アマ小説家の作品

 SFマガジン2002年1月号『リーダーズ・ストーリィ』選評にて「冷凍睡眠装置に運命を託した男を待ち続けるというラストシーンは、梶尾真治さんの名作『美亜へ贈る真珠』を彷彿させてくれます」と紹介されたショートショート。
 お楽しみ下さい。(『美亜へ贈る真珠』ってどういう話なんだろう……)


◆あなたのぬくもり◆ by日向 霄
 おはよう。
 あたしはあなたに声をかける。そうして枕元の花を取り替えるのがあたしの日課。もう、何年になるのかしら。
 今日もあなたからの返事はない。あなたはずっと眠ったまま。分厚い冷凍睡眠装置の蓋が、あなたとあたしを隔てている。
 申し訳程度に開けられた硝子の窓から、あなたの寝顔が見える。昨日と変わるはずもないのに、それでも覗かずにはいられない。そうして、硝子ごしの「おはようのキス」。
 あなたの唇は、どんなに温かかったことかしら。熱すぎて、「おはようのキス」だけじゃすまないこともしばしばだったわ。幸せだったあの頃。
 でもあの頃既にあなたには、人間の女がいた。
「何よ、ただのセックスマシーンのくせに」
 あの女の言葉を覚えてる。一日たりと、いいえ、一秒だって忘れたことはないわ。あの女の、侮蔑に満ちたまなざし。ただ人間であるというそれだけで、あたしよりあなたに愛されていると高をくくっていた。
 でも、あの女の言葉には確かに嫉妬の色があったわ。だってあたしはあんな女よりずっと美しかったし、ずっと優しく、情熱的だったはずだもの。何しろあたしは、男を喜ばせるためだけに造られた、セクサロイドなんだから。
「ごめん。俺はやっぱり人間なんだ」
 あなたはそう言ってあたしのもとを去った。あたしがどんなにみじめだったかわかる? どんなに悔しかったか。魔法があればと思った。おとぎ話の人魚のように、人間になって再びあなたのそばにいられるなら、声を失くしても、一足ごとに地獄の痛みを感じようともかまわないと思った。
 あなたはあの女と結婚した。
 知らなかったでしょう、あたしがこっそり結婚式を見に行ったこと。純白のウエディングドレスがまぶしかった。アンドロイドには、永遠に縁のない代物。
 忘れようと思った。人間じゃないんだもの、記憶を消去してもらえばすむことだったわ。でもできなかった。あなたの微笑みが、あなたの言葉が、あなたのぬくもりが、あたしがあたしであることの証だったから。
 そしてそれは正しいことだった。神はただの機械にさえ哀れみをかけて下さった!
 不治の病に倒れたあなたが選んだ道。冷凍睡眠。
 未来の医療技術に希望を託して、時間を止める。冷凍睡眠装置の中のあなたは、アンドロイドのように年を取らない。
 あの女がここに見舞いに来ていたのはたったの半年だった。なんて薄情な女。でもそれも無理もないわね。生身の人間に、いつ果てるともしれない時をただ待ち続けるなんてこと、酷に過ぎるもの。
 ふふ。
 あたしはあの女に勝ったわ。あの女が馬鹿にした、ただの機械であるがゆえに。あたしはいくらだって待つことができる。きちんと手入れさえしていれば、この身は老いさらばえることもない。あなたの愛したあたしのままでいられるの。
 あなたは一体どんな顔をするかしら。きっと驚くでしょうね。あなたが最初に呼ぶのはあの女の名前かもしれない。でも、すぐにあたしの名前に変わるわ。あなたのそばにいるのはあたしだけだもの。あなたが知っている名前は、あたしだけになっているもの。
 あなたの家族も友人も、もう誰も生きてはいない。あたしがいなければ、あなたはこの世界に一人ぼっち。
「おまえがいてくれて良かった」
 あなたは言うでしょう。
「おまえがアンドロイドで良かった」と。ああ、その日が待ち遠しい!
 愛するあなた。あたしが他の男に抱かれに行くことをどうか許して。あたしはセクサロイド。あなたが目を醒ます時まで、あたしは決して廃棄されるわけにはいかない。バッテリーを替え、常に完璧なボディであるために、あたしは客を取らなければならない。そう、それに、あなたの入院費用を払い続けるためにも。
 たとえ何人の男と寝ようと、あたしの心は永遠にあなたのもの。あなた以外の男なんて、あたしには何の意味もない。でももちろん、少しは妬いてくれなくちゃ嫌よ。
 出かける前に、あたしはもう一度あなたにキスをする。
 硝子ごしの口づけは、なんて冷たい。
 あたしはいつまでも待っているわ。この唇にもう一度、あなたのぬくもりを感じるその日まで。



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