会報No.29表紙

会報No.29
−足りない薬って?−

目次

  1. 第34・35回例会報告
    −グスコーブドリの化学

    南 義一
  2. 「グスコーブドリの伝記」の
    読書会に参加して

    堀 克祐
  3. 書棚の散歩 第10段
    杉澤 法広
  4. 賢治百姓真似一笑−その9
    友田 清司
  5. タイトル雑録
    杉澤 法広
  6. 編集後記

第34・35回例会報告−グスコーブドリの化学

 2回にわたって例会で「グスコー・ブドリの伝記」を読みました。参加者は少なかったのですが、いろいろ疑問も出て、そのたび例の「語彙辞典」で調べ、新発見のつもりになったりしておもしろかったと思います。内容を詳しく報告すべきですが、メモを取っておかなかったので1月もするとあらかた忘れてしまいました。グスコー・ブドリなら自己犠牲というようなステレオタイプはやめておき、ここでは筆者に関心のある化学について2、3、思いついたことを語って場所ふさぎとさせていただきます。
 セント・ヘレンズやピナツボ火山の噴火した頃は、火山が噴火すれば灰が日光を遮断して気候は温暖化どころか寒冷化が起こる、こんなことを知らなかったとは科学者として賢治の恥だというような議論がありました。二酸化炭素の大気圏蓄積が地球温暖化の原因だと騒がれるようになると、賢治はたいした先覚者だったと持ち上げる人が出てきます。どっちもどっち、SFというものはご都合主義のつくりごとだということを忘れているのではないでしょうか。いったい火山の名がカルボナードというのだから、炭酸ガスだけをたっぷり噴くという約束になっているはずです(実際は青空が緑色に濁り、日や月が銅いろになったのだから、灰も大量に噴いたわけではありますが)。Carbonic acid炭酸、carbonate炭酸塩のようなことばが賢治の頭にあったことでしょう。大気中の二酸化炭素の量に平均気温が比例するということは、近頃の発見ではなく当時も知られていたことでした。もっともこれは地球全体の平均気温ですから、イーハトーヴの冷害を防ぐだけのためにカルボナード火山を噴火させるなどは、インド洋の島国などにとってははた迷惑なことだと考えるまでには、時代の目はまだ進んでいませんでした。
 硝酸アンモニアは硝酸アンモニウムというのが正式で、硝安と略される窒素肥料ですが、硝酸にアンモニアを吸収させて作ります。空気中の窒素と酸素を放電によって反応させて硝酸を作る技術は賢治の時代以前に発明されており、工業化された時期もあったと思います。自然にも稲妻が空中で酸化窒素、ひいては硝酸を生成するといわれ、雷が多いと稲の生育がよいというほどです。しかしアンモニアの合成は超高圧の触媒反応で窒素と共に水素が必要なので、空中で実行するのはほとんど不可能ですが、そこはSFだからなんとかなるのでしょう。
 放電のための通路として白い煙を山から山へかけるのは、人工降雨を目的として雨粒の核となるヨウ化銀の微結晶を雲の中に散布する技術が連想され、イオン性結晶が水に溶けて(ヨウ化銀の溶解度は低いので別の塩類を使うのか)電気伝導度を高めると考えたのでしょうか。電源としての潮汐発電とともにじつに壮大な空想です。筆者の少年時代は戦争をはさんでグスコー・ブドリの時代と20年程しか違わず、科学ではほぼ同時代といえます。当時は今以上にエネルギー事情が厳しく、いろいろな自然エネルギーの利用技術の夢があって、『子供の科学』のような雑誌をにぎわせていました。日光・風力・地熱などの利用がその後に実用化されたなか、海流・波浪・潮汐などはいろいろアイデアは出たもののついに本格的な開発がなされなかった難しい問題です。鳴門の渦潮を見ても素人目にはどうして利用できないかと不思議ですが、量は大きくともあまりに薄く広く分布するために経済的な利用が阻まれるのでしょう。
 ところで雲の海の中の放電の色の美しさは読書会でも話題になりましたが、ほかにもサンムトリ火山の金色の溶岩といいカルボナード島の噴火の後の空の色といい、あるいは野原の三色トランプカード、ついでにいえば「ペン・ネンネンネンネン・ネネムの伝記」のクライマックスであるクラレのゆれるサンムトリの裾野の景色など、イメージの美しさは息をのむようです。賢治の本領はやはり科学的知識ではなく、詩人の想像力のほうにあったと思わざるをえません。

「グスコーブドリの伝記」の読書会に参加して

 

 「グスコーブドリの伝記」の読書会に参加して、あらためて集団できっちり読んでいくことの価値を実感した。1回サッとよんだだけではもちろん、何回か読んでも一人では気がつかへんような点の指摘とか、違う視点からの意見とかを聞けて、初めてこの作品の世界が見えてきたような気がする。
 先行する「グスコンブドリの伝記」に比べると、特に最後、ブドリが死んだ後の人々の反応についてはサラッと書くようにしてて、自らを犠牲にした人間を英雄視するんを避けてる、いうあたりはぼくとしては好感が持てる。ただ、一つ強烈に感じたんは、科学技術に対する賢治の無邪気というてもええほどの信頼や。空から肥料を降らせるんも、二酸化炭素を噴出させて気温を上昇させるんも、不作や冷害に苦しめられる東北の農家の生活を見る中で夢見たことに違いないやろけど、「そんなことしてええんかいな」という疑問はなかったんやろか。
 この作品発表より100年以上前の1818年、科学技術の危険性に初めて触れた作品として有名な「フランケンシュタイン」が発表されてる。その映画化が1931年で、おそらく賢治は見てないやろけど、科学の発展が無条件で歓迎されるもんやない、いうことはすでに欧米では認識されつつあったんやないかな。
 もちろん歴史的な限界いうことはあって、たとえば手塚治虫の原子力に対する信頼(なにしろ代表作の主人公の名が「アトム」やから)をもって彼を批判してもしょうがないかもしれん。ただ、ディープエコロジストの論調を見てると、人間のやることにはしょせん限界があるから、とにかく自然にまかせよう、という感じで、ぼくも心情的にはそれに共感するんやが、その立場からしたら賢治の視点はあまりに近代的やわな。たとえば冷害に関しても、本来熱帯性の植物である「オリザ」を東北地方にまで作付けすることについての問題意識はあんまりないようや。近年の研究では、縄文時代の東北地方ではドングリとかを食べてかなりの文化水準に達していたらしい。もちろん長期的な気候の変動とかはあるにしても、江戸時代に押し付けられた米本位制が東北の風土に合わんことははっきりしてたと思うんや。米を作らんかったらあれだけの人口は養えん、いうんはその通りやが、人口が増えた分、飢饉の被害が大きくなる、いうこともあるわけで。
 最近は幸か不幸か、地球の温暖化が現実になって、何年か前の冷害みたいなんはそれこそ例外になって、オリザの減反政策は続いてる。温暖化の要因である二酸化炭素を減らすには、自然の改造やなしに人間の頭の改造が必要らしい。環境を破壊することで人間自身が滅びるとしたら、それも自然の摂理せはあるんやが。で、ぼくの疑問は、賢治の中で佛教と科学技術がどういう形で同居してたか、いうこと。他力を旨とする真宗門徒としては「人間は自然を越えられへんのやから、あんまり無理なことをせん方がええ」いう気持ちが強いが、法華の信仰は自力を強調するようやから、そこに差があるんかなあ。
 ちなみに「グスコーブドリ」いう名前からぼくが連想したんは、親鸞聖人が作った和讃の中の「遇斯光(ぐしこう)のゆえなれば」いう文句。賢治は子供時代には父親の影響で和讃を聞いてたはずやから、ひょっとして頭の片隅にひっかかってたかも、と思うんやが。

書棚の散歩 第10段

  

 所謂文学全集の中に賢治さんが名を連ねている場合、統計をとった訳ではないですが大抵「銀河鉄道の夜」始めある程度の作品が常に収められていて、結果、どれを取っても似たり寄ったり、と言う事があります。
 其の中でこの存在は貴重でした。「ちくま日本文学全集 宮沢賢治」(1991年初版/筑摩書房/文庫版セミハードカバー)。何と言っても選ばれている作品が結構捻くれた選択ですから。
 筆者が面白いと思ったのが歌曲に「大菩薩峠の歌」、童話に「毒もみのすきな署長さん」が選ばれている所ですね。詩は余り裏切り様が無い選択になっていますが(其れでも「雨ニモマケズ」は入っていません)、全体を通してみれば何となく賢治さんの「皮肉」を前面に押し出した様な選択が多い様に見受けられます。
 ……と、言う感想はある程度読んだ後だから抱ける感想でして、購入当時は「賢治さん関係だからとりあえず押さえておこう。収録基準に疑問は残るけど」という感覚が正直な所。今にしてみれば、「買って置いてよかった」と思っていますが。解説を受け持っているのは井上ひさし氏。過剰な持ち上げを避け、さらりと賢治さんを俯瞰して見ている様な感じは、「愛読者」ならではのもの…と言うのは、賢治さん好きの贔屓の引き倒しでしょうか?

賢治百姓真似一笑 その9

  

 宮沢賢治が百姓になろうと考えたのは、いつごろからでしょう。盛岡高等農林学校で農業の勉強をして、農業に関する化学的な知識は身につけていましたが、卒業後にすぐには農業に従事していませんね。私の知っている範囲では、花巻農学校の教師をしていたころからだと思います。大正十四年(一九二五年)、賢治が二九歳のときに、盛岡高等農林時代に出会った親友の保坂嘉内にあてた手紙の中で次のように書いています。

お手紙ありがとうございました。
 来春はわたくしも教師をやめて本当の百姓になってはたらきます。いろいろな辛酸の中から青い蔬菜(そさい)の鞠(まり)やドロの木の閃き(ひらめき)や何かを予期します。わたくしも盛岡の頃とはずいぶん変わっています。
 あのころはすきとおる冷たい水精のような水の流ればかり考えていましたのに、いまは苗代や草の生えた堰(せき)のうすら濁ったあたたかなたくさんの微生物のたのしく流れるそんな水に足をひたしたり腕をひたして水口をつくろったりすることをねがいます。              
 お目にもかかりたいのですがお互いもう容易のことでなくなりました。童話の本(「注文の多い料理店」)さしあげましたでしょうか。

 さて、前回《あーす農場》に行ったときに、「但馬の宮澤賢治」大森さんから『大豆畑トラスト』と題するチラシをもらいました。《あーす農場》の畑の1区画を、自分で耕して自分で植えて自分で世話をして自分で収穫するという一連の農作業をやってみませんか、というわけです。自信はありませんが、「不耕起栽培法」とかいう方法であまり手数がかからないそうで、まあこれも百姓修行のひとつと思って参加することにしました。一連の作業を自分でやるということに意味があるようにも思います。最近、「宮沢賢治を読む会」で朗読した『雪渡り』の中に、次のようなせりふがありました。

四郎が叫びました。
 「甚兵衛(じんべい)さんならじょうるりじゃないや。きっと浪花節だぜ。」
小ぎつね紺三郎はなるほどという顔をして、
 「ええ、そうかもしれません。とにかくおだんごをおあがりなさい。私のさしあげるのは、ちゃんと私が畑を作って、蒔いて、草を取って、刈って、叩いて、粉にして、練って、蒸して、お砂糖をかけたのです。いかがですか。一皿さしあげましょう。」

 何と9つの工程をきつねの紺三郎がしているわけですね。私たち都会暮らしの者は、あとのほうだけ、「お金を出して、買ってきて、パクッと食べました。」というあたりでしょうか。嫌味に受け取られるかも知れませんので、付け加えておきますと、私は「全ての人は、自分の食べ物は自分で作らなければならない」といっているのではないのですよ。食べ物を作る最初の段階から関わるということが、現代生活の中では困難で、それができるということは、ある意味で幸せだなあと思うのです。たぶん大森さんたちもこのへんの喜びを享受しておられるようです。
 その日の作業は、大豆の苗を畑一面に植えました。お日さまカンカン、汗タラリ。腰はイテテテ、鳥が鳴く。普段は施設に入りっぱなしの障害児たちも先生や家族の人たちといっしょに作業しました。いい汗です。それにしても暑いです。午後は、蔭で休んで、たっぷり昼寝。三時過ぎたらぼちぼちと元気回復、作業再開。作業の合間にケンタ先生に言われました。
「来年ここの田んぼを友田さんがやってみませんか。あぜぬりから苗つくりまで自分でやってみてはどうですか。」
「えー、全部自分で? 自信ないなあ。5年間は見習いのつもりだったんだけど。」
「まあ、半年考えといて」
でも、失敗覚悟でやってみるのもいいかとも思っています。失敗は成功のもとって言いますしね。失敗してこそわかることもたくさんあるはずですよね。
 次の日は、東南アジア各国から30名の人たちが見学に来られるそうです。タイ、ネパール、カンボジア、パプアニューギニアなどの青年たちです。彼らにとっては、機械利用の農業よりも手作業中心の農業のほうがよっぽど参考になるという話です。確かに国に帰っても、機械農業のインフラが整っていないでしょうからね。
 日本の都会では、不況不況で不満に不安。農家も多くは、減反減収、高齢化に過疎化。どこも暗い話ばかり。けれども、ここ和田山《あーす農場》には、大地( 英語でアース)に足を踏ん張った青年たちが確かにいます。これが明日への希望の光、そうでなくてなんでありましょうか。今度もまた、元気と勇気をもらってきました。  ただ、都会へ帰ってきたら、腕が日焼けで真っ赤っか。けれども『注文の多い料理店』のハンターたちとは違って、3日もすると元に戻りました。はい。

タイトル雑録

  

 最近、サプリメントなるものが流行しています。医薬品じゃないけど、何か体に良い物、不足している物、日常では補い難い物……そんな名目で錠剤・カプセル・ドリンク類が割と気軽に販売されてます。少し前の言葉で言えば「健康補助食品」と言う事になるんでしょうね。
 ビタミン群もそれらの中に今現在組み込まれている様です。筆者の感覚で言うとビタミン剤というものは余程調子の悪い時に様子を見ながら摂取する物というイメージがあるのですが、最近はそんなに肩肘張らずに摂取しているらしい。隔世の感ありです。
「よく効く薬と偉い薬」の贋金使い大三の求めたのも今で言う所のサプリメントかも知れません。もっとも随分虫のいい話ではありますけどね。要は彼の場合、単なる運動不足なんですから(文章から読み取る限り、です。心理学上の判断は素人故致しませんが)。 第一、運動不足を解消して、頭脳を明瞭にして、胃腸の働きを活発にするそんな万能薬的なサプリメント、寡聞ながら聞いた事はありません。
大三のお医者さんの虐め方も本当にサプリメント狂いの人と似た感じです。どう転んだって相手は体のプロなのに、少々聞き齧った意見で自分の「我儘」を押し通そうとする…「薬」じゃないのだから多少の取りすぎも大丈夫なんだと、むしろ体に良い物なんだから沢山摂れば良いと盲信して他者の意見を聞かない。
 大三の末路は、そう言う盲信の果てという気がして、一概に笑えない様な気がします。ご用心ご用心。

編集後記

  
  • 今情報は明らかに「質より量」です。氾濫する情報はほとんど一方的に頭上を通り過ぎていくように思われます。そんな中で、自分の求めている情報を的確に手に入れるのは並大抵のことではありません。ましてその情報を吟味し咀嚼するというようなところまで至るにはとても時間が足りないような気がします。しかしこれだけの情報が氾濫している時代だからこそ、ひとつひとつの検証が必要ではないでしょうか。情報の「量より質」を可能にすることは個人の努力に委ねられています。

  • 略/あゝこゝは五輪の塔があるために/五輪峠といふんだな/ぼくはまた/峠がみんなで五っつあって/地輪峠水輪峠空輪峠といふのだろうと/たったいままで思ってゐた/地図ももたずに来たからな/そのまちがった五つの峯が/どこかの遠い雪ぞらに/さめざめ青くひかってゐる/消えようとしてまたひかる/このわけ方はいゝんだな/物質全部を電子に帰し/電子を真空異相といへば/いまとすこしもかはらない/宇部五右衛門が目をつむる/宇部五右衛門の意識はない/宇部五右衛門の霊もない/けれどももしも真空の/こっちの側かどこかの側で/いままで宇部五右衛門が/これはおれだと思ってゐた/さういふような現象が/ぽかっと万一起るとする/そこにはやっぱり類似のやつが/これがおれだとおもってゐる/それがたくさんあるとする/互ひにおれはおれだといふ/互ひにあれは雲だといふ/互ひにこれは土だといふ/さういふことはなくはない/そこには別の五輪の塔だ/略 (「五輪峠」)

    略/五輪は地水火風空/空といふのは総括だとさ/まあ真空でいゝだろう/ 火はエネルギー/地はまあ固体元素/水は液態元素/風は気態元素と考へるかな/世界もわれわれもこれだといふのさ/心といふのもこれだといふ/いまだって変らないさな」/雲もやっぱりさうかと云へば/それは元来一つの真空だけであり/所感となっては/気相は風/液相は水/固相は核の塵とする/そして運動のエネルギーと/熱と電気は火に入れる/それからわたくしもそれだ/この楢の木を引き裂けるといってゐる/村のこどももそれで/わたくしであり彼であり/雲であり岩であるのは/たゞ因縁であるといふ/そこで畢竟世界はたゞ/因縁があるだけといふ/雪の一つぶ一つぶの/質も形も速度も位置も/時間もみな因縁自体であると/そう考えると/なんだか心がぼおとなる/ 略  (「五輪峠」異稿) われやがて死なん/今日又は明日/あたらしくまたわれとは何かを考へる/われとは畢竟法則の外の何でもない/からだは骨や血や肉や/それらは結局さまざまの分子で/幾十種かの原子の結合/原子は結局真空の一体/外界もまたしかり/われわが身と外界とをしかく感じ/これらの物質諸種に働く/その法則をわれと云ふ/われ死して真空に帰するや/ふたゝびわれと感ずるや/ともにそこにあるのは一の法則のみ/その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり/そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず/菩薩を信ずる事を以て仏を信ず/諸仏無数億而も仏もまた法なり/諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり/帰命妙法蓮華経/生もこれ妙法の生/死もこれ妙法の死/今身より仏身に至るまでよく持ち奉る(「一九二九年二月「疾中」)
  • <れらの詩の文面からみるところ私には賢治の飛躍だと思えるのですが、賢治にとってはこのように宗教と科学を結び付けることが可能だったのではないでしょうか。 "近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致 "(「農民芸術概論綱要」)で以て。
    なんだか支離滅裂の編集後記になってしまいました。(川崎)