会報No.26表紙

会報No.26
−K団設立主旨−

目次

  1. 第30回例会報告−読書会「銀河鉄道の夜」PART4
    川崎 貴
  2. 第31回例会報告−宮沢賢治の色彩表現
    高槻 のぶ子
  3. 例会に参加して
    澤田 直見
  4. 書棚の散歩−第7段−
    杉澤 法広
  5. 賢治国際大会報告
    浜下 昌宏
  6. 自己犠牲のいかがわしさ
    堀 克祐
  7. 賢治百姓真似一笑−その6
    友田 清司
  8. タイトル雑録
    杉澤 法広
  9. 編集後記

第30回例会報告−読書会「銀河鉄道の夜」PART4

 昨年10月22日に行われた第30回例会では、「銀河鉄道の夜」の第4回目の読書会として、テキストーちくま文庫版「宮沢賢治全集7」p.282-4行目から「銀河鉄道の夜」最後までを読み進みました。前回までと同様、参加者それぞれに気付いたこと、感じたことなどを話し合いました。
 まず、いつの間にか六千尺(1.6q)もの断崖の上を汽車は走り、インディアンが唐突に登場します。コロラド高原、インディアン…といったアメリカ的イメージの中で、インデイアンが弓で射た鳥が鶴という東洋的なものであるという違和感。また、「…汽車は決して向ふからこっちへは来ないんです」という老人のことばに、「この銀河鉄道はやはりあの世行きなのだ」という指摘がありました。「星のかたちとつるはしを書いた旗」というのは「旧ソ連の旗をイメージしているのでは?」という疑問に対して「これは工事中の看板で、実際に見たことがある」という意見が出ました。
 蠍の挿話の件に関して自己犠牲のテーマが出ており、自己犠牲という概念が好ましくないというような意見も出ましたが、それに対して「自己犠牲だけをとらえて、よいとか悪いとか、好きとか嫌いとか言っても不毛ではないか。他の人の不幸な現実を前にした状況で、ひとつの対処の姿勢として、自己犠牲的行動が出てくるのだから、やはり多くの人の心を打つのではないだろうか」という声もありました。
 「ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ」というジョバンニの言葉に、キリスト教と法華経の思想の違いが出ているという指摘や、"僕の先生"とは誰のことなのかー学校の先生でもなさそうそうだし、ブルカニロ博士なのかーという疑問もありました。"電気栗鼠"という言葉について、賢治独特の観察表現で、リスのチョロチョロ動く様を電気栗鼠と喩えた、との指摘。「あすこがほんたうの天上なんだ」というカムパネルラの言葉の"ほんとうの天上"とは、天国のことなのか、現世のことなのかという議論は、カムパネルラのお母さんが亡くなっているのかいないのか、ということも関連して意見が分かれました。
 眼を覚ましてから、銀河めぐりを経る冥土への旅の長い夢だったと思われたのが、「そらぜんたいの位置はそんなに変わっていないようでした」とあるように、極く短い時間の経過だったこと。最後段でのカムパネルラのお父さんの「あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね」という言葉の意味の不可解さ。一連の彼の言葉の冷静さや不自然さから、邯鄲の話とかの、現実→夢→現実の展開とか、能からいろいろ取り入れているようで、登場人物も能の感じを出しているのではないか」という考えもありました。
 この作品は四次稿までの複雑な成立過程もあり、脱稿されていないこともあって、疑問の多い作品ということになっていますが、なにしろ壮大な宇宙を舞台に盛りだくさんに散りばめられた物とイメージの氾濫に読者が幻惑されてしまう、ということも謎を深める一因となっていないでしょうか。

宮沢賢治の色彩表現(レジュメより抜粋)

 「はじめに」
  (略)
賢治の文章のあちこちにちりばめられた色彩表現は、特別な意味をもって輝き、文章の知的リズム(響きというか、こちらの意識を広げたり縮めたりするものを、わたしはこう呼んでいるのだが、四次感覚と言えるものかもしれない)に、より貢献もしている。ただ形容としての表現でなく、色字体が独立していると言える。象徴としての色でもある。賢治の色彩に対する感覚が鋭いと言ってしまえばそれまでで、それはただの事実に過ぎず、「あらゆる透明なゆううれいの複合体」―春と修羅(序)にうたった賢治の現代感覚を掘り起こす手助けにもならない。賢治の作品における色彩は、色彩表現を含んだ賢治の視覚に焦点を当てることになる。しかも透明な視覚である。まず作品の中から美しいと思えるもの、響きを感じとれるような色の表現を拾い集めることから始めてみようと思う。その表現が賢治の心象スケッチの中でどんな位置にあるのか、又幻想感覚とのかかわりはどうだったのか、実際の生活の中で、農業、石っこ賢さんと呼ばれた地質学において、大地の輝き、原石の中の美しい色の表現、それら太古からの時間の中に、四次元を色彩として感じとる賢治の才能を見ていきたい。

「心象スケッチと色彩感覚」

 私たちが使うスケッチという言葉は素猫を指すが、賢治のスケッチは言葉の広がりによって象徴を繰り返し、景色でなく異空間(幻視)と時間の流れを描いている。
  (略)
―まことのことばはうしなわれ、雲はちぎれてそらをとぶー
 これを解説して《ふいに天上から詩の中に降り立ったようなこの句は賢治にとって言葉がすでに光であり、光へのロゴスであり、光からのうながしであることを語っている》(「明るさの神秘」宇佐美英治著)
 まさにここに書かれたように、わたしは色彩の前にまず光があることを感じてしまう。
   (略)
 光の描写に関して美術史では印象主義が筆頭に上げられるが、後期印象主義にかけて「絵画によるオブジェの消滅」が言われる。写実主義を完成させようとして写実主義を破壊したといえる。オブジェ(実体)の持つ形、材質、置かれた状況、位置、時間・・・もろもろの物を抱え込んで深層を象徴するイメージの世界に突入する。賢治はその光に照らされた実体にさまざまな象徴の網をかぶせながら、写実に徹した(こういう言い方ができるとすれば)とわたしには思える。賢治はイメージの世界に入り込まなかった。賢治の個性は言葉をつきつめていかなかった。むしろ解放していったと思える。
 賢治の絵を描こうとした時私は青色をおいて他にないと思った。青色のバリエーションは最大であった。時間の流れ、水の流れ、宇宙の流れ、空間の流れ、異次元の流れ、はこの色以外にない。
    (略)
 板谷栄城著「宮沢賢治の、短歌のような」の中に
―賢治のかなしさ、さびしさといった言葉には我々の感じる悲哀感や寂寥感といった感情だけでなく、青色の色を持った冷澄な流動感とでもいった不思議なしかもきわめて美しい感覚が付随しているように思われるー
 とあるが、この流動感をわたしは強く感じる。そこにとどまらない、静止しない、流れていく時間、作られていく空間のようなもの、リアルタイムの異空間、それはあるようなないような、しかし賢治はそれを物理的に存在する空間(幻視)として描いたと思う。
 青の空間性について、奥山氏(奥山文幸著「春と修羅論」)も「女」を例にあげて述べている。
―青くみえる→深く見える→ゆらいで見える、というたたみかけは(文中の)ひのきのゆらぎばかりではなく《地》へと反転しつつある《図》のゆらぎの強調であり、空間性の強調であるー
 青の空間性ということで言えば、アルベルティであったかダビンチであったか、どちらも言っていたと思うが、「絵画論」の中でー色彩の遠近法について、空気の表現として重ねられていく青―のことを書いている。空気というのは時間に伴う空間表現であり、四次元の表現でもある。情景としての青でなく空間としての青を述べている。
    (略)
 わたしが一番すきな青は、詩「薤露青」の透明な青である。流れていくこれ程美しい青は外にない。心の中にありながらはるか宇宙まで重ねられていく青。わたしは太古に生きていた気がする。

  「地質学と色彩表現」

 賢治が石っこ賢さんと呼ばれて鉱石の採集に夢中になったことは誰でも知っているし、原石を磨く仕事に就こうとしたこともあったという。豊かな自然体験の中で採集した石を光にかざして見るとき、その気の遠くなるような地質学的時間を感じることは、賢治でなくてもできそうである。
   (略)
 奥山氏のー春と修羅における「琥珀のかけら」についてーの中で琥珀を朝の光の形容として、他の例をあげながら言及しておられる。琥珀のやわらかさと不透明ないろ、化石とは信じがたいがその質感はやはり地質時代の空気を運んでくる。光と陰のその光ではなく、やはり朝の光だろうか。賢治がこの「琥珀」ということばを使う時、その濁黄色とともに太古のはなしに耳を傾けたくなる。賢治もこの美しい化石にはるか太古の時間空間をたくしていたかもしれない。 (略)

 「賢治の文体と現代絵画」

 賢治の詩が昨今どのようにビジュアル化されているかみてみると、まず気がつくのは子供向け(そういう明確な区別があるのかどうかわからないが)の本の中にもコンピューターグラフィックを駆使したような絵本も多い。これは絵画におけるメタファ表現だと思うが、絵画でいう一種のコラージュである。ご存知のようにコラージュというのは現代絵画表現の中に位置している。平面におけるいろんな方法を使って、あるいは様々な違うものを持ち込んでイメージの連鎖反応を見るものに与える。これは賢治の表現と似ていると言えるのではないか。新しい文字というか、新鮮なことばというか、それらの組み立ては視覚的にはあたかもそのようなものが目の前にちらつく。そしてわたしを際限のない知的なファンタジーの世界に誘い込む。知的なというのは情緒的でないと言う意味で、より具体的である。現代絵画における抽象画は具象画ではないが、自分との関係においてそのものの本質を知ると言う点において、より具体的ではある。しかしその象徴の塊は出口のない深層世界にもぐりこむことになり、シュールリアリズムに至っては見るからに精密に描かれたそのものが、何か別の方向に向かうための手段である絵画表現となってしまう。賢治の詩はそのようにおそろしくはない。賢治の鹿は鹿であり、鳥は鳥であり、何かのメタファではないのである。それは賢治自身の自然観によるものか、宗教観によるものかはわからないが、そのひとつひとつの存在には明らかな命がある。
 虹や月あかりからもらったと言うふうに書く賢治ですが、「あらゆる幽霊の複合体」と自分のことをうたった賢治自身の矛盾の中から、作品が生まれたことはたしかだと思う。そのことこそ、賢治の新しさであった。文学も絵も、自分と他人とそして自然との関係のなかに生まれ、進んでいくことこそ現代的である。色彩に意味を持たせた、そのことも現代的といえるのではないか。寒色であるとか、暖色であるとかいわゆる共通の感覚はただの事実としての広がりしかないが、賢治の使い方はそれとは別のものである。違うものを持ち込もうとしているとわたしには思える。視点を変え、理解しがたい象徴をモザイクのようにきらめかせながら、ほうずきの中身をやっと出した時のような意識の転換を与えてくれる。


 高槻さんの発表の後、前回まで4回にわたり読んできた「銀河鉄道の夜」の総まとめの時間を持ちましたが、賢治の他の作品はともかく、この作品に関しては「楽しんで味わいながら読めばいい」という意見と、「賢治のメッセージを汲み取りたい」という意見に分かれがちでした。いずれにしろ今回の読書会では、複数の目と耳で受け取った情報を交換し合うことで、今まで何となく読み過ごしていた細部にまで注意が向けられ、実り多かったことと思われます。初参加の澤田直見さんが持ってきて下さった香ばしい手作りパンをほおばりながら、堀克祐さんの現代風刺の利いたベープサート「オツベルと象」や、これまた澤田さんのほのぼのと心暖まる写真とイラストと詩の作品集を鑑賞したりもしました。閉会後は近くの焼き鳥屋で忘年会をしましたが、話し込んで注文するのをすっかり忘れていた、という一幕もありました。(川崎)

例会に参加して

 昨年の暮れ、そちらの会におじゃましました澤田直見です。
 今回友田さんより「一言感想など…」との依頼を受け、今、ペンを持っては「う〜ん…」とうなっています。その節は賢治について恥ずかしい程何も知らない私を快く受け入れて下さってありがとうございました。
 絵と呼べる程でもない小さな絵と詩と呼べる程でもない短い文、趣味の域を決して出ない腕前の写真などで作った作品を見て、友田さんは「賢治の視点に近い人」とおっしゃいました。また、ある人からは「金子みすゞの様な感性」と言われました。もったいない限りです(笑)。私はその人達のことをあまり知らないけれど、「自分の好きな人に似ている」と言われるようなものでうれしく思います。ただ、元来怠け者の私はその作者の深い思いを追求していくことはできそうにありません。偉大な人の残した偉大な作品は、大地にどっしりと根をおろした大木のようです。私達はそれを色んな角度から眺めることができるのでしょう。同じ自分という人間が見ているのに、その時によって、大木はおどろく程その姿を変えるように思います。それがとてもおもしろい。自分を写す鏡は意外な所にたくさんあるものですね。自分自身、作品作りをしていて思うんです。私のはきっとまだまだ小さい苗木でありますが、それでもそれを作った時から時間をおいて、もう一度読み返すと「ハッ」とすることがあるのです。自分が作者であることと同時に読者でもあることを感じる瞬間…1粒で2度おいしい、とでも言おうか…(笑)。
 私は今沖縄伊江島という所に来ています。今日はポカポカ陽気で、お陽様の光を心地良く感じながら、これを書いています。ここでは脳性マヒの重い障害を持ちながら、大きな心を持ち、温かい絵を描かれる木村浩子さんという方と10日余りの間一緒に過ごします。そう言えば賢治の「雨ニモマケズ」の詩の中に似たような件があったでしょうか。こんな風に無理矢理賢治とこじつけて、とりとめのない長々とした文をお終いにさせていただきます。ここはとっても良い所。浩子さんのアトリエのすぐ横には、彼女がオーナーをつとめている「土の宿」という民宿もあります。みなさんもぜひ1度足を運んでみて下さい。世界平和を願うやさしい風が吹いています。ちなみに私の絵の中に出てくる小さな花は、浩子さんがモデルです(笑)。
 それでは、またお会い出来る日を楽しみに…

書棚の散歩−第7段−

 不摂生をした訳でもないのに前回の例会では見事に体調を崩してしまい欠席してしまいました。お恥ずかしい。今年の風邪はどうもいけませんね。油断していると不意に辻斬りをされそうで。
 今回のご紹介は割に正統派、かも知れません。
 「謎解き・風の又三郎」天沢退二郎/丸善ライブラリー、1991年初版です。今まで何故紹介しなかったのか?…すみません。本棚の奥に埋もれていたんです。其の上2、3回しか読み返していません。それでも紹介するこの根性の悪さ!でも内容は良いので読んで頂きたいと思います。
 この本は徹頭徹尾「風の又三郎」の謎解きに終始します。其の第1歩、『風野又三郎は風の又三郎か?』。天沢さんは言います。「『風の又三郎』という物語は無い」と。其の真意は何処にあるかといえば、賢治さん自身が「風の又三郎」という物語の題名を考えたのではない、と言う事です。では、この物語を賢治さんは何と呼んでいたか。「風野又三郎」です。その辺の謎解きから始まり、丹念に、あの「全集」構築よりも更に丹念とも思える手法で「風の又三郎」という物語の孕む謎を追ってゆきます。
 もしも次回の輪読素材が「風の又三郎」に決まったら…この本を是非読んで頂きたいです。研究書、と言うほど堅苦しくはありません。でも、大いに読み応えはある、と確信していますので。

賢治国際大会報告

 賢治研究を〈学問〉にしないために
――第2回宮沢賢治国際研究大会の報告――
 平成12年の夏、8月25日から27日にかけて第2回宮沢賢治国際研究大会が開かれました。むろん、花巻に於いてです。第1回が4年前の1996年でしたから私の花巻訪問はそれ以来ということになります。会場では発表者の澤田さん、森本さん姉妹に会いました。むろん、神戸の仲間だけでなく、多くの"賢治仲間"にも。私が何故国際研究大会を選んで花巻に行くかといえば、海外の研究者から賢治とその人生・作品に対する、ある意味で素朴で真摯な態度(原点であるべき)と想いを学ぶからです。今回も私としてはかなり熱心に発表を聴きました。記念講演のヴァールマ(インド)、山折哲雄、サカイ・セシル(フランス)の3氏の話もそれぞれに興味深いものでした。ヴァールマさんによれば、「阿修羅」とはサンスクリットの「ア(=no)・ソラ(=God)」から由来して「demon」の意味が原義であること。また、サカイさんはフランス語による賢治の翻訳が多種多様にさかんであることを話されました。研究発表のすべてについての感想・報告はここでは省きますが、海外の発表者から学んだことは、国によって賢治作品に対する選好のちがいです。たとえば、インドのアブラハム・ジョージさんによれば、インドでは「よだかの星」が好まれ、その理由はカースト制度に今なお苦しむインド社会に生きる人にとって、「よだか」が差別に耐えて、復讐に心を向けるのではなく、自分が犠牲になっても世界全体の平和と幸福のために尽くそうという昇華の精神に惹かれるからのようです。韓国からの崔博光(チェ・パッカン)さんの話では、韓国人の間ではその苦難の歴史に耐えてきた体験ゆえか「雨ニモ負ヶズ」の詩が人気とのことです。さて、国際研究大会の前日の24日には「宮沢賢治国際フェステイバル2000」というイベントが開かれ、花巻市内の小中学校や公共施設で総計34の講演や演奏が披露されました。私はその中から特に王敏(ワンミン)さんの話を聴きに出かけました。「北守将軍の夏」と題されて、中国史を説明されながら賢治の作品に見られる構想について解釈を示してくれました。中国の地理や中国史のみならず中華主義の伝統や漢詩の世界など、博学を根拠に考証と解釈をみごとに展開された王さんの講演は、それだけで花巻に来た甲斐があったと思えたくらいにすばらしいものでした。たとえば、将軍が凱旋する「ラユー」は中国仏教が最初に栄えた洛陽のことであり、「白い馬」には「白馬寺」への連想を促し尊い馬の意味が込められているだろう、などといった説明は、賢治作品の深さを改めて教えてくれるものでした。私などは、賢治を介してアジアへのもうひとつの道がつながるのではないか、と考えました。王さんの研究は、日本人の研究者特有の文献・書誌の詳細な調査に基づく研究と比べると、聴く者に想像力と世界の広がりとを示唆してくれ、賢治の思想的深さをより解明してくれるように思われます。以上のような研究発表以外に、全国の賢治研究会(賢治ファン?)の集いも開かれ、ネットワークつくりに一歩前進しました。そのネットワークがどのような成果を生み出すかは今後の活動次第でしょう。地域によっての個性もあって、かんたんなパーテイはなかなかに愉快でした。組織してくださった、東京の宮沢賢治研究会の宮沢哲夫さんをはじめとする方々の尽力に感謝したいところです。最後に、個人的な思い出など。時間を見つけてイギリス海岸へ行こうとしたところ、途中で道がわからなくなり、通りかかったご婦人に聞いたところ、私もそちらの方向へ行くというので連れだって歩き始めたのですが、賢治のことが話題となり、ちょうどイーハトーブ館で展示されていた、書家の石飛博光(いしとびはっこう)さんによる賢治の最後の手紙のことにふれ、その婦人いわく、「あの手紙を残してくれたおかげで私たちの賢治のイメージがまた変わりましたね。読んでいて涙が出てきました」。賢治が死の10日前、1933年9月11日に教え子の柳原昌悦宛に書いた手紙には次のような一節があります。「私のかういふ惨めな失敗はただ今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です」。今年の花巻はとても暑い夏でした。10月に大阪のYMCAから講演を頼まれていたので、上記の手紙を引きながら「献身と野心」という題で賢治について話をしました。

自己犠牲のいかがわしさ

   「銀河鉄道の夜」を読み返して、「自己犠牲」いうことについて考え直してみた。一般に自己犠牲いうたら「正しい、美しいこと」と受け取られがちやけど、ぼくはそうは思わん。賢治ファンの中にも、自己犠牲的テーマはあんまり好かん、いう人はおるようや。見田宗介は「賢治は倫理的恫喝に弱い」て書いてる(「おまえはそれでええんか」といわれると、よう開き直らんわけや)し、自己犠牲には確かに快感が伴うから、一種のマゾヒズムとも言えるやろ。ジョバンニなんか、自己陶酔してるわな。これは作品論やなしに、自己犠牲いう観念に対する意見として読んでほしいんやけど。
 たとえば、さそりが「いたちに食われてやったらよかった」と思うエピソードは、ジャータカ(釈尊の前世譚)にある「捨身飼虎」(飢えた虎に我が身を食わせる)の影響を受けてると思うけど、ぼくはあれは「そうするのが正しい」いうわけやなしに、布施の重要さを語るためのたとえ話やと思うんや。本来、布施いうんは、与える方も受ける方も、何も意識せずにサラッと行わんと意味がないんで、〇〇のために、いう意識が入ったらその瞬間に濁ってしまう、とぼくは教わってきた。
 ぼくがこないに自己犠牲を警戒するんはもちろん戦争中のことを考えるからで、「国のために命を捧げろ」と洗脳してたずるい人間が、他者の犠牲の上に利益を得てたわけや。戦後はその反動で、自己の利益だけを追求する傾向がでたかもしれんけど、人間が自分の利益を求めるんは当たり前で(佛教的には「迷い」なんやけど、それはおいといて)、お互いの利害がぶつかった時に話し合いで折り合いをつけていこう、いうんが民主主義の理念やわな。もちろん日本では政治分野でさえ民主主義は未成熟やし、まして経済競争の戦場では話し合いなんか通用せん、いう声もあるやろけど、大多数の庶民は、相手を抹殺してまで利益を得よう、とは思てないはずで、自分も相手もやっていけるようなほどほどの関係を望んでると思う。アメリカ流の情け無用の競争を煽る人々(天下国家を論じたがる人々もある)は、またぞろグローバリゼーションとかの美しい言葉で人をだまそうとしてるけど、そういうのにだまされんために、自分の身の丈から考える姿勢が必要なんや。
 ぼくは、国とか人類とか、そういう抽象的なもんのための自己犠牲は、観念的なだけにおかしな方向に流れる危険が大きいと思う。人類全体のことを想像するんが無駄やとは言わんけど、それほんまか?と常に問い直す必要があるやろ。宮崎学(「突破者」などの著者)のいうアウトロー美学では、目の前におる人間との関係を何より大事にするそうで、人数の多少(一人より九十九人)とか、その人との関係(他人より身内優先)とか、そういうことを考えたらもう不純、いうことになる。成り行きや勢いで命を捨てるんがカッコエエかどうかは美意識の問題やけど。
 「ほんとう」いうことについても一言。真善美の三つの価値のうち、善は倫理、美は芸術、そして真は宗教・哲学の領域や。科学も、真理を追究しようとして、時に「科学信仰」となって宗教とぶつかってきたけど、本来科学の守備範囲はごく限定されたもんや、いうことは忘れたらあかんと思う。たとえば人間にとって最大の問題である生死をどう考えるか、いうことについては科学はほぼ無力(わかってるのは肉体の機能のみ)で、死について何千年も考えてきた宗教の蓄積はやっぱりバカにならんやろ。で、「ほんとう」のことに目覚めたら、自他の境界がなくなるはず(それが涅槃=ニルヴァーナの境地やろ)そうなったら「自己」犠牲いう言葉の意味もなくなる、いうんがぼくの理解や。
 中沢新一によると、チベット佛教の修行は、「修行は必要ない」いうことを知るための段階としてあるんやそうで、それと同様に、「〇〇のため」いうことを超越する前段階として「世のため人のため」に活動することを否定はせん。ただ、多少なりとも継続的にボランティア活動やってる人間にとっては「すべて自分が好きでやっている」いうんは共通認識になりつつあると思うけどな。ボランティアを「奉仕」と訳すんは明らかに誤訳で、ぼくは「有志」いうんが一番近いと思う。「志がある」いうんはええ言葉やないかいな。

賢治百姓真似一笑 その6

 ぼちぼちと百姓の仕事を教えてもらいたいと考えていましたが、今年はシーズン前からいきなり農作業の手伝いが必要な事態になってしまいました。私の妻の父(私の子どもたちからいうとおじいちゃんなので、以下「おじいちゃん」と書きます)が、三田(兵庫県、神戸から北へ自動車で1時間)で農業をしているのですが、3月に急に入院しなければならないことになりました。おじいちゃんがいなければ、今年は米づくりができないかもしれないというピンチな状況になりました。おじいちゃんは、農業が唯一の楽しみという感じの人で、できるだけ作り続けたいという気持ちを強く持っていました。それで、入院期間がそんなに長くはならないだろうということから、とりあえず例年通り作る予定だということです。こんなことなら、私の百姓見習いをもっと以前からしておけばよかったと思いましたが、今さら後悔しても間に合いません。桜の咲く頃、有馬富士と呼ばれている山の見える病室で、今年はできるだけ、手伝わせてもらおうと思いました。

  東ニ病気ノコドモアレバ
   行ッテ看病シテヤリ
   西ニツカレタ母アレバ
   行ッテソノ稲ノタバヲ負イ

 意識して真似をしようとしているわけではありませんが、似たような感じになってしまいました。問題は、農業の「の」の字も知らないのに、はたして手助けになるかどうかです。全く、自信はありません。ほんと気持ちだけというところです。
 おじいちゃんは、体調は順調に回復し、4月下旬には退院できるようになりました。退院したら、さっそく田ごしらえの仕事です。三田の米づくりは、ほとんどが機械によるものです。だから、まず機械の動かし方を覚えなければなりません。4月31日、トラクターに初めて乗せてもらいました。「鋤く」という作業です。「くろかき」とか言っていました。レンゲ草などの生えている田んぼをトラクターで掘り返して行きます。ゆっくりとしたスピードですが、手作業と比べるとずいぶん速いものです。だいたいから腰が痛くなりませんし、手にまめができたりしません。ただ、方向転換のときがなかなか要領がつかめなくて、もたもたしました。それでも自動車の運転をしているから、ハンドルさばきに関しては、それほど苦労はしませんでした。
 トラクターをはじめ、農作業の機械は便利なものですが、機械代が高いそうです。 高価な機械のわりには、使用期間は1年のうちでほんのわずかな期間なのです。トラクターは田ごしらえの時期だけ、田植え機は田植えの時期だけ、草刈り機は草刈りの時期だけ、コンバインは稲刈りのときだけ。当たり前といえば当たり前なんですが、何種類もの機械を使うと、ほんと機械代がたいへんです。確か、小学校5年生の社会科で「機械化貧乏」ということばが出てきました。教科書の中での話ではなく、多くの農家の現実の話なんですね。
 和田山の《あーす農場》場合は、数少ない例外のようです。最近は「自給的農家」という呼び方で、「販売農家」の統計から外されてしまっています。
 農業の好き嫌いにかかわらず、若い人たちが農業を後継しない理由のひとつが「機械化貧乏」農家増加の現状ではないでしょうか。また、米が余る時代になって、需要量と供給量のバランスを確保するために、生産調整の必要が出てきています。減反の割り当てがあり、休耕田にしなければならない田んぼがどんどん増えてきています。一軒あたりの収穫高はだんだん減ってきている状態なのです。多くの若い人たちが農業をしないのも当然の結果といえそうです。こうして農業をする人の年齢がだんだん高齢化していきます。おじいちゃん世代の人たちが年老いてくると、肉体面で農作業が苦しくなってくるので、機械に頼る割合が増えてきます。農業の発展とは逆の悪循環ですね。
 このあたりの事情は、宮澤賢治の時代と違いますね。宮澤賢治の時代にも百姓を嫌がる人たちがいたようですが、現在はもっと深刻に多いのかも知れません。こんな時代に、農業の経験のない者が「みなさん宮澤賢治を見習って、百姓をやりましょう!」などと言っても、だ〜れも耳を傾けてくれないでしょうね。まさに一笑に付されるのが関の山というところですかね。
 さて、百姓見習い1年生の農作業の話に戻りましょう。1回目の鋤く作業「あらすき」をして、2回の鋤く作業「くろかき」をしたら、その後に田んぼに水を入れます。3日くらいかけて、田んぼに水が沁みこんだころに、3回目の鋤く作業「しろかき」をします。言い方は、これでいいのかどうか、ちょっと自信がありません。機械による田植えの場合は、とくに田んぼを平らに平らにしておかなければ、植えた苗が浮いてしまったり、どろの中に埋もれてしまったりするそうです。そのために、「しろかき」の後には「いたひき」という作業があります。これは熟練が要るのでおじいちゃんが全部しました。
 そして田植えです。苗は、JA(農協)から購入したものをしばらく置いていました。30cm×60cmくらいの長方形のプラスチックの皿に、苗がぎっしりあります。1皿何百円かするそうです。最近では、多くの農家が苗を購入するようになってきているそうです。ここでもお金がかかっているのです。
 田植え機による田植えは速いものです。シャカ、シャカ、シャカと機械が上手に植えて行きます。私が植えているというよりも、機械が植えている感じです。植えた跡がゆがんでいるのは、機械がゆがめたのではなくて、私が機械をまっすぐに動かしていなかったからなのです。3分か5分くらいすれば、苗が少なくなってくるので、追加してやります。この田植え機による田植えの作業も、田んぼのどろの中に入らなくてもできるので、それほど疲れません。ちらっと近所の田んぼを見ると、あっちでもこっちでも田植えをしています。田植えをしたあとの田んぼは気持ちがいいです。一段落という感じです。夕方になると、カエルがゲロゲロゲロゲロ、ゲーコゲーコゲーコと鳴きます。宮澤賢治の童話の『かえるのゴムぐつ』を思い出します。

 ある夏の暮れがた、カンがえるブンがえるベンがえるの三びきは、カンがえるの家のまえのつめくさの広場にすわって、雲見ということをやっておりました。一体かえるどもは、みんな、夏の雲のみねを見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなブクブクした、玉髄のような、玉あられのような、また蛋白石をきざんでこさえたぶどうの置物のような雲のみねは、だれの目にもりっぱに見えますが、かえるどもにはことにそれが見事なのです。眺めても眺めてもあきないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこかかえるの頭の形ににていますし、それから春のかえるのたまごににています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とかいうところを、かえるどもは雲見をやります。
 「どうも実にりっぱだね。だんだんペネタ形になるね。」
 「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
 「実にぼくたちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になったまいりました。ペネタ形というのは、かえるどもではたいへん高尚なものになっています。平たいことなのです。雲のみねはだんだんくずれてあたりはよほどうすくらくなりました。

 三田の田んぼもうすくらくなってきました。来月は、和田山へ手植えの田植えに挑戦です。これもまた楽しみです。さて、どうなることやら。ゲロゲロゲロ。

タイトル雑録−K団設立主旨−

 景気が回復の兆しを見せた…等と言われてどれだけ経つのでしょうか?お役人の見通しとは随分甘いものだなァと苦笑いしながら毎日を過ごしています。
 不景気知らずといわれる業界もこうなると他人事ではなく、こっそり根回しをして巧妙にリストラを図ったり、搾り取れる所から甘言を弄して…、なんて事もあります。哀しい話ですがね。
 さて、そういう情勢の中で敢えて会社を起こす、と言うのは本当に勇気が必要です。其の一点は賛嘆します。但し、其の発想の原点が豊かであるか貧しきものであるかは厳しく問われますが。
 そんな訳で今回のタイトルであります。K団とは即ち「カイロ団」。アマガエルをぼったくりバー宜しくの遣り口で自分の俄か手下にした挙句、訳の判らぬ「仕事」を押し付けて最後に痛烈な竹箆返しを喰らった、あのトノサマガエルの「カイロ団」であります。
 下手なベンチャービジネスの教科書読んで甘い夢ばかり見る暇があったら、一度「カイロ団長」を読むべきかも知れませんね。事業を起こす際の悪い見本がしっかりと描かれている訳ですから。
 カイロ団長が「団」を起こした理由。其れは只「立派に見られたい」という一点でしかありません。どんな仕事をしてゆくのか、又どんな将来設計を持っているのか。一切ありません。見事なほど、何も無いのです。
 もっとも、人手(=アマガエル)を集めた手段が手段なのですから、まともな将来設計がある方が不思議ですけどね。
 その癖、運営方針をまともに考える事も無く、見栄外聞だけの「立派さ」を追い続ける。…仕事に対しての評価なんて即答で出やしませんよ。いい仕事さえしていれば自然と出てくるもんです。
 最後の改心の場面は、「流石賢治さん」とは思いますが…、問題は、カイロ団長以外のトノサマガエル達なんですね。彼等はカイロ団長の問題を自分達にも在り得る事だと捉えられたのでしょうか?無理だったろうとは思いますが。何しろ罰則を厳しくすれば仕事の能率が上がるだろう、という貧しい発想しか出来なかったようですし。
 

編集後記

  • 今号は合併号となりました。変な誤解が発生しては困りますので、理由を掻い摘んで説明しますと、原稿を取り纏める川崎さんのパソコンに予期せぬトラブルが発生し、原稿が手元にあるのにも拘らず発行出来ないと言う歯痒い事態になってしまったのです。  全く以って不慮の事故でした。何とか現在復旧したそうですのでご安心を。
  • 当会HP掲示板を見て頂いた方はご存知でしょうが、先日、遥か広島から「賢治さん関係のビデオを止む無く処分する羽目になったのですが、お入用なら…」と言うお便りが届き、早速友田さん宛に送って頂きました。120分テープで4本。  編集会議の席上で先ず「朗読」と銘打たれた1本を視聴。中々に良い出来栄えでした。NHKにて放映されたものを録画した物のようです。  又追い追い例会においても見る機会があると思いますのでお楽しみに。
  • コンピュータ関連の話題を一つ。最近、コンピュータ・ウィルスなるものを作成し、尚且つ他人に送り付けてほくそ笑む不埒者が横行しているようです。  判らぬ方の為に説明を試みますと、風邪のウィルスが身体の彼方此方に入り込んで身体をガタガタにして行く様に、コンピュータの内部に入り込んで、設定やデータをガタガタに壊して行き、使い物にしなくなる作用を持つ計算式を頼みもしないのに置いて行かれる、と言った所でしょうか。  立派な犯罪ですけどね、本人達がどう言おうが。当人達は「知的ゲーム」と言い張っているようですが、其れならば正面から堂々と挑める相手に喧嘩を売れば宜しい。無差別に、其れも正体を隠して送り付けるのは卑怯者と後ろ指を指されても仕方ありますまい。  精神世界に近づく様相を垣間見せながら、非実体化世界で犯罪的行為をやってのける…一部の連中なんでしょうが、矛盾に気付かないんでしょうかね?(杉澤)