本の虫

◆第46回『ギリシア悲劇V・W』/エウリピデス◆

 「毒を食らわば皿まで」、というわけでもないけれど、野村萬斎様の『オイディプス』観劇から始まったギリシア悲劇熱、このエウリピデスで一応の終わりとなります。

 一番時代が新しいせいか現存する脚本が多いらしく、2巻に収められた作品数は合わせて19篇。1冊ずつが分厚い分厚い。読み終わるのにとーっても時間がかかってしまった。もう最初の方に読んだ話忘れちゃってるよ。でもなかなか面白かった。この前に読んでたのが「何のこっちゃ」のアイスキュロスだから、断然面白いと言ってもいい。ソポクレスの静謐な雰囲気とはまた違って、ダイナミックでより「今風」なお芝居になっている。2000年以上の昔においても、彼の作風はそれまでの伝統を破り、多分に大衆文学的要素を含んだ卑俗なものとして貴族達には不評だったらしい。現代の批評家達にも「筋のサスペンスやスリルを追う余り、ともすればプロットが作為に過ぎる」などと言われている。なんか他人事とは思えんなぁ。ええやん、おもろかったら。

何となくクリスタル  まずVの巻頭に掲げられた作品「アルケスティス」。これ、全編の中で一番面白かったかもしれない。いわゆる悲劇とは趣を異にしていて、従来の劇の型にこだわらない、新しい演劇を模索した(かどうかは知らないけど、たぶん)エウリピデスの面目躍如、って感じ。とある国の王様アドメトスに死が迫り、「誰か代わりに死ぬ者があったら助けてやる」と言われて妃のアルケスティスが身代わりを申し出る。で、まぁ王様は妃が死んで嘆くわけなんだけども。そこへ王様の父親がやってきて、罵りあいになるんだよね。王様は父親に向かって「もう年なんだからあんたが代わりに死んでくれればよかったんだ」と言うし、父親は父親で、「そんなに妃の死が惜しいなら最初っから自分が死にゃあいいじゃないか」と言い返す。このやりとりがねぇ、めちゃめちゃ面白いんだよ。「まったく口先だけのことなのですね、年寄りどもが死にたいなどと願うというのは。老の身をかこち、長いこと生きるつらさをこぼしてからに」って、現代の作品に出てきても全然おかしくないもんね。うぷぷと笑いながら読んじゃった。

 この「会話の妙」、アイスキュロスやソポクレスの作品はわりと各人が朗々と(長々と)台詞をしゃべっていたような気がするんだけど、エウリピデスは短いセンテンスで登場人物がかけあう部分が多い。もちろんテンポも良くなるし、「神々と人間」よりも「人間と人間」なんだな、ということがよくわかる。もちろん「ギリシア悲劇」として神に捧げられているお芝居だから神様は出てくるんだけど、かなりこてんぱんにこきおろされてるし、有名な神話や伝説を描きながら実は、全然主役なんかじゃない老人の呟きをこそエウリピデスは書きたかったんじゃないか。そう思わせる台詞がずいぶんある。

 たとえば(と、ここで例を出そうとして……全1400ページのうちから目指す場面を拾い出すのは……ううう、どこだっけ)『ヒッポリュトス』の老僕の台詞「われわれ老人には若い人たちのあのような物の考え方はとうてい真似もできませぬが……(中略)……神様方には人間よりも、もっと深いご分別があっていただきとう存じます

 それから、アイスキュロスやソポクレスも取り上げた例の『エレクトラ』。エウリピデスの作中ではエレクトラはとある農夫と名義上だけの夫婦になっている。名義上とは言ってもちゃんと一緒に暮らしてもいるのだけど、慎み深い彼は元王女であるエレクトラには手を触れない。そんな彼を評してエレクトラの弟であるオレステスは、「この人は大きな勢力を持っている者でもなければ、名家の誉れ高い人でもない、ただの大衆の一人に過ぎないけれど、人物としては最上の人だ。人間が高貴の生まれであるか否かは(貧富や武芸のよしあしなどでなく)、ただ交わりと品性によって判別するようにしなければならない」と述べる。そして農夫はオレステスをもてなそうとしてこう言う。「気持ちはあってもそれが果たせない時、つくづく思うことは、金銭というものがいかに大きな力をもっているかということだ」

 この農夫、『エレクトラ』という母親への復讐劇の中ではまったく不必要と言ってもいい人物なんだよね。事実、冒頭に登場した後はもう姿を見せず、復讐を果たしたエレクトラは弟の親友の妻になって去っていっちゃう(一応「農夫にも豊かな暮らしをさせるように」という神のお告げはあるのだけど)。あまりにも有名なこのお話を自分なりに脚色しようとした時、エウリピデスは無関係な「大衆の一人」を出して、「高貴な生まれであるがゆえに血みどろの抗争を繰り広げる愚かな王家の一族」と対比させようとしたのかもしれない。

 ソポクレスの『オイディプス王』がそうであったように、エウリピデスの作品もほぼそのままの形で(蜷川さんの『グリークス』では「原案:エウリピデス」となっていた)現在まで上演され続けている。それはもちろんソポクレスやエウリピデスの偉大さを物語ることだけれど、やっぱり根本のところで人間が変わってないからこそだろうと思う。いつの世も人は愚かで、そして愛おしい。

『ギリシア悲劇V』『ギリシア悲劇W』(ちくま文庫)
以上 エウリピデス


●次回予告●

次回は……まさか『MOON CHILD』の写真集を取り上げるようなことはしないと思いますが……(わからんぞ、こいつ)。


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