本の虫

◆第43回『ギリシア悲劇U』の増補◆

=本編を書いた時には読み終わっていなかった2篇について、感想の追加です=

 エレクトラ・コンプレックスで有名な『エレクトラ』。オイディプス・コンプレックスが「不当なネーミング」であったのに対して、こちらはいかにももっともだという気がするお話である。父を殺した母を激しく憎み、復讐を企むエレクトラ。2500年前の女はこんなに気が強かったのかと思うほど、母娘の罵りあいはすさまじい。何しろ母クリュタイムネストラは文学史上もっとも気性の激しい女性、と言われているぐらいで、まったくこの母にしてこの娘あり、なのだ。

 互いに互いを憎む正当な理由はあるのだけど、しかし弟オレステスを焚きつけて実の母を殺してしまうエレクトラは「正義をなした」と言えるのか。血を血で洗う憎しみの連鎖が続くだけではないのか――。

アンフォラ  赦すことができれば、悲劇は避けられたかもしれない。『アイアス』でもそうだった。競技会において自分よりもオデュッセウスの方を上とした判定を不服とし、憎しみを募らせたアイアス。女神アテナの計らいにより、家畜の群をオデュッセウス軍と思いこんで殺戮し、自害して果てることになる。憎しみは人を盲にさせる

 ソポクレスの最晩年の作(80歳を越えていたらしい。長生きだったのね)『ピロクテテス』では、はっきりとそのことが言明される。病のために孤島に置き去りにされたピロクテテス。しかし十年の後、神託により彼と彼の弓が必要になったオデュッセウス達は、かつて見捨てたピロクテテスを迎えに来る。その救援の手をピロクテテスが拒絶するのは当たり前と言えば当たり前だ。オデュッセウスは別にピロクテテスが可哀想になって助けにきたわけでもないし、謝りもしない。自分が憎まれているのを承知で、策略を用いて彼の弓を奪おうとする。ピロクテテスは叫ぶ。「わしはいやだ!どんなに苦しくともわしはトロイアへは行かぬ!(無理にもと言うなら)飛びおりて頭を打ちくだく!」

 しかしもちろん、ピロクテテスは本当に死にたいとは思っていない。二度と故郷の地を踏むこともなく、みじめな姿で病に苦しみつつ一人孤島に死すことを繰り返し繰り返し嘆いている。オデュッセウスの命を受けて一旦はピロクテテスを騙そうとした若者ネオプトレモスは諭す。「人間は神のさだめに堪えねばならぬ、これは必然のことわりだ。しかしいまのあなたは、われとわが手で災難をまねき、それに身をまかせている人間だ。(中略)真心をもって忠告する人があらわれても、敵だ、仇だと思いこんで憎悪する」

 憎しみを捨てれば。捨てずとも、堪えることができれば。命ばかりは助かることができる。誇り高き武人にとって、それは恥以外の何物でもないかもしれない。けれど憎しみのゆえに身を滅ぼすことが、果たして良い振る舞いと言えるのか。

 赦すことができれば、避けられる悲劇はある。

 激しい憎しみは、十年という長の月日を生き長らえさせる力ともなった。怒りや妬みを覚えるなと言っても、それは無理というものだ。人の世に悲しみはあって、人の心に負の感情はある。ただ、堪えるべき時に堪えなければ。赦すべき時に赦さなければ。

 ああ、耳が痛いですよ、ソポクレス殿。

※画像の説明:かなり以前に見に行った「古代ギリシャ・ローマ展」のチラシから拝借いたしました。オランダ国立ライデン古代博物館所蔵の品です。昔はこーゆーのよく見に行きました。東京の古代オリエント博物館なんか、一回行ってみたいなぁ。

『ギリシア悲劇U』(ちくま文庫)
以上 ソポクレス(訳:高津春繁他)


●次回予告●

次回は『ギリシア悲劇T/アイスキュロス』の予定です。


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