会報No.45表紙

会報No.45
−天河石−

目次

  1. 第65回例会報告−読書会「革トランク」
    南 義一
  2. 第66回例会報告@−読書会「インドラの網」
    川崎 貴
  3. 第66回例会報告A−読書会「雁の童子」
    法橋 史彦
  4. 第67・68回例会報告−読書会「ビジテリアン大祭」
    堀 蓮慈
  5. 第69回例会報告−
    読書会「山男の四月」・「ざしきぼっこの話し」

    川崎 貴
  6. 編集後記

第65回例会報告「革トランク」

 東京へ出奔したものの、思うようにいかなくて口実を求めて帰郷した、賢治自身のカリカチュアと読まれやすいけれども、もっと単純で平凡な悲しい男の話と天沢退二郎は解説しています。ユーモアとしてはわざとらしいほど主人公は滑稽に造形されていますが、たしかに悲しい話です。それが2回繰り返される「あぶなく泣こうとしました」という表現に共感させます。繰り返しといえば、(こんなことはごく稀です)というのも、重ねることで可笑しさを増しています。深読みしないでも、やっぱり自嘲の要素があるように思えます。気の毒がったり意地悪したりする故郷と東京の大工たち、苦笑いするお父さんの村長、帰郷を見に来た子どもたち、気負ってトランクを担ぐ下男に至るまで人間がよく見て描かれています、小さな作品ですが、賢治の見る目と表現の力量がよく表れていると思います。

第66回例会報告@「インドラの網」

 散りばめられた色とりどりの鉱石の美しさと、透明で希薄な高原の大気の緊張感。そんな情況から、賢治の宗教的幻想が一気に開花したような作品です。ここに、賢治の希求した、科学と宗教と文学の融合が実現されているように思われます。言い換えれば、科学と宗教が文学的に結合し、全く別の領域を作り出した、とも言えるような。
 賢治の宗教的幻想は、超越的力と超越的美を感受することの出来る心的境地で、そのことを表現するために、賢治が綴る言葉たちは、祈りのように静かに輝いています。
 「私は又足もとの砂を見ましたら、その砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思われました」天上と地上が渾然一体となる瞬間、幻想が立ち現れる。「天の空間は私の感覚のすぐ隣りに居るらしい」という感覚は、研ぎ澄まされた精神状態が感受できるものであり、一瞬ならば私にも共感できます。
 幻想の天空は黄金や青に燃える、細く緻密で透明なインドラの網で張り巡らされ、風の太鼓は鳴っているのに鳴っていず、青い孔雀はたしかに居ながら少しも見えず、鳴いているのに聞こえず…賢治独特の世界ですが、屈折率や真空状態で説明するよりも、心で見、心で聞くことのできる超越的力の体感だと思います。とはいえ、超能力や超常現象などといった特別なことではなく、誰にでも体感できる世界であると賢治は言いたいのだと思います。「却って私は草簿と風の中に白く倒れている私のかたちをぼんやり思い出しました。」現実の姿をぼんやり思い出すほどに幻想と現実の世界は重なり合っているのです。

第66回例会報告A「雁の童子談叢」

 (一)はじめに
 「友田塾」で「春と修羅」の読書会にたまに参加していた私は、神戸賢治の会のささやかで、少人数であっても、賢治の心性に共鳴する人の意見やお話しを聞くことで、個人で黙読して理解していると思っていた賢治の心象がおぼろげにもわかった様な機会が多くありました。
 声を出して作品を読むこと、自分と他人の読み方の違いや、作品の解釈や連関、歴史的背景等々、すでに大正や昭和の初期が現代の科学文明から古典になりつつある時代に、この会のささやかな月一回の会合は宝石の様な時間に感じられました。
 中1の時に、岩波文庫の詩集と出会って以来、読めない漢字や意味のわからない語彙があっても、飛ばし読みでなんとなく理解しようとしていた自分が、年を経た今でも続いていてなつかしいようで情けないようで、たくさんの発見を例会でいただきました。読書会が童話に移ってからも、例会に参加する唯一の気がかりは、賢治作品に出てくる難読語や賢治自身の特殊な読み方がわからないため、事前に何の準備もなく参加すると、自分の勉強不足が他の参加者に迷惑をかけるのではないか、という恐れでした。
 (二)「雁の童子」で想い出したこと
 終戦直後の食糧難の時代に、小学校に入る前の私は、家でもらった白兎を飼っていた。ピンク色の目をした、毛がふさふさして抱くとあたたかい体温が伝わってくる兎だった。朝早く起きて、草を摘んで食べさせるのが大きな喜びであった。朝露に濡れた草の香りや兎の食べる光景に、幼いながら没頭していた。
 1年位経った時、父が兎を殺して食用にするということを突然に言い出した時、私は死に物狂いに父に逆らって兎を殺すことに抗った。しかし、あっけなく兎は首を絞められ、殺されて、我が家の夕食の食材となった。
 兎の殺された時の糞便の落ちた様子、そしてあれだけ抵抗した自分も、夕食の時には、おおよそ肉らしくない淡白な、自分と共生していた兎を食していたことが、苦い思いとして蘇ってきました(童子が甘露煮のふなの料理を食べなかったところ)。
 (三)
 この童話は、仏教的イメージの濃いお話です。劇中劇の物語りは、私と老巡礼との2人の旅人の出会いと別れとの間に挟まった、雁の童子の物語です。
 賢治さんのアッピールしたいことは、多分次の言葉に集約されているようです。
 “いづれはもろともに、善逝(お悟りをひらいた人)の示された光の道(菩薩道)を進み、かの無上菩提に至ること……”
 老巡礼による童子の話しが始まります。名門で落ちぶれて、妻と2人写経と機織りの静かな清貧生活を送るスリヤ・ケイ(・・太陽・の王)と俗人であるいとこの会話の中で、スリヤの発する“どんなものでも命は悲しいものなのだぞ”という言葉の重い響きが心を打つ。
 いとこに射たれた雁が、人の形に変わって落下してくる情景―これは、人間の罪(業)―そしてその報いとして殺された雁が帰天してゆく展開―「業」や「輪廻」という仏教的な考え方を超えて、生命世界の連鎖―これは「なめとこやまの熊」の、熊と猟師との心の交流に集約される賢治の信念に連なっていくものと思われます。
 (四)
 いじめ、捨て子とからかわれ、石で打たれたりする情景は、現在でも変わらぬ情景です。また、童子が多分、「脳病」、現在風に言えば「心身症」かノイローゼになった時、水の流れる音によって癒される―水のもつ清浄な力によって、また、水のもつ「平等性智」によって―これは、童話「やまなし」の牧歌的な清らかさを背景に、山根道公・知子さんがいみじくも言っている、「水は起伏のあるこの苦の世界に平らな平和をもたらすために修羅的な夜の中でも働き、自分は謙虚にへりくだりゆき、また天に昇りつつもその働きのために降りてくる。そんな水の姿に、賢治はまさに菩薩的姿を見ている…そうした水の命のリズムが…絶えず生き生きと流れ循環している…」(『宮沢賢治の感動する短いことば』)という評に帰結するように思います。
 鮒の食卓、馬市での子馬への同情、12歳で外道の塾を辞めて養母の手伝いを思う童子は、まさに菩薩の誓願に通じると考えられます。
 (五)
 「雁王」というのは仏の異名と言われ、雁門というのは、仏を「雁王」ということから仏門のことと言われています。また、雁は草食性のカモ科の渡り鳥であり、この童話の象徴としてぴったりの鳥なのかと思われます。類似の鳥の出てくる童話「よだかの星」のよだかや「二十六夜」のふくろうとの違いも読みとれそうです。釈迦の前世譚に出てきてもおかしくないような鳥だと思います。玄奘が、母の菩提を願って建立した慈恩塔のことを雁塔と言ったり、お寺のことを雁堂と言ったりするのも、この物語の主人公にぴったりのイメージを持つ鳥なのでしょう。
 (六)
 最後にこの童話をもとに、西域3部作といわれる他の作品との関連や、大谷探検隊が1902年から1914年にかけて得た成果を、賢治がどのような目で作品に取り入れていったのか、詩集の中で出てくる類似の表現(『小岩井農場パート九』のユリアとペムペル)との関連などに興味が沸きます。
 童話の後半、童子と養父の会話で気になるのは、―人の大きな旅では自分ひとり遠い光の空へ飛び去って行かないでいいのか―と言っていた童子が、沙車大寺の天童子像を見て養父に許しを乞うて別れてゆく。そこでの童子の前世回顧の短い言葉は釈迦族の運命とも似ているように思います。
 この童話は戯曲にしても面白いし、朗読してもとてもよいと思います。いろんな人の解釈や感想を語り合って、賢治の訴えたかったことを今後も話し合っていきたいものです。

第67・68回例会報告「ビヂテリアン大祭を論ず」

 賢治はこの作品で、菜食主義に関する論点をほぼ網羅してて、そのかなりの部分は今日でも通用するように思う。たとえば、穀物を牛に食べさせて肉に変えることでエネルギーが無駄になる、いうんは、いま現に中国で起こってることで、そのために中国は食糧輸入国になった。たしかに肉は旨いから、豊かになると穀物より肉に対する需要が高まる。そやけどたとえば豆腐ハンバーグみたいに、限りなく肉に近い風味は実現できてるんやから、世界の食糧事情からはなるべくそっちの方へ進んだ方がええようには思うな。
 冒頭、ヴェジテリアンを「同情派」と「予防派」に分けてて、後者はたとえば玄米正食をやっている人らのこっちゃ。菜食は体にええ、いうんは事実やとしても、ぼくとしてはそこまでして健康になろうとは思わん。もっともそれはぼくが健康に問題を抱えていないから言えることで、大病でもしたら転向するやろけど。つまり予防やなしに「治療派」やな。作品の主人公は(おそらく賢治も)同情派、つまり生き物の命を取るのはかわいそう、いう立場で、ぼくもその心情は理解できる。ただあくまで心情的やから、徹底はせえへん。
 作品の中では、ヴェジテリアンは一種の宗教扱いで、「異教徒」が大祭の地元(なぜかニューファウンドランドのヒルティ村が会場やそうな)に反論のビラを撒いたりしてる。
 で、面白いんが、大祭の場にわざわざ異教徒の反論の場を設けてること。普通、宗教団体でも政治団体でも、大会に反対者を招いたりはせんわな。それは、大会を団結と意気高揚の場にしたいからで、真剣な議論をして考えを深めるんはまた別の場で、いうこっちゃろが、その「別の場」がほんまにあるかどうかが疑問で、多くの団体は閉鎖的やと思う。ぼくの体験上も、反論を聞くだけは聞いても、自分の考えを変える気は毛頭ない、いう相手がほとんどやったなあ。
 この作品は、結局ヴェジテリアンに関する議論がすべてで、童話というより賢治の一人ディベートなんやが、異教徒側の意見はかなり合理的で、ヴェジテリアン側は心情的や。たとえば「動物を食べなくても、農作物を作るには害虫を駆除せざるを得ん」いう意見に対して「穀作ならそんなにひどく虫を殺さない」と言うが、これはあまり説得力がない。それから「動物と植物の間には厳密な境界線はない。バクテリアなら殺してもええんか」いう意見に対しては「人間に近いものと遠いものとにはおのずから差がある」いうようなことで、一切の殺生を否定する立場に立ってない。そらまあ事実上不可能なんやけどな。植物も含めてほんまに殺生せんとこうと思たら、牛乳と蜂蜜と天然の果物だけを摂取するしかないが、それでは現在の人口は養えんもんなあ。結局、「なるべく殺さないようにする」いう常識的な線に落ち着くしかないんやが、それで十分、いう気もする。賢治が早死にしたんは栄養が悪かったせいやないか、いう話もあるが、何事もあんまり徹底すると現実に合わんようになるもんなんや。
 ぼくが一番面白いと思うんは宗教論争で、まずマットン博士なる神学者が、「すべては神の摂理だから、肉を食うのも善だ」いう極論を述べる。つまり、現象をすべて肯定するわけで、そないなると全ての道徳の基盤が崩れる。これは正統のキリスト教から逸脱して、ほとんどニーチェの世界や。賢治がニヒリズム哲学を知ってたかどうかわからんが、「一九二〇年代の簡潔の神学」いう言い方からして、ひょっとしたらニヒリズムを揶揄してるんやないか、いう気もする。考えすぎかな。ただ、全てのイデオロギーにとって、ニヒリズムいうんは最も始末に困る相手なんや。これに真っ向から取り組んだ作家はドストエフスキーやが、彼は最後に神に対する信仰に救いを求めた。何らかの信仰を持つことで、人は虚無の深淵から救われるが、「一切の超越的価値を信じない」いうて頑張ってる人間に対しては、何を言うても無駄やろ。ただ「神がないならすべては許される」て思てる人間は、社会にとってもは不気味かつ危険で、むき出しの「力への意思」が前面に出たら、ヒトラーの再来もあり得る。とにかく、現在の最大の問題はニヒリズムや、いうんがぼくの基本認識で、アメリカのネオコンなんかにもその匂いがするから、ちょっと脱線した。
 最後に出てきたんが本願寺派(今この名前を使うと西本願寺を本山とする一派のことになってしまうが、ここではたぶん浄土真宗一般の意味。ちなみにぼくは大谷派)の佛教徒で、たぶん賢治としても一番気になる相手なんやないかな。父親との確執から考えても、日蓮宗と念仏門との対立から考えても。親鸞以来、真宗の門徒は肉食OKなんやが、その理由は「信心一つで救われるんやから、無理に禁欲する必要はない」いうこっちゃ。それに対して賢治の分身たる主人公が反論する。「畢竟は愛だ。慈悲だ。生き物はみな永い間の親子兄弟だ」。最終的には論理やなしに心情で、初めに書いたようにぼく自身その心情には共感する。ただ「こうするのが正しい」いう言い方にはついて行けんだけや。とは言え、「イヤなもんはイヤ」いうことはある。「ビヂテリアン大祭」での議論は、つきつめれば生命尊重の問題になるが、そのテーマで一番問題になるんはやっぱり戦争やろ。賢治には戦争を扱うた作品はあんまりないが、日本の佛教の中で一番戦争に積極的やったんは国柱会を筆頭とする日蓮宗で「賢治がもうちょっと長生きして戦争をくぐったらどないなってたか」いう話もある。できたら次の機会には、日蓮宗と戦争の関係について論じたいが、それは賢治そのものからははずれることになるかなあ。

第69回例会報告@「山男の四月」的午睡

 うららかな春日の午睡は、狩りに疲れた山男でなくても、何とも気持ちのいいものです。殊に野外で寝転んで「蒼いああおい空」を眺めながらぼんやりする、なんて最高の贅沢ですね。賢治は「あおい」を「ああおい」と伸ばし、空の蒼さとその雄大さとのんびりした感じを強調させています。その心地良さが睡魔を呼び、覚醒と睡眠の狭間の浮遊感が時空移動を生じさせます。この山男の白昼夢の中に示唆されている、賢治自作の「注文の多い料理店」の広告文にある「一つの小さなこころの種子」なるものは少し横に置いておいて、少し間の抜けた奇想天外な冒険譚として読むのが「山男の四月」的午睡の味わい方ではないか、と私は思っています。
 例会において、「六神丸」が実在していたという話を聞きましたが、調べてみると、現在でも市販されています。動悸、息切れなどに効く強壮剤で、成分はジャコウ(ジャコウ鹿の性腺分泌物)、センソ(ヒキガエルの耳下腺分泌物)、ゴオウ(牛の胆のうまたは輸胆管内に生じた結石)、ユウタン(熊の胆のうを天日干ししたもの)、ニンジン(オタネニンジンの根を乾燥させたもの)、ジンコウ(香木)だそうです。中国では400年前から処方されていたと言われます。今この成分を見てもやっぱり何だか妖しげですが、「山男の四月」の「六神丸」は実に妖しい。
 「六神丸」は丸薬を飲んだ人間から成るわけで、魔法で変身するファンタジーではなく、薬で本質的に変わってしまうところは科学者賢治らしいところですが、これが甚だ妖しい。片言の日本語を喋る、ぐちゃぐちゃした赤い眼、尖った爪を持った支那人も妖しい。また、冒頭の山男の残虐さの描写は結構リアルで、この実在しない怪物の恐ろしさ不気味さを十分表現していると思うのですが(尤も雲を鑑賞する風流さも持ち合わせていますが)、この山男自体も含めてこれら全ての妖しさがこの作品の魅力でもあり、重要さでもあると思います。小道具として登場する「たこ」がいっそう効果を発揮しています。夢の中の山男は平生の山男とは違って、少しばかり思考したり、同情したり、正義感を抱いたりしています(夢でそうあるということは、潜在的にそういう性質を持っているとも言えます)。また滑稽でもあります。それは支那人にも言えるところで、狡猾そうですが弱点だらけです。この妖しさと滑稽さの二重奏もこの作品の魅力です。終に山男は支那人による犠牲者たちを救うために決起したりします。しかし夢は、たちまち泡のように消え、少し余韻を残したものの「えゝ、畜生、夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ」と山男に言い捨てられてしまいます。余韻が「小さな種子」を暗示しているのかもしれませんが、「えゝ、…どうにでもなれ」と打っちゃってしまう山男にこそ山男の魅力があると思うのは私だけでしょうか?

第69回例会報告@「ざしき童子のはなし」

 ざしきわらしの伝承は、岩手県を中心に主に東北地方に伝わっているようですが、東北地方には新生児を間引いて屋内に埋める風習があったと聞きました。ざしきわらしは、その間引かれた子供の霊を祀る信仰のための役霊、との説もあるそうです。そうならば、その新生児の霊を鎮魂する意味合いが強く、人々の畏れの気持ちが込められているはずです。ざしきわらしは妖怪ですが、些細な悪戯はするものの悪事は働かず、火事を知らせたり、家を栄えさせたりするというから、やはり畏敬の念の込められた精霊なのでしょう。

編集後記

  • 2005年中に出すつもりが、年明けて早2月にもなってしまいました。遅ればせながら、あけましおめでとうございます。今年ものんびりやってまいりますので、よろしくお願いいたします。
  • タイトルの「天河石」は「インドラの網」や「十力の金剛石」などの作品に登場します。美しい緑青色を呈する微斜長石(カリ長石の一種)で、英名アマゾナイト。英名の由来は「最初に採取されたのがアマゾン川流域であった」という説や、「アマゾン川流域で採れるアマゾナイトと呼ばれていた青色鉱物に色がよく似ていた」、という説など様々あって定かではないらしい。天河石という和名の由来は天の川だと思われます。天の川は英語ではミルキーウエイですが、天河石は乳白色で不透明ですが、青緑色です。神秘的な青緑色の輝きに銀河のイメージを重ねたのでしょう。この青緑色は、成分に含まれる鉛イオンが青緑色以外の光を吸収するため、残された青緑色の光だけが反射して見えるのだそうです。