本の虫

◆第33回『双調平家物語/橋本治』◆

 光源氏の1人称という斬新な切り口で『源氏物語』を紡ぎ直してくれた橋本さんが次に挑んだのは『平家物語』。「源氏と平家」で対になっているような錯覚を起こしますが、同じ「物語」でも両者は全く毛色が異なる作品です。そもそもがフィクションである『源氏物語』と、史実に基づいた『平家物語』。片や一人の美しい男をめぐる恋物語。片や一人の男の栄華と凋落の戦記物。全く違うように見えて、でも読み進むうちに「実はそうたいした違いはないのかも」と思えてくる。実際にあったこととは言っても数百年も経ってしまえばそれは私達にとってフィクションも同然で、それが恋愛であろうと戦であろうと人の生きざまには違いなく、そうしてどんな生きざまも結局は夢の一幕。そう、諸行は無常―――。

 『平家物語』と言えば「祇園精舎の鐘の声―――」というあまりにも有名な冒頭の一句と、平清盛の栄華と凋落を描いた作品だということしか知らなかったのですが、橋本さんの平家はいきなり中国の話から始まります。何故かと言えば、『平家』の原典に「逆賊、佞臣」の例として中国の人物が列挙されるからなんですが、第1巻はほとんどまるまる中国の話で終わります。慣れない人名・地名にとまどいますが、これが面白い! 語り口が巧みで、どんどん引き込まれてしまう。原典に列挙されている人々は本当に「逆賊」だったのか?という視点が提示され、また、「天命を聞いた」と言えばどこの馬の骨でも皇帝になれる中国と、建前上「万世一系」の天皇が現在まで存続している日本では「佞臣」の意味が異なる、いや、そもそも「叛臣」というものがあり得ないのでは、と。かの有名な玄宗皇帝と楊貴妃が登場する「安禄山」の項など、一つの歴史短編として十二分に楽しめます。

 中国編が終わってやっと平清盛かと思ったらまだまだ真打ちは出てこなくて、まず「この人を語らずして、我が朝に栄華も盛衰も滅亡もない」で藤原道長さんの話になるんですが、藤原氏の祖といえば「大化改新」でおなじみ藤原鎌足さんで、鎌足さんが「大化改新」で討ったのは蘇我入鹿。だもんで日本編は蘇我氏の話から始まります。このへんの周到さというかまどろっこしさは橋本さんならではですが、おかげで「あ〜、大化改新ってそーゆーことだったのかぁ」と初めてその全容がわかりました。

 蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿、聖徳太子に藤原鎌足、中大兄皇子と名前だけはおなじみの面々がいきいきと実体を持って迫ってくる。「魔の7サイクル光線」が飛び交っていた超眠い日本史の授業が嘘みたいに、面白くてしょうがない。「大兄(おおえ)」が日継ぎの皇子(皇太子)に与えられる尊称だとわかるだけでもぐっと歴史が身近になるのに、どうして学校では教えてくれないんでしょう。中大兄皇子はその後即位して天智天皇になります。聖徳太子の息子である山背大兄王は帝にはなれずに殺されてしまいますが、「大兄」の称を受けたということは皇太子に擬されたわけですね。ところが聖徳太子自体はただの「厩戸皇子」で、日継ぎの皇子とは目されていなかったらしい。本人がもっと長生きするか、推古天皇がもっと早死にしていればひょっとして帝になったかもしれませんが、後世有名になったほどには当時の人間達には受けが良くなかったのか?とか邪推してしまいます。

 実際のところ、聖徳太子が「冠位十二階」を定めたことなんかたいした意味はないのかもしれません。ルールだけはできて、でもその冠位を蘇我蝦夷は自分の手で(朝廷によらずに)息子に授けてしまうんですから。当時まともな「国家」があったのか、朝廷や帝にどの程度の実権があったのか、まったくもって怪しいものです。「大化改新」というのは若き中大兄皇子がそういうあってないような帝の権威を蘇我氏から取り返し、まだ存在しなかった「国家」というものを作ろうとしたクーデターだったんですね。ということはつまり聖徳太子の時代、既に「天皇」は「象徴」でしかなかったってことなんですが、あんまりそういう風に教えられなかったのはやっぱり戦前の「皇国史観」が尾を引いてるからなんでしょうか。

 もちろん「大化改新」の真実はわかりません。私は橋本さんの術中にはまって、「橋本史観」を受け売りしているに過ぎません。あまりにもいきいきした会話に蘇我蝦夷や藤原鎌足の人となりを理解したような気になるけれど、彼らの肉声が残っているわけじゃなし、あくまでも橋本さんの想像による姿なのです。そう、結局実在したはずの彼らも、実際にあったはずの出来事も、時が経てば物語になってしまうんです。まさに、すべては春の夜の夢の如し。

 なかなか読み進む時間がないのが哀しいですが、続刊が楽しみです。

『双調平家物語』1〜3巻(以下続刊全12巻)
以上 橋本治(中央公論新社)


●次回予告●

次回は未定です。あしからず。


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