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会報No.24 −Tulip vineger−目次
- 第27回例会報告−番外編
杉澤 法広 - 第27回例会報告−法華経と真宗とキリスト教
堀 克祐 - 第28回例会報告(1)−読書会「銀河鉄道の夜」PART2
南 儀一 - 第28回例会報告(2)
高槻 のぶ子 - 賢治研究の余白に
信時 哲郎 - 書棚の散歩−第5段−
杉澤 法広 - 彼岸の俳句
堀 克祐 - 賢治百姓真似一笑−その4
友田 清司 - 電脳書庫への誘い
杉澤 法広 - タイトル雑録
杉澤 法広 - 編集後記
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第27回例会報告−番外編
去る5月23日の例会は、参加人数僅か3人で行なわれました。ですから寧ろこの報告は番外編と捉えて下さい。内容的にも多分趣が異なります。
参加者は筆者杉澤と友田さんと初参加の堀さん(神戸賢治の学校の草創メンバー)です。その3人で一体どんな話をしたのか?ずばり、賢治さんと宗教です。
改めて言いますと筆者杉澤は日蓮正宗の流れを汲む創価学会の一員であります。対して堀さんは浄土真宗大谷派の住職の資格を持っておられます。賢治さんの宗教背景の要素について概要を知る人間が偶々2人揃った訳です。そんな訳で随分と「濃い」内容になりました。友田さんは足りない言葉の補足役に回って下さいました。
実際の処、賢治さんと宗教の関わりについて正面から向き合った論はかなり少ない様です。これは賢治さんが属した団体(田中智学率いる国柱会)がネックになっているらしく、その為言葉としては出なかったのですが、賢治さんにとっての宗教の光の部分だけが論じられてきたのではないか、と言う感が否めなかった様です。
そもそも賢治さんが家の宗教である浄土真宗を捨て、法華経の道へ走ったのは15歳から18歳の頃であったとか。理由として指摘されたのは質屋への──というより商業への──嫌悪と反発、エリートの道を閉ざされた事への挫折、そして父親への抵抗の為の砦として。
賢治さんと宗教の関わりは作品にも実際色濃く出ています。今輪読の素材にしている「銀河鉄道の夜」然り、「ひかりの素足」然り、「ビジテリアン大祭」然り、「二十六夜」然り、「オホーツク挽歌」然り(他にも多々在るでしょう)。
ですがその傾倒の仕方には余りにも極端な面も目立っています。純粋さ故に、という訳なのでしょうか。その熱中さ加減はまるで旧名称・オウム真理教(現・アレフ)の信者の姿勢を彷彿とさせるものがあるとの指摘もありました。それ故に賢治さん研究の対象としては一種のブラックボックス化されているのではないでしょうか。信仰の姿勢を否定するという事は即ちその人の人格をも否定する事になり兼ねないという遠慮故に。大丈夫だと思うんですけどね。余程突拍子もない捻じ曲げ方さえしなければ。
そして賢治さんの信仰は組織の中で行なうものから個人で深く考えていくものへと変化していきました。この辺が賢治さんの賢治さんたる所以かも知れません。宗教というのは普通個人的な信仰から組織的な行動へと移っていくものである様です。それが良きにつけ悪きにつけ。そこを敢えて逆行したのはどんな思いからなのでしょうか。他人を救う為にまず自分が救われたかったのでしょうか?それとも争いを嫌う浄土真宗の想いが現われたのでしょうか。其の場では何とか自分なりの結論を出した筈なのに、うまく言葉に定着する事ができず苛立っています。
他にも日本人の宗教観に関する話や仏教とキリスト教の「神」の意味の違いなど非日常的でありながら精神面では非常に身近な話題も多かったのですが僕の報告はこの辺で。後は今回のもう一人の主役、堀さんの筆裁きに委ねたいと思います。
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第27回例会報告−法華経と真宗とキリスト教 |
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「銀河鉄道の夜」は、僕が読んだ賢治の作品の中で、一番濃厚にキリスト教的なシンボル(ただし「ハレルヤ」やなしに「ハルレヤ」になってるそうやけど)に満ちてる。日蓮宗は、他の宗教・宗派を「邪教」と見なして排斥するんやなかったんか、て思うけど、国柱会にハマってた頃ならいざ知らず、後年の賢治はそれほど排他的やなかったんやないかな。
もともと、彼の佛教との出会いは(浄土)真宗やった。父親が熱心な門徒で、賢治は十才の時に暁烏敏(後の真宗大谷派宗務総長)の法話を聞いたりしている。賢治が読んで「異様な感銘を受けた」とされてる和漢対訳の妙法蓮華教にしても、それを書いた島地大等いう人物は、浄土真宗の僧侶やったんや。
法華(妙法蓮華)経いうんは天台宗の中心経典で、真宗も日蓮宗も(ついでに言うたら禅宗も)天台から出てるんやから、法華経の価値はみんな認めてる。ただ真宗は「私は凡夫で、修行もようせんし、むずかしいお経もわからんから、阿弥陀佛にすがるしかない」(他力本願)いうんに対し、日蓮宗は法華経の力による「世直し」志向が強いようやな。それでも末法の世の衆生に対し、念佛なり題目なりの一つの方法に絞って「これで救われる」いう風に教えた点で共通やし、それが一神教であるキリスト教への何とはなしの親近感を生んでいるようにも思う。ぼく自身、真宗僧侶ではあるけど一時期教会に通てたし、クリスチャンから「真宗が、佛教の中で一番キリスト教に近い」て言われたこともあるんや。
賢治が父親と違う宗派を選んだ裏には、父親に対する反発もあったやろ、と推測できる。折りしも賢治も青春期、精神的に揺れてるところへ大病したりして、いろんな意味で危機的状況やった。そこへ「行動」を全面に押し立てた国柱会との出会いがあって、一気にのめり込んだ、いうあたりは、ほとんどオウム信者と共通のもんを感じさせる。これを言うと怒る人もおるかもしれんけど、国柱会の国粋主義的カラーへの違和感からか、賢治のこの部分に対してはだんまりを決め込んでる賢治ファンが多いようやから、あえて問題にしたいんや。
賢治も多くのオウム信者も、とにかく真面目で、ええかげんなとこで妥協できん、いう点が共通なように思う。その点ぼくは、「凡夫」いうとこに開き直ってるかもしれんけど「ぼくにはこれだけしかできん」いうとこで安住してる。親鸞さん風に言うたら「さもありなん」、現代風に言うたら「ま、ええか」の世界。それでは楽な方へ流されてしまう、いう批判もあるけど、賢治みたいに無理して早死にするより、八十過ぎまで長生きしたら、スピードは半分でも、同じだけの仕事ができるがな。
ともあれ賢治の作品は、本人の意図を超えて、「芸術」になったようや。単なる宗教訓話やったら、こないに多くの人を動かすことはないやろ。ぼく自身、佛教色の強い作品を書いてて、それが「絵解き」にならんよう、自戒せなあかん、て思てる。
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第28回例会報告(1)−読書会「銀河鉄道の夜」PART2 |
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第28回例会は引き続いて『銀河鉄道の夜』の読書会で、ちくま文庫板全集の第7巻、249ページ中ごろから270ページの始めまでを読みました。自由な意見交換の中で「月夜のけだもの」「黄色のトマト」あるいは第2次稿や第3次稿、『春と修羅』「序」などが参照され、例の語彙辞典や英和辞典なども調べられました。
話題になったことの例をあげてみましょう。汽車の壁の真鍮の大きなボタン、みんなはずいぶん走ったのに遅れてしまったのはなぜか、カムパネルラの出現とその死に対する伏線、「動くようにきまっているから動く」から「アルコールか電気だろう」への変化とブルカニロ博士の消失、カムパネルラという名前、「ハルレヤ」とカトリック風の尼さん、二十分停車、水素よりもっとすきとおっている銀河の水、「証明」のために発掘するイギリス海岸の地質学者、スコープとは何か、くるみの化石、ボスは実在の動物か、鳥を捕る人というキャラクター、「さはやかな秋の時計」という詩的な表現、第二限は時刻か時間の範囲か、鉄砲弾にあたって死ぬような形をしないと汽車に乗れないのか、アルビレオの観測所と回る宝玉のイメージ、ジョバンニの切符と日蓮宗のご本尊曼荼羅、鳥を捕る人の消失とジョバンニの後悔などがありました。
筆者に面白かったことを2つばかり。カムパネルラは『太陽の都』を書いたイタリアの哲学者トマゾ・カンパネッラであるとともに、リストのピアノ曲で知られる小さな鐘カンパネラでもあり、キキョウ科ホタルブクロ属の総称カンパニュラでもあること。スコープはスコップのことと何の疑問もないようだが、英語の綴りはscoopで、だからスコープとも読めること、そしてこのことばは新聞特種のスクープでもあること。
次回も続いて『銀河鉄道の夜』を読むことになっています。読書会は研究会と違ってとりとめもないようですが、意外な発見があるかもしれません。時間を作ってお出かけになりませんか。友田さんのお世話で、会場もゆったりした気持ちのよい部屋です。
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第28回例会報告(2) |
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「光でできたパイプオルガン」
こんな教室があると聞いて、なんとしても行きたいと思いました。「告別」の中のこの一節に何と鮮やかな力強い希望を賢治は歌ってくれたことか。私は降ってくるオレンジの光の帯を描いて、自分の道を凝視しました。
沢山の図書に囲まれたこの教室にいて思い出したことがあります。わたしには三人の子供がいますが、子育ての時代、自宅を開放して「ひまわり文庫」という家庭文庫を作っていました。でも宮沢賢治の本を読んだ記憶がありません。最近「宮沢賢治幻想曲」などという個展をしたので、「わたしは賢治が好きです」と言いはしますが、本当に好きなのか自信はありません。ただいつの頃からかこの本は一生かかって読む本として、わたしの側にあります。近づいたり離れたりして、時には、お金があったから自分の理想を追えたんじゃないかとけなしたりしています。賢治の感性に共感するというより、賢治の文体の軽やかさと輝きがわたしを刺激しています。たしかに賢治の言葉のむずかしさに手間取っていると、その宇宙を見失うことがありますが、光を感じるように読む時、私は賢治の意志をも感じます。
昔、子供たちに賢治の本を与えることを積極的にしなかった理由は、多分あまりに賢治の童話は賢治自身でありすぎたからではないかと今思っています。ひょっとして親はこの解明出来ない賢治の部分を幼い子供の前にさらけだして、影響を与える不安を持っていたのではないか。
随分前置きが長くなってしまいましたが、六月の例会は「銀河鉄道の夜」のジョバンニの切符あたりが論題の中心になりました。"鳥を捕る人"の章は、つついていくほど難解というか、バラバラに分解しかねない危惧を感じてほどほどに切り上げたというのが実情でした。《不完全な幻想第四次の・・・》に意見が集中したのは当然のなりゆきですが、《不完全》という表現にはそれぞれの読み取りがうかがえて、興味深いと同時に欲求不満のような胸のつかえが残りました。
どうして《完全》と言わないの!賢治さん!私は本当はそう叫びたいのです。苦渋に満ちた現実を越えるための夢であることを認めたいのですか、賢治さん!
虹や月明かりからもらったというふうに書く賢治の言葉は、「銀河鉄道の夜」の中でも美しいに違いないが、色々なもののメタファーが多くて、中々その美しさにたどり着かない。知識欲の中に埋没してしまう。次回は最後の結末が山になりそうだ。わからない言葉は誰かがすぐ調べて下さるので、イメージを広げながら読み進んでいます。
まだ賢治を頭に残しながら、雨も止んだ坂道をそれぞれの方角に帰途につきました。
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賢治研究の余白に |
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宮沢賢治の生涯と作品について考えることをライフワークに選んで、はや十数年。最近は文語詩の評釈というどちらかというと地味な仕事を始め、「こういうのもけっこう自分は好きだったんだな」と再発見したように思っている。
しかしその一方で、どれだけ「手堅い評釈」を書こうと思っても、どうしても「大胆な推測」を加えなければならないことが多く、つくづく文語詩の難しさを痛感してしまう。例えば『文語詩稿五十篇』にある「砲兵観測隊」を、いったいどう解釈すればいいのだろう。
(ばかばかしきよかの邑は、
よべ屯せしクゾなるを)
ましろき指はうちふるひ、
銀のモナドはひしめきぬ。
(いな見よ東かれらこそ、
古き火薬を燃し了へぬ)
うかべる雲をあざけりて、
ひとびと丘を奔せくだりけり。
私はこれを初期短篇綴の中の「秋田街道」という散文を文語詩にしたものではないかと考えたのだが、我ながら十分な説得力があるとは思っていない。「さまざまな解釈を楽しめばいい」と言うのは簡単だが、「一つの解釈」でさえ生まれにくい作品に「さまざま」を求めるというのは、かなりバカバカしいことのように思える。初期の心象スケッチとは違って、わかりやすさを心がけていたと思われる晩期の作品だけに、この難解さはかなり深刻である(もちろん賢治にとって)。
しかし、別にここで開きなおろうというわけでもないのだが、他人の生涯や作品を解き明かそうということ自体、ずいぶん乱暴な話であると思う。残された原稿やメモ、友人・知人の記憶がいくらたくさんあったとしても、当の本人やその作品を再現しようなどということは、不可能に近いのではないだろうか。
というのは数年前に自分で書いたはずのメモ帳の覚書が、全く理解できないということがよくあるからだ。また友人に学生時代の自分の言動について聞こうものなら、当人の記憶にないことの多さに驚くくらいである。誰もする人などいないだろうが、もしも信時哲郎研究ということをやる人がいたら、かなり苦労するだろうと思う。天才と凡人の差があるにしても、賢治にこうした側面がなかったとはどうにも思えない。
ではなぜこのような不可能事をライフワークだなどと言うのかといえば、「文語詩の評釈といった地味な研究を意外におもしろく思える自分を発見したこと」が収穫であったように、「賢治探し」を名目にして「自分探し」をしているからではないかと思うのである。それでは「賢治」を読む意味などないではないか、と問われるかもしれないが、「まことにそのとおり」と言うしかない。
しかしこうも言うことができるのではないだろうか。賢治は私を「未だ見ぬ私の世界」、すなわち「異界」に連れ出しているのだ、と……。
童話「どんぐりと山猫」は、「をかしな葉書」が一郎を「をかしな世界」に誘い込む物語、すなわち山猫がどんぐりたちの裁判をするような「異界」に導き入れる物語であるが、これが童話集『注文の多い料理店』の冒頭に掲げられているということは、読者をもこの「異界」に誘い込もうとしていたからに違いない。とすれば、賢治作品を入り口にして「異界」に迷い込む私も、賢治童話の読者としてそれほど適性を欠いているわけでもない、ということになるかもしれない。
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書棚の散歩−第5段− |
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「ヒデリノ夏」ではありませんが、大人達がおろおろ歩いてしまいそうな一部の子供達の現実には怒りを通り過ぎて哀しみすら覚えます。余りの点数偏重による教育熱心で頭脳だけが肥大した結果、文章の上の生半可な知識だけで現実を推し測って結果を顧みる事のない子供と、成功への過程をマニュアルの中にしか見いだせない大人が大量生産されてしまった様です。
ふと、この本を手にしてしまいました。『教師 宮沢賢治のしごと』畑山博 著・小学館ライブラリー・1992年初版。何らかの手引をつい求めてしまったのです。 この本の中の賢治さんはやや理想的なタッチで描かれている様です。それは追憶という作業の為せる業で仕方のない事と諦めて割引くとしても、此処迄現在の世間の先生に真似が出来るのだろうか、と溜め息が出てしまいます。注意しておきますが、決して猿真似はしない事。手引であって原則ではないのだから、工夫は是非にして戴きたい。
賢治さんという人は、僕からして見ればお人好しのボンボンその儘な人です。本人には作為はなかったにも関わらず、周囲から誤解され続けた一種悲劇の人でもあります。だからこそ愛すべき存在なのですが、決して理想とするべきではない。姿勢を理想とするのは結構ですが、人間性そのままを全部受けとめて(若しくは受け止めたと誤解して)活動した日にはそれこそ自分の身が持ちません。
坂本金八はあくまでもドラマの中の教師であればこそ素晴らしいのであって、それを演じた武田鉄矢氏の人間性そのものが最初から素晴らしかった訳ではないとも思いますしね。それこそ生徒役の子供達との相互作用によって人間性が高められたと解釈するべきでしょう。それを妙な具合に錯覚された日には辟易しますが。
この本も同じです。あくまでも事例報告として考えて読んだ上でどう行動するかが問い掛けられる、と解釈するべきでしょう。自分勝手に逸脱を選んだ彼の少年達に読ませたとして、答えは多分還らない。それでも敢えて読ませてみたい気がします。本当の成長は、建設的な疑問符とそれに対する自分の非力さを感じる事から始まると信じているので。
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彼岸の俳句 |
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立松和平の「文学の修羅として」いう本(のべる出版)で、面白い俳句に出会うた。この場合の彼岸いうんは、俳句の季語としてのお彼岸やなしに、もともとの意味である向こう岸、つまりあの世のことを指す。
まず、大西泰世句集「世紀末の小町」より
つぎの世へ転がしてゆく青林檎
つぎの世、いうたら、まずはあの世やろが、ひょっとしたら来世かもしれん。そこまで転がしていくとしたら、赤く熟した林檎やなしに、硬く未熟な青林檎
号泣の男を曳いて此岸まで
此岸いうたらこっちの岸、つまり現世いうこっちゃろ。彼岸から引きずってきたとしたら、この男とは前世からの腐れ縁なんやろか。
もう一人、濃厚に死の気配を漂わせてる俳人が、西川徹郎。
みんみん蝉であった村びと水鏡
村人が前世でみんみん蝉やった、いうんはなんとなく納得できる輪廻ではある。ぼくは昆虫より爬虫類の方が好みやが。
死ねば死ねばと空ゆく雲はいつもひとがた人形
「死ねば?」と誘うてるんか、「死ねばこうなる」という風に後が続く仮定形なんか、いずれにしても空を流れる雲に霊的なもんを感じる。そない言うたら、霊いう字は、雨かんむりやないか!
ちなみに修羅いうんは古代インドの神の一族であるアシュラの略で、「絶えず闘争を好むという性格がある」(広辞苑)。賢治の詩集の題名は「春と修羅」やったが、一見温厚そうに見えた賢治も、自分の中の修羅を自覚しとったんやろなあ。
修羅道は、六道の一つで、天・人と地獄・餓鬼・畜生の三悪道との中間にある。ということは、戦いは必ずしも悪ではないらしい。争いを恐れすぎると畜生になりそうやし。(畜生いうんはあくまで家畜あるいは社畜のことであって、野生動物ではない、いうんがぼくの解釈)。ぼくの中に餓鬼も畜生も修羅もおる。そやけど宣言するんやったら「おれは一人の修羅なのだ」て言いたいわなあ。
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賢治百姓真似一笑 その4 |
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暖かくなりました。というか、あっという間に「暑いですね」というあいさつが出るようになりました。私とっては、待ちに待った「耕せる春」の到来です。個人的な事情として、4月は新年度のために、塾の仕事が超多忙でしたので、緑いっぱいの場所に出かけ行くことができたのは、ようやくゴールデン・ウィークになってからでした。仕事のできない状態から仕事ができるようになることが、素直な気持ちでうれしいと思えます。
先日、本屋さんで『月曜日は最悪』とかいうタイトルの本が話題書のコーナーにあったのを見て、都会ではこんな感覚の本が共感を与えるんだなぁ……と、ちょっとばかり考え込みました。そういえば《あーす農場》を紹介しているフジテレビのドキュメンタリー番組(録画ビデオ)の中で、大森さんの長男のケンタくんが語っていました。
「都会に出たときに、朝の通勤電車の中の人たちの表情を見て、一瞬これは地獄行きの列車じゃないかとマジに思いました」
都会の人たちには、それぞれに理由があって、都会での生活があるのでしょうし、私たちはそれを当たり前の風景としか見ていないわけです。けれども、確かに月曜日の通勤電車内の風景は、病んでいる都会の一側面であることに違いないのでしょう。
「耕せる春」の到来を喜んでいるような私は、だんだんと都会生活者の常識から離れて行き始めているのかも知れません。まあ、他人から「変ってるな」と思われても構いませんから、私は百姓への道のとっかかりを歩んで行きたいと思います。宮澤賢治の「告別」という詩の中に出てくる次のようなことばを思い出します。
みんなが町で暮らしたり一日遊んでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは歌を歌うのだ
もしも楽器がなかったら……
さて、4月29日(土)のみどりの日、《あーす農場》に行きました。私は3度目になります。今回の初参加者は、50歳を越えてから大学(神学部)に入学したという変り種のHさんと私の下の娘(中3)とその友だち(中3)でした。
前にも書きましたように私の娘は、浜崎あゆみのファンでして、辺ぴな山奥の農業にはたして興味をもつかどうか疑問でした。ひょっとしたら、ブーっとして、「おもしろない〜、たいくつ〜」という顔をするかも知れないと思っていました。
神戸を朝の6時半に出発して、道がガラガラにすいていたので約2時間で《あーす農場》に到着しました。ちょうど大森さん一家は、朝ごはんを食べているところでした。さっそく、鶏小屋の裏の草原にいたワンちゃんたちを見に行きました。かわいい子犬が3匹いました。もちろん放し飼いです。うれしそうにしっぽをふりふり相手をしてくれます。娘たちは、あいちゃん、れいちゃん(ともに小4)たちとすぐに仲良しになり、ワンちゃんたちと楽しそうに遊んでいました。
朝ごはんが終わったら、あいちゃんやれいちゃんに「にわとりにえさを与える仕事」の手伝いをさせてもらいました。私は神戸では塾の先生ですが、《あーす農場》では、生徒です。あいちゃんやれいちゃんが先生です。先生に教えられた通り、えさを入れたバケツをにわとり小屋に持って入ると、にわとりたちが寄ってきます。大モテです。(私は昔から、子どもと年寄りにしかモテたことがなかったのですが、ここではにわとりに大いにモテました。)あっちこっちのにわとり小屋にえさを配り終えたら、つぎは水やりです。大きな小屋には水路が作られているので、小さな小屋の方だけやりました。水を水入れに入れるや否や、にわとりたちが飲みに来ます。とんがったくちばしで上手に飲みます。自分の作業によって、動物たちが大喜びをしているのを眺めるのは、ホントいい気分です。(会社や学校や家で存在感を感じることのできない人は、ここに来るときっと癒されますよ〜)賢治の童話の中には、『月夜のけだもの』とか『茨海小学校』とか、きつねがにわとりを取る話があちこちに出てきます。そんな話を読んだことがあるので、決して油断はできません。にわとり小屋の扉はしっかりしめておきました。
次に大森大博士(クーボー博士のイメージ)の指示で、「落ち葉撒き」という仕事をしました。現場の先生は、長男のケンタくんです。ケンタくんの運転する軽トラックの荷台に5人が乗りました。荷台に乗せてもらって、都会の者たちはうれしそうでした。ホッパと呼んでいる田んぼの端に行きました。西の斜面に雑木林があり、地面に落ちている木の葉をかき集めて、かごに詰め、一杯になったら、斜面の下の田んぼにばら撒く作業です。何のためにそうするのか深く考えもせず、何度も何度もその作業を繰り返します。木の葉が少なくなるにしたがって少しずつ北に移動します。北のほうは、田んぼと雑木林の間の細い道に何日か前に切り取った枝がたくさんあり、作業がしにくいので、男組(ケンタくんとHさんと私)はその枝を南の空き地に運びます。単純作業です。省力や工夫の余地は、ほとんどありません。ただもくもくと働きます。
体力のない私は、すぐダウンです。私がいちばん先に休んで、次にHさんが休んで、それからケンタくんも休んでくれました。ケンタくんは立ったままでしたが、私たちはそこらにボテッと身体を横たえていました。作業中はほとんど口を開くことのなかったケンタくんは、休憩のときにはよくしゃべってくれました。何とかさんのとこの田んぼはもう耕さなくなったとか、小鳥のさえずっているのは木の実があるからだとか、ここの田んぼは水をたっぷり入れられないから、水をはらずにそのまま稲の苗を植えるとか。(小さい頃、農家で育った妻は、それを聞いて驚いていました。)
ケンタくんは仕事に誇りをもっているようでした。親が百姓をしているからしかたなく継いでいるというのではなく、いい仕事だと思うから自分もしているという気持ちが感じられました。宮澤賢治が生きていたら、きっと励ましのことばをかけると思いますよ。
あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多すぎるから
もうきっぱりと潅水を切ってね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔を走って来て
青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残っていない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
こういう風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまうんだ
……せわしくうなずき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云え
まだかがやかなりんごのわらいをもっていた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれている……
それからいいかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちょうどシャツの上のぼたんを定規にし
てねえ
葉先を刈りとってしまうんだ
……汗だけでない
涙も拭いているんだな……
君が自分でかんがえた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のほうね
あれはずいぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育っている
硫安だってきみが自分で撒いたろう
みんながいろいろ云うだろうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていい
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのようにさ
吹雪やわずかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
……雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ……
『春と修羅』第三集より
まだまだたくさん書きたいことがありますが、多くの紙面を使ってしまいました。 午後からの作業風景は、またこの次に書きますね。
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電脳書庫への誘い |
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インターネットが流行する昨今、電子メールを使用した雑誌"メールマガジン"の存在を耳にされている方は少なくはないでしょう。一般情報から娯楽までその取り上げられる項目の幅は紙の雑誌よりも多い。斯く言う僕もその恩恵を被って居る一人です。
其のメールマガジンにも賢治さんを題材に取り扱ったものは存在します。現在【まぐまぐ】という配信会社経由で届く『kenji review』(現在読者数880名)がそれです。実は其の作成者の渡辺宏さんという方はイーハトーブセンターの会員であり、現在センターのホームページ作成にも尽力されている方でした。
偶然に導かれる様に渡辺さんにメールを送り、当会のホームページも紹介した処、渡辺さん作成のホームページ《宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス》との相互交流が叶いました。「もう少し近ければ会えるのに」と言うのがお互いの未練(渡辺さんは和歌山在住)。知り合えたのは正しく電脳の福音です。
『kenji review』、本当に為になります。賢治さんの作品をこうしてメールで次々読めるなんて思いもよらなかった。ホームページも心底感服する代物です。何故センターが此処までのホームページを今に至る迄作成しないのか?同じくセンター会員の加倉井さん開設のホームページ《賢治の事務所》を見た時も歯痒かったのですが、こういうものは下から働き掛けないと成立し得ないのでしょうか?
(愚痴はおいときまして)是非ホームページを御覧下さい。正しく賢治さん作品の電脳書庫です。ネットワーク接続可能な方ならば、電子仕掛けの「春と修羅」復刻版を取り寄せる事も可能なのですから。
《宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス》
尚、7月22日付発行『kenji review』誌上において8月27日の例会案内を掲載して戴きました。感謝の意を込め此処に記します。
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タイトル雑録−Tulip Vineger− |
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今回のタイトル、考えた本人が一番脱力しております。一号発行が遅れた間にもっと良いタイトルが頭の中に降りてきてくれる筈だ、と思いなおして待ってはみたものの、そう簡単に問屋が卸さない。私的なゴタゴタと夏バテで疲れているんでしょうかね。気を取り直して考えを巡らせてみようと思います。
タイトルを日本語訳すれば「チューリップ酢」。『チュウリップの幻術』で紹介されたチュウリップ酒が更に酢酸発酵したもので大変に薫りも彩りも宜しいものです。世間に出回るワインヴィネガーよりも却って上等かも知れない。寧ろ健康に良いという観点からすれば九州の黒酢に近いものやも知れません。
酒としては大変に軽やかで、それでいて強烈な酔いを残し、そして穏やかに速やかに醒めてゆく。それ程上等の酒を元にして造った酢なのですから、当然なのかも知れません。只一つの難点は春にしか限定生産されないため、流通量が余りにも少ないという事でしょうか。しかも非常に蒸発しやすいので、取扱にも細心の注意がいるようです。
翻ってみればこの「発酵」という過程、人間性が深みをましてゆく過程と重ね併せる事も出来ます。一見腐敗に見えて其の実は新しいものを生み出し、更にそれを発展させてゆく。人生こう在りたいものです。ホント、腐敗と堕落ほど簡単に出来るものってないですからね。条件を整えて、ガス抜きも上手にしてゆきながら程好く発酵した人生を過ごしてゆきたいものです(余談ですが「ヴィネガー」という単語、形容詞にすると余り有り難くない意味になります。「不機嫌な」、「怒りっぽい」…。余り多くは言いますまい)。今回は短くこの辺で。
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編集後記 |
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- 筆者が主体となって最近インターネット絡みの話
題の比重が多くなってしまっています。ご容赦下さいませ。身近な話題なものですからつい…。実際筆者担当分の原稿、今回から全て電子メールを使って入稿しています。技術も随分進んだものです。
- 最近インターネット経由で余所様とお付き合いして思う事。どうも皆様他人と深く関わる事に煩わしさを感じているらしい。突っ込んだ話し合いや論議を避ける傾向が強い様です。文字面だけ故の弊害なのでしょうか?駆け引きも時には必要なのですが。
- さて当会編集部における論争。詩「命令」(「春と修羅」第二集所収)の解釈を巡り、本日の編集会議は二時間延長となりました。ホームページ内掲示板を見て戴いた方にはお判りでしょうが、問題提議時、其の時点での一応の決着は在りました。今回は其の決着の裏付けを明確にする為の煮詰め作業でした。が、実は編集委員三人とも納得していません。何方でも結構ですので掲示板に乱入して納得行く解釈を一緒に探して戴けませんか?心よりお待ちしています。内輪だけで考えるには余りにも惜しいので。筆者の解釈はどうだったのか?それは掲示板を御覧下さい。
- 人の縁とは異なものです。別項の渡辺さんとの縁もそうですが、実は加倉井さんとも当会は縁が在りました。当会主催のイーハトーブセンター地方セミナーの参加申込を加倉井さんからも戴いていた事実をふと思い出しました。本当に、縁は異なもの、です。では今回は此迄。又来号にて。(杉澤)
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