本の虫

◆第58回『血の収穫』/ダシール・ハメット◆

 あはは。『マルタの鷹』について書いてから、UPするまでの間に読んじゃった、『血の収穫』。これまた面白くて一気読み。寝る間を惜しんで、とは言いませんが、魚を焼きながら、歯を磨きながら、パソコンの起動を待つ間に、ちょっとしたすき間の時間を見つけてはページを繰らせていただきました。

 いやぁ、ほんとにサム・スペードもすごかったけど、この作品の主人公、「おれ」はもっとすごい。大体名前が出てこないってところがもうただ者じゃないよね、主人公なのに。コンチネンタル社の探偵だから、「コンチネタル・オプ」と呼び慣わされてはいるけど、作品中にはそんな仇名すら出てこなくて、身を隠すための偽名が2つほど出てくるだけなのだ。こんな主人公って、他にあるんだろうか。

 またその非情さというかタフさが尋常ではない。彼の踏んだ跡には草一本、蟻の一匹残らない、って感じだ。ただ累々たる死体が残ると。「そして誰もいなくなった」状態だもんね、ラスト。彼に比べればフィリップ・マーロウなんて、青臭いガキだよ、ほんと。

 私立探偵って、日本じゃあまりメジャーな職業じゃないせいもあって、ホームズやポアロのように警察の手に負えない事件の謎解きをする、どっか超人的な、そしてなぜか必ず「正義の側」にいる人のようなイメージがある。警察が暴けない罪を暴いて、悪を成敗するという。まぁ古典的な「探偵小説」というのは大方そういうもので、少なくとも「探偵=犯罪者」ではないと思うのだけど、しかしこのコンチネンタル・オプ君はほとんど犯罪者なのだ。ならず者というか。

 この作品に出てくる登場人物は、ほぼ全員ならず者で、警察も町の実力者も同じ穴のむじな。誰が正しいとか、どっちが被害者でどっちが加害者かなんて言うことには意味がない。みんながみんな自己保身のために相手を陥れようとして、結局は自業自得の結末になる。主人公の「おれ」は汚い手も平気で使って、その「火」に「油」を注ぐのだ。別に正義のためではなく。

 ハメットは自身8年間探偵として働いていて、この作品は当時の経験をほぼそのまま書いたものだと言われている。そのままって……。もし「おれ」が作者自身をモデルにしているんだとしたら、ハメットさんって相当とんでもない人じゃん。もっとも、真に「とんでもない」のは、たとえ実在の事件・人物をモデルにしているにせよ、これほどまでに面白い作品に仕上げるその才能だけれども。

 ハヤカワからも「赤い収穫」というタイトルで出されているけれども、私は入手しやすい創元推理文庫の方を読んだ。なんと初版は1959年。昭和で言うと34年か。訳出されてからそろそろ半世紀が経とうとしているわけだ。ところどころ「なんじゃそりゃ」という言い回しが出てきたり、どう見ても脱字としか思えないような箇所もあったりする。言い回しはともかく、脱字は直せよ、創元社。ただ、用語や言い回しに多少耳慣れないものがある以外は、その訳文は決して古めかしくはなく、殺伐として乾いた雰囲気がよく出て、一気に読める。ハヤカワ版と読み比べると面白いかもしれない。

『血の収穫』

以上 創元推理文庫 ダシール・ハメット作 田中西二郎訳


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