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会報No.40
−光の標本−

目次

  1. 第51・52回例会報告−
    読書会「春と修羅」(第一集)−第8・9回目

    川崎 貴
  2. 「誰かの願いが叶うころ」
    妹尾 良子
  3. 編集後記

第51・52回例会報告

 3月28日と4月25日に行われた第51回・52回例会の内容を、まとめて報告させていただきます。2回合わせて『春と修羅(第一集)』「小岩井農場パート四」から「高級の霧」までを読みました。

小岩井農場 パート四
 「わたくしはもう見出さない」のは、冬に来たときには存在したが今はもう無いということか、あるいは歩を進めたために見えなくなったということなのか、それとも何らかの理由で見る必要がないということなのだろうか。
 ベムベロ」という言葉は「楊の芽」を表す方言。『おきなぐさ』の中に「ねこやなぎの花芽(はなめ)をべんべろと言(い)いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全くおなじです。とにかくべんべろという語のひびきの中に、あの柳の花芽の銀びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実にはつきり出ている…」という解説があります。空の高いところでは無数のひばりが甲高く鳴き交わしています。「キルギス式」とは、中央アジアのキルギスの広大な草原地帯を連想しているようです。「右にまがり左へ傾きひどく乱れて」というのは、数本の電信柱が、当時の埋設技術の稚拙さや地面の凹凸のためか、垂直ではなくあっちこっち傾いて立っているということでしょう。「酵母のちんでん」は細かい雪煙のこと。「あのとき」とは冬に来たときで、「ひと」とは自分のことです。後の「パート九」にも「この冬だって耕耘部まで用事で来て…/(省略)/凍えそうになりながらいつまでもいつまでも/いつたり来たりしていました」という部分があります。雪の中でセレナーデを口笛で吹くことが、雪の日に食べるアイスクリームと同じくらい、贅沢な良い気分になることだと言っています。「ヴァンダイク」は中世オランダの画家。「ヴァンダイクブラウン」とはその画家がよく描いた深みのある鮮やかな褐色です。「さくらの幽霊」とは花が白っぽく、幹や枝がしだれやなぎのようだったので、なよなよした幽霊のように見えたのでしょうか。雲のことを「海綿白金」と呼び、ちぎれた雲を「氷片」と見て、その雲を踏んで一直線に天空に突き進むー「かたなのようにつきすすみ」という辺りの勇ましさは唐突にも感じられます。そしてジュラ侏羅期や白亜期(二億一千年〜六五〇〇万年前)の地質時代の暗黒で混沌とした状況から、自分は「のぼったのだ」と宣言しています。パート四のこの辺りから後は、風景描写は見られず、突き上げてくるように自身を鼓舞し、幻覚さえをも見てしまう内面を綴っています。「ダブルカラー」という言葉は「ホワイトカラー」的な意味合いで用いられていると思われ、賢治の場合だと教職のことを指すのでしょう。「それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……」というのは「お先まっ暗」というような意味でしょうか。「すきとほるもの」とは後に出てくる「すあしのこどもら」のこと。「瓔珞」とは「珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具」、「緑緊寂静」とは「煩悩を離れ心の平静なこと」、「緊那羅」は「仏法の守護神の一つで天の楽神」。
 「コロナは八十三万二百……」は『イーハトーボ農学校の春』に出てくる、繰り返し挿入された同じ旋律の楽譜の前に書かれているフレーズと同じもの。『イーハトーボ農学校の春』の制作年月は1922年4月となっているので、『小岩井農場』より少し前になります。その「太陽マジックの歌」が口をついて出てくるほど賢治の気分は陽気になっています。
 「みちがぐんぐん後ろから湧」くのは、後ろ向きに歩いているためのようです。先駆形Aに「うしろ向きに歩けというのだ」「けれども何より私の足は後退りで少しつかれた」と書かれています。後ろに従って来る「すあしのこどもら」に対面しながら先導している姿が想像出来ます。先駆形Bでは「すあしのこどもら」を幻想ではないと否定していますが、その心情はここでは表明されていません。
 「手入れ」によると冬の回想部分の多くと幻想部分に斜線が施されています。余剰だと判断したのでしょうか。それにしても、賢治の推敲に次ぐ推敲には困惑させられますが、賢治自身は些かの懸念もなかったかのようです。その都度思考や感情の変化することがむしろ重要で、推敲段階も含め、その都度それをスケッチするように書き留めることが賢治の実験的な表現方法だったのでしょうか。

パート五・パート六(先駆形)−
 「「パート七」に入る前に、タイトルのみ残されて内容がすっかり削除された先駆形の「パート五」および「パート六」(先駆形Bでは「第五綴」「第六綴」)を読んでみました。パート一からパート四にかけてさわやかに進行して来て、幻想を見る辺りから賢治の気分はいっそう高揚したのですが、パート五に入り、鞍掛山を遠望しながら同僚の堀籠さんに思いが移行して、彼とのやりとりを回想をするにつれ、どんどん滅入って行きます。パート五では相当に堀籠さんとの付き合いにおける自らの至らなさ自嘲しています。賢治没後、堀籠さんにこの辺りのところを問い合わせたところ「全く気にも留めていなかった」というような内容の返答だったという逸話もあるそうなので、賢治の一人相撲だったようです。寂しさと人恋しさと悔悟の念で、すぐにでも引き返してチョコレートを差し出そうとまで思うのだが、それでも「やっぱりおれにはこんな広い処よりだめなんだ/野原のほかでは私はいつでもはばけている(「はばける」とは「むせる」「つかえる」という意味の方言)」と思い直しています。「パート五」「パート六」を除いてしまったのは、実在の人物(堀籠さん)に気を遣ったという理由よりはむしろ、些細な人間関係の軋轢に囚われている自分に対して苛立たしく思ったためなのではないか。なぜなら「パート六」に「(私はどうしてこんなに/下等になってしまったらう。/透明なもの燃えるもの/息たえだえに気圏のはてを/祈ってのぼって行くものは/いま私から 影を潜め)」といっている箇所があります。それにしてもこれほどまでに思い詰めていた堀籠さんとの関係はその後どうなったのでしょうか。普通にこだわりなく付き合った、という意見と、表面的にだけ世俗的な付き合い方をした、という意見が出ました。後に賢治は堀籠さんの結婚の世話もしているので、何れにしても関係は良好だったようです。

パート七
 けらを着た女の子を「(Miss Robin)」と呼んでいるのは、赤い布を被った姿が胸毛の赤いこまどりに似ていたためでしょう。「富士見」の飛脚とは北斎の「冨嶽三六景」に描かれた飛脚。農夫の顔を「鷹のきもちもある」と表現しているのは、獲物を狙う鷹のような鋭い眼孔をしていたのでしょうか。動物図鑑で鷹を見てみると、その鋭い目つきは確かに悲しそうにも見えます。「雲母摺り」とは錦絵の手法で、背地に雲母を刷り込んだもので光沢があるそうです。行こうとする農夫を、引き留めるように問いかけたのはそれほど寂しかったのでしょうか。「蒼鉛の労働」の「蒼鉛」とは鉛色(灰色)のこと(『永訣の朝』には「蒼鉛いろの暗い雲から」という一節があります)で、「蒼鉛の労働」とは暗く険しい農作業のことを指していると思われます。農夫が「わたくしとはなすのをなにか大へんはばかっている」のは、農夫にとって身分違いの紳士風な人物(賢治)と話すことには遠慮があったためでしょうか。銃を構えて立っている「くろい外套の男」の存在は不自然なので、「すあしのこどもら」と同様、賢治の幻想ではないかとも思われます。「すあしのこどもら」の対極に位置する存在として「どっちもこわくない」と突っぱねているのかもしれません。「ぶとしぎ」は「ぼとしぎ」の方言で「山しぎ」のこと。これも図鑑で見てみましたが、体長35pもある大鳥でした。雨の中で娘たちが眠っている光景は不思議に感じられますが、「みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる」という表現があるので、日照り雨か小糠雨程度のほんの小雨なのか。また農作業の合間に午睡をする農夫達の習慣だったのでしょう。「セシルローズ」とは移住したアフリカでの炭鉱経営で財を築いた英国出身の人物で、「セシルローズ型の円い肩」というくらいなので肥っていたのでしょう。「自由射手」とは、ウェーバーの「魔弾の射手」―「Der Freischutz」を直訳した言葉で、自由自在に弾を撃つことの出来るドイツ伝説の射手だそうです。

パート九
 「ユリア」「ペムペル」は『ひかりの素足』にも登場します。語源はジュラ紀(二億一千年前〜一億四千年前頃)とペルム紀(二億九千年前〜二億五千年前頃)。「ペムペルがわたくしの右にいる」という行の次行の始めの部分が「…………」となっていますが、異稿にはこの部分に「ツィーゲル」という言葉が書かれていました。「…」で省略されたのは何故なのでしょうか。「ツィーゲル」には「馬の手綱」という意味があるそうですが、その意味はここでどんな効果があって、またそれが「……」に書き換えられた訳、そしてこの行全体の意味も全くわかりませんでした。(( ))を使う目的は強調するためなのでしょうか。(( ))の中の内容は、幻想を畏れ、否定している言葉が連ねられています。しかし、「きみたちときょうあうことできたので/(省略)/血みどろになって遁げなくていいのです」とも言っています。裏を返せば、「きみたちとあうことができなかったら、血みどろになって遁げなければならなかった」ということになります。「血みどろ」とはただ事ならぬ事態ですが、それほど賢治は行き詰まった思いを抱いて「小岩井農場」を訪れたということです。美しい景色の中に自らを委ねることによって癒されようとしたのでしょう。「der heilige Punkt」とは「神聖な場所」という意味で、小岩井農場から鞍掛山辺り一帯を賢治はそう呼んでいたそうです。そして、「もう決定した…」の行から1字ずつ段々昇っていくにつれて力強く、「もしも正しいねがひに燃えて」に至って蘇生したかのように頂点に達します。この表現方法は賢治の精神状態をそのまま表しています。「幻想」に救われたのは事実ではあるが、しかしまた、「幻想」を「疲れてかたちを替へたおまへの信仰」と言い、退けています。賢治にとって「恋愛」は「宗教情操」の「変態」であり、「性欲」は「恋愛の本質的な部分をごまかし求めた」ものであるという。そして「この命題は可逆的にも正し」いことが「わたくしにはあんまり恐ろしい」と言いながら、しかしその現実をしっかり見据えて独り進んで行くことを決意表明しています。最終行が、その決意の強さ、思い切りをそのまま表現していて清々しく歯切れの良い締め括りとなっています。

 「パート八」は内容のみならずタイトルさえも省略されてしまっています。しかしパート番号を繰り上げることはせず飛ばしたのは、そこに幾ばくかの時間の経過があった痕跡を残したかったのではないか、と考えられます。

林と思想
 「わたしのかんがえ」が林に溶け込むように、周囲の自然と一体となっている感慨をしみじみと謳った詩だと思われます。タイトルの「思想」は大層なものではなく、本文中にあるように、「考え」程度の意味でしょう。最終行の段下げは、向こうの林から足元に視点を移した切り替えの役目を持っています。 1行目の「そら ね ごらん」は誰に呼びかけているのだろうという疑問もあがりましたが、自分も含めて誰にともなく語りかけるように独白している、という意見に落ち着きました。

霧とマッチ
 「拡大されている」のは、霧の中なのでぼーと膨張して見えたのか、あるいは詩の中にあるように「酸素が多い」ためなのか。霧の中で酸素が多いということは考え難いので、前者の理由をあえて「酸素」のためと説明したのかもしれません。
 「スヰヂツシ安全マッチ」とはスエーデン製のマッチのことで、当時国産のものより安全であったらしい。しかしそのような高級な輸入品が誰にでも手に入ったわけではなく、やはり賢治の境遇と趣味による贅沢品だったのではないだろうか。ここで、マッチから連想して賢治は煙草を喫ったかどうか、という話題になりました。作品の中にはしばしば「煙草を喫う」ことを示すような表現がみられます。例えば『春と修羅(第一集)』の「カーバイト倉庫」の中には「巻き烟草に一本火をつけるがいい」という箇所がありますし、『セロ弾きのゴーシュ』では「…マッチを(猫の)舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました」と書かれています。恐らく嗜む程度に喫ったのだろうと推測されます。
 「まめいろ」は「霧の中の電燈」なので、空豆ぐらいの黄緑色でしょうか。電燈に匂いのあるのは不思議ですが、賢治はしばしば夜明け頃に匂いを感じていたので、この詩の「明方」にも、よい匂いがしたのでしょう。
 「たかぶる」とは「気取る」というような意味。小学校長を気取って歩くことが「つつましく見える」と、賢治は言っています。小学校長を気取ることを、風景の中での主役を演じることに見立てると、偉大な自然の中ではその気取りもむしろ控え目に見える、ということかもしれませんし、また「霧のなか」なので朧に見えることが「つつましく」思え、マッチの火の拡大と同様、霧の中での効果を表現したのかもしれません。また、霧の中のマッチの炎が、盛岡の街の明方や夕方の街灯のあかりを連想させる、という感想もありました。

芝生
 1行目の「風とひのきのひるすぎに」という短い文に、背景の状況説明が凝縮されていて非常に詩的な1行だと感心させられます。
 小田中は農学校の生徒。あえて固有名詞を使っているのは、具体性を持たせるためでしょう。「灰いろのゴムまり」「受けかねてぽろつとおとす」という語句から、キャッチボールをしている光景だと推測されます。ボールのことを「光の標本」だと言っているので、ボールに当たる光の具合が、標本のように美しく見られる、あるいはボール自体が光のように見え、それが標本となっている、ということなのか、いずれにしても、光の中を飛び交うボールを凝視する賢治の視点の独特さが面白い。
 「芝生」という、タイトルによって場所を特定させる効果も生きています。

青い槍の葉
 タイトルは稲の穂のこと。7775調のリズムが繰り返されて、流れるように読みやすい詩となっています。7775字は都々逸の定型だそうです。この詩は田植えを描写しています。後には、労働歌として農学校の生徒に合唱させたそうです。また生前(1923年)「天業民報」に「青い槍の葉(押怏歌)」として発表もしています(「押怏」とは田植えのこと)。
 間に挿入されている「(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)」という句は、7775調部分の風景描写に対して賢治の心象描写ではないだろうか、という指摘がありました。
 「ほずえ」は「穂先」。「くわくこどり」は「かっこ鳥」。「土のスープ」は田に張られた水のこと、「黒くをどりはひるまの燈籠」という一行は難解です。「黒くをどり」が「黒く踊り」なのか「黒くお鳥」(「黒く雄鳥」、「黒く大鳥」)なのか、また「ひるまの燈籠」は「灯が点らず目立たない」、という意味なのか、燈籠のように「黒く動かない」というような意味なのか。結局判然としませんでした。

報告
 火事だと思うくらい、しかも報告しなければならないほど立派な虹だったのでしょう。実際には、いくら立派な虹でも火事と見間違えることはないでしょうから、賢治の誇張だと思われますが、短い文章の中に物語性が感じられます。

風景観察官
 風景観察官とは賢治自身のことで、風景を観察しながら、「ああだ」「こうだ」「こうしたらよい」などと批評している作品だと思われます。
 「プウルキイン」はチェコの生理学者で、「明け方や夕方には緑や青の色が鮮やかに見え、昼間には赤や黄がよく見える」という現象を「プウルキンの現象」と言うそうです。田植えの済んだばかりの田に「ホルスタイン」は相応しくないとの意見に対して、「田の畔をホルスタインの群を引率しながら通過している光景である」とか、「田んぼにホルスタインを配置するという、賢治のセンスによる願望では?」というような意見もありました。
 ホルスタインを率いる人はフロックコートを着用するのが「なんといういい精神」であり「風景のなかの敬虔」さだと賢治は主張しています。常識的にはいささか荒唐無稽なこのセンスが、童話などにも反映されているように感じられます。

岩手山
 前半2行は、地上から見た岩手山の外観、後半は上空から見た岩手山の外観、という解釈が一般的なようです。自在な視点に驚かされますが、後半は必ずしも上空からではなくても、頂上付近から見下ろした光景だとしてもこのように見えるのではないか、という意見もありました(筆者は岩手山に登ったことがないので、是非登ってみたいと思いました)。「散乱反射」は空を青く見えさせている現象です。「微塵系列」とは粒子の積み重ねの層です。「手入れ」では、3行目は「ひしめく微塵の深みの底に」と書き換えられています。
 「古ぼけて」とか「きたなく」という表現に、賢治の鬱的な心理状態が反映されています。文語詩「心相」には「はじめは潜む蒼穹に、あはれ鵞王の影供ぞと、/面さえ映えて仰ぎしを、いまは酸えしておぞましき、/澱粉堆とあざわらひ、/いたたきすべる雪雲を、腐せし馬鈴薯とさげすみぬ。」と書かれています。

高原
 方言を使った、とても躍動感のある作品です。しかし「手入れ」では全ての行に亘って斜線が引かれてあったそうなので、後になって方言が分かりにくいと賢治は判断したのでしょうか。
 この詩の舞台は「種山が原」であるというのが通説ですが、前作と同一日付であるところから「本当に種山が原か?」という疑問の声があがりました。詩の雰囲気からすると種山が原が相応しいのですが、もしかすると岩手山近辺の高原かもしれません。それにしても、同一日付で制作されているにも拘わらず前作とは随分調子が異なっています。前作が「鬱」的ならばこの作品は全く「躁」的です。

印象
 「ラリックス」はからまつ。物を見たときの印象は、そのものの本質と神経の両方の様相を呈している、ということでしょうか。その法則に依ると、「展望車の紳士」が「藍いろ」に見えたのは、青色の着物を着用していたせいもあるが、どこか病んでいたために一層青白く、藍色に見えたということになります。

高級の霧
  霧に、特別に「ハイグレード高級」という形容詞を付けているところが、返って霧のことを表現しているのではないのではないか、という疑念が生じます。「光りすぎてまぶしく」「日射しの中の青と金」といった光の表現が繰り返されていることからも、「光」そのもののことなのではないか、と思われます。

「岩手山」から「高級の霧」までの4作には6月27日という同一の日付が付されています。これら4作品に共通するのは「光」です。この日は、季節的にも日射しが強く、賢治の大好きな光に満ち満ちた1日だったようです。しかし同一の日付にしてはそれぞれの詩の雰囲気は異なっています。「操」と「鬱」が繰り返されているようで、たった1日の間にも目まぐるしく変化する賢治の心のあり方に驚かされました。

   

「誰かの願いが叶うころ」

 宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」を聴いた。シンプルな構成でせつせつと歌われるバラード。

誰かの願いが叶うころ 
あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない
 今という時代の多重な重い現実と、それを痛切に悲しんでいること、孤独感、そして、他者に対する深い共感が伝わってくる。
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
 この歌を聴いたあと、賢治の「みんなのほんとうの幸せ」(「銀河鉄道の夜」)という言葉が浮かんだ。他の作品にも何度も出てきて、「ほうとうの幸せとは何か?」と、賢治は問い続けている。そして、「春と修羅」では、
 自分を「修羅」と言い切る厳しい自己認識…。
 「誰かの願いが叶うころ」から、賢治の苦悩と孤独感を連想したというのは、単に、わたしが宇多田ヒカルの大ファンだからかもしれませんが、この歌、すごくいいですよ。一度、聴いてみませんか。

編集後記

  • タイトルは「芝生」の中から採りました。賢治は標本好きだったようです。「小岩井農場」にも「きれいなのはらや牧場の標本」という言葉があります。山野で集めた鉱物も、きっときれいな標本にして保存していたことでしょう。「標本」とは、「個体またはその一部に適当な処理を施して保存した物」と、『広辞苑』には書かれています。見田宗介氏は「存在しないものの存在のあかし。現在の中に永遠をよびこむ様式」(『存在の祭りの中へ』)と述べています。つまり「標本」とは、時間を封じ込め、保存することによって永遠性を勝ち取る手法だと言えます。芝生の上で飛び交うボールに当たる光が、標本となって永遠性を獲得したために小田中は「受けかねた」のかもしれません。
  • 岩手から派遣研修のため兵庫教育大学の大学院に来られているTさんが、例会に参加してくださいました。なんと小野から3時間かけて自転車を漕いで来られたと聞いて、その健脚ぶりにびっくりしました。