稲荷山古墳(小田中)
 墳丘長30m、後円部径20m、高さ5.6mの前方後円墳です。横穴式石室が東に開口し、石室の全長6.35m、羨道部3.85m、幅1m、玄室部の奥行き2.5m、幅3.7mを測ります。横に長い玄室が細長い羨道に対して直角に付設されたT字形の石室が特徴です。

 T字形の石室を持つ古墳は、全国に約90基あります。和歌山県が最も多く、39基を数えます。兵庫県下では、稲荷山古墳、飾東1号墳(姫路市)、奥山1号墳(朝来市)、高塚山1号墳(神戸市)の4基を数えます。


玄室奥壁

玄室から開口部に向かって玄室右壁

玄室から開口部に向かって玄室左壁
 稲荷山古墳の所在する小田中から南東方向に「草ノ上」という地域があります。930年代に作られた辞書である『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)に記載されている、「丹波国多紀郡草上郷」であると言われています。

 1972年に遠く奈良県の飛鳥の地から、この「草ノ上」の地名を記したと思われる木簡が発見されています。その表には「旦波国多貴評草上」(たんばのくに たきのこおり くさのかみ)、裏には「里漢人マ佐知目」(さとの あやひとべ さじめ)と書かれています(注1)。この木簡は都への貢進物に付けられた札で、漢人部の佐知目という人が送り主になります。漢人部は朝鮮半島からの渡来系集団と考えられています。

 さて、稲荷山古墳のようなT字形の石室を持つ古墳は、韓国の漢江(ハンガン)流域にある梅竜里(メリョンリ)2号墳・8号墳との関連が指摘されています(注4)。そこで「草ノ上」の件と合わせて、稲荷山古墳は渡来系の人のお墓だというのが多くの意見です。

 小田中から篠山川を挟んで向かいの小立には、石室に石棚をもつ岩井山3号墳があります。

  (注2)
(注3)
(左−梅竜里8号墳 右−梅竜里2号墳)

(注1)和田萃氏の釈文による(和田萃「奈良・県立明日香養護学校遺跡」『木簡研究』第一三号 1991年)
(注2)白石太一郎・前園実知雄「明日香養護学校校庭出土の木簡」『青陵』22号 1973年
(注3)大野嶺夫「岩橋千塚と周辺の T 字形横穴式石室」『古代学研究』第109号・第110号 1985年(大野嶺夫『岩橋千塚ところ・どころ』 和歌山の古代遺跡を歩く会 2003年所収)
(注4)長崎県教育委員会『長崎県の文化財』 2001年