会報No.25表紙

会報No.25
−確かに一日−

目次

  1. 第29回例会報告−読書会「銀河鉄道の夜」PART3
    川崎 貴
  2. 「銀河鉄道の夜」を読んで『ほんとうの幸福』を考える
    佐藤 洋榮
  3. 「宮沢賢治国際研究大会」報告
    森本 智子・森本 晶子
  4. 書棚の散歩−第6段−
    杉澤 法広
  5. 賢治百姓真似一笑−その5
    友田 清司
  6. 「山男の四月」から始まった私の賢治体験
    川崎 貴
  7. タイトル雑録
    杉澤 法広
  8. 編集後記

第29回例会報告−読書会「銀河鉄道の夜」PART4

 8月27日、第29回目の例会が「光でできたパイプオルガン」で行われました。
「銀河鉄道の夜」の読書会も今回で3回目となり、テキスト、ちくま文庫版「宮沢賢治全集7」の270ページ8行目から282ページの4行目までを読み進みました。ここでは、姉弟とその家庭教師の青年が新しく銀河鉄道の乗客として登場します。「タイタニック」遭難事故の犠牲者である彼らは、米コネチカット州から英ランカシャーへ行く途中だったということや、その時唄われた賛美歌「(空白二文字)番」は「主よみもとにちかづかん」であるが、聖歌番号が賛美歌集の改定される毎に変わっていること、賢治は後で調べるために空白にしたのではないか、というようなことが話し合われ、友田さんがこの賛美歌の楽譜をコピーして来て下さっていたので、皆で合唱したりしました。
また、大西洋ならアトランテックなのにパシフィックと書いたのは、あえて場所を特定しないための意識的な置換だろうということ、りんごの匂、ばらの匂…「米だってパシフヰック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝ」「苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいゝかをりになって毛あなからけちらけてしまう」等の極楽浄土的匂によるイメージの放出。森の中から流れて来る打楽器の音色、その中の孔雀の声の「孔雀」は英訳本ではレイラバード(lyra bard)となっていてレイラ(Lyra)とは琴座であること。川で交通整理をする赤い帽子の男の「いまこそわたれわたり鳥、ゝ」の掛け声が、戦国の武将清水宗治の「浮世をば、いまこそ渡れ、武士(もののふ)の、名を高松の苔に残して」という辞世の句を連想する、という指摘。「ぴしゃあんといふ潰れたやうな音」のなぞ。とうもろこし畑の広がるそらの野原は、アメリカ大陸ではないかということ。「いっぱい日光を吸った金剛石のやうに露がいっぱいついて赤や緑にきらきら燃えて光ってゐる」とうもろこし畑は、当時黄金境であったアメリカを想起させるという指摘。新世界交響楽が流れて来るに至って、アメリカに違いないということで次回に繋がれました。
 そんなこんなの事柄やまだまだ他にも様々に指摘され、話し合われました。今回読んだ箇所は、新しい3人の乗客が物語展開の中心となっていますが、改めてじっくり読んでみて、走り続ける汽車の背景の美しい描写を味わいました。
 読書会は少し早めに切り上げて、その後賢治の104回目の誕生日を祝して、サイダー割ワイン(ワイン割サイダー)と岩手南部地粉100%のざるそば(?)で乾杯し、雑談や「セロ弾きのゴーシュ」のアニメビデオを鑑賞したりしながらのひとときを過ごしました。花巻の国際大会に参加して、一足早く、例会の前夜に帰神された藤田さんが、岩手土産のお菓子もお持ち下さり、おいしい例会となりました。

「銀河鉄道の夜」を読んで『ほんとうの幸福』を考える

 20の学生の頃、自分さがしの旅に、あらゆる本を読みあさっていた時、
 "世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない"という宮沢賢治の言葉に触れ、私は、頭をガァーンとなぐられるような衝撃を受けました。
 以来、"ほんとうの幸福"とは何なのだろうと考え、賢治とは深い所で、つながってしまい、もうどうしても「この人は〇〇〇本物だ」という思いが、私の中から消えませんでした。
 時には、突き上げてくる得体の知れない感動に、一人涙することしばしばでした。
 そんな中での『銀河鉄道の夜』は、私の大好きな作品の一つです。そして、又その中でも「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。」(253頁『宮沢賢治全集7』〈ちくま文庫〉) なんてことばに出会うと、わけもなく涙が流れてどうしようもありませんでした。
 今回は、この作品の中で、"ほんとうの幸せ"に関連する部分のみでのささやかな私の感想を述べてみたいと思います。
 「誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」(同書254頁)というカムパネルラの言葉。これは「幸せは、いいことをした時に、自分の心の中に生まれる」ということを暗示しています。溺れたザネリを救おうとして川に飛び込んだカムパネルラ。この出来事は、人々の心に深く残る、忘れ得ぬ、かなしいしかし美しいお話として村人たちに語り伝えられるだろうと思います。
 ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考へてゐると、もう見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持ってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい、もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいゝといふやうな気がして、どうしてももう黙ってゐられなくなりました。ほんたうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊かうとして、(略)もうあの鳥捕りが居ませんでした。(同書269頁)
 ほんとうの相手の幸せをねが希う心は、相手が"本当に幸せだ"と感ずることを存分にさせてあげることだと思います。ジョバンニの、この時の思いは、仏教でいう「慈悲喜捨」の「喜」に当る、「鳥捕りの喜ぶことだったら何でもしてあげたい」という、相手の思いと一つになって自分もそこ(相手の次元)まで下りていって同悲の心になるということでは。ジョバンニはまさに菩薩心そのもの、慈悲(愛)の心にあふれた思いに満たされたのだと思います。
 しかし、ここで鳥捕りが居なくなったのは、いまだ物質欲(鷺をつかまへてせいせいしたり等)の段階にいる彼とジョバンニの心とは次元が違うので消えたのだと思います。銀河鉄道の世界を死後の世界とするなら、それは念(思い)の世界、(肉体ではない)霊の世界(四次元)の世界で自ずから鳥捕りの意識の合う次元(段階)に行かざるをえなかったのではないか。このように相手の幸せを希う心は、神の愛の心、仏の慈悲の心、無我(物欲のない)の心、現代心理学でいうなら「宇宙意志」の心とは波長が合わなかったのではないか、と思うのです。
 次に氷山にぶつかって難破したという青年のことばの中で
 それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思ひましたから前にゐる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまゝ神の前にみんなで行く方がほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。(同書273頁)
 これは青年が、人を押しのけて、自分だけが助かる(この場合は女の子とその弟)がほんとうの幸福につながるのか、もしそれで生きのびたとしても、自分のかわりに死んでいった人たちのことが思われて、本当に心から自分が幸せになれるのか、と自己の心に問うたのだと思います。
 死後の世界、念(思い)の世界があることを信じれる人の、"ほんとうの幸せは何か"を見きわめることのできる人の``選択だと思います。
 深く自分の奥底の心、ユングの言う"宇宙意識(良心・神とも)、あるいは仏教でいう"アラ阿頼ヤシキ耶識"(『親の姿、子の心』高田好胤 講談社文庫23頁)に目覚めるというか、見つめることの出来る人の決意だと思います。
 自然のはからいで、どんなに自ら死のうとしても死ねない(生かされている)場合がありますが(「灰色の教室」石原慎太郎『太陽の季節』142頁 新潮文庫)、このような(氷山に船がぶつかるというような)非常事態の中で、「宇宙意志」というか「神」というか「自然」に任せ切れる心は、やはり尊いと思います。
 この時、ジョバンニは、
 (氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいてゐる。ぼくはその人にほんたうに気の毒でそしてすまないやうな気がする。ぼくはそのひとのさいはひのためにいったいどうしたらいゝのだろう。)(『宮沢賢治全集7』ちくま文庫274頁)と思うところがありますが、ほんとうに他の困っている人のため、その人の幸せのため、自分に出来ることで、どうしたらいいのかを考える心こそ菩薩心であり、菩薩行です。
 今、地球で、日本で一番私たちに必要な心ではないか、と胸うたれました。
 小学生のジョバンニが、こんなことを考えている、ひるがえって今の新聞でにぎわす少年たちは、と思うと、やはり賢治のメッセージはとてつもなく大切な、そして今こそ、もっともっと読まれなければ、と痛切に思いました。
 蠍の話―どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。(後略)(同書287頁)  さそりが「まことのみんなの幸のために私のからだをおつかひください。」と言ったというのは、全く神への全託、キリスト教でいう"みこころの天になる世界"のままに自分をあずける、つまり、無我の心、神道でいう"かむ神ながらの心"力の入らない、リラックスそのもの、現代医学でいう"α波"いっぱいの、とてつもなく幸せな気分ではないでしょうか。いつもいつもこんなに思えたなら、自分の心は平和で、又家庭の平和も、ひいては世界の平和もすぐにやってくる、と思ったりします。

「宮沢賢治国際研究大会」報告

 今回の「フェステイバル」では(今回は初めて岩手県から援助が出たためもあって、単なる「研究大会」ではなく「フェステイバル」という大掛かりな企画になったみたいです)、初めての試みとして、全国の宮沢賢治研究会の交流が行われました。花巻市をはじめとして、全国には64四以上の、「宮沢賢治の会」が存在しているわけですが、そのそれぞれが、独自の形態で(活動年月も、その活動内容も様々です)賢治について常に語り合っているかと思うと不思議な気がします。全国の会のリストも頂いたので、後日また、お見せできれば、と思っています。(TOMOKO)
 3日間の日程で、様々な角度での賢治の研究発表を10程聴講しました。それに加えて、今年、宮沢賢治の童話を通じての花巻市内と広島にある中学生による文化発表(学芸会みたいなものでしたが)や、高校生の部活によるイーハトーヴ賞を受賞した鬼剣舞や鹿踊りを観たりしました。(特に剣舞は初めて観たためもあり、かなり迫力がありました。)
 また、現地で知合った賢治の詩を研究している方と一緒に地元のバンドと小学生によるアトラクションである「賢治ファンタジー"はやぐ来お又三郎"」を観に行きました。(これは、宮沢賢治の生誕百年の時に出来た童話村という場所で夜に行われました。子供達の夜の運動会と言った感じでした。)
 最終日には、賢治が登った山『種山ヶ原』へのエスカレーションもありました。賢治が辿った道を忠実に行き、親友の保阪嘉内に対して書いた手紙に描かれた山についても解説してもらいながら、実際に観ました。「風の又三郎」の世界の空気を感じることができたのは、今回の旅行の収穫の一つでした。時間がなかったためもあって、ゆっくり見ることができなかったのが残念です。機会があれば、また、行ってみたい場処です。(AKIKO)

 それから、こちらは私(TOMOKO)のみの参加となりましたが、9/22の大会でのリレー講演なんとか無事終わらせることができました。
 講演タイトルは、「靴を脱ぐジョバンニ」で、『銀河鉄道の夜』の中で、ジョバンニが靴を脱ぐシーンが3回登場するのですが、西欧風の舞台の中で、「靴を脱ぐ」シーンをわざわざ描くことの意味について、私なりに考えたことを話させていただきました。実は、この話の元ネタは、神戸の会以外で私が参加させて頂いている、もう一つの賢治研究会、西田良子先生が主催する「関西賢治ゼミナール」で行っている『銀河鉄道の夜』の読み合わせ中にある人が発した、「ジョバンニが靴を脱ぐシーンって何だか不思議だね。」という一言に私が引っかかったことだったりします。一人で読むのと違い、読み合わせは、色々な人の意見が混ざり合って、影響しあって新しい見方が生まれてくる、面白い企画だと改めて感じています。最近、神戸の会の方には参加できていないのですが、こういう経験を味わうためにも、是非又参加させていただきたい、と思っています。

書棚の散歩−第6段−

 今回は原点に還り、作品集を手に取ります。「宮沢賢治詩集」「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」/以上、角川ミニ文庫版、です。
 今回は書評というより問題提議です。一緒に考えて欲しいのです。
 実際この「角川ミニ文庫」、価格的にも手痛くはない(1冊200百円)ですし、携帯するにも苦にならない大きさ(文庫本半分よりやや大きめ。小銭入れのサイズ?)ですので、文庫という意味ではより一層身近、なのですが…それも通用する長さあってこそ。賢治さん相手に其の特性が発揮されているかと言えば、否としか答えられない。
 そもそもが角川文庫版からの抜粋で構成されている訳ですが、其の抜粋基準は何処なんでしょう?「銀河鉄道の夜」は一冊一作で納まったからいいけど、その外の選考基準は首を傾げざるをえない。「注文の多い料理店」なんて、全九作の内五作選択の不完全収録。残り四作を切り捨てた根拠と、わざわざ出した其の意図を知りたいですね。いっそ元の文庫の儘でよかった。詩集についても、解説で更に選んだ理由を拝聴できるかと思いきや全く無い。
 高々銀貨二枚の話です。長々と愚痴を言う程のものじゃない。しかし、其の程度と軽く見て選択基準が曖昧な作品集をバーゲンセール宜しくバラ撒かれると流石にうんざりします。名作を普及させようというならば完全に逆効果でしょうね。
 やっつけ仕事と思われているなら、別に良いんですけどね。せめて一ページ分の解説めいたものがあればまだ読み甲斐があるのですが。其の分値段が上がっても、多分文句は言わないでしょう。現状より少しでもましなら、ですが。

賢治百姓真似一笑 その5

 2ヶ月、3ヶ月のうちに宮澤賢治に関する話がいろいろとありました。宮澤賢治は、多方面にわたって、新たな発見をしたり、深い理解ができたりするたびに、私たちに驚きと喜びを与えてくれています。農業についても、宮澤賢治を通してずいぶん目が開かれてきたように思います。
 さて、前回は4月29日の午前のことを書きましたが、今回はその日の午後のことを書きます。田植えの前の仕事はたくさんあります。苗づくりの仕事もそのうちのひとつです。最近は、苗をJA(農協)で購入する農家がほとんどだそうです。多くの人たちが利用するのは、それなりの事情があるからに違いないのでしょうが、《あーす農場》では苗代づくりからしています。私たちが苗代づくりの作業を手伝ったのは、ほんの少しだけです。大森さんは、私たちに手伝ってもらうというよりも、米づくりのいろんな部分を私たちに教えてくれているのでしょう。苗代用の田んぼにちょろちょろと水を入れ、鋤で土を捏(こ)ねていきます。水と土が仲良く握手するのを手伝うという感じです。一時間でどろの畝が3メートルできるかどうかというスピードです。正直なところ、辛気臭い仕事です。都会的発想の私たちは、つい能率的な方法はないだろうかと考えてしまいます。「時間がかかる」というよりも、「時間をかける」ことが大切なようです。「時間をかける」ということで、思い出すのは『やまなし』の中の最後にやまなしの出てくる場面です。

  おとうさんのかには、遠めがねのような両方の目をあらんかぎりのばして、よくよく見てからいいました。
 「そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行ってみよう、ああいいにおいだな。」
 なるほど、そこらの月あかりの水のなかは、やまなしのいいにおいでいっぱいでした。
 三びきはぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。
 その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、あわせて六つ踊るようにして、やまなしのまるい影を追いました。
 まもなく水はサラサラ鳴り、天じょうの波はいよいよ青いほのおをあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。
 「どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂いだろう。」
 「おいしそうだね、おとうさん。」
 「まてまて、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へしずんでくる、それからひ とりでにおいしい酒ができるから。さあ、もう帰って寝よう、おいで。」
 親子のかには三びき自分らの穴に帰って行きます。
 波はいよいよ青白いほのおをゆらゆらとあげました、それはまた金剛石の粉をはいているようでした。

 「採る」というよりも、時が熟すのを待ち、自然の恵みを「いただく」という感じですね。時が熟すのは、やはり自然の力なのですね。賢治童話には、全編にこの自然の力に依拠する姿勢が流れていますね。この点も、大森さんの考え方と共通していると思います。前にも書きましたが《あーす農場》では、米づくりだけでなく、にわとりやぶたやヤギを飼ったり、炭焼きにパン焼きもしています。パン焼き工房の名前が「くらむぼん」です。何かと縁がありますね。
 その日は、次々と見学者がありました。見学者の中にはどこかの帰りにここに寄ったという人たちもいます。中には農業をしているという人たちもいます。私たちが苗代づくりを手伝っている様子を見て、思わず声をあげていました。
 「うわー、懐かしいなあ。苗床をつくってはるでー」
 大森さんは、大きな声で、言い返していました。
 「何年か前までは、どこの農家でもやっとったでしょう。」
 その人たちは、笑顔で頷きながら
 「がんばって下さいねー」
 と言って、帰って行きました。
 休憩していると、また見学者がやってきます。大森さんは、見学者たちの応対に大忙しです。ちょっと待っている人たちがいたので、私は、
 「炭焼き小屋は、私が案内しましょうか」
 と声を掛けました。炭焼き小屋までは歩いて5分ほどです。去年の秋は、建築中でしたが、もうすっかり完成していました。この炭焼きも何年か前までは、ほとんどの農家でやっていた作業です。なにしろ農家に人手が少なくなってしまったことが、あちこちの面で、手間のかかる作業をしなくなってしまったことにつながっているようです。「買ったほうが安いよ」ということばが多くの人たちには説得力をもっているようですが、そのことばの裏には、「自分たちの手で作る」という大切なものが見失われてきたように思います。
 炭焼き小屋からもどったら、にわとりを絞める仕事が待っていました。大森さんに包丁を突き出されて、
 「やってみませんか」
 と言われましたが、びっくりしてしまって、遠くから見てるだけ〜でした。首を刎(は)ねた後、しばらく吊るして、熱湯にひたした直後に、みんなで羽をもぐ作業をおそるおそる手伝いました。都会では、「きょうは焼き鳥でも食べに行こうか」「どこそこの焼き鳥屋がうまいね」とか、「焼き鳥は××がおいしい」とか、好き勝手なことを言っていたけれど、にわとりが絞められることは全然考えていませんでした。焼き鳥屋さんに勘定を払ったら、それで済んだというものではないのです。トリさんの命を断って、私たちの胃が喜んでいるのですから、せめて感謝していただかなければいけないと思いました。それとも宮澤賢治が一時期実践したように、菜食主義を貫くかですね。
 ちえちゃん(中学2年生)がもうひとつ元気がないなと思っていたら、案の定きょうはパン焼き係の日でした。普段は、げん兄ちゃんの担当だそうですが、きょうは通信高校に行く日だったので、代わりにちいちゃんが焼いたそうです。何しろ朝の4時ごろからの仕事だそうで、午後は眠いということです。でも、夕方には元気を回復し、自分の担当であるヤギの乳絞りの仕事があり、ぱんぱんに張っている乳をたっぷりと絞りました。大阪から見学にきていた若い2人が熱心に見ていました。少しやってみたけれど、なかなかうまくできなかったようです。
 そうそう、浜崎あゆみファンの私の娘(中学3年生)たちは、はたして《あーす農場》に行って、たいくつしてしまわないか心配だったが、ぜ〜んぜん。すっかりちえちゃん、あいちゃん、れいちゃんと仲良くなって、あっちこっち案内してもらっていました。とにかく、ワンちゃんやねこちゃんやヤギさんやぶたさんやにわとりさんたちがいるし、都会では見られない光景がたくさんあるし、もうたいくつどころではありませんでした。また、行きたいと言いそうな感触でした。もしも《あーす農場》が若い女の子らに魅力的に見えるとしたならば、これはすばらしいことだと思うのです。
 神戸に帰ってきて30分も経たないうちに、ちえちゃんから電話がありました。なんと、私たちが帰った直後、ヤギのともえちゃんに子どもが2匹産まれたということです。
 4月29日(みどりの日)、《あーす農場》からのうれしい便りでした。

「山男の四月」から始まった私の賢治体験

 「山男の四月」を始めて読んだのは小学校4年の頃だった。デパートの古書展で母が選んでくれた「宮沢賢治童話集」の中の作品の多くが、私を虜にしたが、中でも「山男の四月」は夢中になって何度も読み返した作品の一つだった。
 冒頭の1行で、いきなり物語の世界に引き摺り込まれてしまった。賢治童話の他の作品、例えば「水仙月の四日」などの出だしの「雪婆んごは遠くへ出かけて居りました」などの表現にも共通するが、子供である読者(私)は、山男や雪婆んごという架空の存在の住む世界に、1行目ですでに自らも位置している、という唐突さに快感を覚えた。それはあたかもその世界が、物語の始まる以前から自分の周りにあったのだという既成事実を創り出しており、架空の世界が架空でなくなり、あるいは架空の世界は架空のまま自分も架空の存在に寄り添ってしまう、という一体感を与えてくれたのだった。さあ、それから…と急かされるように読み進まざるをえなくなってしまう。
 幼い心に、山男が計り知れない畏怖の対象であったということも効果的といえる。存在しないと思っていても、未知なる山奥に居ても不思議ではなさそうな恐るべき存在―山男は、実在しないに違いないのに、子供の畏怖と不安と期待がその存在を半ば肯定させてしまいそうな妖しくて輝かしいところに座しているのである。粗野で粗暴な山男の風体や素行を表した書き出しの少々残虐な描写が、理性の育まれる以前の幼児に潜在する残虐性に通じるものでもあり、またやがて展開される夢の中での山男の変身振りとも対比されるべく、伏線となっている。
 山男の夢の世界という二重の虚構に導かれて行くとき、その世界は山男が「化けないとなぐり殺される」という人間の世界であって、虚構の扉を二度開いた読者は日常の世界にいったん舞い戻ることになる。ここで、立場は一転する。山男は人間社会に不慣れなため、「どうやら一人まえの木樵のかたちに化け」たものの、少々臆病にならざるを得ない。山鳥やうさぎを殺したり、潰したりする山男が今度は「なぐり殺される」かもしれない立場に立たされる。この立場の逆転は「どんぐりと山猫」の中の「この中でいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなつていないやうなのが、いちばんえらい」という一郎の言葉と同じく、価値の転換を意味する。このように自由に価値の転換が出来る世界は、まだ子供の近くには存在する。畏怖の対象の山男が、子供と同じ地平に降りて来る。世間知らずという点ではもう全く子供と同等である。山男の夢の冒険譚はこども自身の冒険譚となる。そしてそこに登場する章魚、支那人、六神丸…、いぼがあり赤いまがった脚の丸のままの姿のゆでたこ、汚い浅黄服を着、とかげのようなぐちゃぐちゃした赤い眼の支那人(これが蔑視だという意見などは無視して)、人間が薬で改良された六神丸。これらの不可解でグロテスクな脇役たちは未知なる冒険譚の世界を効果的に演出している。私はこれらの脇役が大好きだった。当時の私自身が、可愛かったり、美しかったり、強かったり、身近であったりするだけの、それまで読んでいた童話の登場人物に物足りなさを感じ始めた年頃だっただけなのかもしれないが。
 夢の中での山男は芸術的な鑑賞眼で章魚を敬愛し、小心ゆえに支那人に騙されるが、支那人にあわれな声で訴えられると同情し、許してしまう。しかし、他にも騙された人がたくさんいると知ると、支那人と対峙すべく敢然と起ち上がる。ここに至るまでの状況は、最初の頃こそ悲愴であるが、支那人とのやりとりでの優位性の逆転や隣の男との章魚談義などに、山男の身にふりかかった事件の緊迫性は感じられない。夢の中の一種の乖離性を巧みに表現している。さて、山男は結局支那人をやっけるどころか反対につかみかかられそうになって、目覚めてしまう。夢の中の彼は、とうとう支那人のために自分の身体をくれてやることも、他の人々を救うこともしなかった。けれども、兎を追って山林を駆け巡り疲れて枯れ草に寝転ぶ日々とは全く違う体験、思考を重ねたことになる。  ここで賢治の「でくのぼう」について思い至るのだが、「雨ニモマケズ」で「サウイフモノニワタシハナリタイ」という「ソフイウ」ものの中に「デクノボートヨバレ」る・・ものがある。「雨ニモマケズ」に謳われた賢治の理想は「丈夫ナカラダヲモチ」「欲ハナク」「ヨクミキキシワカリ」「ワスレズ」困っている人があれば、「行ッテ」看病したりなぐさめたりし、「ヒデリノトキ」も「サムサノナツ」も「ナミダヲナガシ」たり、「オロオロアル」くだけの「ホメラレモセズ」「クニモサレ」ない人だという。しかしこれらの事柄は必ずしも「デクノボー」的ではない。特に「ヨクミキキシワカリ」というのは決して「デクノボー」ではない。賢治の理想はただの「デクノボー」ではないのだ。「烏の北斗七星といっしょに、一つの小さなこゝろの種子を有ちます。」と賢治は『注文の多い料理店』の広告文の中の「山男の四月」の項に記しているが、のどかな四月の山に舞い戻った山男に「小さな種子」が植え付けられたことを、最終章の文章の裏に感じ取ることが出来る。目覚めた直後の余韻の中で、山男は夢の続きをぼんやり夢想している。「えゝ、畜生」と思わず吐露しなくてはならないほど、山男の心理に大きな余韻を残してしまったのである。山男の中にただの「デクノボー」ではない種子が植えつけられたと確信したい。それは同時に読者であった子供の頃の私の心にも、である。しかし未だ、植え付けられたかもしれない種子は芽生えていない。

タイトル雑録−確かに一日−

 或る農村の子供・ホロタイタネリはおっ母さんから言い付けられて自分が着る着物を編む為の藤蔓を柔らかく噛み慣らしていました。が、遊びの片手間に遣っていた為に肝心の藤蔓を何時の間にやら無くしてしまいます。ま、年頃が遊びに夢中の「風の子」の年頃ですし、用事を遣り遂げろというのが御無体な話でしょう。
 比べて最近の子供は妙に律儀な面が有りますね。割に親の言い付けを守って…風体は物凄いスピードで変化してますが。
 何だか、なあ。
 子供が親の言葉に従うのに異を唱える訳じゃないんです。タネリの最後の台詞と口調が妙に耳に残ったもので。
 …ぼんやりした口調で、「たしかにいちにち噛んでいたようだったよ」…。
 でも、もしそれが何の衒いもなく滑り出した言葉だとしたら考えものです。その日の行動を思い出せないのは一番身近な老化現象だと言いますが、正しく其のものじゃありませんか。
 「たしかにいちにち」。其の後にどんな台詞をこれからの子供達は続けるでしょうか。見届けたくもあり、見届けたくもない様な気もします。
 「たしかにいちにち」「生きていた様だったよ」……流石にこれは、戴けませんよ。   

編集後記

  • 編集委員の3人が3人ともインターネットに身近なもので(その割に初心者めいた部分も多々あり)、ついその方面の話題が多くなっております。ご容赦下さい。  
  • 「神戸賢治の会」掲示板への書き込みが少ないとの事。確かに数は少ないのですが、その反面妙に凝り固まった投書が無いので安心できるのは僕だけでしょうか?結構色々な掲示板に出入りしているので思うのですが、掲示板毎に色々な色彩があります。賢治の会は特に研究団体でもないですし、差し支えの無い程度の日常雑記を書いても良いと思うのです。些細な事で良いですから、電脳世界に一筆残してみませんか?歓迎いたします。当会のホームページは、インターネット上ホームページ検索大手の「YAHOO」・「LYCOS」いずれからでも探せます。  
  • インターネットの発達により、情報は割に瞬時に入手出来る様になりました。然しその反面、根気よく情報を手繰り寄せる努力が蔑ろにされている気がします。掲示板へ足跡を残そうとしないのもその表れだといったら、言い過ぎでしょうか?当会のホームページは小ぢんまりしておりますが、誠実な情報をお届けしているつもりです。  
  • 賢治さんの作品に関する疑問点を募り、例会上で解きあかす、と言っては大袈裟ですが、様々な側面を見つけていきたい、と思っております。編集委員の内輪で済ませるには余りにも惜しいのです(殊に前号編集後記・「命令」解釈論争などは)。どんな些細な疑問でも結構ですのでお願いします。
  • 次回例会ははや10月。神無月ですね。めっきり冷え込んでいる事と思います。皆様、ご自愛を。(杉澤)