本の虫

◆第25回『フォーリング・エンジェル/ナンシー・A・コリンズ』◆

 またまたハヤカワです。ホントに偏った読書だなぁ。でも『ミッドナイト・ブルー』『ゴースト・トラップ』と紹介してきた手前、ソーニャ・ブルー3部作の完結編を紹介しないわけにはいきませんよね。

 大富豪の娘デニーズ・ソーンが吸血鬼ソーニャ・ブルーになった経緯と、新興宗教の教祖である超能力者との対決が描かれる第1作。宿敵モーガンとの対決と、新しい吸血鬼を作り出そうとする彼の計画が描かれる第2作。そしてこの第3作『フォーリング・エンジェル』では、いよいよモーガンとの宿命の闘いに決着がつくのですが……。

目の色  巻を追うごとに面白くなっていくこの作品、単にモーガンとの闘いがどうなるかだけでなく、見所が一杯です。前作でモーガンの生命操作により生まれた少女レーテの正体、ソーニャの中でますます強くなる破壊的人格<彼女>との相克、人間ではない彼女を受け入れ、理解してくれるパーマーとの愛の行方。そして、人間でもない、吸血鬼でもないソーニャの、真の正体―――。

 中でも一番印象に残るのは、老吸血鬼の死をソーニャが看取るエピソード。不老不死だと思われている吸血鬼ですが、やっぱり死ぬんですね。まぁもちろん、太陽の光に灼かれたりとか銀に弱いとか、ソーニャが「吸血鬼狩り」をするぐらいだから、吸血鬼が死ぬのは特別なことでもないんですが、吸血鬼にも老衰があると言ったら、ちょっと意外な感じがしますよね。実際には、老化で細胞が衰えるのではなくて、あまりに永く生きすぎたために心が衰えて、その結果死んでしまうのですが。つまり、千年も生きてると何も面白いことがなくなって、<倦怠>が心身を蝕んでいくというのです。

 死を怖れながらも自ら墓場へ赴き、従容として死を受け容れる老吸血鬼。500年以上も憎んできた相手を赦すと言い、愛していると言い、「悲しいよ、実に悲しい。苦痛も、死も、策謀も、みんななんの意味もないのだ」と初めて涙を流す彼の死に様は、胸に沁みいるものがあります。太古の昔から人類が求めてやまない、「不老不死」。その境地に最も近い彼が、結局は<倦怠>に蝕まれ、何もかもすべて意味のないたわごとだと言って死んでいく。人間であれ動物であれ、その寿命の長さがどうであれ、この世に生まれ、生きて死んでいくということは一体なんなのでしょうか。

 そうして死んだ吸血鬼の魂はなんと熾天使(セラフィム)になるのです。「結局、堕ちてゆくのは悪魔ではなく、天使なのではないのか?」―――だからタイトルが『フォーリング・エンジェル』(原題は違うみたいですが)。私は「なるほど、うまいこと言うなぁ」と感心しましたが、保守的なクリスチャンの方から文句は出ないのかとよけいな心配をしてしまいます。

 当初、ソーニャ・ブルーシリーズはこの巻で終わりだったらしいのですが、人気を博したためか新作が刊行され、翻訳もされる予定だそうです。出たらやっぱり買っちゃうなぁ。

『フォーリング・エンジェル』

以上 ナンシー・A・コリンズ(ハヤカワ文庫FT)


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