第55回、56回、57回、58回の4回分の例会の報告をまとめてさせていただきます。第55回例会は7月25日に行われ、『東岩手火山』を、8月29日の第56回例会では『犬』から『栗鼠と色鉛筆』までを、9月26日の第57回例会では『永訣の朝』から『無声慟哭』までを、さらに10月31日の第58回例会では『風林』から『青森挽歌』までを読みました。
−東岩手火山−
前作『滝沢野』から続く作品で、花巻農学校の生徒たちを引率して登山したときの様子が描かれています。
「後夜」とは夜半から朝にかけての時間で、「喪主」はここでは「月」のことを指しているようです。
東岩手山の最高峰は標高2,038mの薬師岳だそうで、今当にそこに辿り着き、日の出を待つ間の、夜明けにはまだ幾分時間のある暗闇の中で、月明かりに照らし出されて色々な形が浮かび上がる様、夜空の星や雲の様が描かれています。山頂の夜明け前の自然現象が、辺りの静けさと相俟って幻想的な風景となっているようです。
雲が「水酸化礬土の沈殿」のようだとも書かれていますが、「礬土」とはアルミニウムのことだそうで、化成ソーダを水に溶かすと白くふわふわした水酸化アルミニウムが生じるそうです。
「今夜のようなしづかな晩」ということは「つめたい空気は下へ沈んで」いるので、空気の対流のない(静かな)夜なのでしょう。
「((お月さまには黒い処もある))」というのは賢治の独り言で、それに対して小田島という生徒が「後藤又兵衛がいつも月を拝んでいた」と言い、それを賢治が「それは山中鹿之助だろう」と訂正しています。これらの歴史的人物は今では歴史の傍流として教科書から排除されていますが、当時は学校でこのような人物たちも習ったのでしょうか。
「メガホーンもしかけてある」と言っているのは、それくらいよく聞こえるということで、つまり辺りがとても静かだということです。
「雲平線」というのは賢治の造語だそうです。「雲平線をつくるのだ」と言っておいて、その数行後にそれは、「一つの夜の幻覚だ」と言い換えています。こういう翻し方は、賢治によく見られる反射的な反応です。そしてその幻覚が「私」を「気圏オペラの役者」に仕立て上げています。夜通し登山した疲れから「月はいま二つに見え」、また「オリオンは幻怪」となり「月のまわりは熟した瑪瑙と葡萄」のようにぼやけ、「あくびと月光の動転」するまでに睡魔が襲っています。
「(あんまり…すまないんだぢやい)」という言葉は自分への警句でしょう。
「(その影は…見える筈だ)」と言い、そしてすぐ、「さう考へたのは間違ひらしい」と否定しています。疲れと眠気のため、ふと自分では前者のように思ったが、学生たちにはそんなふうに見えるはずがない、と考え直したのでしょう。最後の3行で夜明けが間近いことを暗示しています。
−犬−
賢治は小学生の頃、級友に犬をけしかけられた経験があるせいか、潜在的に犬への恐怖心があったのでしょうか。何故犬に吠えられるのかわからなくて困惑しています。
「尾をふることはこはくない」というのは、犬が尾を振るときは怖がってはいないときであるはず、という意味で、それでも自分に向かって吠えているのは「わたくしの歩きかた」のせいではなく、犬の中に潜む狼の性質のためだと言っています。そして「もひとつはさしつかへないため」とも言っていますが、これは意味がよくわかりません。この作品は論理的な推理で進行しているのに、この一文だけは明らかに説明不足です。結局大きな帽子のせいと、「下を向いてあるいてきた」ために、顔がよく見えなくて吠えられたのだ、と結論しています。
−マサニエロ−
色がひとつのテーマとなっています。青、黄緑、赤、茶、白…と様々に色が散りばめられています。
マサニエロとは、17世紀のナポリの反乱を指導した革命家。「伊太利亜製の空間」とは、ナポリから連想して、南イタリア地方のイメージとして独特の、青い空のことでしょう。「(なんだか…)」から「(…崖をおりてきていゝころだ)」までの部分は、他の部分の風景描写と比較して異質に感じられます。自身の心情を表現しているようです。明るい風景に反して「風と悲しさのために胸がつまる」というのは、何だか切ない思いが伝わってきます。風の中で「なんべんも」繰り返したい「人」の名前とは恋する人の名前でしょうか。
「はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ」は、チェーホフの作品の中の一節だそうです。
「稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ」の行は、「手入れ」では、「キップ装置のそのなかをとぶ烏のむれ」に訂正されています。キップ装置とは固体を液体に反応させてガスを発生させる装置で、その中で亜鉛に水素が付いて浮いたり沈んだりする様を、こう表現したようです。
「お城の上のそらはこんどは支那のそら」の行は「手入れ」では、「支那」の前に「白い」が挿入されています。支那のそらは必ずしも白くはないが、賢治にはロシアは「赤」、支那は「白」、伊太利亜は「青」というような固定観念があったようです。
「烏三疋杉をすべり/四疋になって旋転する」―3疋が4疋になったりする手品のような見え方は賢治らしく思われます。
−栗鼠と色鉛筆−
秋の色彩色豊かな風景に出会い、絵を描きたい欲求にかられたのでしょうか。
「革靴の料理のためにレールはすべる」とは、賢治がレールの上を歩いていることを表現しています。革靴を履いているために、露に濡れたレールの上は滑り易いのでしょう。
「der Herbst」とは稲穂のこと。
「ステツドラアのみじかいペン」とは、今使っているのは使い古して短くなった、という意味でしょうか。「来月にしてもらひたいな」ということは、今それを買えるお金が無いということでしょうか。
−永訣の朝−
妹トシが逝去した1922年11月27日付の三連作の一つ。臨終間近の枕辺の臨場感溢れる作品。
冒頭の「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ」という言葉によると、トシは今だ死んではいないが、今日の内には死ぬことが確定(確信)している、という危うい時間を描写していることになります。そしてその危うい時間を生き抜こうとしているトシへの呼びかけという形をとっています。恐らく実際に書いたのはトシの死の翌日乃至数日後だと想像されます。作品中の取り乱した様子から、当日これだけのことを書く余裕は無かったのではないかと推測されますが、詩の内容は、臨終直前の濃密な時間を生々しく描いています。
「まがったてっぽうだまのように」とは、前後不覚に慌てて前のめりの姿勢のまま、思わず飛び出した様子がよく表現されています。
「いつしやうあかるくするために…わたくしにたのんだのだ」という部分については、臨終近いの病人を囲む病室の暗鬱さに比べて、みぞれの積もる戸外の明るさが賢治の心を少しでも明るくさせるだろうと気遣って、トシは賢治にみぞれを取ってくることを頼んだのだろうと賢治が思ったという解釈と、死んでゆく人を目の前にして何も出来ない無力な自分(賢治)に対して、トシがせめてもの出来得る事を与えてくれたと思った、という解釈がありました。
「雪と水とのまつしろな二相系」の「二相系」とは、固体と液体の意味で、「みぞれ」のこと。
( )で括られた言葉は、印刷所に持ち込まれた原稿段階では、当初全てひらがなで書かれていたらしいのですが、その後(おらおらで…)と(うまれでくるたて…)をローマ字に訂正したという経緯があり、更に初版本では、(うまれでくるたて…)は再びひらがなに戻されていたそうです。このように変遷した理由は、ローマ字表記のまま残した言葉―「おらおらでしとりえぐも」―は、賢治にとって一番聞きたくない辛い言葉だったために、ストレートな表現を避け、読み難いローマ字表記のまま残したのではないか、と推測されます。この「ひとりで行く」という言葉へのこだわりは、後の作品にも何度も出てくるように、賢治にとって深刻で衝撃的な意味があったのではないでしょうか。
末尾の日付が(( ))で括られていることに今さらながら気が付き、他の作品も調べてみると『春と修羅』『真空溶媒』『原体剣舞連』『青い槍の葉』『無声慟哭』『松の針』も同様で、全て「modified」された作品であることがわかりました。
「天上のアイスクリームになつて」は「手入れ」では「兜卒の天の食に変つて」となっています。前者の方がわかりやすいという感想が多かったです。
−松の針−
亡くなる年の前年の8月に「トシ病気」の電報により、上京していた賢治は急遽帰郷しています。トシの病気は1918年に発病して、その後一旦回復したにもかかわらず1921年9月喀血、英語教師として就職していた花巻女学校も退職しています。以来療養生活だったようですが、賢治が電報で呼び戻されたときは相当悪かったのでしょう。
トシの病気に触れた作品に『恋と病熱』(1922・3・20)があります。その頃賢治は恋をしていて、熱にうなされるトシへのやましい気持ちがあったのでしょうか。『松の針』でも、トシの苦しみに反して浮かれていた自分への自責の言葉が綴られています。
そして、トシが「ひとりでいく」ことへのこだわりがここにも見られます。誰しも死ぬときはひとりなのですが、賢治にとっては信仰の道連れでもあった妹と離ればなれになることが一層心細く感じられたのでしょうか。
「terpentine」は、松材を蒸留して作った油でテレピン油のことです。
−無声慟哭−
「無声」と「慟哭」という相反する言葉を合体させて題名としたところに、賢治の心の葛藤が表明されています。
「巨きな信」とは「信仰」のこと。信仰から「ことさらにはなれ」と言うのは、教師というサラリーマン的生活に安住していたり、人並みに恋をしたり、人間関係に悩んでみたり…というようなことを指すかとも思われますが、そういう俗世的な経験をも踏まえた上で、「春と修羅」の最初の作品を書く頃から、宗教に対する迷いも生じていたのかもしれないとも推測されます。その辺りの諸事が、賢治にとって「純粋やちひさな徳性のかずをうしなう」ことに他ならならなかったのでしょう。
そしてここにも「ひとりさびしく往く」ことにこだわっています。
「わたくしのどんなちひさな表情もけつして見遁のがさないやうにしながら」という箇所から、トシの兄に対する信頼や崇拝、あるいは恋情にも近いとも言えるような感情が感じられます。母に「おら おかないふうしてらべ」と訊きながら、視線は兄を凝視しています。兄の態度や表情から、真実を読み取ろうとしている真剣さが胸に迫ります。母は「立派だじゃい」と答えますが、賢治のそう言えない心を見透かすようにトシは兄を見詰めます。賢治がそれを言えないのは、「巨きな信のちからからことさらにはなれ」「修羅をあるいてゐる」からで、安易な言葉を言いたくないという賢治流の潔癖さが、「ふたつのこころをみつめてゐる」という葛藤となり、最後の2行の言葉を切なく響かせています。
−風林−
前作より半年以上経過した日付の付された作品。再び、花巻農学校の生徒らを引率して岩手山に登山したときの模様と、情景の中にふと呼び覚まされるトシへの慕情がとりとめもなく語られ、作品としてはまとまりはないが、ありのままの光景と、ありのままの心の吐露が素直に表現された作品です。
時間は夜のようで、登山途中で休憩しているらしい。
「向ふの柏木立のうしろの闇が/きらきらつといま顫へたのは/Egmont Overtureにちがひない」―きらきらとふるえるという視覚的な状況から音を連想するのは賢治独特ですが、感覚的には共感を覚えます。「Egmont Overture」はベートーベン作曲の「エグモント序曲」。 (( ))の中の言葉は生徒たちの言葉のようです。((ほう おら……))という途中で途切れた生徒のことばが「さびしく反響し」て、トシへの偲いに繋がっていきます。
「光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか」とは、光が縦横に走り、音楽が満ちている極楽浄土のイメージ。
「……此処あ日あ……わがらないで……」というトシの言葉が、トシが亡くなってから半年ほどの間、1度だけ汽車に乗っている時に聞こえて、それをトシからの通信だと思ったのでしょう。
−白い鳥−
状況は前作の続き。夜通し歩いて登山し、翌日の朝となっています。
「あんな大きな心相の/光の環は風景の中にすくない」―「心相」とは心に写った光景で、心象と同義。背景の空の青さは珍しくないが、集合した「茶いろの馬」たちが光っているのが、賢治には珍しく感じられたらしい。
賢治には「白い鳥」がトシの化身のように思え、そしてその鳥の鳴き声は「鋭くかなしく」聞こえるという。一般的には、自由に大空を舞う鳥になって会いに来たと考えるならば、それは嬉しいことと思えますが、賢治にとってはそうではなく、トシが行くあてもなく彷徨っているように見え、仏教的に言うならば成仏できていないと考えられたのでしょうか。
「vague」は「ぼんやりとした」という意味。
「その名」とはトシの名。賢治がトシの名を呼ぶ傍らから、「わたくしを嘲笑」する声が聞こえてきた、と言うのだが、この声は賢治自身の心の声でもあり、信仰心の揺らぎを表明していることに他なりません。
「日本武尊の…行かれたのだ」の箇所は『古事記』に拠る。
−青森挽歌−
幻想的な書き出しが、この作品のテーマへのプロローグとなっています。
「わたくしの汽車は北へ走ってゐるはずなのに/ここではみなみへかけてゐる」ように感じられるのは、数行後の「汽車の逆行は希求の同時な相反生」に繋がっており、求めているが反発もしているという賢治の心理状態、性癖を表しています。それは「水いろ川の水いろ駅(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)」というような幻想を見ようとして見まいとする抗いの中で、その矛盾が一層賢治に幻視や幻聴を呼び込んでしまうらしいのです。(( ))の中の言葉はどれも「悪い叫び」であり幻聴であり、また賢治の心の声でもあります。((尋常一年生 ドイツの尋常一年生))とは、その頃覚えたてのドイツ語がまだ未熟なために自ら「尋常一年生」と揶揄したのでしょう。
「(草や沼やです/一本の木もです)」というのは、トシが死後あてどなく歩いて行った道すがらの光景です。その後の(( ))で続く会話は、トシの臨終の模様を語っているようです。「ギルちゃん」とはトシのことで、ここでは蛙に擬らえて語られています。『手紙四』にも、チュンセが畑で「潰れちまへ」と蛙を叩いたとき、チュンセの亡くなった妹ポーセが午睡の夢の中にに出てきて、「兄さんなぜあたいの青いおべべ裂いたの」と言う話があります。「ナーガラ」とは竜を意味する梵語で、ここでは蛇のことだと思われます。トシの最期を、蛇に狙われた蛙に喩えた悪夢のような会話です。
「万象同帰のそのいみじい生物の名」とは、法華教ではお経を生物として捉えたと言われ、「南無妙法蓮華経」のことだと言う解釈があるそうですが、よくはわかりません。
「ヘッケル博士」とは、ダーゥインの進化論に基づいて唯物的一元論を説いたドイツの動物学者で思想家。賢治は彼の説に反して、最期の瞬間のトシへの自分の叫びにトシが「二へんうなづくように息をした」から、トシがその声を聞いたと確信した…はずなのですが、「卑怯な叫び声」が再び賢治の心を掻き乱し、確信も揺らいでくるようです。
「仮睡珪酸」の「珪酸」は石英のことですが、「仮睡」という言葉が付いているので石英本来の透明感はなく、ぼんやりした状態を表していると思われます。
「(宗谷海峡を越える晩は…)」―ここで翌日の夜のことを予想しています。そして、「わたくしはほんとうに挑戦しよう」と決意表明していますが、何に挑戦するのかと推測すれば、恐らくは信仰を邪魔する者、信仰への自らの猜疑心に対して、と言えるでしょう。(『青森挽歌』の翌日の日付で『宗谷挽歌』という作品があります。これは「春と修羅」には収録されませんでしたが、「挑戦」の一端を伺わせる面白い作品です。)科学者である賢治は、なんとかトシの行方を明らかにしたい、浄土へ行ったことを証明したい、と切望したのでしょう。
「l’estudiantina」とは、仏のヴァルットトフェルという作曲家の作曲した「女学生」というワルツだそうです。
浄土と地獄が対比され、肯定と否定の煩悶が綿々と綴られています。
「倶舎がさつきのやうに云ふのだ」というのは「倶舎論」に述べられている「中有」「天界」「地獄」の形態、模様のこと。
「ほんとうにけふの……きのふのひるまなら」―「きのう」と言いかけて「今日」と言い直しているのは、汽車の窓外を眺めながら、あれこれ思い巡らして一夜を明かしてしまったのでしょう。
「きさま」「おまえ」というのは、(( ))の中の「悪の声」の主であると共に自分自身の邪悪な想念のことをも指しています。再認識するべく、自ら説き伏せているようです。最後の「おもひます」という言い方も、いま少し自信がなさそうです。