会報No.38表紙

会報No.38
−冬と銀河ステーション−

目次

  1. 第48回例会報告−
    読書会「春と修羅」(第一集)−第5回目

    川崎 貴
  2. 宮沢賢治朗読物語−その4
    友田 清右衛門
  3. 宮沢賢治展と宮沢和樹さんトークショー
    妹尾 良子
  4. 編集後記

第48回例会報告

 10月24日に行われた第48回例会では、『春と修羅第一集』「春光呪詛」から「習作」までの7編の詩を鑑賞しました。

−春光呪詛−
 「髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ」、「頬がうすあかく瞳の茶いろ」―賢治にとって特定の女性を指していると思われます。「恋と病熱」→「春と修羅」→「春光呪詛」の流れから、この頃賢治は相当胸を焦がすような恋をしていて、そいう自身の想いを禁欲的に懸命に否定しようとしている姿が見えるようです。「ただそれつきりのことだ」という行が2度出てくることからも、念押しして否定しなければならないほど、恋慕の情は募っていたのでしょう。「髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ」「頬がうすあかく瞳の茶いろ」という表現にエロチックな気配さえ感じるという感想もあり、否定してもしきれない恋情への煩悶がひしひしと伝わってくるようです。
 「しんとくちをつぐむ」―「しんと」という特異な表現に女性のつつましさが感じられます。題は、後の手入れでは「春日呪詛」と改められています。呪うほどに春の美しさや麗しさ、明るさ、暖かさを嫌忌しなければならないのは、反面、春をこよなく愛していたからに違いありません。

−有明−
 明け方の、刻々移りゆく薄明の光の美しさを、静かに表現した作品。最終行の「般若心経」は、あまりの美しさに思わず唱えてしまったのでしょうか。誰にでもある素朴な拝日信仰です。

−谷−
 谷で賢治が実際に見た幻覚でしょうか。シェークスピアの「マクベス」を読んでいただろうと推測できます。
 手入れでは1〜9行に斜線が引かれていたそうですが、1から9行はこの詩の全てです。

−陽ざしとかれくさ−
 手入れでの題名が「幻聴」となっているところからも推察されるように、枯れ草の上に寝転んでまどろんでいる時に聞こえた幻聴を書いたものかと思われます。「チーゼル」は、高さ1.5〜2mほどの二年草で茎に硬く細かい棘があるそうです。寝転んだ近くにその木があるのでしょうか、あるいはその木の棘に刺された感覚を思い起こしているのでしょうか、どこかチクチク感じながらうとうとすると、空では烏が器械のような軋り声で鳴くのが聞こえ、そんな中で2人の不思議な会話が聞こえてくる。「かわりますか」という問いかけと、それに対する答えとして「かわります」「かわりません」―これらの問答は賢治の心の内に常に諸行無常の思念が潜在していて、このような幻聴を聞かせたのではないか、という意見がありました。

−雲の信号−
 春のうららかな、実に気持ちのよい情景を心から思いっきり讃えながら、それとは裏腹に、字下げの部分においては覚めた意識が働いています。「雲の信号」は「禁欲」を促す信号で、さわやかさを満喫しているその瞬間にも、空の高いところでは「雲」が無言の警告を発している…という厳しい詩です。筆者は、冒頭の言葉の清々しさに共感して、なんて気持ちのよい詩だと思い込んで、雲の信号の意味を見落としていました。今回の読書会での新しい発見でした。

−風景−
 「カルボン酸」とは、白い色が似ているので雲の比喩によく使われるそうです。前半の穏やかな光景に対して後半では荒々しい風景へと変化しています。「さっき」と「いま」で、時間の経過があったのでしょう。あるいは、ひばりのダムダム弾が契機となって風景が一変したのでしょうか。「ゐなか風」とはどういう意味で使っているのでしょうか。「ある農学生の日記」の中で、桜の花びらを蛙の卵にも例えており、その俗っぽく古風な固定されたイメージが嫌いだったようですが、そういう気持ちを「ゐなか風」とい言葉に置き換えて蔑んだのでしょうか。この最後の2行は、手入れでは抹消されています。

−習作−
 実験作というような意味で作られた作品。字下げの上部に横書きされた詩は、歌劇『カルメン』の劇中歌「恋の歌」の一節です。この歌詞を口ずさみながら歩き、そこで見えてくる辺りの光景に対する心の声をそのまま表した詩だと思われます。「柘植さん」は農学校の同僚教師。その同僚の口調を真似て、手入れの行き届かない畑を皮肉ったり、そんな自分を客観視している自分がいたり、と、多重層的な賢治の心理が見えて面白い作品となっています。

宮沢賢治朗読物語 その4

 生徒たちと輪読していくときには、わしゃたいてい岩崎書店ちゅうところのな、宮沢賢治童話全集というやつを利用しているんじゃよ。おとなの人らも参加する「宮沢賢治を読む会」でも同じもんを利用しているんじゃ。活字がやや大きくて、なかなか読みやすいんでな。前にも言うたようにじゃな、《光でできたパイプオルガン》では中学3年生になると、その第11巻の『銀河鉄道の夜』を読むことにしているんじゃ。第11巻の中には、あの『グスコーブドリの伝記』も入っているんじゃ。
 たいていの生徒は「こんどはどんな話なんかな……」と軽い気持ちで読み始めよるなあ。それがじゃな、いきなり飢饉飢饉でブドリたちの両親がいなくなるという衝撃的な場面が出てくる話になるわけじゃ。中学3年生ともなると、事態の深刻さがかなり理解できる年齢になっているだけにじゃ、教室は水をうったようにしーんとなる。このときの空気は、何ともいえん。おとなの人らよりもこどもらのほうが大きな不安感をもつみたいじゃな。宮沢賢治は、どこまで計算したんかどうかわからんが、話を読み進めていく上では、ずいぶん効果的なものになっていると思うんじゃなあ。
 もちろんその光景は、話の中でもブドリにとって後の生き方のベースになっているんじゃな。現代っ子たちにとっては、自分が何のために勉強すんのか、何のために仕事をしているんか、ともすると見失いがちな状況があるんじゃが、ブドリの場合は、そこのところがビシーッと一本筋が通っているわけじゃな。
 文章を読んでいくときには、一字一句をていねいに読んでいくことも大事じゃ。それから、書いていることの奥を想像することも大切じゃ。その地方には飢饉ちゅうもんがしょっちゅうあったという話なんじゃが、そういった現実を踏まえるために、わしゃよく太宰治の『津軽』を引用するんじゃ。その中に「津軽凶作の年表」というのが出てくる。知っているかな。その元和元年から昭和15年までのおよそ330年間の記録じゃ。元和元年というのは、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した年じゃ。
 元和元年   大凶
 元和二年   大凶
 寛永十七年  大凶
 寛永十八年  大凶
 寛永十九年   凶
 明暦二年    凶
 寛文六年    凶
 寛文十一年   凶
 延宝二年    凶
 延宝三年    凶
 延宝七年    凶
 天和一年   大凶
 貞享一年    凶
 元禄五年   大凶
 元禄七年   大凶
 元禄八年   大凶
 元禄九年    凶
 元禄十五年  半凶
 宝永二年    凶
 宝永三年    凶
 宝永四年   大凶
 享保五年    凶
 元文二年    凶
 元文五年    凶
 延亨二年   大凶 
 延亨四年    凶
 寛延二年   大凶
 宝暦五年   大凶
 明和四年    凶
 安永五年   半凶
 天明二年   大凶
 天明三年   大凶
 天明六年   大凶
 天明七年   大凶
 寛政一年    凶
 寛政五年    凶 
 寛政十一年   凶
 文化十年    凶
 天保三年   半凶
 天保四年   大凶
 天保六年   大凶
 天保七年   大凶
 天保八年    凶
 天保九年   大凶
 天保十年    凶
 慶応二年    凶
 明治二年    凶
 明治六年    凶
 明治二十二年  凶
 明治二十四年  凶
 明治三十年   凶
 明治三十五年 大凶
 明治三十八年 大凶
 大正二年    凶
 昭和六年    凶
 昭和九年    凶
 昭和十年    凶
 昭和十五年  半凶 
 太宰治が「津軽の人でなくても、この年表に接しては溜息をつかざるを得ないだろう」と書いているんじゃが、ほんまにその通りやと思うなあ。この年表を読んでから、また『グスコーブドリの伝記』を読むというわけじゃ。

宮沢賢治展と宮沢和樹さんトークショー

 11月23日、小澤俊夫(筑波大学名誉教授、小澤昔ばなし研究所主宰)の「昔ばなし大学」を三宮で受講後、新神戸のギャラリー「セカンドグレイス」へ。賢治の会の川崎さん、高槻さんが出品した「宮澤賢治展」があったからです。
 画家としてのお2人は、いつもより緊張感が漂っていました。わたしの他に友田さん、信時さんもかけつけ、川崎さんの孔雀や百合のモチーフが印象的なパステル画、自己投影が印象的な高槻さんの繊細な絵を堪能しました。お2人の絵に共通していたのは、深いブルーとりんご。賢治をモチーフにした表現活動が充実していて、とても楽しまれているようすが絵から伝わってきました。
 3時からは「宮沢和樹トークショー」。宮沢賢治の弟・清六さんの孫で、「林風舎」のオーナーであり、賢治作品の管理と国内外の賢治研究者・愛読者の支援をしている方です。 
 トークショーは、ギャラリーの方が和樹さんにインタビューする形でした。ご自身、小さい頃は仙台に住んでいたのですが、それでも国語の授業で賢治作品が出てきたときは、「わかるはずだろう」と、当てられたことがあったそうです。自宅の本棚には賢治作品や関連書・研究書がずらりならんでいても、読むことはなかったといいます。でも、おりにふれ、家族の中で「賢治さんが」と、自然に話題になっていて、大学生になってからようやく作品と向かい合ったといいます。イギリス留学中は文庫本で全集を持っていって、特にじっくり読んだ時期だそうです。好きな作品は独特のユーモアがある「毒もみのすきな署長さん」「税務署長の冒険」とのこと。
 数年前、宇宙飛行士の毛利衛さんが、清六さんに会いにきたことがあり、その時、「実際に宇宙を見てきました。『銀河鉄道の夜』に描いてあった通りでした。賢治はどうやって宇宙のことを知ったのでしょう」と訊ね、清六さんは、「きっと、見たのでしょう」と話し、とても印象深かったそうです。「賢治という作家は、祖父清六がいなかったら埋もれてしまっていたはずです。祖父を心から尊敬しています」と、話しました。
 おすすめの温泉は花巻の大沢温泉、そして岩手県にある「ケンジワールド」は、宮澤家は許可していないので、賢治ファンの方は誤解しないで欲しいとのコメントもありました。
 「ぼくが、これからもずっと続けたいことは、作品の無断使用や、本来の姿から変えられたり都合よく利用されたりすることから、賢治と作品を守ることです」と力強く話されました。
 花巻から遠く離れた神戸の地で、また、賢治亡き後70年の時を経て、賢治をテーマにした絵を見て、賢治ゆかりの方を迎えて賢治世界が話題になる幸福を、贅沢に味わうことができました。

編集後記

  • 今回の編集会議の場所は、新神戸オリエンタルアベニューで開催された「宮沢賢治展」の会場でした。宮沢和樹さんのトークショーの後の立ち話で済ませることが出来てしまいました(手抜き?)。
  • 誌面の都合上、「タイトル雑録」は省略させて頂きました。「春と修羅第一集」の最終の詩のタイトルです。
    「銀河鉄道の夜」は夏の銀河の旅でしたが、こちらは冬の岩手軽便鉄道の旅です。旅の途上の景色はどちらも負けず劣らずきらびやかです。