会報No.21表紙

会報No.21
−桜の空虚−

目次

  1. 第24回例会報告−賢治祭の報告等
    川崎 貴
  2. 書棚の散歩−第3段−
    杉澤 法広
  3. 電脳迷宮の悪夢
    杉澤 法広
  4. 賢治百姓真似一笑−プロローグ
    友田 清司
  5. タイトル雑録S
    杉澤 法広
  6. 編集後記

第24回例会報告−賢治祭の報告等

 去る10月9日(土)神戸女学院大学浜下研究室にて、第24回例会が行われました。
 澤田由紀子氏が、9月21日に花巻で開催された賢治祭の模様を録画したビデオをお持ち下さり、例会前半、急遽場所を講義室に移動してのビデオ鑑賞会となりました。毎年賢治の命日に恒例となっている賢治祭とはいえ、関西から足を運ぶには困難なことも多く、この生録ビデオは大変興味深く拝見させていただきました。全編観賞すると、延々数時間に及ぶというテープなので、端折って要所要所を澤田氏の解説付きで見せて頂きました。賢治祭は例年、「雨ニモマケズ」詩碑の前での野外イベントですが、今年は天候が雨模様ということで、南城小学校の体育館で開催されたそうです。
 地元の子供たちによる演劇「鹿踊りのはじまり」や朗読「雨ニモマケズ」、お母さんたちによるコーラス「風の又三郎」の挿入歌等々、学芸会風ではありますが、昨今の立派で派手な割には中味の薄いイベントにはない、地域に根ざした素朴さに好感が持てます。この形が、ほぼ当初より引き継がれてきているのは、やはり賢治らしさの故たるところでしょうか。地方の小都市花巻だからこそ出せる味かもしれません。
 1時間余り観賞した後、再び浜下研究室に戻り、読書会となりましたが、その前に、やはり澤田氏が、賢治祭の折、花巻にて購入された『陸羽132号』(最近再生産されたそう)で手作りして下さったおにぎりをいただきました。『陸羽132号』の米粒はやや大きめで、澤田氏の炊き方が上手なのでしょう、つやつやして、粘りのある、とても美味しいお米でした。本当に澤田氏の気持ちに感謝感謝!で、胸を詰まらせながら、また、肥料設計、稲作指導に奔走した賢治の労苦に思いを馳せながら、じっくり味わいました。
 その後の読書会は時間的な都合もあり、予定通りにはいきませんでしたが、「銀河鉄道の夜」の導入部分の中からいくつかの疑問が挙げられ話し合いました。先生の講義から天空をがらんと冷たいところだと想像したジョバンニの感受性や、「青い」と表現されている烏瓜のあかりのこと等々。インターネットで烏瓜を検索して、白い可憐な烏瓜の花の画像を見ることも出来ました。今回は新しく数名の方々の参加もあり、わいわい楽しい例会でした。
 予定していた内容での読書会は第26回例会に持ち越されます。

書棚の散歩−第3段−

 賢治さんの作品を読む時に、どうしても注意しなければ不可ない点が1一つあります。それは、賢治さん至上主義にならない事です。平たく言えば、賢治さんを聖人君子として崇め奉らない事です。  思い返せば賢治さんを聖人君子として祭り上げ、教育に利用しようとする人々のお陰でご当人の姿は随分歪められてきた様に思います。一番いい例が「雨ニモマケズ」。その持ち上げられ方は今更改めて書きますまい。書けば僕の精神状態が悪化して原稿が進められなくなる、と言う程のものです。で、そんな風潮が高まり過ぎたお陰で此又極端なのですが清水正氏の様な賢治さんに愛情を持たずにただ踏み台として使い捨てると云う不逞の族が出現する訳です。彼の本はできれば読まずに通り過ぎる事をお勧めしたい。読むとしても一冊に留めておいた方がよいのではと申し上げたい。余計なおせっかいと知りつつも経験を踏まえて云うとそうなってしまいます。
 で、今回の1冊。
 「宮沢賢治 こころの軌跡」福島章著・講談社学術文庫・1985年初版
 です。あくまでも賢治さんを人の人間として捉え、尊厳を尊重しつつも崇め奉らず、かと言って貶めたりもせず、賢治さんの中から作品が生まれ出る背景を専門用語を駆使しつつもなるべく平明に描き出している労作です。この福島章さん、皆様お顔は御存知の筈です。近年殊に須磨の少年事件では精神科医としての立場からの発言を暫しTVでされていた様に記憶しています。それと前後して暫し最近の「キレる」人々の犯罪ではコメントを求められている様です。
 僕にしてみれば何を今更と思いますけどね。福島さんご本人じゃなくて、意見を安易に求めるマスコミに対して。情報の最先端を全て知っている様な顔をしてその実自分たち足元の一切気付いていなかった事を露呈した様なものですから。  解説の加賀乙彦氏がいみじくも書いておられる、世間一般の態度をここで引用します。
 『天才は正常であるべきだという理想化とともに、狂人は価値の劣ったものという偏見がある』
 無論この見識が自分を正常であると自ら断定した上での偏見である事は言う迄もありません。別に異常な事ばかりするのが狂人だとは限らないんですけどね。異常な程に規律正しいというのも又一つの症状と断定される場合もありますから。
 何故にこの本を取り上げ、ここまで横道を描くかと言えば、僕自身も又軽度鬱病の患者であるからです。現在は限りなく完治に近い状態にありますが。それ故にこういう心理分析には心惹かれるものがあるのですね。
 ………何となく学術的になってしまいました。(多分)年内では最終の会報となる事ですし、今回は更にもう二冊程自分の本棚から楽しめる本を捜してみましょう。
 「セロひきのゴーシュ」茂田井武画・福音館・1966年初版
 「宮沢賢治雪の童話集」佐藤昌美画・童心社・1978年初版
 の2冊ですね。収録作品について言えば前者は表題作のみ、後者は「水仙月の四日」「氷河鼠の毛皮」「ひかりの素足」の3作を収録した童話集となっています。2冊共に単純な絵本ではなく、あくまでも主役は活字となっています。さりとて絵が単純な脇役かと言えばそうではない。絵も又、作品を味わう為の要素として確立しているのです。
 解釈の方法と言ってしまえばそれ迄です。でも本を読むという作業が視覚だけで成立すると断言するのには反対です。想像上ではあるにせよ聴覚・嗅覚・触覚も又必要なのであり、絵があるという事でその感覚が補足される場合もあるのです。
 これ以上文章を続けると又要らぬ理屈を捏ねてしまいそうなので、この2冊については兎に角眺めてください。その中で何かが生まれる筈だと信じています。   

電脳迷宮の悪夢

 前回の例会、本当に本当にごめんなさい。出席する気持ちは充分にありましたし、予定も調整した、心算でした。しかし、問題は僕自身の勘違いにありました。事もあろうに例会の日付を一週間間違えて記憶してたんです。落ち着きのない人生の証明ですね。日々是反省と肝に銘じます。
 さて本題。
 流行っておりますね、携帯電話。最近の機能の多様さには本当に感心します。例外なく僕も(年甲斐もなく)その尻にくっついている一人でして、機能の一つ、個別着信メロディーの設定を活用しています。
 前々回の例会終盤ではIさんとMさんから絶句に近い冷ややかな視線を浴びてしまいました。そりゃそうでしょう。自分でも思います。「星めぐりの歌」を着信メロディーとして入力するというのは手間も手間だし、嬉しがりの極致だと。まあ、電脳オルゴールと思って戴ければ幸いです。性懲りもなく今度は「応援歌」に換えておりますが。
 そしてもう一つ、驚くべきはメールの送受信機能。前々回の例会でしでかした不始末について浜下先生とも遣り取りをさせて戴いたのですが、まさか電話機一台でコンピューターとも私信の遣り取りが出来る時代が来るなんて…。技術の進歩とは、凄いものです。何しろ電報よりも早く、その上廉価です。更に確かな記憶も残せる。
 便利な時代になりました。世間の感心はインターネット、殊ホームページを中心に動いていますが、携帯端末によるEメールにもまだまだ門戸を開いて欲しいものです。仮に賢治さんがこの時代に生きていたとしたならば?確実にインターネットを活用した事でしょう。もっとも行動は決して忘れないでしょうし、Eメールも打つでしょうが手紙も書き続けるでしょう。
 そう。新しい技術というのは定着する迄にいろいろ弊害がもれなく付いてくる。インターネットも又その例外から漏れません。告発に名を借りた誹謗中傷、醜い自己満足の群れ。可能性を探ろうと真面目に取り組んでいる人達がいる一方で何を遣っているんだか。ただ呆れるばかりです。
 知る自由は無論誰にでも与えられています。但し、他人の私生活まで強引に覗いて踏み散らかす権利なんて、誰も持っていません。連中がそんな事を平気で遣り取りしているのが生きた言葉ではなく、単なる活字の羅列と思っているからなのでしょう。確かに表面上はそうでしょうが、その裏にいるのは紛れもなく人間。それも只自分の世界観のみに捉われた。
 賢治さんは違う。賢治さんが他者と遣り取りしたのは生きた言葉です。賢治さんという人間を理解する為に必要な生きた言葉です。だからこそ手紙も書き続けたと思うのです。それが例えワープロ打ちだったとしても、手紙という形には固執したと思います。端末を持っていない人に端末を介した言葉を投げかけるなんて、傲慢だし失礼でしょう?それが例え生きた言葉だったとしても、送信する態度に既に問題がある訳ですから。
 同時に賢治さんは失望したかも知れません。どんな個人にも情報発信が許された時代。そこには暗黙の常識が要求される、筈です。しかして現在それは確立していない。どころか匿名と云う仮面を悪用したり、実名さえ出せばどんな悪意も正当化されると一方的に正義を押し付けたり。極一部の連中の所業でしょうが、人間の善意に対する信頼感を揺るがすには充分です。イヤ待てよ。賢治さんならその連中と膝詰め談判をして止めさせようとするかも知れない。寧ろそうする可能性の方が大きいのではないか。
 …………答えを出したいのに一向に出そうにない。力不足なのに手を出した自分が悪いのは百も承知。言い訳に聞こえるかも知れませんがこの原稿で弄んだ心算は一切ございません。Eメールの一利用者としての感想の正直な処です。この答え、済みませんが無期限の宿題とさせて戴く事にしてこの辺でキーを打ち終えたいと思います。
 来る新世紀には何卒その答えの糸口が掴めてます様に。そして、電脳社会の根拠なき悪意が皆様の身に降り掛かりません様に!心から祈ってやみません。

賢治百姓真似一笑 プロローグ

 去年からぜひ見学に行ってみたいと思っているところがありました。それは、兵庫県朝来郡和田山町の僻地で自給自足の農業を実践しているという大森さんの《あーす農場》です。8月15日(日)、やっとで行くことができました。今回は、私と大学(農学部)1年生の娘と高校2年生の息子と3人で行きました。私の住んでいる神戸市灘区から自動車でおよそ2時間半かかりました。あと15分も走れば、皿そばと焼き物で有名な出石という城下町です。出石をずっと西に行けば豊岡です。ほとんど和田山町と出石町の境の山の峠に近いところです。《あーす農場》へ行く道の両側は、緑がいっぱいです。きつねがでてきそうな山奥です。途中には、××小学校の分校というかわいらしい学校がありました。宮澤賢治の『茨海小学校』を連想しました。また、廃屋になってしまって崩れかけている家も何軒か見られました。
 峠の近くの分かれ道になっているところに「あーす農場 →」と書かれた小さな看板があり、そこを下っていくと、谷間に《あーす農場》がありました。
 大森さんは、近くの田んぼに出ていました。右手には鎌を持っていました。さっそく炭焼き小屋に案内してくれました。歩きながらしゃべりながら鎌を振り回していました。ただ歩いているのではなく、手の届くところの草を刈りながら歩いていたのです。草ぼうぼうの坂道を、少し離れてながら付いていくと山の斜面に作られた炭焼き小屋に到着しました。私は、ちょっと息がはあはあしてきていました。 
 炭焼き小屋は、大森さんが自分で作ったそうです。枝分かれした木の幹などを利用して、器用に作っていました。米づくりはもちろんのこと、野菜づくり、にわとり、やぎ、ぶたなどの飼育、それに炭焼きまで、何でもするところから「百姓」というのだそうです。ちょっと昔は、ほとんどの農家で炭を焼いていたそうです。炭焼き小屋の前では、大森さんの友人が汗びっしょりになって、まき割りをしていました。楽しみのために大阪から来たそうです。汗びっしょりで仕事をしているのですが、とてもうれしそうでした。そのそばで、大森さんの息子さんの○○くんがまきを束ねては、それを一輪車に積んで、草道をタッタカターって走って行くのです。宮澤賢治の『車』を思い出しました。
 家の前には、あちこちにいろんな動物がいました。生まれてまだ1・2ヶ月の小猫が2匹、手のひらに載せることができるほどのおちびちゃん。小犬もまだこどもでした。あひるのガー子に、やぎのメエ子、ぶたは何ていう名前だったかな。みんな大森さんの子どもたちが名前をつけて、それぞれに世話をする分担を決めているのです。30羽くらいいるにわとりが、ときおり「コケコッコー、コケコッコー、ココケッコー」と元気よく鳴きます。当たり前ですが、動物たちもみんな生きているって感じです。
 私は、都会の塾で生徒たちと20年近く、宮澤賢治の童話を声に出して読んできましたが、実際に農業をしてみようとは考えてもみませんでした。ところが、《あーす農場》を訪れてみて、私もやりたい。やらせてもらえるなら、やらせてほしい。という気持ちになりました。「賢治を語るなら、農業をやらなければならない」という考えからではなく、農業の楽しさを《あーす農場》が見せてくれたのです。それから、宮澤賢治の童話を読み返していくと、もうビンビンビーンと味わえるわけです。それまでは、ほんと頭の中でしか、机の上でしか理解していなかったんだなあと思いました。
 こういった経験とその経験から強く影響を受けた考え方をみなさんにも……と、強くはいいません。賢治の味わい方にはいろいろあって、これはそのひとつのアプローチだと思っています。私のことばを他人事にしか読まない人もいるでしょうし、共感をもって読んでくださる方もいるでしょう。農業の「の」の字も知らない都会育ちの貧弱な私が、百姓をやってみたいといっても、だーれも信用してくれません。一笑に付されるだけかもしれません。農学校で教師をしていた宮澤賢治がほんとうの百姓になろうとしたことを、まるで猿みたいに真似をしようとしているようにも見られるかもしれません。そんなことから、タイトルを「賢治百姓真似一笑」と題して、私の農業体験の報告を宮澤賢治の童話と絡めながら書けるところまで書いてみようと思います。

 

タイトル雑録S−桜の空虚−

 我ながら随分恥ずかしい失態を演じた上、皆様に多大なご迷惑を掛けてしまいました。オアシスにゆくのを自らの励みにしていながら、日々の多忙さに記憶さえ曖昧となる昨今。毎日の健康管理を人に説き乍らナンテザマだ、と自嘲し乍らワープロに向かっております。
 さてタイトルの出典を申し上げます。これは賢治さん自身が残した言葉であります。ちくま文庫版全集第3巻122頁、歌稿393番より、下の句の上7音です。
 ―学校の 郵便局の 局長は(桜の空虚)齢若く死す― 
 それに対応する様にこんな1首も並べられています。
 ―うつろある 桜並木の 影にして □□局長 年わかく死す―
 桜の樹の下に死体が埋められている―と掌編を書いたのは梶井基次郎氏です。もっとも賢治さんが梶井氏の作品を参考にしたのではない。賢治さんのこの二首の成立は大正5年末頃ですが、梶井氏の作品は昭和2年成立したものです。それがどうしたと言われてはそれまでなのですが、実は主題が似ているのではないかと思い久方振りに紐解いてみたのです。
 これは僕自身が感じ取ったものです。普遍的なものでは到底ありません。梶井氏の作品の主題とは、美を成立させる際の生贄の必要性。それは人間が主義として造り上げたものではなく、自然の節理として既に存在しているのだ、と言う事です。
 これが賢治さんになるとどうか。華やかな桜と夭折した人をならべる事によって感じられる空虚。その空虚を埋めたいが為に美を求める人の心。この歌の中で美は桜によって表現されています。しかしながら、桜の表現する美しさとは永遠のものではなく、一瞬一瞬を接ぎ合わせたもの、刹那の華やかさの後にはただ朽ち果ててゆくだけ。残された者の心の隙間を埋めるどころか、却って空虚を深めてゆく疎ましい存在でしかないのでしょう。言葉が穏やかな分、こちらの方が余程残酷に響きます。
 …何故この季節に桜を貶める様な文章を書いたのか。図書館の桜の狂い咲きに暫し言葉を喪ったから、と申し上げておきましょう。
 とまれ、賢治さんと夭折した郵便局長氏の間柄の詮索なぞ、仕方ない問題です。それを知ったところで、彼は甦らない。この岸から船に乗っていった者達が彼岸から帰らないのと同じ様に。だからこそ賢治さんは華やかな桜の中二空虚を感じ取ったのではないか。マアこれはつまらぬ私見に過ぎませぬが。
 と、綴っている間に気候はみるみる変化して束の間の秋の気配を見せて間もなく初冬になろうかという…。天の気紛れに振り回されて敢え無く散ってしまう仇花、そんな生き方だけはしますまいよ。

編集後記

  • いつのまにか師走に入り、2000年までもう1ヶ月を切りました。   
  • 神戸賢治の会も早いもので、発会より4年半を経過したことになります。細々ながらも続けてこられたのは、会員の皆様のご協力の賜物と存じます。私自身、身辺の諸事情から当初の意気込みも何処へやら、ついつい怠慢になりがちなのを改めて反省致しております。  
  • 会として消滅はしないまでも、なかなか発展も出来ませんが、組織であるより、賢治に関心のある人の集まれる拠点であれば、と願っております。