本の虫

◆第37回『天使のウィンク』『ああでもなくこうでもなく』/橋本治◆

 またまた橋本治さんです。しかも2冊同時。ホントに私も好きだよね(笑)。いっそ専属の書評家として雇っていただきたいぐらいですが。まぁ私程度の文章では橋本さんには鼻も引っかけてもらえないでしょう、残念ながら。

 最初、毎日新聞で『ああでもなく』の書評を読んで、めったに橋本さんの名前なんか書評に出てこないからすごく嬉しくて、「絶対読まなきゃ」と思ったんだけど、当然近所の本屋には影も形もなくて、紀伊国屋のホームページで検索したら、『天使のウィンク』というのも同時期に刊行されていた。それで、どっちかだけでもないかなと、ちょっと大きめの書店にも足を伸ばしてみたけど、やっぱり全然影も形も見当たらなくて、ゴールデンウィークに実家に帰った時に書店めぐりをやった。めぐりっても2店舗だけなんだけども、息子が自分も行くと言ってきかないので、たったの2店めぐるのが非常に大変だった。何しろ私の実家は駅から徒歩20分。書店は駅前に集中してるから、自分だけだったら自転車でチャーと行っちゃうところ、息子連れではそうもいかず、わざわざバスに乗る羽目に(うちの息子は歩かないで「抱っこ」ばっかりせがむので、歩いていく気にはなれなかった。なんせずーっと急な坂道だし)。バスって、片道5分に210円もかかるのだ。往復だと420円。2店目でめでたく『天使のウィンク』を発見したけど、送料出してインターネット通販で買っても同じだったか、とちょっと疲れた。

日本は何の国?  おまけに、1週間後に図書館に行ったら『天使』も『ああでもなく』もしっかり棚に並んでたのだ。すっごく、疲れた。なんだ、最初から図書館に来れば良かったのかよ、早く言ってくれよなー、もう。って、これじゃあ全然書評になってないけど、なんでこんなことくどくど書いたかっていうと、それだけ本屋に本がないってことを言いたいから。大手新聞社の書評欄で紹介されても、店頭には並ばない。これじゃあ普通の人が普通の本屋で「本と出会う」なんて不可能だし、万一私が本を出すことに成功しても、絶対売れっこない。そもそも書店に並ばないんだから、売れようがない。私の本に出会えなくても別に損はしないが(逆に出会ったら損するかも)、橋本さんの本に出会えず死んでいくのはもったいない、と思うのだ。

 『天使のウィンク』は1997年8月〜99年12月まで「中央公論」に連載されたもの。そして『ああでもなく』の方は1997年1月から99年9月まで「広告批評」に連載されたもの。連載時期がだぶってるから、内容もけっこうだぶっていて、両方読むと橋本さんの考えが非常によくわかったような気になってしまうのだけども、結局橋本さんは「もう資本主義は終わってる」ってことと、「自分の頭でちゃんと考えなさい」ってことしか言っていない。「沖縄問題」とか「ユーゴ問題」とか「金融危機」とか「日本の国防問題」までわかりやすく解説してくれて、読んでる方は「ああ、なるほど、そーゆーことか」とわかったような気になって、「ということはこうかな、ああかな」とぐちゃぐちゃ考え始めて止まらなくなってしまうにも関わらず、橋本さんは「でも関係ない」とあっさり言っちゃう。「別にこんなこと書きたくないんだけど」と。橋本さんにしてみれば、「自分はこう考えるけど、それはあんた達の問題なんだからあんた達がちゃんと考えろ」ってことなんだ。「そのために専門家ってもんがいるんだろ」と。「資本主義は終わってる」も「自分の頭で考えろ」も、既に『貧乏は正しい!』等の著作で言ってることで、でも世の中はちっともそーゆー方向に進まないのでしょうがない、橋本さんは「めんどくさいなぁ」と言いながら具体例をいちいち指し示して説明してくれているわけだ。

 「中央公論」や「広告批評」がどれだけ売れていて、どーゆー読者層を持っているのか私は知らない。2つの連載が始まった2年前に比べて世の中が良くなったとも思えないので、きっとあんまり売れてないんだろうなとは思うけども。もちろん、連載を読んだからと言ってみんながみんな橋本さんの考えに賛成するとは限らないし、「言ってることはわかるけど、でも仕方ないじゃん」と思う人も多いんだろう。「俺にどうしろってんだ」とか。私だってこんだけ橋本治ばっかり読んでて、やってることと言えば存在しない読者に向かってこんな書評を書くだけで、新聞に投書もしないんだから。まぁ選挙に行くぐらいですか。

 総選挙、この原稿をUPする頃には終わってるはずだけど(今はまだ5月なので解散もしてません)、やっぱり自民党が勝つんですかね。この間「自公保」が連立与党として出したビラを見ましたが、自分たちも連立のくせに、「民主党が政権を取るためには共産党と連立しなければならない。主義主張の違うバラバラな政権」とかって書いてあって、「じゃああんた達は主義主張が同じなのになんで別の政党になってんだ?」と思ってしまいました。彼らの言いたいことは「共産党に政権を取らすのか?」ということで、「バラバラ」は付け足しだろうけども。「共産党」に対する嫌悪を煽れば自分たちが勝てると思ってるんですね。『「資本主義」「日米安保」「天皇制」を廃止しようとする共産党を与党にしていいのか!』と堂々と書いてある。呆れましたね。そーゆー訴えって今でも有効なのかと。ある年齢より上の人々には、本当に「アカ」に対する根強い嫌悪があるのだなぁと。そんでもって「天皇」に対する執着とか。「天皇制」が廃止されて何か困ることってあるの? 「日本の顔」ということになったら、貧相な政治家よりも天皇陛下の方がよほど品があっていい、とは思うけども、そんな理由で「天皇制」が存続するんだったら、政治家は恥を知れ、というところでしょう。人権を剥奪されて「象徴」なんかやらされてる天皇陛下こそお気の毒というものです。

 「景気はもう回復なんかしない。もう今までのようにはいかない。ちょっと貧乏にはなるけど、暮らしやすい生活を目指そう」と訴える政党はないのかな。そういう政党に票を入れる人はいないのかな。「資本主義」の反対が「社会主義」しかないのはあんまりだ。一体政治学者や経済学者は何してるんだろう。早いとこ「第三のシステム」を提示してくれなきゃ困るよな。

 それはともかく、この2冊の中で最も印象に残るのは淀川長治さんのことを書いた一編。橋本さんにとって淀川さんは「精神の母校の校長先生」だった。だから、淀川さんに会って「可愛い人やね」と言われた橋本さんは涙ぐむ。それはつまり、校長先生に「えらいね。ちっとも変わってないね」と言われたのと同じことだからと。もう一人、前中央公論社会長の嶋中さんのことに触れて、「平家」と「源氏」を同時に出すのが夢でした、と夢を託された橋本さんは、「十六歳の自分に、よかったな、おまえはバカじゃなかったんだぞと言ってやりたい」と書く。いつも十六歳の自分に「ごめんね。あんたの夢まだ叶えてやってないね」と謝ってばかりの私としては、この下りが非常に切なかった。そして、「精神の母校の校長先生」の存在が少し羨ましかった。自分が50とか60とかいう年になった時に、「えらいね。ちっとも変わってないね」などと言ってくれる人はいないだろうし、そもそも「変わってない」という自信もない。せめて十六の自分に、「あんたの人生まんざらでもなかったよ」ぐらいは言ってやりたいものだけども。

『天使のウィンク』(中央公論新社)
『ああでもなくこうでもなく』(マドラ出版)
以上 橋本治


●次回予告●

次回は未定です。あしからず。


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