5月23日と6月27日に行われた第53回・54回例会の内容を、まとめて報告させていただきます。第53回例会では「電車」から「滝沢野」までを読みました。
−電車−
賢治が車内から窓外を眺めながらスケッチした詩
と思われます。
トンネルでもない場所で車室の電灯が点いたので、賢治は車掌の気紛れだと冗談らしく推測してみたのでしょうか。
山火事と見紛ったのは、遠くの山間や森の向こうに赤々と燃えているような太陽の光が見えたのか?
「木きってゐますな」の意味は不明。
「ビクトルカランザ」の「ビクトル」は勝者で、「カランザ」とは1910〜17年のメキシコ革命の指導者で後に大統領となった人で、1920年に暗殺されています。窓外の野原を行く人物の帽子のつばが広くメキシコ風だったために、そのような人物を連想したのでしょう。
「貧弱カランザの末輩」は「ビクトルカランザの配下」と対比させて、「配下」と呼んだ人物よりさらに貧相に見えたためにこう表現したのだと思われます。
−天然誘接−
「北斎のはんのきの下」は、北斎の絵柄で特定される風景なのでしょうが、北斎の絵に慣れ親しんでいなければ理解し難く、想像し難いという感想がありました。「黄の風車」とは筆者の推測では、旅人の菅笠のことではないかと思うのですが、何にせよ風が吹き抜けている状況が想像されます。
「誘接」とは「呼棲」とも書いて、「寄せ接ぎ」のことです。
「槻」とは「欅」のこと。
賢治は当時、理想を目指して共に生きていく伴侶(例えば友人、妹)を強く求めており、その想いが「いっぽんすぎ」に象徴されていると感じたのではないか。理解しあった者たちが寄り添って一体となり厳しい現実を生きてゆく雄々しい姿を、「いっぽんすぎ」に見たのでは?
「鳥も棲んではゐますけれど」は「二人っきりというわけではないけれど」という断りの言葉です。
−原体剣舞連−
剣舞は全国至る所に伝えられている伝統芸能ですが、多くは非業の死を遂げた者の鎮魂を目的として始められたとされています。「原体剣舞連」は岩手県江刺郡田原村の剣舞を指していると思われますが、江刺地方の剣舞は12才までの子供たちによって舞われるそうです。
「dah-dah-dah……」の掛け声は、力強く畳み掛けるようなリズムを連想しがちですが、実際の剣舞の掛け声はおっとりと悠長な感じです。
「異装」とは「いつもと様子の違う、異様な」という意味。
「鴇いろのはるの樹液」は踊り子達の若いエネルギーのことでしょう。手入れでは「若やかに波だつむねを」と書き換えられています。
「アルペン農」は「高地での農業」。
「しののめ」は「明け方」なので、「生しののめ」は「人生の夜明け頃」即ち「思春期」を指しているのでしょう。
「気」とは「天上の清らかな気、天辺の広大な気」の意で、森鴎外の「即興詩人」に出てくる言葉らしい。
「蛇紋山地」とは、蛇紋岩質の「北上山地」を指します。
「まるめろ」とは「カリン(バラ科)」とも言い、落葉樹で甘酸っぱい香りと味がするそうです。
「準平原」とは、長期の浸食によって削られ、なだらかになった地表。
「どよませ」は「どよむ(響動む)」=「鳴り響かせる」の命令形。
「達谷」は現地では「達谷窟(たっこくのいわや)」と呼ばれ、平泉町西光寺にあるそうです。「達谷の悪路王」とは、延暦年間、蝦夷の首領で達谷窟に立て籠もって蝦夷征伐に抵抗したが、坂上田村麻呂に討伐された伝説の人物。
「黒夜神」とはヒンズー教の神で、夜を支配する神。
「いっぷかぷ」は溺れるときの様子を表す方言。
「さらにただしく刃を合はせ」は手入れでは「さらにも強く刃を合はせ」となっています。
「霹靂」とは「急な雷鳴」。
「ひとよ」は「一夜」。
「雹雲」は「雹を降らせる雲」。
「さやぎ」は「さやさやと音がすること。」
「獅子の星座に散る火の雨」は獅子座流星群のことでしょう。
−グランド電柱−
花巻の賢治生家近くの三叉路に立っていた電柱の姿を表した詩。
三方向の電線を集めた電柱だけあって実際にも相当大きかったのでしょうが、賢治は特に親しみを込めて「グランド」、「百の碍子」という誇張した表現をしたのだと思われます。
「うるうるうるうる」という言葉は瑞々しい様子を表した賢治独特の表現ですが、今日ではマンガにおいて、涙目のことをよく「うるうる」と表現しているのを見かけます。
この作品には「modified」の副題は付いていませんが、前半と後半に対照的に構成され、よくまとまっています。
−山巡査−
賢治が林や森の中を巡回パトロールしている気分になって、自らを山巡査に仕立てた作品。
「長いもの」の正体は不明。賢治が「ロシアふう」と見る根拠はどのようなところにあるのでしょうか?
「サラド」という、ここでは異質な言葉が出てくるのは、蘆の草むらが雨に洗われて緑色がいっそう生き生きとして新鮮に見えたためでしょう。
−電線工夫−
修繕する電線工夫の姿態から「アラビアンナイト」を連想し、「悪魔のために電柱の上につけられたと言われたらどう言い訳するのか」と電線工夫に忠告している詩ですが、手入れでは3行目の「それではあんまりアラビアンナイト型です」が「それではまるでアラビヤ夜話のかたちです」となり、7行目のあんまりアラビアンナイト型です」が「アラビヤ夜話のあんまりひどい写しです」となっているので、「千夜一夜物語」に似たような場面の話があるのでしょうか。「千夜一夜物語」を今一度詳しく読んでみたいところです。
−たび人−
「海坊主林」は固有名詞ではなく海坊主(アオウミガメ?海で災難を起こす妖怪?)の形をした林のことを指すのだと思われます。
「陰気のなかへ」という言葉が印象的です。雨のために薄暗い風景をそう表現したのでしょうが、心模様をも反映させたかのような言葉です。タイトルの「たび人」からも想像出来るとすれば、ただ通り過ぎるだけの人の姿に、その人や賢治自らの人生を歩む姿を重ね合わせ、「もっとしっかり」と叱咤激励しているようにもとれます。
−竹と槍−
「煩悶」とは恋の悩みか人間関係の悩みか、あるいは信仰心の揺らぎでしょうか。
「おまえ」は賢治自身のこと。
「髪を刈れ」とは、「剃髪」あるいはそれに近い意味での髪を短く刈り込むことでしょう。
最終行の「そんなこと」とは「煩悶」の原因となるようなこと。
「グランド電柱」に始まる9月7日付の詩は「竹と槍」まで5編ありますが、雨の中を散歩に出かけたのは、この煩悶のためだったのかと、ここで気付かされます。雨の中で煩悶の感情に浸る自分と、その一方でそんな自分を( )の中の言葉で厳しく諫める自分があるようです。後の手入れでは全体に斜線が引かれていますが、自らの弱みを吐露したような作品や部分は、往々にして後に削除しようとしている傾向が見られます。
−銅線−
汽車の車窓から見ているのでしょうか。車窓から見ると電線が、赤とんぼが飛ぶように、赤い線を引いた銅線のように見えたのでしょう。
−滝沢野−
光の加減で、から松の背丈が実際より大きく(無駄に伸びた)ように見えたのでしょう。
「ランタン」とは「提灯」のこと。
「Green Dwarf」というのは、盆栽用の矮性植物。「Dwarf」は小びと。
「銀の散乱」は「一疋づつ光」る無数の羽虫の様子でしょうか?あるいは夕焼けを背にして光るように見える鞍掛山の稜線の様でしょうか?
寛政11年(1799年)に何があったのでしょう?岩手山の噴火の歴史を調べてみると、記録されている最古の噴火は1686年、次ぎは1732年。この時の噴火で、たくさんの溶岩が流れて「焼走り」が出来たといわれています。その後は1919年まで噴火は起こっていないようです。
滝沢野とは岩手山の東方の麓に広がる場所で、東岩手山への登山口だそうです。賢治は滝沢野から岩手山とその南東裾野に小高く聳える鞍掛山、さらにその南西方向に延びる山々を望んでいるらしい。時刻は午後か夕刻か。何れにしても太陽は賢治の位置から西方にあり、近景から遠景に視点を移していくと、陽光を背にした山々の稜線(「天末線」)が魚の歯形のように見え、何故か賢治には恐ろしく感じられたようです。