|
 |
会報No.22 −千年、僅かに十日−目次
- 第25回例会報告−賢治とヘーゲル
伊藤 信也 - 書棚の散歩−第3段−
杉澤 法広 - 賢治百姓真似一笑−その2
友田 清司 - 賢治とZYPRESSEN
川崎 貴 - タイトル雑録
杉澤 法広 - 編集後記
|
|
第25回例会の感想−賢治とヘーゲル |
|
昨年12月25日の第25回例会において、「賢治とヘーゲル」と題して発表を行いました。
賢治の作品は、哲学を学ぶ者からすれば、様々な点で西洋哲学、しかもドイツの哲学との思想的共通性を見出す事ができるにもかかわらず、これまでの賢治研究の世界では、あまり議論されて来なかったように思います。
この発表では「もしかして、賢治は近代ドイツの哲学者であるヘーゲルの著作を読んでいた?」という、大胆(?)な仮説を問題意識の出発点にして調査・研究を進め、以下の3章構成にいたしました。
まず第1章は、賢治作品にしばしば姿を見せる「和解」をキーワードにして、それをヘーゲルが論じた「和解」の概念と重ねながら、賢治の童話を時代順に追って、その変遷と時代的影響を探りました。
取り上げたのは、「蜘蛛となめくぢと狸」「フランドン農学校の豚」「カイロ団長」「オツベルと象」などです。
ヘーゲルは青年時代から『和解』を重要な鍵概念としてきましたし、賢治の作品(特に童話)において、登場人物によるトラブルとその解決というモチーフが度々登場する事から、その両者に共通点があるのではないか、という推察を試みたものです。あくまでも「試み」です。
第2章は、1章の問題意識の根源となった、賢治がドイツ語に学生の頃から関心があり、学んでいたという事実や、
哲学を学びたいという意志があった事実を指摘し、その上で、賢治の生きた時代に日本ではどのようなドイツ哲学が「輸入」され、普及していったかを見て行きました。
この章で、ヘーゲル哲学が日本に入ってくる際、マルクス主義の文献を介して普及した、という経過を追いました。また、賢治の作品中に、間接的にヘーゲル
を知っていたと思われる箇所も指摘しました。
第3章は、前章で挙げた日本におけるヘーゲル哲学の普及期にあたる時期の代表作の一つ、『グスコーブドリの伝記』の評価について、意見をまとめました。
「『ブドリ』は法華文学」という評価がある中で、果たしてそういう規定が正しいのかどうかを、いくつかの論点で反論を試みました。その際、作品に現われる賢治の共同体の思想と、ヘーゲルの国家論を比較し、その類似性を挙げました。
この発表に対して、様々なご意見やご批判を頂きました。
やはり、哲学者の思想と賢治の作品世界を融合させ、一つの議論に昇華させるのは、簡単なものではない事を痛感いたしました。
今後は、第3章で挙げた『グスコーブドリの伝記』に対する評価の歴史や、その傾向について調その上で妥当な評価のあり方について提言を行ない、賢治の晩年をめぐる議論に一石を投じたい、と計画しております
|
書棚の散歩−第3段− |
|
どうも根が粗忽者な所為で、人様の会話に乱入する悪癖が付いて仕様がありません。毎度毎度例会で折角の会話に乱入しては話をあらぬ方向に曲げてしまい、帰途に頭の中で会話を反芻する度、モウ少し言葉ヲ選ブベキダッタノニ、と歯痒い思いをし乍らもその次の例会では又も端なく乱入してしまう。…これはもう性ですね。
(自分の事を一例にするのは少々気恥ずかしいのですが)然して賢治さん好きというのはどうも先哲の輪に乱入して主張するのが殊の外好きらしい。それが良きに付け悪しきに付け、です。今の処何とか良い方向の向かっている人が殆どの様な気がしますが、時として唯我独尊的勘違いが出てくるのはやるせない。一応表現の自由は認められているしナア・・・。
サテ今回の一冊です。「イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験」ますむら・ひろし ちくま新書・一九九八年初版。…お晒い下さっても結構です。映画版の「銀河鉄道の夜」の呪縛から逃れられないんです、ワタクシ。此の方の描いた「銀河鉄道の夜」、第四稿分も第一稿分も持っておますし、絵コンテ集だって買いました。正直云ってミーハーです。サウンドトラック盤も勿論持っております。
但し、此の本の内容に関しては胸を張ってお薦めします。出来れば買って戴きたい(と、云いつつ此の原稿は図書館への返却期日前日に書いております。か、買わなければ)。
要は解釈論なのですね。此の方の描く賢治さんの世界、御存知の方は皆御存知なのですが、登場人物が基本的に皆擬人化された猫となっております。そこからの糸口が内容の大半を占める。そこから展開しての「銀河鉄道の夜」の情景表現解釈論が又多い。
僕が要約しようとするといつも乍ら随分小難しくなってしまう。だからこそ云うのです。是非読んで下さいと。一時間もあれば読める筈です。賢治さんの世界に心得のある方ならば時間短縮も可能でしょう。ここに描かれているのは机上の論ではありません、机上を出発点とした体験論であると云ってもよい。机上の論も結構でしょうが、追体験するという前提がなければ確証に乏しき事この上無いと知って戴きたいのであります。
論より証拠。内容の一端に少しだけ触れます。「銀河鉄道の夜」の映画化に対し、登場人物を猫とすることへのクレームが一部からあったとあります。その根拠として挙げられたのが、短編「猫」。それでは、と、ますむら氏は自ら読者としての視点を駆使して賢治さんの作品の中から猫に関する描写を拾い上げてゆき、そして・・・・・、最終的には確固とした反論を打ち立てるのですが、その経過は本書を読んでのお楽しみ。どうしても御自分で同じ結論を導いてみたい方の為にヒントを。作品を解く鍵は作品にあります。その作品とは、決して一つのジャンルに留まりません。全集の中に鍵は必ずある、と断言しておきます。骨の折れる作業ですが、顛末を迎えた時には胸のつかえが下りているやも知れません。
とまれ、賢治さん好きにとってはある種痛快な一書である事、まず間違いありますまい。御自分の原体験と照らし合わせつつ、お茶漬けの丼を重ねる如くサラサラと何回でもお読み下さいませ。
|
賢治百姓真似一笑 その2 |
|
自給自足の農業を追求する大森さんの《あーす農場》2度目の訪問は、昨年10月10日でした。「手伝い」兼「実習」のつもりで、野良仕事ができる服装で行きました。その時期は、もう稲刈りが済んでいました。
他の地域で農業をしている知り合いのところでは、9月の中旬に済ませていました。機械を使っているところは、早いものです。大森さんのところは、人の手で刈り取るので、日数がかかります。そのかわり機械代などのお金がかかりません。人を雇ったりすると、人件費がかかります。自分たちですると無料です。これを「えらい」というか、「大変やなあ」というか、意見が分かれるところでしょうが、目指すは<自給自足の百姓>ですから、もちろん自分たちでやります。
宮澤賢治は、農学校の生徒たちに「百姓になりなさい」と言ったけれども、特に「自給自足の百姓になりなさい」とは言ってなかったですよね。もしも、宮澤賢治が空の上から今の時代にアドバイスしてくれるとしたら、どんなアドバイスをしてくれるでしょうね。私には、大森さんのことばが何となく宮澤賢治のことばのように聞こえます。
私も何年か後には、自分で植えて、自分で育てた稲を、自分の手で刈りとってみたいと思っています。いまは、百姓の修行が始まったばかりの段階だと思っています。百姓の道も一歩から……どこかで聞いたようなことばですね。 もしも、読者のみなさんの中でなるべく初めの段階からいっしょに汗を流してみようという方がいましたら、ご連絡下さい。私のように、体力も経験もない(けれどもぎっくり腰を経験したことはある)者でもやろうとしているのですから、きっとあなたにもできると思いますよ。
今回は私の妻と高校生の息子を連れて行きました。8月に初めて《あーす農場》に行ってから、妻には機会あるごとに「《あーす農場》は楽しいところだよ。とても気持ちがいいよ。」と宣伝していたので、まあすこしくらいは期待をもってくれていました。もともと妻は、何年も前から有機農法による農産物にこだわりをもっていて、産直の共同購入グループに入っていて、何度か生産者のところへ援農に行ったこともありました。息子は、2度目の訪問です。まだ将来のことを考えていない頼りない高校生なので、まあこれも社会勉強のひとつになるかと考えて誘ってみたら、特に嫌ともいわず、またいっしょに行くことになりました。あと私の家族で、《あーす農場》に行っていないのは、浜崎あゆみ(いま若い子らの間で人気の歌手)に夢中の中学2年の娘だけです。
その日は、午前中に建築中の第2の炭焼き小屋を見せてもらいました。これは、息子さんが作っているもので、あえて大森さんは手を出さないようにしているとのことでした。息子さんたちに、生きていくために食べ物を与えるだけでなく、食べ物を手に入れる技術も教えているわけですね。教えるということは、ほんとうはこういうことをいうんだなと感心しました。その炭焼き小屋に行く途中には、ターザンごっこができる場所がありました。そういえば、ターザンってのは、現代文明の批判を根底にしている話だと聞いたことがあります。(その話を私に熱っぽく語ってくれた人は、今は都会のジャングルの中に行方不明になりました。)都会文明を実践的に批判する《あーす農場》にターザンごっこができる場所があるというのも、いかにも象徴的な風景だと思います。
次に、パン焼き窯を見せてもらいました。確か次男の○○君が焼いているのです。朝早くからの作業になるそうです。窯の名前が「クラムボン」です。大森さんも宮澤賢治のファンで、それが縁で《あーす農場》を知ったのですから、いわば宮澤賢治が引き合わせてくれたわけです。「クラムボン」のパンは、独特の風味があります。おいしいですよ。
実は、私たちの訪れた10月10日は、村の運動会の日でした。山を下りた小学校(本校)の近くでやっていました。地区対抗の競技がいろいろありました。大森さんに、他の地区の人たちはどんな職業についているのかを尋ねてみたら、「たいていは、会社に勤めている」とのことでした。
村の運動会から帰ってきたら、犬がうれしそうに迎えてくれるので、散歩をさせてもらいました。犬が喜んだのなんの、もうおおはしゃぎでした。最近は都会で飼われている犬たちが散歩しているのは、ほとんどアスファルト道です。土や草のたくさんあるところを思う存分に走りまわることができるここの犬たちは、しあわせです。
さて、百姓実習授業の1番目は、にわとり小屋の鶏糞取りの仕事でした。今回は、ちゃんとゴム長靴も持参して、汚れてもいい服装で行きました。にわとり小屋には、床一面に鶏糞が厚さ20cmくらいありました。それをスコップでさばいて、丈夫な紙の袋に入れていきます。妻と息子と私と大森さんと50袋ほど詰めました。案の定、私がいちばん先にダウンしました。立ったら頭がつかえるほどの高さの鶏小屋の中での作業なので、腰が痛くなってきたのです。あまり無理をしないようにと、やぎが放し飼いにされている草っ原にゴロンと寝っころがりました。腰は痛いが気分は上々と、しばらく空をながめていました。大森さんがニヤニヤしてこっちを見ていました。
たっぷり休ませてもらってから、今度は鶏糞を詰めた袋を軽トラックに積んで、分校の近くの田んぼまで運ぶ仕事です。分校までは、歩けば40分くらいかかる距離です。大森さんの子どもさんらは、毎日この分校に通っているそうです。確か生徒が7人でしたか。その分校の近くの田んぼに、鶏糞をばら撒くのです。まるで花咲かじいさんって感じです。まあ、それほどかっこよくはないかな。なにしろ鶏糞を撒いているのですから。でも、田んぼにはずいぶんいいそうです。そういえば以前、共同購入の農家に行っていたときに、鶏糞をもらいに来ていた人がいました。何にするのかと思ったら、田んぼに撒くのですね。鶏糞撒きというのは、まあある人たちから見れば、汚れた仕事に見えるかも知れませんが、実際にやってみると、田んぼが喜ぶことをしているんだなと思えて、気分的には爽快ですよ。宮澤賢治の『イーハトーボ農学校の春』を思い出しました。私の場合は「あーす農場の秋」になりますかね。野良仕事を終え、夕方になると何だか歌を歌いたくなる気分でした。脚は棒のようになったけど、いい1日を味わせてもらいました。
|
賢治とZEYPRESSEN |
|
心象スケッチ「春と修羅」の表題作、詩篇「春と修羅」の中に「ZYPRESSEN」という単語が三度繰り返されている。この「ZYPRESSEN」は、賢治が岩手で見ていたかもしれない糸杉ではなく、紛れも無くゴッホの作品に描かれた糸杉である。ゴッホは1890年7月に亡くなっているが、その前年の1889年にサン・レミの療養所に移転した後、再三に渡り糸杉を描いている。ヨーロッパでは古来死を象徴すると言われている糸杉をゴッホは「糸杉のことで頭がいっぱいだ。その線とプロポーションはエジプトのオベリスクのように美しい。…そしてその緑は素晴らしい。最も興味深い黒の色調…そして最も表現し難い黒の色調のひとつだ」(テオ宛書簡)と述べ、幾重にもうねりながらくねくねと天空へ伸びてゆく独特のフォルムで画布に表現している。ゴッホにとっては糸杉が自身を象徴していたのではないかと評されているが、ゴッホの糸杉に、賢治も象徴的に自身を重ね合わせ触発されるものがあったのであろう。
最近、大正年間に刊行された月刊誌「白樺」を閲覧する機会があったのだが、当時「白樺」は文芸誌と美術誌を兼ね備えた総合芸術雑誌であったということを実感した。
執筆内容に美術関連のテーマの多さもさることながら、挿入されている図版で数多くの洋画を紹介している。セザンヌ、ゴヤ、レンブラントetc.の絵画を数点ずつ掲載し、もちろん白黒印刷であるが、誌面を華やかに彩っている。ゴッホの作品も大正5年12月号、同7年8月号、同11年8月号、10月号等に登場している。中でも大正11年10月号の図版「サイプレス」を見たとき、賢治はこれを見たのではないか、と思ったのである。もっとも、詩篇「春と修羅」の制作年月は1922(大正11年)4月であるし、これに先立つ歌稿〔ゴオホサイプレスの歌〕と題された4首の短歌を詠んだのは、1919(大正8)年8月から翌々年3月までの間となっているので、「白樺」の「サイプレス」掲載号より以前である。にもかかわらず賢治がこれを見て「春と修羅」を創稿したと思ったのは、現在でも紹介されることの少ないこの絵がゴッホの数ある糸杉の絵の中でも(特にこの図版ではモノクロのせいもあるが)、圧巻だからである。
存命中全くといっていいくらい顧みられることのなかったゴッホだが、死後間もなく、友人であった画家ベルナールや義妹ボンゲルによって書簡集が出版され、その全生涯が知れ渡ることとなる。日本でも、大正時代に入って、大正4年に木村荘八訳「ヴァン・ゴッホの手紙」、大正10年黒田重太郎著「ヴァン・ゴオグ」等次々出版されているが、画集となると数は極限られていたようだ。輸入洋書では早くからゴッホが紹介されていたというから、賢治はトシの看病で大正8年に上京した折丸善ででも見たのだろうか。
賢治とゴッホには生存年数や、父との葛藤、弟の存在や熱心な信仰心など共通点が多々あるが、それらは単なる偶然に過ぎない。しかし、ゴッホの糸杉のうねりが、空や辺りの風景さえも揺り動かし渦巻かせ、ダイナミックなリズムを形造るように、賢治の修羅も苛立ち忙しく動き回りながら、リズミカルなエネルギーを風景にこだまさせているのは偶然ではない。ゴッホには連作としては糸杉よりはるかに有名な向日葵があるのに、賢治は向日葵ではなく、何故その対極にある糸杉に心惹かれたのか。サン・レミ療養所における度重なる発作に耐えつつ、乗り越えようと抗いながら描かれた糸杉に、より一層の共感を覚えたのであろう。
|
タイトル雑録−千年僅かに十日− |
|
改めまして、明けまして御目出当御座居ます。来るべき新世紀の前哨戦と言える年が愈々参りました。早いものです。コンピューターに関連する問題もいくつかありましたが、何とかそれも乗り越えて時代は着々と動いている様です。
さてタイトルの出典をば。今回は多少アレンジしております。初期に書かれた掌編「竜と詩人」の老竜チャーナタの台詞より抜粋しました(ちくま文庫版全集第8巻357頁から361頁所収)。
今年が十二支で云う辰年―竜の年であると云う事から久方ぶりにこの掌編を紐解いたのですが、終盤近く詩人スールダッタと老竜チャーナタが約束を交わす場面で老竜が待つ事など気に病む程の事でもないと云わんばかりに述べた台詞に心惹かれました。さらりと読めば永き時間の儚さの表現かと思うのですが、待てよ、これは世紀という概念を示しているのではないか、と読めたのです。
ここで少し時間概念のお復習いをば。年末年始事ある毎に囁かれた「ミレニアム」なる単語。これは千年紀を表現する概念です。それを十分割した百年毎の時間概念、これが「センチュリー」即ち世紀です。
成程確かにそうとも読める。が、それが一体何だというのだ。こういうお叱りの声もあるかと思います。その通りなんです。だからといって物理的な時間の永さには実際何ら変化はないのです。
然し、です。然してそれが概念としての永さに等しいと言えるのかと問われれば、否と答えざるを得ない。我々を取り巻く生活の中の技術の向上速度の何と速い事。さしもの新しもの好きの僕でさえも最後尾に飛び乗るのがやっとの在り様。疲れてしまう事この上ない。
そして又、皆様にも体験があると思います。愉しい時間程足取りは速いものです。現に毎月の例会にしてもどれだけ速く時間が過ぎてしまうか。時として出来るならば物理的時間を編集してもう暫しの延長を試みたくなります。
さすれば。老竜の台詞の意味する処は恐らく、これから訪れるであろう詩人との語らいの時の愉しさが齎す至福であり、同時に物理的な時間の永さを跳び越えてゆく喜びの速度への期待ではあるまいか、と僭越乍ら思う訳です。しかもそれは老竜が単なる傍観者としてでの事ではなく、彼自身も参加しての出来事なのです。一入の喜びであっただろう、と。
尚今回よりEメールアドレスを公開いたします。御意見御感想など在りましたらこちら迄メール下さいませ。出来る限り早急に御返事差し挙げたく思います(匿名めーるハ無シデスヨ)。
今年1年、皆様にとって短く感じられる程愉快な一年でありますように!
|
編集後記 |
|
- 如何ですか、との問掛と共に川崎さんからバトンを渡されました。これからのこの欄では毎回の編集会議の裏話などをお伝えできたら、と思い今ワープロに向かっております。
- その中でも多くの割合を占めたのがインターネット関連の話。賢治さん関連のHP検索に関しては友田さんから「賢治の事務所」から糸を手繰れば良いとの事。一つ賢くなりました。にしてもヴ
ァーチャル空間での対話、何てェ物が流行りつつあるという事ですが、こういう会もその内にインターネットを介して各人在宅のままで進むんでしょうかね?随分と水っぽく歯応えのないものになりそうで歓迎したくありませんが。仮想空間とは言え活字の重みというのは同じ筈なんですがネ。
- 御遊びの話題を1つ。推理小説に興味をお持ちの方は講談社文庫1月の新刊「未明の家」篠田真由美・著に1度目を通してみて下さい(若くはその親本である講談社ノベルズ版にでも)。直接的ではなく間接的な遊びが隠れています。御怒りの向きもあるかも知れませんが、遊びと割り切って、ここは1つ。
- 去年はインフルエンザが流行りましたが今年はどうもタチの悪い普通の風邪が居座っている様です。各位御自愛下さいませ。かく言う筆者も今年はこれで小康状態を繰り返す事五回となりました。
- 今回はこの辺で。次回例会への多数参加お待ちしております。五里霧中乍らなんとか作品の味わいを伝えてみたいと思っております。編集会議へも何卒おいで下さい。次回は何かお楽しみが在るようですので(杉澤)
|