◆『MOON CHILD』◆
DVD発売記念スペシャル


 いい加減くどいね、私も。でも書かずにいられない! 映画公開時には掲示板で書いただけだったし、この『MOON CHILD』を見に行ってしまったことがすべての始まりだったわけだもん。この想いを残しておきたい。他ならぬ自分自身のために。

†特典映像†
 まずはDVDならではのお楽しみ(と言っても、VHS版は発売されていない。持っててよかったDVDドライブ)、特典映像のお話からです。当然のようにメイキングが入ってて。1時間半ぐらいの大作。撮影風景や、監督はじめ出演者のコメントなど、どれも興味深かったのだけど。

 トシが殺される大雨のシーン。あれ、ホースで降らせてた雨だったんだよねぇ。すごい。リハーサルもあるし、一発でOKになんか普通ならないわけだし、すごい水の量。映画館で見た時、ホントに降ってると疑いもしなかった。そこが技術なんだろうけど、でも改めて本編を見てみると。虹が、映ってた。晴れてる所に無理矢理雨を降らせてるわけだから、そりゃあ虹、出るよね。「さっきまで晴れてたのに急に大雨になる」という夕立のような設定だったから、また陽が射したきたってことでOKだったのかな。あんな哀しいシーンに、それでもまだどこかに希望はあるのだと、虹が映る。

凶器  トシの死の場面といえばもう一つ。ショウのとげとげのブレスレットが首に刺さって「ホントに死ぬかと思った」と太郎ちゃんが(トシ役山本太郎さん。敬愛を込めてこう呼ばせていただきます)。トシにとどめを刺したのは実はショウだった!? 洒落ならんって。それにしても太郎ちゃんはホント、楽しい人だよねぇ。舞台挨拶なんかを見ても、必ずウケ狙い。HYDEもけっこうお茶目でガックンの口真似したりして。そこ行くとガックンは生真面目。自分の企画で撮った映画だから責任が重いってこともあるだろうし、やっぱり性格というか、生き方というか。

 メイキングの最後の方に、ガックンが「夢を追うこと」について語ってるんだけど。これがね、すごく、ガツンと来るの。「できそうもないことをやる。そうでないと人を感動させたりできない。夢を実現するっていうのは生っちょろいことじゃなくて、夢を追いかけている人には、それを忘れてほしくない」というようなこと。いつも、ラジオ(ニッポン放送『Gacktのフラチな男たち』)でも「逃げるな!楽な方と苦しい方があったら苦しい方を選べ!」とか、「自分に厳しくあれ」ってことを彼は一貫して言っていて、私はとーっても耳が痛いんだ。自分はなんて甘いんだろうって思う。もっと努力しなきゃなぁ。ガックンに対して、恥ずかしくないように。

 メイキングの他にも色々と収録されている中で、一番「おおっ!」と驚かされたのが『秘密』と題された章。撮影前、演技をする自信がないというHYDEのために行われたカメラテスト。ちゃんとケイとショウのストーリー仕立てになってるんだよね。本編でもあった、ケイが「俺たち、離れた方がいいかもな」っていうシーンの別バージョン。これ、すごくいい。HYDE、本編より演技うまい。表情がすごく神秘的というか、なんかとってもぞくぞくさせられる。本編でも表情やしぐさはとっても魅力的で存在感があっていいんだけど、喋るとセリフ廻しがやっぱり素人っぽいから、セリフの少ないカメラテストの方が、「おおっ!」なのね。ケイとショウの1シーンとしてもとても素敵だし。

 そして、映画の中では音声がなかった仲間5人の幸せな時間の「real voice」。夜の海でトシとショウがじゃれあってるシーン。「いいケツしてるじゃねぇか!」っていうのが笑えたなぁ。ホントに太郎ちゃんってば。部屋でくつろいでるシーンでもガックンの真似して火のついたタバコ投げつけられてるし。マジで怒ってるぞ、ガックン。役を越えてみんなホントに楽しそうで、いいなぁ、青春だなぁって。

 その他写真展の模様やサウンドトラック(聴きながら書いてます。おほほ)などなど、盛り沢山の特典映像。ああ、幸せ。

†本編†
 映画館で2回見て、これが3回目の家でのDVD鑑賞。やっぱり家だと色々外部の雑音が入るので、なかなかどっぷり浸れなくて、涙ぼろぼろにはなりませんでした。幸い電話が鳴ったりお客さんが来たりすることはなかったんだけど。そういう、「邪魔が入るかもしれない」っていう落ち着かない気持ちが一番映画館と違うよね。

 とにかく1回目の衝撃はすごかった。もうのっけから、ガックンが出てくる前から引き込まれてた。正体をさらしてしまったケイがショウ(子役)に向かって「怖くないのか?」っていうところ。小さく首を横に振るショウ。それを見てふっとケイが微笑むと、ショウも笑顔になって、その可愛い笑顔が大人のショウのそれに変わっていく。ここだけで、「あー、好きだー、こーゆーの」って。ショウの笑顔に、ケイは救われた。バンパイアという宿命を背負って、永い時を一人ぼっちで生きていかなきゃならないケイが、初めて出逢った人間の友達。20年の月日が経って、ショウが死にかける時に、ケイの頭にはみんなで過ごした幸せな時間の映像が浮かぶのだけれど、その回想の一番最後はあの子どものショウの笑顔なんだ。自分を受け入れてくれた、かけがえのない、ショウの笑顔。

同じ名前  そしてそれが大人のショウ――ガックンの顔に変わると、いきなりアクションシーン。これがねー、かっこいいんだよ、ホント。「当たっても死なねぇんだからよけんなよ!」「俺だって当たれば痛いさ」なんてやりとりもすごくいかしてて。何よりあのガックンが動き回ってるっていうのが、衝撃だった。「Gackt?ああ、あのカラーコンタクト入れていつもだるそうにしてる人ね」と友達に言わしめた普段の(テレビでの)アンニュイな雰囲気とはもう全然違う。あの、ぼそぼそっと物静かにしゃべるガックンが怒鳴りまくってるんだよ。ガッとかっこよくアクションを決めるはずが足をぶつけて痛ってぇとなるお茶目なシーンなんて、「あのGacktが!?」だもんね。うわぁ、Gacktってこんなにかっこよくてチャーミングなんだぁって、いきなり惚れてしまった。

 しかも物語自体がまた私好みの展開&セリフのオンパレード。原案と脚本がガックンなのはプラグラムを見て知ってたから(見るまで知らなかった)、「この人私と同じこと考えてる!」と勝手に思い込んで、その世界観にも惚れてしまった。うん、ただ見た目がかっこいいだけだったら、こんなにのめりこまなかったと思うんだ。太陽を浴びられないはずのケイが、「今度は昼の海見にこよう」と約束したとおりに、昼の海でみんなで記念写真を撮っているラストシーン。「ああ、やっと来られたんだ」ってどーんと感動してしまうこのラストの演出。好きだ〜。劇場を出る時にはもうすっかりガックンに心を奪われちゃってた。

 まぁ、話の展開には色々と突っ込みたい所はあるんだよ。トシが死ぬ直前に実の母親から連絡が入るってのはいくら何でもやり過ぎだと思うし、イーチェの不治の病だって「そんな都合よく」だもんね。大体顔がバレバレなのに義心会に復讐されない方がおかしいでしょう。もうちょっと安全に気を配りなさいって。後半の宝石店強盗にしたって、超バレバレ。あっさり仲間4人殺されてショウと兄ちゃん二人だけになっちゃう。他に手下はいないのか。あんた本当に「マレッパではいい顔」なの?

 でも何より一番納得がいかないのはケイが死刑になるとこ。捜査官のローリエが異常にいい人なのはまだ許すとしても、前代未聞のバンパイアをそう簡単に殺しちゃっていいわけ? 不老不死のDNA持ってんだよ。各国研究機関の垂涎の的になると思うんだけどなぁ。ひょっとして「死刑」ということにして実は研究所に移送するつもりだったのかもしれないけど……うーん。そんな大事な囚人をみすみす逃がしてしまったローリエはさぞかしひどい目に会ったに違いない。大体あの後ケイが捕まらないっていうのも変だ。ケイとショウとのつながりをローリエ以外は知らなかったってことはないでしょ。ケイ、ハナが大きくなるまでずーっとマレッパにいたのにね……。

 でもそうであっても、やっぱりどのシーンも好きなんだな。とりわけ一番好きなのは、9年ぶりにケイとショウが拘置所で再会するところ。ショウがハナの写真を出して、「親父くせぇな、子どもの自慢なんかしてよ。でも俺、ずっとおまえに見てもらいたかったんだ。おまえにだけは」って言うとこで、絶対泣いてしまう。あのガックンが「親父くせぇ」ってセリフを言うだけでも一見の価値があるシーンだけど、ああ、この9年間ショウは精一杯突っ張って生きてきたんだなぁって思うと……。トシが殺されて、ケイはいなくなって、孫は敵対する義心会に入っちゃうし、兄ちゃんは相変わらず頼りになんないし、一人で色んな物背負って。子どもの写真を見せたり、「俺もかっこよくなったろ」なんて言うショウは、きっとケイに「一人でよくがんばったな」って頭なでなでしてもらいたかったんじゃないかな。ショウにとってケイは友であると同時に親でもあるような存在で、ただ一人甘えられる相手なんだもの。

 それに対してケイは「生きてて良かったな」って言う。「ショウは無鉄砲だから、もう死んじゃってるんじゃないかって、時々思ってた」。ケイにとって、9年という月日はショウのそれほど長いものじゃなかったろうけど、化け物である自分を忌みながら9年間自殺せずに生きてたのは、やっぱりもう一度ショウに逢いたかったからじゃないだろうか。ずっと一緒にはいられない。離れた方がいい。でも――。

 みんな逝ってしまう。自分だけ生き残る。「そんなことが楽しいと思うか?」ってケイは言う(言われたショウがつーと涙を流すシーンも大好きだ)。でもそれは、バンパイアじゃなくても同じなんだ。死の淵で、ショウもまた「みんな逝っちまった」って言う。かけがえのない友も、ただ一人の血を分けた兄も死んでしまった。最愛の妻もまた死にゆこうとしている。残されて、ショウはどうやって生きていったらいいかわからない。

 ショウが自ら孫の銃弾に倒れることを選ぶのは、そうすればケイがイーチェを助けてくれるってことももちろんあるだろうけど、たぶんそれだけじゃない。ケイに「助けてくれ」って言いながら、わざと屋根を撃ち抜いて光の壁でケイを拒絶する。この時のショウの顔が本当に切なくて胸が痛むんだけど、なんか、なんて言うのか。「もっと昔みたいに教えてくれよ!」って叫びながら銃撃の中を進んでいくショウは、もう決して昔には戻れないことを知っている。ケイが自分の元へ戻ってきてくれても、それでも過ぎた時を元には戻せない。

 ショウとお兄ちゃんが車に乗ってるシーンで、ショウは言う。「ここらへんも、随分変わったな」 お兄ちゃんは、「ああ。子どもの頃の思い出なんて、消えちゃうんだよな」って答える。幸せな時間は過ぎて、街も人も移ろって、自分も子どもではいられない。変わりたくなんかなかったのに……。そのシーンの後で、お兄ちゃんが子どもの頃と同じクッキーの缶にお金をしまっているのを見て、ショウはふっと小さく微笑む。なんだよ、兄ちゃん、ちっとも変わってねぇじゃねぇか。そう言いたげに。

 3回目に家で見て、大泣きはしなかった代わり、最後に海に向かうシーンでとてもしみじみとした。成長したハナを送り出して、何年ぶりかで再会したケイとショウが海へ向かって車を走らせる。二人は、どんな思いだったんだろう。幸せな季節にみんなで撮った古ぼけた写真を飾って(あの写真、ケイはずっと大事に持ってたんだろうか……。それとも両親の形見としてハナが持ってたのをくすねたんだろうか)、どんな思いで海を見つめたのか。

 朝陽を浴びて二人が死んでしまったのか、それとも生き続けたのか、結末は明示されない。二人なら、生きていけたような気もするし、二人だから、穏やかに死を迎えられたような気もする。

 この間私はその後の二人の夢を見て、そこではケイだけが死んじゃった。自分で、「もういい」って決めて、とっても綺麗な穏やかな笑みを残して死んじゃう。ショウの絶叫が後に長く響いて――。バンパイアでも人間でも、生きるってことは出逢いと別れの繰り返しで、とてもせつなくて、とてもいとしいものなんだ。過ぎていく時は二度と戻らないけど、だからこそ永遠に、いつまでもきらきらと輝いている。

 はぁ。

 この映画見に行って、ガックンに出逢って、人生変わった。見る前からガックンのこと気にはなってたんだけど、でもこの私が映画館に足を運ぶなんてのは本当に珍しいことで、もうこれは運命だとしか思えない。4月3日に「うたばん」で映画の映像が流れて、面白そうだなと思ったけどそれっきり忘れてて、4月19日の「エンタの神様」をたまたま宝塚のスターさんが出てるからって録画したら、ガックンが出てた。「本日公開」でまた映画の映像が流れた。ああ、公開始まったんだぁと思って、忘れもしない4月25日、何年ぶりかで映画館に出向いたらこんなことに……。運命だよ。神様のお導きだよ。

 出逢いって、本当に不思議だね。


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