本の虫

◆第69回『双調平家物語』完結!/橋本治◆

 ついに、橋本さんの『平家』が完結した。第1巻が出たのは1998年の10月。そして最終第15巻は2007年の10月。10年の長きにわたって紡がれた物語。読むこちらの上にも10年の月日が流れて、なんだか本当に、感慨深い。1巻を買ったのはまだ今の家に引っ越してくる前だった。息子はまだ生まれて間もない赤ん坊だ。買った本屋の風景を覚えている。大型スーパーの中の書店、けっこう品揃えにクセがあって、『双調平家物語』は新刊本コーナーに平積みされていた。『窯変源氏物語』の文庫化が終了して、「今度は平家か?」と思って、単行本だし、「全12巻」なんて書いてあるし、「こんなの買って大丈夫か」と腰が引けつつも、やっぱりレジに持っていってしまった。その後数巻は、買うのに苦労した。発売日すぐに書店に行っても全然置いていない。そうこうするうちにAmazonが日本に上陸。後半はネットで楽々購入になった。便利な時代になったというのか、こんな名著が本屋に並んでいないのどうなのだ、というのか――。

 最終巻も、早々にAmazonで注文した。届いてから、ずいぶんほったらかしだった。なかなかひもとくことができなかった。その分厚さにちょっと覚悟が要ったのも確かだし、毎回読み始める時には前回までの話や人物名を思い出すのが大変で、それに対しても覚悟が要る。片手間に読める内容ではないので、じっくりと腰を据えて、時間のある時に読みたかった。『小林秀雄の恵み』を先に読み終え「いざ!」と手に取る。最初はやはり手間取った。しかし一旦物語に没入してしまえばやはり大変に面白く、空き時間があるとページを繰りたくてたまらなくなる。どんどんと読み進み、栞が本の半ばを過ぎると、「ああ、もう少しで終わってしまう」と寂しくもなった。10年、15巻にわたって楽しんできた物語が、いよいよ終わってしまうのだ。早く最後が読みたいような、読んでしまうのがもったいないような。

 先にも書いたが、1巻には「全12巻」と書かれてある。9巻で、「2巻を追加して全14巻とさせていただきます」という断り書きがなされて、その最終(のはずの)14巻目の前、13巻でさらに「1巻を追加して、全15巻とさせていただきます」になった。どこまで書くんだ、橋本さん(笑)。でもわかる。書きたいことが――書かなきゃならないことが、それだけあったのだ。これだけ長いお話だもの、いくら最初に全体の構想を考えていても、その通りには進まないだろう。書いているうちにわかってきたこともあろう。発見もあっただろう。「これははずせない」と書き進んだら、3巻も増えた。15巻は2冊分の分厚さがあるから、実際には4巻増えた勘定だ。

 巻数が増えて、「○○の巻」という巻割もずいぶん変わった。今、1巻目に納められた「全12巻」の巻割と最終巻のそれを見比べると、なかなか面白い。「栄花の巻」は当初のUまでからVまでに増え、「清盛の巻」「法皇の巻」「義仲の巻」「義経の巻」などというものはなくなってしまった。当初の予定では、10巻に「義仲の巻」、11巻に「壇ノ浦の巻」、12巻に「義経の巻」となっているが、完結した全15巻で義仲が出てくるのは、やっとその最終15巻だ。1巻まるまるあてられるはずだった壇ノ浦の合戦の記述はわずかなもので、義経に至ってはまったくの脇キャラ。たいした行数は割かれていない。

 なぜなのかは、読んでいればわかる。義経は大河ドラマになるほど日本人の大好きなヒーローだが、大きな歴史のうねりの中で、たいした役目は果たしていない。なるほど最後に壇ノ浦で平氏を沈めたのは義経かもしれない。でもそれが義経である必要はなかった。平氏の命運は既に尽きて、もう復活することはあり得ない。京へと上る義仲の大軍に怯え、合戦もせずに都を逃げ出した時点で、もう平氏は終わっていたのだ。だから、この平氏を逐った功は、義経ではなく義仲の上にある。

 「義仲の巻」というものは作られなかったが、最終巻の半分以上を占める「落日の巻」において、だから主役は義仲である。義仲という人を、私はほとんど知らなかった。義仲と聞いて思い出すのは「巴御前」の名ぐらいなものである。木曾義仲。頼朝の従兄弟であり、頼朝の兄にその父を殺された男。鎌倉で「源氏の棟梁」となった頼朝と距離を置きたいがために、信濃から北陸へと兵を進め、京へまで上ることになる。彼は別に、都で官位を上せたいわけでも、天下を取りたいわけでもなかった。頼朝に成り代わり、「源氏の棟梁」の名を欲しがったわけでもない。「都」に執着する叔父と、平氏を逐うために彼の軍勢を必要とする都の後白河法皇とにおびき寄せられるように、平氏方の軍を蹴散らしながら、義仲は都へと上る。見事平氏を都から追い払って、しかし義仲は賞されない。都の人間にとって重要なのは「平氏がいなくなること」だけで、平氏さえいなくなってしまえば、義仲はもう必要ではない。それどころか、彼の率いる大勢の武者は貴族達にとって脅威なのだ。義仲が第2の平氏にならぬ保証はないのである。

 法皇も貴族達も、平氏を厭っていた。しかし彼らに平氏を逐う術はない。平氏は武者であり、その弓や太刀の力に抗する術を、貴族達は持たない。だから、「武者」の平氏を逐うために同じ「武者」である源氏を求めて、求めながらやはり厭う。厭われた義仲は都で孤立し、院の御所に火を放って「朝敵」となる。そして、平氏を見事追い払った彼は、彼に「平氏を逐わせた」と同じ人間達によって逐われ、哀れな最期を遂げる。

 本当に、読んでいて腹が立った。「なぜだ!」と叫びたくなった。義仲が何をしたのか。院の御所を焼いた、それは確かに暴挙でもあろう。しかし義仲にそれをさせたのは、「都」である。彼をただ利用し、必要がなくなれば捨てようとした「都のあり方」こそが悪ではないのか。清盛も同じだった。藤原氏の力を削ぐため、後白河法皇は清盛を利用した。清盛は法皇のために働き、法皇の信任厚いことを我が身の恃みとしていた。しかし法皇はただ清盛を利用しただけ。藤原氏を追い落とすことに成功し、「我が世の春」が来てしまえば、所詮は「武者」でしかない「成り上がりの平氏」などに用はない。裏切られた清盛は法皇を幽閉するという挙に出、「朝敵」と呼ばれる存在へと堕ちていく。仕えた主人に捨てられ、たとえ位人臣を極めようとも「所詮は武者」として他の貴族達から貶められる清盛に、どうしようがあったろう? ただ大人しく諦めればよかったのか。使い捨てにされた我が身を、「そのようなもの」として黙って受け入れればよかったのか。太政大臣という頂きにたどり着きながら、そこには何もないと、認めればよかったのか?

 『双調平家物語』は、中国の話から始まった。それは、『平家』の原典に「逆賊、佞臣」の例として中国の人物が列挙されるからなのだが、果たして彼らは本当に「佞臣」だったのか? 彼らと並び称される清盛は本当に「逆賊」だったのか? 橋本さんは、その疑問からこの物語を始めた。清盛が「叛臣」であるなら、清盛に背かれた「主(しゅう)」とはどのような存在であったのか。それをはっきりさせるために、大化の改新から延々と、「朝廷」というものの変遷をたどった。清盛は自身の娘を天皇に妻合わせ、男御子を得る。その男御子を安徳天皇となし、清盛は「天皇の外戚」となる。それを、都の貴族達はそしる。「武者」風情が、「朝廷」をわたくしすると。なぜ藤原氏ならよくて、平氏ではダメなのか? 娘を後宮に上げ、その腹から生まれた皇子を皇位につけ、その「摂政」として政治の実権を握る。それは、藤原氏によって当たり前になされてきた、「朝廷のあり方」だった。天皇から実権を奪った藤原氏は、なぜその罪を問われないのか?

 その罪を問うた人はいた。院政を始めた白河上皇がその人である。天皇である限り、実権は藤原氏に握られてある。その「あり方」は変えられない。なぜ変えられないのか不思議といえば不思議なのだが、ともかくも「天皇」である限り、彼は藤原氏の傀儡である。ならば――。御位を譲り、「上皇」となって、実権を握ればよい。「元天皇」であり、「現天皇の父」でもある存在を、どんな貴族も無視することはできない。貶めることなどできようもない。「天皇を中心とした朝廷」で思うように出世できない貴族達は上皇(院)のもとに集まり、かくして「朝廷」と「院の御所」と、都には二つの中心が存在することになる。摂政関白を出す藤原氏の長となる一家でさえも、「朝廷」と「院の御所」に分かれて争いを起こす。後白河院は、藤原氏の権力を削ぎ、「朝廷」の上に立つ自身の立場をゆるぎなくするために、清盛を用いた。ただただ自身の優越を守るために、「敵の敵」を用いて「敵」を制し、用済みになった「敵の敵」をまた、その「敵」となる者に制させた。

 悪いのはてめぇだろ!と言いたいようなものである。後白河法皇は御代でただ一人、「武者」の使い方を知っていた。ただ一人、きちんと状況を把握し、行動することができた。彼は有能だったのだ。ならなぜ、その力を正しく「朝廷」のために使わなかったのか。摂関家が力を失った今、「天皇」を庇護し、「朝廷」を動かしていくことこそが、「天皇の父」でもある彼の責務であったろうに。もちろん後白河院は、「国」のためを思って藤原氏の専横を排したのではない。ただ、自身の気ままを通したかっただけである。朝廷に連なる貴族達は、そんな後白河院のやり方を心中では不快に思いながら、何もできない。東から源氏方の軍勢が攻めてきても、彼らは神仏に祈ることしかできない。会議の席で決められるのが、ただそれだけなのだ。実際的な策は何も講じられない。なんという無能! 平氏を厭いながらも、その「平氏追討」のために頼朝が立ったと聞けば頼朝を怖れる。義仲が大軍を率いて都に上れば、義仲をもやはり怖れる。

 都のルールを知らぬ義仲は「信濃の山猿」と蔑まれ、遠ざけられ、孤立する。閉じられた「都のルール」とは別に、関東武者の間では「関東のルール」が出来上がっていることを、都の人間は知らない。「源氏の棟梁」として立ち、平氏を逐った第一の功労者であるはずの頼朝は、自身ではほとんど平氏と戦っていない。最後になるまで、都にも姿を見せない。源氏が平氏を討って、頼朝は征夷大将軍の称号を得て幕府を開く。「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」 しかし頼朝は「日本の国」を作ったのではない。源氏は平氏を討たされて、「朝廷」には事態を打開する能力がないことだけが明らかになって、そんな「朝廷」に背を向けて、頼朝は「関東のルール」で関東を治めた。「都のルール」はそのままに捨て置かれ、天皇も貴族も「朝廷」も健在なまま、鎌倉には幕府がある。

 大化の改新から平氏の滅亡まで。ずっと読んできて、やっと少し、「日本史」がわかったような気がする。それが「日本史」なのかどうかはわからない。ただの「都の歴史」なのかもしれない。あるいは、「天皇と貴族達の歴史」に過ぎないのかもしれない。「天皇」という傀儡を誰が操るかの争いの歴史。「朝廷」という閉じた世界での権力争い。貴族達の最大関心事は「人事」と「出世」で、一体「朝廷」が「国の政治」を行っているのかどうかは、よくわからない。少なくとも「民の暮らしを考える」という意味での「政治」は行われていなかっただろう。まぁ、昔の王様はみんな、全世界的にそういうものかもしれないけれど。しかしローマのカエサルは紀元前の話だ。『ローマ人の物語』に市民は登場して、『平家物語』に下々の人間は出てこない。

 呆れるのだ、その無意味さに。

 何のための争いか。何のために、「朝廷」は存在するのか。なぜ義仲は無惨な最後を遂げねばならなかったのか。築かれた雑兵達の累々たる屍は何のためか。

 院の御所に火を点け、義仲は都のすべてを手中にする。しかしそうなって、義仲は何もできない。義仲自身が「天皇」になることはできない。「摂政とは藤原氏の一族がなるもの」と家来に言われて、義仲はただ「そうか」と思う。都に、義仲に見合った職はなく、「天下を取りたかったわけでもない」義仲に、何か別の、「帝王」ともいうべき称号を考え出す必要もない。……現代の私達から見れば、「天皇」になっちゃえばいいじゃないか、とも思うのだが、義仲は「皇統」の人間ではない。「天下を欲する」わけでもない義仲に、それを覆そうという気の起こるはずもなく、「天下を欲した」戦国大名でさえも、自身が「天皇」になろうとは思わなかった。そんな「傀儡」になって、役立たずな「朝廷」を率いたところで、意味などない。

 清盛の孫である安徳天皇は、8歳で壇ノ浦に沈む。その時都では、彼の異母弟が「三種の神器」を欠いたまま、既に「新帝」として御位に就いていた。清盛の孫であろうと、安徳帝はれっきとした「先帝の息子」で、しかるべき手順を踏んで即位したのである。都落ちの平氏に「三種の神器」とともに連れ去られた「天皇」を、都の人間は誰も助けようとも思わない。それは「叛逆」ではないのか? なぜそれを「逆臣」と咎める者はないのか。清盛の孫でもある安徳帝は「後白河院の孫」でもあるというのに、院でさえかの幼子の命を気にも留めない。取り返すべきは「三種の神器」、「天皇」個人に意味はない。むしろ、「清盛の孫」であるというそのことが、忌まわしくもある「天皇」。重要なのは「天皇の血」ではないのか? 「誰の腹に生まれたか」だけが問題か? さもあろう。藤原氏の后から生まれた皇子だけが、皇位に就けたのだから。もしも平安の世の貴族達が千年後の皇位継承問題を知ったらなんと言うだろう。笑うか――?

 藤原氏は逆臣と言われず、清盛ばかりが逆臣となる日本。「判官贔屓」と義経を擁護する日本人は、なぜ義仲の哀れを思わないのだろう。負けた者をひいきするなら、なぜ源氏に負けた平氏を擁護しないのだろう。義仲は院の御所を焼いた。清盛は院を幽閉した。義経は、何もしなかった。義仲と清盛を負かしたものは「都」で、義経を負かしたものは「鎌倉」だ。

 それが、答えか?

 一体ここに描かれたことは何だろう。これが、「日本の歴史」なのか――?

 『この国に、国はあるのか』 最後に、橋本さんは中大兄皇子の言葉を再び出す。大化の改新で、国を作ろうとした皇子。『人は国よりも先、都を作った。栄華という名の夢の源。栄華の夢に踊らされる者達の、権勢の巣――都。そして、その都さえも、空しくなろうとしていた。』

 この国に、果たして国はあるのか――。

 もう一度、読み返したいと思う。もう一度最初から、読み通したい想いに駆られる。当初は「隔月刊」と銘打たれていたのが、後半は「年一回」のペースになった。どうしても「前回まで」がうろ覚えになる。そうでなくても、1巻を読んだのはもう10年も前。15巻、ちゃんと続けて読んでみたいと思う。

 どれだけの登場人物がいるのか。毎回の系図もすごかった。15巻なんて、6種類もの系図が載っている。漢字だらけ、似た名前だらけの人物を頭に入れるのは大変で、脇キャラなどはわからないまま流したりもしていた。これを橋本さんは全部手書きしたのかと思うと……本当に頭が下がる。講談調のリズムのいい文章。何より、橋本さんの「人間の描き方」が好きだ。生き生きと、その人物の内面を描く。主役ではない脇の郎等の最期をも胸に迫る文章で鮮やかに描き出す。悪左府と称された頼長の最期など、本当に泣けた。人というものの愚かさ。哀れさ。勝った者も負けた者も、それぞれに、それぞれの生を生きていた。愚かであっても、哀れであっても。あるいは、愚かであればこそ。

 人というものは、いとおしい。

 そんな橋本さんの書きぶりが、たまらなく好きだ。

 10年、15巻、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう。

『双調平家物語』全15巻
以上 橋本治 中央公論新社


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