本の虫

◆第53回『荊の城』/サラ・ウォーターズ◆

 久しぶりに小説を読んだなぁって気がする。『嵐が丘』を読んだのはもう半年も前だもの、あれからろくに本を読んでなかった。最近の小説を読むのもものすごーく久しぶりだ。……って、あ、去年はウォーショースキーシリーズを読んだんだっけな。まぁたいした違いはない。とにかく年に数冊しか「新しく出版された小説」というのを読まなくなっているのは確かなんだから。

 この本は新聞の書評欄で知った。2004年の総括で、各書評子が3冊ずつ選ぶという中に入っていたのだ。イギリスのヒストリカル・ダガー賞(歴史ミステリーに与えられる)を受賞した、という触れ込みよりも、「ディケンズを思わせる」という紹介文(実際に書評子がどう書いていたのかはもう忘れてしまったが)に惹かれて買い求めた。昔、大学生の頃ディケンズにはまって何冊か読みあさっていたことがあったので、面白そうだな、と思ったのだ。

 予想は裏切られなかった。どんどんと引き込まれ、読み始めるとやめられない。特に第1部から第2部、話の語り手が変わって、第1部で語られた景色がまったく違うように見えてきてからは! あまりたくさんしゃべってしまうと読んでのお楽しみがなくなってしまうけれど、本当にここのどんでん返しには参ってしまった。第2部の後半ではもう一度どんでん返しがあり、怒涛の第3部(結末)へとなだれ込んでいく。

 舞台はビクトリア朝ロンドン。17才の女掏摸スウは、「紳士」と呼ばれる詐欺師の計画に引き込まれ、俗世間とはかけ離れた田舎のさびれた城館に侍女としてもぐり込む。そこには同じく17才の、成人した暁には莫大な遺産を継ぐことになる少女モードがいた。彼女をだまし、変わり者の伯父の手から引き離して財産を横取りする手筈なのに、スウは次第にモードを好きになっていってしまう。そして……。

 なんというか、設定も「どんでん返し」も、「えーっ、そんなのあり!?」「都合良すぎ!」って感じの、嘘くさいというか、現実にはありえそうもないお話なんだけども、主人公の2人の女の子がとても生き生きと書かれていて、しかも舞台は19世紀ロンドン。城館の様子も、ロンドンの下町の様子も詳しく豊かに描かれて、21世紀現在のつまらないリアリズムなんかくそくらえ、深くて濃い「ドラマティックな世界」に酔いしれてしまう。うん、ミステリーというよりもファンタジー。読んでいて、ものすごく羨ましかった。日本人の私にとっては「異世界」と設定するしかない、貴婦人にお城に怪しい下町の泥棒一家というお話がちょっと時代を遡るだけで書けてしまうイギリス。日本だと「時代劇」になってしまうところがファンタジーになるんだもの。いや、もちろん「時代劇」だってファンタジーだし、私の書く物がしょーもないのは私自身の責任であって、19世紀の日本人がドレスを着ていなかったせいではないのだけど。ああ、羨ましいぞ、この作者の才能が!!!

 役者あとがきによると、作者自身がディケンズの作品(たぶん『オリヴァ・ツゥイスト』)を意識して書いたらしい個所がいくつも見られるそうだ。私が『オリヴァ』やその他のディケンズ作品を読んでいたのは随分昔(かれこれ15年は経つなぁ。月日の過ぎるのは早い)なので、主人公が孤児で、掏摸とか故買屋の一味に育てられているとか、実は出生の秘密があって、とかいうことしか思い出せない。あと、『荊の城』というタイトルからディケンズの『荒涼館』という作品を連想したけれど、『荊の城』の原題は『Fingersmith(掏摸)』なので、あまり関係はないのかもしれない(『荒涼館』の原題は?分からない)。しかし『荒涼館』の主人公も出生の謎を秘めた美少女なのである。大体において、ディケンズの作品にはみなしごや、虐げられた子どもというのがたくさん出てくる。そして彼らはその不幸な境遇にもめげず善良な心を持ち続け、最後には思わぬ遺産を引き継いだり出生の謎が明かされたりして幸せを手に入れるのだ。

 また、ディケンズの作品には非常に強烈な個性を持った悪役というか、悪漢キャラが出てくるけれども、この『荊の城』では姪のモードを隔離して自分の下僕としてこき使っている偏執狂の伯父さんが強烈だ。スウやモードを陥れて大金をくすねようとする「紳士」も、さらにその後ろにいる黒幕の人物も、完全な悪ではない憎めない側面を持っているけれど、この伯父さんだけは地獄に堕ちてもしょーがなかろうというふうに描かれている。そもそもの事の起こりというか、一番最初に悲劇の種を蒔いたのはこの伯父さんだしなぁ。こいつがいなきゃスウもモードもこんな数奇な運命をたどることはなかったんだ。

 途中、ヒロインの1人(どっちかはお楽しみが減るので言わない)がいわゆる「気狂い(差別語?変換しない)病院」に入れられるのだけど、ここの描写がまたうまくて、うんざりする一方、ものすごい恐怖を感じる。時は19世紀だから、医者も看護婦もめちゃくちゃで、「病院」とは名ばかりの隔離施設なんだけど、「正気」のヒロインが「自分は正気だ」と訴えれば訴えるほど「おかしい」と思われてひどい目に会うのが、なんとも怖ろしいのだ。看護婦達にいじめられ、「気狂い」扱いされることによって本当に正気を失っていきそうになる恐怖。同じ房にいる、明らかにどこかおかしい婦人に対してヒロインは思う。「彼女だって、ここに入れられた当初は今の私と同じくらい正気だったかもしれないのだ」と。

 とにかく「濃い物語」が好きな人には絶対にオススメです!(しかしこの程度の厚さで1冊940円ってのは高いな〜) さて、じゃあ私は早速『オリヴァ・ツゥイスト』を読み返すとするかな。

『荊の城』上・下(創元推理文庫)
以上 サラ・ウォーターズ(訳:中村有希)


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