本の虫

◆第44回『ギリシア悲劇T』/アイスキュロス(訳:呉茂一他)◆

 引き続き、ギリシア悲劇です。毒を食らわば皿まで!? ちくま文庫のシリーズ4冊揃えて、やる気満々のわたくしでございます。

 さて。ソポクレスがあまりに面白かったのでアイスキュロスも期待して読んだのだけど。はっきり言って、あんまり面白くなかった。なんか、「だから何なの?」というのが多い。7篇のうち、3篇が3部作の第1篇であるというのも関係があるかもしれない。3部全部ちゃんと続けて見れば面白いのかもしれないけど、冒頭のとっかかりだけしかないから、「え?これで終わり?」になってしまうのよね。

アンフォラ  ギリシア3大悲劇詩人の中では一番時代の古い人なので、そういう意味でもまだ劇自体がこなれていないというか、神に捧げる祭りの中のスペクタクルなショーの域を出ていない、という気がする。

 唯一3部作がすべて残っているのが、例のエレクトラとクリュタイムネストラが出てくる『オレステイア3部作』なんだけど、これ、実際に舞台で上演したらかなりおどろおどろしいだろうと思う。立派なホラー。クリュタイムネストラが夫アガメムノンを殺害する第1篇『アガメムノン』では、トロイアの王女(今はアガメムノンの奴隷)カサンドラが延々と惨劇を予言する箇所があって、これがかなり怖い。殺しの場面そのものを描くよりずっと効果的。蜷川演出の『グリークス』ではかの中嶋朋子さんがカサンドラを演じていて、その狂気ぶりが本当に怖ろしかった。

 続く第2篇『供養する女たち』。題名に反して、オレステスが母クリュタイムネストラを殺害する話。ソポクレス版ではエレクトラVSクリュタイムネストラの母子対決が主題で、オレステスはただの実行犯だったけど、アイスキュロス版ではオレステスの「母殺し」が主題で、エレクトラはそんなにひどい娘ではない。クリュタイムネストラはやっぱり十分ひどくて怖い女だけど。息子に剣を向けられると乳房をあらわにして、「これに免じて、この乳房、それへ縋って、おまえがたびたび寝こけながらも歯ぐきに噛みしめ、たっぷりおいしいお乳を飲んだじゃないの」と迫るところなんか、まったくただ者ではない。そして殺された瞬間から悪霊となって息子に祟るのだ。ひょえ〜、こえぇよ〜。

 最終篇『慈(めぐ)みの女神たち』は、眠っているオレステスを復讐の女神たちが取り囲んでいるところから始まる。もちろんクリュタイムネストラの亡霊も出てきて、「追っかけてって、(オレステスの)息の根をとめとくれ」と女神たちをけしかける。女神と言っても「復讐の」だから、見た目は「何ともいいようのない奇怪な姿」で、その一団がコロスとなってうなり声を上げながら舞台上を走り回るのだ。子どもは泣くぞ。

 「(オレステスの)母殺し」と「(クリュタイムネストラの)夫殺し」のどちらがより重罪か、女神アテナと市民達による裁判が開かれる。問題はオレステスやその家族の罪や苦悩を離れ、「復讐の女神たち」古い神々と、ゼウス以下の新しい神々との対決になり、それはまた、母系を重んじる古い社会観が父系を重んじる新しい社会観に呑み込まれていく話にもなる。「ゼウスは父親のほうをよけい大事になさるらしいが、ご自分は父のクロノス老神さまを獄舎に押し込めなさった」くせに。

 『縛られたプロメテウス』でもゼウスはけちょんけちょんにけなされている。人間のために火を盗んだがために磔にされるプロメテウスは、古い自然神ティタンの一族。彼は言う。「彼(ゼウス)とても運命の定めるところを逃れは得まい」「かくてゼウスはこの禍いにつまずき倒れて思い知ろうぞ」――既にアイスキュロスの時代、オリンポスの神々はそんなにも絶対視されていなかったんだろうか。この芝居が捧げられていたのはディオニュソス神でゼウスではないんだけど。失われた第2篇、第3篇では果たしてゼウスとプロメテウスは和解していたのだろうか……。

 『ペルシア人』――全然面白くない。だから何やねん。

 『救いを求める女たち』――『ペルシア人』よりはましだけど、これも続きが失われているので、事件の発端だけ。消化不良

 『テーバイ攻めの七将』は、ソポクレス版『オイディプス』と『アンティゴネ』の間にはさまるエピソード。父オイディプスによって呪いをかけられた息子2人が相討ちをして果てる話……のはずなのに、七つの門を攻める敵方の将と、それに対する自軍の将の紹介に終始する。あれれれれ。血を分けた実の兄弟が殺し合わねばならない葛藤っていうのはないんですか、もしもし?

 そう、アイスキュロスの芝居には(と断言するには現存7篇は少なすぎるが)「葛藤」がない。だから私には面白くない。ただ事件が少々スペクタクルに語られるだけなのだ。解説者曰く、「彼は構成とか筋立てなどは問題にしない」。ええーっ、そんなんあり!? それで3本の指に入れられるすごい詩人なの!? ちなみにその解説者の方はソポクレスについては、「彼の作品には、従って問題意識や作者個人の情熱や感情がない、いや冷酷にさえ見えて、近代の人の心には何物か物足りなさをさえ感じさせる」と書いている。すぐその後で「しかし本当はそうではない」と持ち上げてはいるけれど。問題意識や情熱がなくてあれだけの作品が書けるわけないでしょう。物足りないどころか、断然私はソポクレス派でござりまする!

『ギリシア悲劇T』(ちくま文庫)
以上 アイスキュロス(訳:呉茂一他)


●次回予告●

次回はたぶん『ギリシア悲劇V/エウリピデス(上)』です。


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