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−文責・クねずみ論説委員− 目次
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第38回例会報告−読書会「土神と狐」 |
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2月17日「土神ときつね」をテキストとして読書会をしました。 | |||
賢治百姓真似一笑 その12 |
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時代は今の子どもたちには何が必要だと言っているのでしょうか。宮沢賢治が生きていたら、この飽食といわれる時代に何を訴えるのでしょうか。そんな難しい問いを反芻しながら、きょうも童話を読んだり、あるいは鍬を持ったりしています。
炭焼き小屋のそばは、山の斜面です。子どもたちは、犬の散歩に大はしゃぎ。あっち行き、こっち行き、とうとう道のない斜面を登って行きました。これはかなりの冒険です。山の子はヒョイヒョイと身軽に登って行きますが、町の子はモタモタしています。それでもめったにない経験に興奮気味で、ハアハアいいながら、見晴らしのよいところまで登ったときには、何ともいえないすがすがしい顔をしていました。そういえば、賢治の作品に『台川』というのがありました。確か農学校の先生が生徒たちを引率して道なき道を歩く場面がありましたが、どちらかというとやや地味な作品なのであまり有名ではありません。ただ、そのときの宮沢先生にとっては、とても楽しい時間だったにちがありません。宮沢先生とちがって友田先生は何にも知らないから、草木や石ころについての講釈が全然ありませんでした。30分ほど苦心して歩いて、ようやく炭焼き小屋の裏の道に降りてきたときには、ほっとしました。その道は、実はケンタくんが造ったそうです。ここらでは、「道というものは、もともとあるとは限らない。道がなければ造るもの」なんですねえ。なんという発想といえばよいのか。道のない斜面を歩いたあとだけに、「道というものは、歩きやすいんだなあ」と当たり前のことに感心しました。
いやいや、にぎりこぶしどころではありません。小さな石油ストーブくらいの大きさのさるでも腰かけられそうな、大きなこしかけでしたよ。ただ、賢治はここから例の見てきたようなお話を展開するのです。「あーす農場」付近では、ほんとうにさるが出てきそうです。イノシシやシカはしょっちゅうですし、タヌキやクマも出てきます。まるで賢治童話に登場してくる動物たちの宝庫のようなところです。 | |||
毒もみのすきな署長さんの最後の審判 |
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豊かな水量と水質に恵まれた大河を擁し、多様で多量な魚が棲息し、その魚に関する禁
令が法律の第1条に掲げられているといういかにも平和でのどかな国の物語は、豊かな自然の美しさとは裏腹に警察署長自ら第1条の法律を犯すという、今時の警察不祥事とはケタ違いの悪質な展開となっている。しかしこの悪質な署長さん、疑われると正直にあっさり白状してしまう。尋問に訪れた町長とのやりとりは、ナンセンス過ぎてシュールである。そしていよいよ死刑となる直前には笑って「こんどは地獄で毒もみをやるか」と言い、皆を感服させるほどの徹底ぶりである。床屋のリチキによる、署長さんの毒もみ漁の収支計算では、署長さんは毒もみで殺害した魚で利益を得ているが、彼は決して私腹を肥やすために毒もみをした訳ではなさそうである。「毒もみのことときたら全く夢中なんだ」というセリフは痛快で不気味でさえある。法律によっては死刑という形で裁かれたとしてもなお彼の透徹した心は裁かれ得ていない。皆を感服させた時点では彼は勝利者のようにも見える。果たして地獄で彼は裁かれ得るのだろうか。 | |||
タイトル雑録−文責・クねずみ論説委員− |
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…なんか連日の様に苦情電話が殺到しそうですね。 | |||
編集後記 |
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