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お正月 | 節分 | ひな祭り | お彼岸 | 端午の節句 | 水無月 | 和菓子の日 |
あんころ餅 | お盆 | お月見 | 敬老の日 | お火焚き | 炉開き | 歳の瀬 |
和菓子は日本の気候風土に培われて、生まれ、そして育まれてまいりました。 その和菓子の一つ一つには季節感であったり、日常生活の中にある喜びや悲しみも豊かに盛り込まれています。様々な行事には和菓子は欠かせないものでありましたが、現在では、各家庭化が進み、行事そのものも簡略化され、和菓子の持つ意味をご存じない方も増えて入るように思います。 もちろん、地域によって行事は多様性がありますので、ここで紹介させていただいていることとは違った形で行なわれている事もたくさんあると思います。また、必ずしもしなければならないということも無いと思います。ごく一般的な物としてご参考にしていただければと思います。 |
![]() やっぱりお正月といえば、 「 鏡餅(かがみもち) 」 ちゃんとお供えしてますか? 最近は「カビるから嫌だ」とか「硬くなって切れないから」とお供えしない方が増えてきたようです。 そもそも何のためにお供えするのか知らない人が多いのかな? 決して、お正月をいろどるオブジェではありません(^_^;) 新しい年に一年の幸せを願い神様にお供えし、そのお餅をみんなで分けていただく事で神様の祝福を授かろうというものです。 お餅が丸いのは家庭円満、重なっているのは幸せが重なるように、また鏡餅と言う名前は、神様が宿るとされている「鏡」からとか、良いお手本や規律から良く考えて判断するという意味の「鑑みる(かんがみる)」という言葉からなど、いろいろ説があるそうです。 その他、橙やうらじろなどのいわれは良く話題になりますね。ここでは省略いたします。 最近、真空パックに入った物や形はお鏡餅でも中は小餅といった便利な物がありますが、お餅は神聖なもので神様にお供えすると言う意味から考えると、これでいいのかな?って気になりますが、仕方が無いのかな… ちなみに鏡餅は「切る」のではなく、「割る」です。 ご縁を切ってはもったいないですよ。包丁を使っても気持ちは「割る」です。(^_^)v 平安時代より宮中では「お歯固め」の行事が行なわれているそうです。 それは、お餅を歯で噛むというもので、歯は齢(よわい)に通じ、齢を固めるというところから長寿を意味するおめでたい儀式なんだって。 そのときに用いられた「菱葩の包み雑煮」っていうものがあり、(見た事ない…) 明治時代に川端道喜さんがそれを模してお菓子として作ったのが 「花びら餅」 白いお餅を丸く伸ばし小豆の煮汁で染めた菱形のお餅を重ね合わせ鮎に見立てたごぼうを2本、鮎は年魚とも書き古くは元旦に供えると土佐日記にも書いてあるそうな… 味噌あんを使うのはもともと雑煮であった事から。(京都の雑煮は白味噌ですからね) 結構、歴史としてはまだ最近のお菓子なんですね。もっと前からあるのかと思ってました。 ![]() |
◆ 節分 ◆![]() 「鬼は〜外、福は〜内」 子供の頃は後の掃除や近所迷惑を顧みず、家の中やら外の道路まで、所かまわず豆をまきちらしてました。 食べるのは普通の大豆より、写真のような海苔の付いたお豆さんが好きでしたね。 やっぱり味の付いてる方がいい… ![]() そもそもいつ頃から豆まき(鬼やらい)が行なわれていたのでしょう。 記録によると、節分に豆で邪鬼をはらう行事が室町時代の京都でおこなわれたことが、「看聞(かんもん)日記」の1425年(応永32)の記録にあります。、「臥雲日件録」1447年(文安4)のころには、立春前夜に家ごとに豆をまき、「鬼は外、福は内」ととなえたとしるされています。 江戸時代には入ってから全国に広まり、豆で体をなで厄を移したり、年の数だけ食べると言った事が行なわれるようになったと言われています。 巻き寿司はいつ頃からなんでしょうね? 和菓子は豆大福などがお勧めです。 ![]() |
◆ ひな祭り ◆![]() 「明かりをつけましょぼんぼりに〜 お花をあげましょ桃の花〜・・・」 雛人形を飾り、菱餅(ひしもち)やさくら餅、草餅、花見だんご、ひなあられ、白酒などを供え、桃の花を飾りおまつりします。 雛祭りの原型は中国は漢の時代、三月の最初の巳(み)の日、上巳(じょうし)に水辺などで身を清めると言う行事、上巳節がありました。 魏(ぎ)の時代に3月3日に日が固定するようになり、晋(しん)の時代には杯を小川に浮かべて詩歌を読みあう曲水の宴が開かれるようになりました。その後、日本に伝えられ700年前半には節会(せちえ)の一つとして定められました。 また、日本でも水で身を清め穢(けが)れをはらう禊(みそぎ)が行なわれており、形代(かたしろ)を使った呪法の一つ、人形(ひとがた)で体をさすり見の穢れや病気を移すことと先に書いた上巳節などが結びつき雛祭りの原型が出来たといわれています。 ![]() 各地に残る雛人形を川に流すことはこれらの名残なのでしょうか。 ![]() |
◆ お彼岸 ◆ 春分、秋分の日をはさんで前後7日間を彼岸と呼びます。 お墓参りをして先祖の供養をします。 そのときにお供えするお菓子の代表格が おはぎ です。 おはぎ おはぎは「ぼたもち」(牡丹餅)とも呼ばれ、萩餅、萩の花、萩の餅など地域によって様々な名前で呼ばれています。 地域により、また、お店により「ぼたもち」と「おはぎ」を微妙に使い分けていらっしゃるところもあると思いますが、一般的にはどちらも同じ物をさしています。 季節感を出すために春は「牡丹餅(ぼたもち)」秋は「お萩(おはぎ)」と使い分けるというのは味があっていいですね! 江戸時代元禄期の書物に「民家の食にて貴人の食するは稀なり、江戸杉折には詰め難く晴れなる客には出し難し」と書かれています。 庶民の素朴なお菓子だったんでしょうね。 ![]() |
◆ 端午の節句 ◆![]() 5節句の一つ(人日・上巳・端午・七夕・重陽)。 江戸時代に広く広まり、武家社会では鎧(よろい)や兜(かぶと)などが飾られ、勝負と通じる事から菖蒲の花が飾られました。 こいのぼりは中国の竜門伝説「黄河の急流の竜門を登った鯉は竜になる」にちなみ、立身出世を願って町屋を中心に広まったといわれています。 5月5日が祝日になったのは、1948年(昭和23年) 「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかると共に、母に感謝する日」 として定められたそうです。 端午の節句には 柏餅 ・ 粽(ちまき)をお供えし、食します。 柏餅 柏は新しい葉が生えてきてから古い葉が落ちる事から、絶えることなく子孫繁栄を願い供えられます。 粽 中国の故事に由来します。 楚の国の屈原は懐王の左徒(副宰相)となり政治を補佐していましたが、同僚の上官大夫の有りもしない中傷によって王にうとまれていました。当初、楚は斉と連合して秦に対抗しようとしていましたが、屈原が失脚すると秦は土地割譲を餌(えさ)に懐王を懐柔。しかし土地は割譲されず、激怒した懐王は秦を攻撃して大敗しました。懐王は斉との関係修復を余儀なくされ、ふたたび屈原を起用して斉に派遣。その後、秦の昭王が縁組を口実に懐王に秦への入国を要請、屈原は入秦に反対して流謫(るたく)となります。懐王は結局秦に抑留されて死去しました。 頃襄(けいじょう)王が即位すると、王弟の子蘭は懐王に入秦をすすめた責任をのがれるために上官大夫を通じて屈原を中傷し、屈原はさらに遠方にうつされます。屈原は失意のまま洞庭湖のあたりをさすらった後、汨羅(べきら)江に身を投じて死去しました。 その日が5月5日で、屈原の姉が弟を弔うために毎年その日が来ると餅を湖に投げていました。楚の里人はこれをみて哀れみ、毎年5月5日に竹筒に米を入れて湖に投じ祭る風習になりました。ところが死んだはずの屈原が現れ、「毎年祝ってくれるのは嬉しいが、蚊龍のため盗まれてしまうのが非常に残念である。これからはオウチの葉(センダンの古名)で米を包み、その上を五彩の糸でしばってください。」といって消えました。その後五彩の糸でちまきを巻き湖に投げるようになったといわれています。 ![]() |
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