西尾武陵 にしおぶりょう 明和3年(1766)〜天保9年(1838) 江戸時代の俳人である武陵(本名:邦直、通称:呉四郎、別号:杜陰、白雲居)は、大山村の庄屋、醸造家である西尾家に生まれました。21歳で家督を相続(12代)する一方で篠山藩の台所方の御用を務めています。たいへん多忙な日々を送っていたと思われますが、風流人として諸芸に通じ、特に俳人としてその名声を残しています。 武陵は、与謝蕪村の門下であった篠山城下の菱田暮寥(ひしだぼりょう)を頼って京都の高井几董(たかいきとう)に教えを請いますが、几董が寛政元年(1789)に没した後は終生江森月居(えもりげっきょ)に師事しました(几董と月居は蕪村門の双璧と言われていました)。 商用を兼ねて京、大阪、伊勢、吉野などへ出かけることがあり、その地で詠んだ句が残されているそうです。しかし、公務と家業をおろそかにすることはなく、大山にいることが多かったようです。このため、諸国行脚の俳人を迎えることが多く、また60名を超える俳人と文通による交流を結んだため、たくさんの書簡が残されています。寛政元年八月には師である月居を迎え、次の句を詠んでいます。
天保7年に長男多喜蔵に家督を任し隠居の後、天保9年12月26日に73歳で亡くなりますが、俳諧に関するものだけでなく、武陵が残した雅俗にわたる日記や記録は、江戸後期の地方文化を知る上で貴重な資料となっています。 参考文献:(財)柿衞文庫編 『兵庫ゆかりの俳人』 神戸新聞総合出版センター 1998年 河原町交差点から河原町通りに入る手前に武陵の句碑(下の写真)が建っています。 ![]() ![]() |
||||
![]() 旅人をけふもそだてて春の風 文化五年 武陵 |