でもぼくたちと同じあたたかい血が、ぼくの頬を濡らした。
 メスの血だ。
 ぐったりと横たわっていたメス。彼女の首から血がほとばしっている。
 その血を浴びて全身を朱に染めたもう1頭のメスが、――あの高齢の、この大陸最後の人類であるメスが、手に光る刃を持ってこちらへ歩いてくる。研究者達は恐れをなして後ずさる。誰かが泣いている。赤ん坊だ。
 ガラスケースの中、赤ん坊は渾身の力を振り絞って泣いている。近づいてくるメスの形相が怖ろしいのか、身に迫る危険を感じ取り、助けを求めているのか、それとも―――。
 メスの手が振り上げられる。刃と見えたのはガラスの破片だ。既に母親の血にまみれたその凶器を子供の体に突き立てようとして。
「ダメだーっ!」
 それはぼくの声だったろうか。
 メスの手が止まった。そしてもう片方の手がゆっくりと動き、赤ん坊の頬を撫でた。しなびた、骨と皮ばかりの指で。
 赤ん坊は泣いていた。何かを怖れているからではなく、ただ生きようとして、生きるために泣いていた。
 メスの目から水が流れ落ちた。その口が小さく動いていた。声は聞こえなかった。
 メスが顔を上げ、遠巻きにしているぼく達を睨みつけた。そして手にした刃を自分の首に突き立てた。熱い血が、またしてもぼくの頬を濡らした。
「なんてこった!」
「狂ってる!」
 大人達の声が戻ってきた。
 もちろん、すべては立体映像だった。遠く離れた研究所で起こったことで、ぼくの頬は濡れてなどいなかった。
「大丈夫だ。赤ん坊はまだ生きている。幸いあの赤子はメスだ。無事育てば残ったオスとまた交尾できる」
 長老がしゃべっていた。
「まだ人類は絶滅しない」
 ぼくの前にはまだ、2頭のメスの死骸が横たわっている。もちろん、立体映像の。
「ごめん」
 ぼくは呟いた。
 もう人間が間抜けだなんて思わない。間抜けなのはぼく達だ。

 その日、人間の赤ん坊が生まれた。
 無事生き延びてくれるといい。ぼくが長老になって、君を救いに行くまで。



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