会報No.30表紙

会報No.30
−銀の散乱−

目次

  1. 第36回例会報告
    −賢治の献身と野心

    浜下 昌宏
  2. 例会の感想
    立石 ゆかり
  3. 書棚の散歩 第11段
    杉澤 法広
  4. 賢治百姓真似一笑−その10
    友田 清司
  5. タイトル雑録
    杉澤 法広
  6. 編集後記

第36回例会報告−賢治の献身と野心

 賢治に対する私たちの思いは敬意そのものであり、むろん、彼とて人の子であるから幾多の欠点といえるものがあったとしても、彼に対する尊崇の気持ちはおおすじでゆるぎはしない。それほどに、賢治について伝えられてきたことで、彼は私たちよりはるかに厳しい美しい人生を送った人だという思いを抱かせるのである。
 ところが、昨年、平成12年の8月末に花巻で開かれた、第2回宮沢賢治国際研究大会の折に、賢治の最後の手紙にあらためてふれ、私はそこに賢治の「野心」を感じ取り、考えさせられた。それは、私の中の賢治像を一変するようなものではなかったが、彼に対する興味を別の角度からかきたてられることになった。(そのあたりの経緯については昨年の会報25号に書いたので参照されたい。)賢治が死の10日前、1933年9月11日に教え子の柳原昌悦宛に書いた手紙には次のような一節がある。

「私のかういふ惨めな失敗はただ今日の時代一般の巨きな病、『慢』といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと、思ひじぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です」。

 ―献身と野心という対比は、あらためて賢治崇拝と賢治批判という対立図式を思い出させる。賢治を批判したくてウズウズしている者には、賢治の野心が証明されたら狂喜するであろうし、他方、賢治崇拝者には賢治のそうした側面は知りたくないことかもしれない。本研究会でも、賢治および賢治研究者批判論者の傾向について、1999年2月20日の会で澤田由紀子さんが「どんな石を投げるのか―賢治研究批判の様相―」と題して解説してくれたとおりである。要するに賢治に何らかの野卑な心を認めて賢治を貶めようとする論者の態度は、カリスマ・偶像の破壊をこととし、独創・建設の思想が欠落する時代における破壊的批判でしかなく、「天才」「聖人」といった常人を超えた人物の実在を認めない、大衆民主主義的精神の反映である。むろん、賢治と賢治研究、賢治と賢治研究者・崇拝者を区別することは必要である。それは当たり前のことであって議論するところに卑しい心根がうかがえる。すべてにメダルのような両面があって、賢治にも光と闇、明と暗、表と裏、などがあってしかるべきであろう。
 では、献身と野心という対極を立てたとき、それは光と闇のような矛盾対立的二重性を意味するか?<野心〉が世俗的成功や権力への意志を意味し、支配・君臨することへの願望をあらわし、他方、〈献身〉がそれとは対比的に奴隷的自己犠牲・無原則の黙従・主体性なき追従、といったことを意味するとしたら、共に賢治の精神に反する。彼は、信念・理想・確信に基づいて行動し、若い人たちを指導し教育したのであった。むしろ、賢治の献身と野心とは同じことを意味しているのではないか。つまり、献身すなわち自己犠牲は、賢治にとっての野心であり、自己実現・自己超越への方向を取っていた。では、最後の手紙にある「惨めな失敗」とは何を意味するか? 彼は最初から世俗的には"挫折者""落伍者"の道を選んだのであって、〈野心〉とはむろん世俗的成功などといった意味ではなく、いわば預言者的高揚感であって、当初より成功の期待できないものであった。信念と現実との落差が「惨めな失敗」という嘆息となって表現されたのであろう、さながら、磔刑の苦しみの中でのイエスの最後の言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、の愁訴のように。

例会の感想

 以前、例会に関するアンケートで、〈浜下先生の『賢治の献身と野心』について詳しく知りたい〉と書かせて頂きました。今回、それを取り上げていただき、大変感激致しました。前に参加させて頂いたのは、もうすぐ5歳になる娘が、まだお腹の中にいた頃、その頃の事や、学生時代に馴染んだ町並みを懐かしみながら、素敵な名前の学習塾(塾もとても良い雰囲気で、近くならば是非我が子達も通わせて頂きたい!)へと向かいました。
 浜下先生がお話し下さった内容は、とても中身が濃く、私がここで上手くまとめる自信がありませんので、特に印象に残った事をいくつか上げさせて頂きます。
 まず、一つは、賢治研究の今日の成果の前に、いつも賢治とのかかわりをしっかり持って見失わない外国の研究者が多くいることを語られ、浜下先生ご自身もその姿勢を大切にされたいとのこと。神戸宮沢賢治の会はまさしくそういう姿勢の会ですね。
 二つ目は、今回の先生の報告の意図は、賢治研究に対する賛否を止揚することとのことでしたが、賢治自身のみならず研究者に対しても多くの批判が出揃っていることに、驚きました。興味深い内容の本を多く挙げて下さったので、これらは是非読んでいきたいと思っています。中には週刊誌的野心暴露もあるとのこと、賢治研究の時の流れを強く感じました。
 三つ目は、資料として最後の手紙を取り上げられたこと。私自身、賢治という人間に対する理解し難い違和感が残りどうしようもなかったのですが、この最後の手紙は、初めて、賢治を理解できた気にさせてくれたものでした。例会では、賢治の野心とは、『預言者的高揚感』であると語られ、『賢治の野心は献身にあった』という意見も出ました。なるほどと思いつつ、私の関心は、この賢治の心情吐露そのものにあり、こんなにも人間臭い感情を持ちながらも描かれた童話は、とてつもない拡がりを見せるのだなあ、やっぱり天才的作家だなあと思いました。
 日々の暮らしが生活のほとんどを占め、子供の学芸会や、読み聞かせの絵本の中で、時々賢治に触れる程度、そんな私にとって今回の例会は、賢治に没頭していた頃にすっと戻れた、意義深いひと時でした。大切に続けて来て下さったことに深く感謝します。

書棚の散歩 第11段

 のっけから言訳めきますが、今回、あまり本が読めていないのです。そこでエイヤッと目を瞑って本棚から引き出した本について書こうかと思います。
 『宮沢賢治 愛の宇宙』牧野立雄(小学館ライブラリー/91年)。再読しますと賢治さんの『愛』について考察された本です。一般的な周囲に対する『愛』から個人的な異性に対する『愛』まで。
 得てしてこの傾向の本は独善的に陥りやすいのですが、この本は結構公平だと思います。純粋に著者が書いたのは凡そ3分の1、後残りは年表とシンポジウム・対談記録なのですから。無論著者自身の考えも公平そのものなのですが。
 一度目を通されてみてもよろしいのではないか、と。せめてシンポジウム・対談の部分だけでも。

賢治百姓真似一笑 その10

 日本語の文章は、助詞によっては意味が変ることがあります。この文章のタイトル「賢治百姓真似一笑」も、賢治を主語にすると「宮沢賢治が百姓の真似をして、百姓たちに笑われた」(あ)になります。私自身を主語にすると「私が宮沢賢治の真似をして、百姓をしようとしたら、生徒たちに笑われた」(い)になります。また、他の人を主語にすると「ある人が宮沢賢治と似たような百姓をしようとして、世間の人たちから笑われた」(う)ということになります。
  笑いの質も、必ずしも嘲笑ばかりとはいえません。あたたかい微笑かも知れませんし、無視に近い冷笑というやつかも知れません。でも、人が人を笑うときって、笑われている人よりも、実は笑う人自身の人が問われている場合もありますよね。

家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたったひとりですんでいて、午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトの枝をきったりキャベツの虫をひろったりして、ひるすぎになるといつも出て行っていたのです。

 先日、和田山の「あーす農場」に行ったときに、最近本格的に百姓暮らしを始めた青年がいる話を聞きました。以前、いっしょに農作業をしたことのある25歳の青年で、確か二年間ほど学校の教師をしていたとか言っていました。
 学校の教師から百姓へ……これは、まるで宮沢賢治じゃないかと思いました。当の本人は別に宮沢賢治を意識しているわけではなく、そういう生活をやってみたいから始めたということだそうです。私なんか20年以上も塾の教師をして、いい年になってからちょろちょろうろうろと百姓仕事のお邪魔にいっているような状態ですから、その青年の素朴な姿に感心します。肩ひじはらない姿勢を見ていると、宮沢賢治というよりもむしろ『セロ弾きのゴーシュ』のゴーシュって感じです。三毛ねこやかっこうどりやたぬきや野ねずみではないけれど、その青年のところを訪れたい人は、声をかけて下さい。案内させていただきます。
 といっても、まだ家がないんですよ。家を建てる前に、仮の小屋を作ったばかりです。せまいけれども畑はありましたよ。もう10数年前に耕作放棄され、ずーっと耕されていなかった草ぼうぼうのところを無料で借り受けて、ようやく畑にしたそうです。鳥や動物が友だちという毎日だということです。
 さて、私も百姓2年生の秋、がんばらなくっちゃ。9月の末には、コシヒカリ、10月中旬にはイセヒカリの稲刈りをしました。一年前にしたけれど、細かいことは、忘れています。ケンタ先生のかっこうを見て、わらの束を20本ほど腰に結わえて、さあ刈り取ろうかとしたら、そばで不思議そうに見ていたケンタ先生が声をかけました。
「そのわらは、何かのまじない? 刈るときは要らんよ。」
ああそうか、刈り取った稲を束にする作業のとき要るわけで、刈り取りの作業のときに腰にわらがあったら邪魔になります。ちょっと恥ずかしく思いながら、わらを置いて、刈り始めました。1つの束を刈るのに、私はガリガリガリとのこぎりで切るような感じですが、ケンタ先生は一気にザクッです。力の入れ具合が違うんですねえ。妙に感心しながら、牛歩のごとく刈り取って行きました。
 けれども田んぼがじゅるじゅるで動きにくいです。だんだん足がだるくなるし、しばらくかがんだ作業を続けていると腰も痛くなってきます。しょっちゅう腰を伸ばして休憩します。そのときの風景がいいんですねえ。あっちのほうでは、ちえちゃん(15歳)やあいちゃん(11歳)たち女の子組が稲木に稲の束をかける作業をしています。空は青く、収穫の秋というところ。身体で味わっているって感じです。作業よりも休憩のほうが多いくらいです。さ、もうひとがんばり、ガリガリガリ。どろから長ぐつを抜くときには、「よいしょ、こらしょ、どっこいしょ」と声出して、中年らしさを発揮。ひと足抜くだけでもひと苦労。なかなか抜けないぞ〜と力まかせにエイッとばかりに抜きました。スッポーンと抜けたのはよかったが長ぐつはどろの中、靴下の足が宙に浮いたと思ったら、あっという間にどろの中へズブッ。あ〜あ、何をやってんだろうねえ。どろの付いた靴下のままで、また長ぐつの中に足を入れるわけにもいかず、土手に上がって靴下を脱ぎ、裸足になりました。覚悟を決めて、裸足で稲刈りの続きしました。すると足がとても楽になりました。足もとの動きがよくなると、作業も能率が上がってきます。冷んやりしたどろんこの田んぼをまさに肌で感じながら、ようやくその田んぼの稲刈りが終わりました。
 昼からは、前述の青年のところを見に行きました。その後、田んぼに戻ったら、もう稲扱きの作業が始まっていました。モーターの音がノンノンノンノン響きます。『オツベルと象』を思い出しました。

オツベルときたらたいしたもんだ。稲こき器械の六台もすえつけて、のんのんのんのんのんと大おそろしない音をたててやっている。十六人の百姓どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしからこいていく。わらはどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、もみやわらからたったこまかなちりで、へんにぼうっと黄いろになり、まるで砂漠のけむりのようだ。

 そうなんです。わらがたくさん次々にできるんですねえ。それを結わえていくのが仕事なんです。わらでひもを作り、そのわらひもでわらを20束まとめるのです。わらは、やわらかいから弾力性があり、結ぼうともたもたしていると大きくふくらんできます。わらひもをぐいっとひっぱったら、わらひもが解けてしまいます。またわらひもから作り直し、また20束まとめます。何とか結んで、運ぼうとしたら、わらひもが解けてバサッと落ちます。こんなことを10分ほどくり返していたら、げん先生がしっかりとしたわらひもを用意してくれました。20束のわらもひざでギューっと押さえて、かなり小さくしておいてから、結べば余裕ができてきました。わらひも1本、わらたばひとつ作るのにもコツが要るんですねえ。
そういえば宮沢賢治の『車』という作品の中に、わらひもを拾おうとしたら、「だまってもっていくな」というシーンがありましたね。こうして、1本のわらひもを作るのにも苦労をしてみると、賢治のいいたかったことがまた少しわかってきたように思います。賢治童話をより深く理解するためにも、この百姓見習いが役立っているようです。理解する喜び、農作業の楽しみ……1粒で2度おいしいという感じです。

タイトル雑録

…(前略)
黒くもの下から
少しの星座があらはれ 橋のらんかんの夢、
そこを急いで その黒装束の
脚の長い旅人が行き
遠くで川千鳥が鳴きました。

そら中にくろくもが立ち
西のわづかのくれのこり
銀の散乱の光を見れば
にはかにむねがをどります

川が鳴り
雲がみだれ
ぬかるみは
西のすこしの銀の散乱をうつす。

川瀬の音のはげしいくらやみで
根子の方のちぎれた黒雲に
むっと立ってゐる電信ばしらあり。
(後略)…         (「冬のスケッチ」)

 めっきり寒くなってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?筆者は相変わらずと言えば相変わらずの日常です。
 今回、題を採ったのは季節を踏まえて『冬のスケッチ』から。
 銀の散乱…水面に張った氷?それとも霜?いずれにしても自然が私達にくれる美しい光景には違いありません。
 近年、人工的な美の中に敢えて自然美を投げ入れると言うインテリアが増えている様に思います。賢治さんの言葉達は、その現状を予想した、『早すぎた言葉』だったのかも知れません。
 疲れたら、自然の声に耳を傾けてみましょうか。

編集後記

  • 今回の例会では、浜下先生の教え子の学生さんたちも数名参加、華やいだ雰囲気でした。
  • 「賢治の献身と野心」―興味深いテーマでした。過度な崇拝も徒らな批判も無用であるという位置に賢治は在るという気がします。浜下先生が最後に引用されたキリストの嘆き―この嘆きによって、「キリストは畢に人の子にほかならなかった」「この悲鳴のために一層我々に近づいた」と書いたのは芥川龍之介だが、この人間的共感・同感が、崇拝も批判も退けてしまい、彼等の足元を見つめる眼差しを養ってくれるということを改めて考えました。(川崎)