ご無沙汰しました。5ヶ月振りの例会報告です。第61回(2月27日)、62回(5月29日)、63回(6月26日)の報告をまとめてさせていただきます。(3、4月は都合により休会となりました。)
−樺太鉄道−
賢治は大泊から鈴谷山脈を右手に望みながら、樺太鉄道を北上し、栄浜まで行ったと思われます。「オホーツク挽歌の舞台は栄浜であり、同日中の栄浜よりの帰途、再び樺太鉄道に乗り、今度は左手に鈴谷山脈を眺めながら、豊原までの車中での詩作のようです。
青森から豊原までの経路は堀尾青史氏の「年譜宮沢賢治伝」によると、
八月一日〜十二日 青森発深夜十二時半の連絡船で五時函館着。札幌で時間を見はからい夜行で旭川へ。詩「青森挽歌」「別稿青森挽歌三」「津軽海峡」。二日、早朝、旭川着。農事試験場見学。稚内へ約八時間。これより樺太大泊行き連絡船。雨。詩「駒ヶ岳」「旭川」「宗谷挽歌」。三日、乗船八時間後、樺太大泊着。東海岸線で豊原市へ約二時間乗車。王子製紙に先輩、細越健を訪ね教え子の就職を依頼し、後に採用される。細越の社宅に一泊。四日、豊原から汽車で九つめの駅栄浜へゆく。この砂浜でトシとの交信を求め、期待して過ごす状況は「オホーツク挽歌」に描かれる。再び豊原へもどり高農先輩、後輩たちの歓迎宴を毎日受ける。
とあります。
「まつやに松脂岩薄片」とは、緑褐色の靄が漂っていたのでしょう。
「馴鹿」(となかい)の「頭骨」が「敬虔に置かれてゐる」というのは、この地方のおまじないか何かでしょうか。
「ポラリス」は「北極星」のこと。
「えぞにふ」という植物はセリ科で白い花をつけるそうです。
「コロポツクル」は、アイヌの矮人伝説の神で、フキの葉の下に住む人です。
「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」という経文は、宗谷海峡を渡った以降に出てきているので、やはり宗谷海峡で何らかの変化があったかと推測されます。
「Van’t Hoff」(ファントホフ)とは、オランダの物理学者。よほど立派な白髪だったのでしょう。
「青びかり野はらをよぎる細流」とは、2行後に出てくる「電しんばしらの碍子」のこと。
「点綴」は、ひとつひとつ綴り合わせて結びつけること。「青びかり…」から「点綴」あたりまでの描写は、とても繊細な美しさを醸し出しています。
「大乗風な考をもつてゐる」とは、焼失の厳しい状況から再生しているので、「苦悩を越えて生きる」という意味で「大乗風」なのでしょう。
「威神力」は、仏教用語で菩薩の超能力のこと。
「かくされる前」には目に見えるので「感応」により、「かくされた後」には神的な不可視の力によって、「まばゆい白金環ができる」と賢治は言っています。
「フレツプス」とは「こけもも」のこと。
「ゴーシュ四辺形」の「ゴーシュ」は「ゆがんだ、下手な」という意味なので、ここでは山肌の、襞のように波打つ部分の影が「ゆがんだ四辺形」のように見えるのでしょうか。
「玲瓏」は半透明。
「結晶片岩」とは、変成岩の一種で特有な剥離性があります。
「いまにも結婚しさうにみえる」のは、雲と雲がくっつきそうに見えるのでしょう。
「こんな青い白樺の間に…」白樺の木立の間に新築の家屋が垣間見えたのか。表札の文字が傾いて、賢治はその持ち主を「顔の赤い愉快な百姓」と表現して親しみを抱いています。
−鈴谷平原−
「すがる」とは「シガバチ」の古称で、あぶのこと。
「たのしくゆれてゐる」と2行後の「うれひや悲しみ」とは対立しない、と賢治は言っています。チモシイの揺れる様は楽しそうであるが、憂いや悲しみも包含しており、「だから新らしい蜂が」「茨や灌木にひつかかれ」傷ついた「わたしのすあしを」更に「刺す」という痛みに耐えなくてはならない切なさを訴えています。
「あをいまつ青い」は「あおいまっさおい」と読むのでしょうか?
「さはしぎの発動機」とは、さはしぎの鳴き声が発動機の音のように忙しくきこえるのでしょう。
「二条の茶」は「一ぴきの栗鼠」を指します。
「好摩」とは岩手県玉山村大字好摩のこと。
「こんどは風が/みんなのがやがやした話し声にきこえ」―「サガレンと八月」での、風に繰り返し問いかけられる場面が思い浮かびます。
−噴火湾(ノクターン)−
噴火湾とは内浦湾のこと。沿岸に火山があることからこう呼ばれているらしい。
「車室の軋りは二疋の栗鼠」とは、電車の軋る音が栗鼠の鳴き声のように聞こえるのでしょう。一疋ではなくて二疋なのは、よほどきいきいと聞こえるのでしょうか。
「《ことしは勤めに…林へ行こう》」という言葉は、賢治の頭にふっと浮かんだアラビヤ酋長(アラビアンナイトの登場人物?)の言葉のようです。この作品では()と《》が区別して使われていますが、《》の方は実際に言われた言葉のようです。
「一千九百二十三年のとし子」は、死んだ後の現在のとし子のこと。
「フアゴツト」とは木管楽器バスーーン。
「Funeral march」は葬送行進曲。
「《栗鼠お魚たべあんすのすか》」という言葉は、車室の軋りが栗鼠の鳴き声に似ているところから思い出した生前のトシの言葉。樺太まで旅したことによって癒されたかに思えたトシへの想いが、旅の終わりにあって再び湧きあがってきたようです。
「わたくしの感じないちがつた空間に」とは、死後の世界のことで、つい今までここにあったものが死の世界に移行してしまうことをさびしすぎると賢治は言っています。そして、そのさびしさは「何べん理智が教えても」「なほらない」と嘆き訴えるところが賢治らしい。信仰上の一応の決着はつけたものの、さびしさだけは理智を超えて残ったようです。
−不貪欲戒−
「不貪欲」とは、江戸後期の真言宗の僧、慈雲尊者が著した「十善法語」に記されている「十善」のひとつだそうです。「戒」は「禁止」に対してやや弱い意味合いとなります。
「環状削剥」とは、削り取られて環状となった地盤。
「粗鋼な〜不貪欲戒のすがたです」という部分では、粗雑だったり、何ということもなかったりする風景を美しく感じることが、不貪欲であると言っています。
「高等遊民」は教養や知識があるのに定職を持たず遊んでいるような人。
「執政官」は現実的な仕事をしっかり遂行する人のことで、ここでは現在教師という定職に就いている賢治自らのことを指しているのでしょうか。
「ことことと寂しさを噴く暗い山」は、賢治の心を反映しており、暗い中にも少しばかり明るく灰色にひらめくものがあれば、それも「不貪欲のすがた」だと安堵しているようです。
−雲とはんのき−
書き出しの描写から、清々しい秋の透き通った風景が想像されます。
「水ゾル」とは膠質溶液。
「蓴菜」はスイレン科の多年草。地下茎は泥中に伸び、葉は水面に浮かんでいます。
「陶庵」、「東庵」は賢治の思いつきで浮かんだ蒔絵師の名前かその工房名。「水銀の川」が蒔絵のようであると言っています。
「アマルガム」は、水銀と他の金属との合金。
「赤紙」は危険の印。「火薬庫」が「まつ白に爆発している」「あたまの奥」とは賢治の頭のことでしょう。
「カフカズ」とは、ヨーロッパからロシアの南部、カフカズ山脈を南北に横たわる地方で、「コーカサス」とも言います。
「盈虚」は、「満ち欠け」、「栄衰」のこと。「感官のさびしい盈虚なかで」というのは、賢治の感官が揺らいでいるのでしょうか。次行の「貨物車輪の裏」と同意。「貨物車輪の裏の秋の明るさ」とは、車輪の下の暗闇に射す光のことで、暗闇と対比させ、わずかながらも一際明るいことを強調しています。
作品自体もこの辺りから対照的になります。前半は明るい風景、後半は暗い心象の描写となっています。
「その線」が文字を指し、それが「男らしい償ひを強ひるかわからない」と言っているところから察すると、6月(おそらく作品の制作年と同年の)に賢治が記した文章(手紙?)が、後に何らかの責任を被ることになるかもしれないと、その覚悟を自らに言い聞かせているように見えます。6月といえばトシの逝去後半年余りを経て、詩作を再開した時期です。職業のことでしょうか。その頃すでに農学校を辞める決意をしていたとも思えませんが。会では「ラブレターかも」などと囁かれました。
「手宮文字」とは、小樽市の手宮公園の洞窟で発見された線描きで、古代文字かとも言われているそうですが不明であるところから、「よくわからない」という意味で使われているようです。自分の書いた文字さえ不可解に思えるのでしょうか。
前半の明るい風景は一変して暗くなり、「山稜と雲の間には」「幻惑の天」を望むことさえできるのに、「層雲の底」をたったひとり歩き続けることが自らの現実だと言い聞かせているようです。
−風景とオルゴール−
「オルゴール」は、電線が風に震える音で、『ぬすびと』にも「電線のオルゴールを聴く」という一文がありました。
「薄明穹」とは薄明かりの空。「六日の月」が出ているので制作日付からも推測すると、時刻は夕方のようです。
馬に乗った農夫は夕陽を背景にして逆光の中で溶けたように見え、馬も輪郭が「曖昧」になっています。
「ダアリア複合体」を「電燈」に見立て、さらに「九月の宝石」、つまりサファイアに見立ててその美しさを讃えています。
「クレオソート」は木材の防腐用に塗られていました。
「にせものの虚無のなか」とは、薄明のためにはっきりしない風景のことでしょうか。
「銀と苹果」や「黒白鳥のむな毛」は、繊細で爽やかなものたちを配して透明さを効果的に表現しています。
「玻璃末」はガラスの粉。
紫色を帯びた黄金のことを「紫磨金」というそうですが、「紫磨銀彩」とは、それを真似た言い方で、ここでは月を表しています。
「膠朧体」はコロイド状。
「剽悍な」は荒々しく強いこと。
「カルパ劫」(kalpa)とは、梵語で無限に長い時間。
「恋の償ひ」という言葉から『雲とはんのき』に出てきた「男らしい償ひ」という語句が思い起こされます。
「がまいろ」は赤味を帯びた黄色。
「月はいきなり二つになり」とは、強い風に流される雲の影が月の前を素早く横切り、月が2つに分かれたように見えたのでしょう。
「しづまれしづまれ五間森/木をきられてもしづまるのだ」と森に向かって言っていますが、森が風に吹かれざわめいているのが怒っているように感じられるのでしょう。作品のまん中辺りに書かれているように、木を切ったのは「たしかにわたくし」、つまり賢治自身なのです。
−風の偏倚−
「偏倚」は偏り。
「月汞」は「月光」と同じ。
「天河石」は長石の一種で、色は青緑色をしています。
「蛋白彩」は卵白の色。
9月16日付の作品は『宗教風の恋』から『昴』までの4篇。台風並みに風の強いこの日、賢治は花巻電鉄に乗り、大沢温泉まで出かけたようです。『風とオルゴール』『風の偏倚』『昴』の3作が車窓からの風景描写です。花巻電鉄は1923年5月に志戸平〜大沢温泉が開通したそうです。この路線の東方に『風景とオルゴール』に出てきた松倉山が望まれます。
−昴−
大沢温泉から帰途のようです。
「二つの星」とは「オリオン」と「青い電燈」のことで、「青い電燈」は、窓外に見える街灯か人家の明かりでしょうか。
「山へ行つて木を切った…肩身がせまい」と書かれていますが、木を切ることをよど後ろめたい行為と考えていたようです。「木を切る」という言葉には文字通りでない意味も含んでいるのでしょうか。
「(豆ばたけのその喪神のあざやかさ)」とは、豆畑の色が蒼白に近い緑、ということなのか、それとも放心するほど鮮やか、ということなのか。賢治は好んで「喪神」という言葉をしばしば用いますが、「失神」や「放心」という、そのままの意味で使っているのではないように思われます。
「もろもろの徳はスガタ善逝から来てスガタにいたる」という言葉が(若干字は違いますが)2度繰り返されています。「善逝」とは如来の性格を持つ者。何もかもあてにならないが、如来のような徳性にのみ全てがあると述べています。
−第四梯形−
「梯形」とは、この場合梯子型というより台形のこと。賢治は七つ森の山々の形を台形と見ています。七つ森は小岩井辺りに点在するこんもりとした七つの小山のことで、田沢湖線に乗ると小岩井駅辺りの十分間ほどの間に見え隠れするそうです。賢治も車窓から七つ森の姿を追いかけていますが、第五番目の山を見過ごしています。タイトルが何故「第四」なのかはよくわかりません。
「青い抱擁衝動や/明るい雨の中のみたされない唇」とは、妙にエロチックで妖しげな表現ですが、要するに性衝動のことで、自然の中に居るとそのような性衝動も解消されていくことを「きれいにそらに溶けてゆく」と言い、それほど気持ちの良い9月の風景なのでしょう。
「霜の織物」とは、秋の空にかかっている薄雲のこと。
びっしり繁った「萱の穂」を「満潮」と表現しているのは、とてもその状態が良く分かり面白い。
「三角山」は岩手山のこと。彼方に岩手山もかすれて見えます。
「あやしいそらのバリカン」とは、「雲の影のことでしょうか。
「沃度」はヨードチンキやヨードホルムのヨード。
「地被」は地表の雑草や苔類。
「手帳のやうに青い」とは、賢治の所持した手帳の色に似ていたのでしょうか。
「ラテライト」は熱帯や亜熱帯に見られる赤色土壌。
「夜風太郎」とは、夜を支配する風の精の一味の首領か何かでしょうか。
「リパライト」は火山岩。
「ハックニー」は英国原産の挽馬。
−火薬と紙幣−
奇妙な取り合わせのタイトルのようですが、「火薬」は武力、権力で、「紙幣」は財力のことを指しています。
「カシユガル」とは、パミール高原の東の麓の地方。賢治は行ったことのない地名をよく使いますが、感覚的に、しかも的確に地名を選択しています。「カシュガル産の…よりもつめたい」と言うとよほど冷たく感じられます。
「ラツグ」とは、「ラグタイム」だと思われます。19世紀に起こり、その後ジャズへと発展した黒人音楽のこと。
「四面体聚形」とは、鉱物用語で「四面体が集まったゴツゴツとした形」を言うそうです。
「ギリアーク」はアムール川流域とサハリン北部に住む民族。ここでの使い方は民族名を地方名に置き換えています。
「きのどくそうなすゞめども」とは、何故なのか理解できませんが、賢治は時々こういう感情に襲われることがあるようです。
「thread-bare」は「着古した」「擦り切れた」という意味ですが、賢治の身なりがみすぼらしいという意味ではなくて、10月になり秋も深まって、秋用の装いも着古したということではないでしょうか。
「まるめろ」はカリンのこと。
澄んだ空気と白い雲が流れる秋の空…そのような野原を堂々と歩ける幸せに「火薬も燐」(武力や権力)「大きな紙幣」(財力)も「ほしくない」と言い切っています。しかし、敢えて宣言しているところをみると、その裏には、常々少しは欲しいと思っている気持ちが潜在しているようで可笑しくなります。
−過去情炎−
「短果枝」とは、梨の果実がついた短い枝のことでしょうか。
賢治はアカシアを移植しようとしています。その作業の最中に、すぐ横に植えてある梨の枝を盗み見しながら、その枝に溜まった雫に恋情のような気持ちを抱いています。アカシアを掘り起こしたら、「かがんでそれに唇をあてる」ことを楽しみにしています。
「それ」とは「雫」のこと。その想いは「情炎」と言いたいほど激しく熱いのです。それは雫がひどく頼り無いにも拘わらずあまりに美しいからです。「こんなきれいな露になったり」「紅からやさしい月光いろまで/豪奢な織物に染めたりする」と称賛しています。
しかし、最後の六行で事態は急に過去となってしまいます。アカシヤを掘り起こして、やっと念願の雫のところに行くのだけれども、雫は落ちたて消えたのか、それとも賢治の気持ちが変化してしまったのか、情炎は過去のものとなっているのです。その儚さが「水いろ」という言葉でうまく表現されています。
−一本木野−
一本木野は、岩手県岩手郡滝沢村一本木というところにある野原。
「海蒼」とは海のような蒼い色。
「七時雨」は七時雨山。
「薬師岱赭」は岩手山薬師岳。岩手山の最高峰。
「(おい かしは/てめいのあだなを/やまのたばこの木つていふつてのはほんたうか)」というのは、当時農民がたばこの代わりに柏の葉を吸っているという噂を耳にしていて、こんなセリフがふと出てきたのだと思われます。
「穹窿」は半球状に見える丘。
「はりつけとでもとりかへる」とは随分大袈裟ですが、広々した野原を歩くことがそれほど有り難いことだと言いたいのでしょう。
「未来派」は、20世紀初頭イタリアに起こった、伝統に反対して力と運動感覚を起こさせるものを直ちに表現するという芸術運動。
「あんまりへんなをどりをやると」とは、あちこちに伸びた木の幹や枝の形が踊っているように見えるのでしょう。
「つつましく折られたみどりの通信」とは、蘆の葉っぱのことで、ラブレターのような意味を含んでいます。
「三日月がたのくちびるのあと」は、通称ひっつきむしと呼ばれるアメリカセンダングサやキンミズヒキのことを表現しているのでしょう。賢治にとって現実の恋人を求める気持ちが自然へと向かい、自然を恋人のように愛し、自然に癒され、心が清められる様子が伝わってきます。
−鎔岩流−
「火山礫堆」は、噴火の際に放出された溶岩の砕片が積もったもの。
「麺 」はパン。
1688年に大噴火して以来235年を経て、どんな植物が生育しているか調べに来たのに、その期待は裏切られ二種類の苔しか生えていなかったようです。空腹だったのか、その苔がパンのように見え、もてなされているような喜びを感じたりしていますが、厳しい自然に負けないで生育する苔を、食べ物と考えたりすることは「僭越かもしれない」と反省したりもしています。
「うるうるしながら」は、寒さのために慄えながら、という意味。
岩手山焼走り鎔岩流は約1932年に岩手山中腹から噴き出した熔岩が冷えて固まったもので、現在でも植生がほとんどなく、荒涼とした景色が扇型に約3qほど広がっているそうです。
−イーハトヴの氷霧−
「凛々しい」という形容によって、寒さが一層強調されています。
「みんな」とありますが、東北の人々にとって冬の到来がそんなに「歓迎」すべきものとは思われません。喜んだのは恐らく賢治自身でしょう。
−冬と銀河ステーション−
「青いギリシャ文字」とは、光の当たり具合で雪がキラキラ光る様がチラチラして、ギリシャ文字のようにくねくねして優美に見えるのでしょうか。
「パツセン」とは英語の「パス」―「通る」「通過する」という意味から思いついたのだと考えられます。「パツセン大街道」とは、ここでは釜石街道のこと。
「銀河ステーシヨン」は、岩手軽便鉄道の土沢駅のこと。土沢の市場の活気のある様子が描写されています。
「Josef Pasternack」(ジョセフ パスターナック)とは、ポーランド生まれの指揮者の名前だそうです。
「あえかな」とは、か弱くなよなよした様、頼りないことの形容。
「にせものの金のメタルをぶらさげて」いるのは汽車のことで、金のメタルとは一番車両の前部に取り付けられたナンバープレート。
「氷の羊歯」は、窓ガラスに附着した氷の結晶。
誠にきらびやかで活気のある光景が全篇に生き生きと描写された明るい作品です。
☆ ☆ ☆
今回で「春と修羅(第一集)」収録作品を、いちおう一通り読み終えました。未だ不可解な部分も多く、更に課題が増えたような気がします。振り返ってみれば、未熟な解釈や理解不足も多々ありました。次回は、もう一度全編にさっと目を通し直して、 読み終えてみて気付くことなど、補足していきたいと考えています。