本の虫

◆第19回『黎明の王 白昼の女王/イアン・マクドナルド』◆

 ファンタジーが読みたい。

 『窯変源氏物語』が毎月刊行されて読むのが間に合わず、他の本を買うのを極力控えていた頃、どうしてもファンタジーが読みたくて衝動的に買ったのがこの本。結局買ってから半年以上本棚の中に埋もれていて、やっと先頃読んだのですが。そのいかにもファンタジックなタイトルと、きたのじゅんこさんの麗しすぎる表紙絵とは裏腹に、「これってファンタジー……?」という作品だったのです。面白くないことはない、しかし私が読みたかったのはちょっとだいぶ違うんだけど、と。

理想の妖精  妖精は、確かに出てくる。ただし、透ける羽根を持った愛らしいやつじゃなく、異形で邪悪な妖精達。第1部は、妖精に憧れる少女エミリーが異世(ことよ)の生き物達に魅入られ、最後には現実世界を捨て異世に取り込まれてしまう話。そして第2部は、エミリーが自分と”黎明の王”との子供ジェシカを異世に連れ戻そうとし、ジェシカの守護妖精とジェシカ自身の意志によって敗れ去る話。第3部で短くジェシカの恋が語られた後、第4部ではジェシカの孫(エミリーのひ孫)イナイの妖精狩りが描かれ、最終的に異世のエミリーの魂を救い出して大団円を迎えます。

 ここで問題になるのが、「異世」の正体なんですが。現実世界と隣り合わせに存在する別の世界というのが、独立した物ではなくて「人間が見た夢の集積」によってできた物ということになっているんですね。それもどちらかというと「恐怖」や「憎悪」といった負の感情が多く具現化したものだと。イナイが妖精狩りに終止符を打ち、エミリーを救い出せるのは、無意識下に封印していた父親の忌まわしい記憶を思い出した上で、父親を改めて憎むのでなく、「赦す」ことで勝ちを収めるからなのです。「敵は外部にいるのではなく、自分自身の内部にあったのだ」。

 めちゃめちゃ哲学的というか心理学的なんですよねぇ。解説に「異世界ファンタジーが嫌いな人のためのファンタジー」と書いてあるんだけど、いわゆる「剣と魔法の異世界ファンタジー」が好きな人にとっては読みづらい作品だと思います。何度途中で投げ出しそうになったことか。

 ファンタジーというよりは哲学書として読んだ方がいいかもしれません。特に第4部は示唆に富んでいます。たとえば百のTVの目を持つ男の言葉。「だれもおらず、だれも木の倒れるところを見なかったとしたら、倒れる音は存在したのだろうか? 物事が知覚されないとき、それは存在しているといえるのだろうか? わしがずっと観察し、目撃していないと、この街は無に帰してしまうだろう」。あるいは、変わり者だと思われていて死期の近づいている老人の言葉。「もし神が死んでしまったと思えるのなら、それはわしらが現在を失ってしまったからだ。現在は、わしらがいたところといたいところのあいだの退屈な介在物にすぎない。なにかになることがすべてであり、そこに存在することは無価値だと考えて、わしらはいま現在の恩寵を忘れてしまっている」。―――ああ、そうか、そういうことだったんだ。

『黎明の王 白昼の女王』

以上 イアン・マクドナルド(ハヤカワ文庫FT)


●次回予告●

次回は『ミッドナイト・ブルー/ナンシー・A・コリンズ』です。

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