会報No.20表紙

会報No.20
−何を踏むのか青ぞらの脚−

目次

  1. 第22回例会報告−賢治研究批判
    澤田 由紀子
  2. 第23回例会報告−文語詩稿について
    澤田 由紀子
  3. 第23回例会報告−「銀河鉄道の夜」の視覚的構想−序論抜粋
    大石 加奈子
  4. 書棚の散歩−第2段−
    杉澤 法広
  5. タイトル雑録R
    杉澤 法広
  6. 編集後記

第22回例会報告−賢治研究批判

 2月20日におこなわれた第22回例会では、『批評空間』(’97.7)誌上で行われた「共同討議 宮沢賢治をめぐって」をテキストとして、宮沢賢治研究、特に生誕100年を契機として起こってきた賢治研究批判という側面を、みんなで考えようとする試みを行いました。問題提起者として、澤田が、「どんな石を投げるのか−賢治研究批判の様相−」と題して「共同討議 宮沢賢治をめぐって」の前後になされた研究に対する発言や、吉田司『宮澤賢治殺人事件』への言及をまとめました。表題の「どんな石を投げるのか」という言葉は、荒川 洋治が94年に発表した詩「美代子、石を投げなさい」からとったもので、「宮沢賢治論が/ばかに多い 腐るほど多い」と始まるこの詩の中で、「時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ」という詩句で、荒川洋治が提示している「傷と痛みのない美学」への批判を受け止め、私たちが賢治にたいして投げかける「石」とはなにか、を考えようとするものでした。「共同討議 宮沢賢治をめぐって」において問われているのは、「宮沢賢治」の政治的な意味であり、賢治の研究者はこれまで意図的にそれにふれないできた、というのがこの共同討議の大筋の流れのですが、賢治の生きた時代の流れの中でにおいて賢治のテキストを問うこと、これは容認できるとしても、賢治自身をその生い立ちや周囲の環境から、また、死後の評価やテキストの利用によって、賢治自身を社会的な被告として糾弾することの意味にはまだ納得がいきません(このような反論は、「共同討議」論者の格好の反駁の対象なのでしょうが)。では、私たちはどのような石を投げるのか。現実の賢治自身ではなく、「宮沢賢治」というテキストを、「いま」「ここで」読むことの意味こそが考えなければならないことであり、そこにおいては、過去の賢治テキストの政治性や賢治研究の政治的な意味を問うことは必要性をおびてくるものであるかもしれませんが、やはり私たちが賢治自身を、テキストの発信者であるという意味で社会的な被告席に座らせることなどできないのではないか、と考えます。私たちが宮沢賢治の作品を読み、そして何かを言うとき、私たちは自分がどこに立って発言をしているかという自覚が必要なのではないか、それぞれが賢治を読むことの意味を考えよう、というところに収束してこの会はお開きとなりました。当日は、まだまだ話は尽きない、次回も続きで、という展開になりましたが、後日、期間が開いてしまったことと、結論のでる話ではないことでもあって、また別の機会に譲った方がいいのではとパネラーの勝手な判断でとりあえずこの話題は再び浮上したときにまた、ということに致しました。

第23回例会報告−文語詩稿について

 7月24日の第23回例会におきましては、私自身のこのところの関心事である、賢治の「文語詩稿」について発表しました。
 「文語詩稿」には、晩年に清書し表紙をつけた「文語詩稿 五十篇」「文語詩稿 一百篇」と、それらとは別に「文語詩未定稿」がありますが、今回の発表では、これら「文語詩稿 五十篇」「文語詩稿 一百篇」の定稿用紙上には連を示す番号が付けられていることに着目して、賢治が意図的に付けたそれらの番号が、詩篇にどのような役割を持っていたのかを考えるために、文語詩稿と同じく「文語」で、韻律をもつ、賢治の短歌の有り様と比較することで、文語詩稿の特性を考えようとしました。今回取り上げた「〔腐植土のぬかるみよりの照り返し〕」は「文語詩稿 一百篇」の中の詩篇で、「五・七・五・七・七」の韻律を持ち、上段「五・七・五」を読点「、」で区切り、下段「七・七」を句点「。」で終える一行を一つの連として、定稿用紙には、行の冒頭に丸番号が付けられています。一方、同じ「文語詩稿 一百篇」の中の詩篇「〔鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし〕」では、「〔腐植土のぬかるみよりの照り返し〕」とほぼ同じ構成ではあっても、連の丸番号は付されていません。これら二つの詩篇の解釈を通して、連番号の有無による差異を考察しました。まず「〔腐植土のぬかるみよりの照り返し〕」では、詩篇の構成として、「照り返し」という詩語が通底音となって、ある視点による一定の時間軸に沿った描写として描かれているものの、第九連では、同一時間軸ではない詩行も挿入され、一つの視点からの一元的な描写ではなく、世界をその輻輳性とともに動的な世界として描写しようとするものでした。それに対して、連番号のない「〔鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし〕」は、七つ森の横を橋場線によって通過する一つの視点による、同一視野の中に展開される世界を、平行的に描き出すことで、時間的には一瞬に過ぎゆく世界を、多層的に、一部には考古学的な時間をも連想させるような描写をもって、描き出しています。賢治の文語詩の型として、最も多く見られる型は「七・五、七・五。」を一行として、二行、四行、八行と重ねられていくもので、これらには連番号が付されていて、一連が一行もしくは二行からなるものが「文語詩稿」の大半を占めます。今回取り上げた二つの詩篇は、そうした多数派のなかでは、少数派ではありますが、賢治が若い頃にかいた歌稿の特徴との比較も可能であると考え、この詩篇をとりあげました。歌稿において、連作という方法が特徴的に使われていることはすでに岡井隆氏が指摘されていますが、岡井氏は賢治の歌稿について、歌稿の段階からすでに既存の短歌の枠組みから逸していたことと、一般の連作短歌のもつ一首の自立性においての弱さを指摘されています。こうした歌稿における、歌の一首の自立性の弱さと、文語詩稿の一行における自立性の弱さと比較すると、やはり、歌稿の連作短歌には(結果が不十分であっても)それなりの自立性への志向がみられますが、文語詩稿においては、とくに今回取り上げた二首においては詩句にリフレインが多様されるなど、一行の自立性は明らかに確立されていません。その意味では、文語詩稿は短歌と同じ韻律を持ってはいても、行を重ねることで詩篇全体が構成される、再構成の芸術であるのです。その文語詩稿において連番号の有無は、構成の方法の違いを示しているのではないか、と考えます。今回の2篇では、時間の流れの違いと、詩篇における視点の置かれ方の違い、つまり詩篇における物語性の有無と対象となる事物そのものへの傾斜の差が、挙げられるでしょう。文語詩稿自体の時代に於ける位置に就いては短歌の改良運動や、昭和初年度の「シネ・ポエム」等の影響、等々短詩形文学の改良、改革運動の流れの中でとらえ直す必要性を感じていますが、まずは詩篇そのものの持つ特徴を明らかにすることから始めなければならない、と考えています。
 発表後、詩篇の解釈について、みなさんのご意見を伺って、私自身の解釈の甘い部分をご指摘いただきました。文語詩稿の特性を型のみに求めていても、詩篇の描き出す世界との関連性に説得力がなければ、「文語詩稿」の魅力は語れないと思っています。ご指摘いただいた点につきましては、今後さらに研究を深めて行きたいと思います。

第23回例会報告−銀河鉄道の夜」の視覚的構想−序論抜粋

 『銀河鉄道の夜』(第四次稿)は、賢治の作品の中でもとりわけ「光」と「影」が多く散りばめられ銀河の夢幻的映像芸術としてとらえられるところから、「視覚」的にテクストを分析した研究が近年散見される。昭和の終わりごろからその最初の萌芽を見ることができ、論文発表数は平成にかけて徐々に増加している。言説から視覚的空間イメージを分析する手法は現在日本文学研究において成長段階にあると考えられる。手法論が既に確立しているわけではなく、各論文がそれぞれの目的に応じて手法を工夫して適用している。各領域に散在している、「視覚的にテクストを分析した研究」の進展状況を次に述べ、分析手法の到達段階や今後の可能性を考察していく。
 

  • 高橋世織「宮沢賢治/銀河鉄道の夜・〈向こう側〉のコスモロジー」(「国文学」33巻4号 昭63・3)
  •  鉄道を、理想郷を夢想させるからくりであり、かつて味わったことのないパノラミックな視覚的体験の共有を可能にする機関であるとしている。
     
  • 児玉真由美「銀河鉄道の夜」の受容―視覚・映像・聴覚的分野において―(「金城国文」65 平元・3)
  •  絵画的、映像的と言われている『銀河鉄道の夜』が、実際の視覚的分野(挿絵・絵本・写真)、動的映像分野(影絵・映画・映像・演劇)などにどのように受容されているか、63年までに発表されたものを調査してまとめたもの。
     
  • 松尾麻子「『銀河鉄道の夜』」試論―夢幻の銀幕―」(「跡見学園女子大学国文学科報」19 平3・3)
  •  作品を、読者とジョバンニの心のスクリーンに映し出された映像であるととらえ、ジョバンニにとって幻想世界は映画のようなものであるという視点によって作品を解釈している。
     
  • ますむらひろし「色彩は、賢治のもうひとつの声『銀河鉄道の夜』の極私的な色彩」(「宮沢賢治」11 平4・1)
  •  作品を視覚的にとらえ漫画化してきた著者が、《ボンヤリ》した映像の中に《クッキリ》した「色彩」があることに着目し、さまざまな「色」から得られるイメージを作品の解釈に用いている。
     
  • 奥山文幸「賢治と映画的表現」(「日本文学」46 平4・5)
  •  賢治の視覚は、「写真や映像などの複製芸術が本格的に進展した大正という時代の視覚」であり、「視覚的経験の獲得が一般的には意識されない日常生活に浸透しつつあった時代の指標石として、賢治の珠玉の作品がある」と結論し、《カメラの眼差し》が取り込まれた作品に「視覚と聴覚のイメージの交錯」、「オーヴァートーンのモンタージュによる多視点的手法」を見いだし緻密に分析している。テクスト分析の論拠として、エイゼンシュタイン、ベンヤミン、マルセル・マルタンらの説を引用している。
     
  • 村上陽一朗「舞台としての空間―賢治宇宙を読む」(「現代詩手帳」平8・10)
  •  賢治の「宇宙」の概念の背後にあるものが、「法華経」であるとする従来の論を否定し、テクストを、西欧的な無限の宇宙論のなかで起こる小さな個別の出来事としてとらえ、「映写機の速度を自在に変えるように、人間の時間感覚を、心理の動きに連動させながら変化させ、時には極端な早回し、時には逆に細分化し量子化された時間幅のなかに、心象と外像とを統一的に描き込む。」と、賢治という人間の信仰から切り離した分析を推し進めている。
  • 和田博文「眼球譚―宮沢賢治と光学装置」(「現代詩手帳」平8・10)
  •  賢治文学の時空間には、従来論じられている相対性理論、仏教宇宙観、大正生命主義、光の波動説だけが映し出されているわけではなく、光学装置のレンズが作り出す視界の重要性を論じたもの。作品形成に関与する「幻燈」「活動写真/キネオラマ」「顕微鏡と望遠鏡」について、それぞれの光学機械の歴史、および作家とのかかわりを述べることで、光学装置や物理学理論と賢治の作品との連関を読み取っていき、加えて眼球に蓄積された異時間や異空間の物語として押し出された総体が賢治文学であるとしている。
     和田は「特定の装置や理論に還元するだけでは、賢治文学の宇宙は姿を見せてくれない」と主張し、エイゼンシュタインなど他説を引用せず、賢治文学のさまざまなイメージや場面から光学装置や独自の物理学理論を見いだしている。テクストにおける光は見えるものをより良く見せるために使われる照明ではない。人物を見えなくしたり、突然出現させたり、不思議な使い方がされている。それについて和田は次のように指摘している。

      鳥捕りは、突然姿を消したかと思うと、車外の「からはこぐさ」の上で二十疋ほどの鳥をつかまえ、次の瞬間車内に戻る。また幻燈のような野原を見ていると、燈台看守が突然、「大きなりんご」を抱えていたりする。同じ汽車に乗っていても、ジョバンニの時空間は、鳥捕りの時空間とも、燈台看守の時空間とも、異質なのである。
    これらが活動写真のコマ送りを想起させるように、賢治文学のさまざまなイメージや場面から、光学装置や物理学理論との交通を読み取ることは可能だろう。(54頁)

     鳥捕りや燈台看守の空間移動、またカムパネルラの突然の消失やジョバンニの「風のように走れる」現象に見られるように、テクストの中に仕組まれた光の装置は、むしろ見えるものの実体を消去し、肉体を透明な光や影に返す機能も備えているようである。しかしテクストの中に独自に存在するこのような光学装置がどのように用いられ、テクストにどのように働きかけられているか、その傾向や特徴などを広い範囲で論じられたものはまだ既往の論文の中に見られない。
     ニュートンの光学装置が18世紀のアメリカの詩人たちに広く影響を与えたことは、M・Hニコルソン―『美と科学のインターフェイス』(高山宏訳 平凡社)―によって記されているが、さらに進んで、19世紀および20世紀の幻想文学が、視線や眼の錯乱を描きだすために、同時代に発展をとげた光学器具をテクストの空間にどのように用い、テクストの人物に如何に働きかけているかということは、すでにマックス・ミルネール―『ファンタスマゴリア―光学と幻想文学』(川口顕弘訳 ありな書房)―によって研究され日本においても上梓されている。ミルネールはホフマン、モーパッサン、ゴーチェ、ワイルド、リラダン、ヴェルヌ、カサーレスほか、多くの幻想文学をとりあげ、この文学分野は他のジャンルより顕著な形で常に《視覚に訴える》形式を持っていること、そして光学装置は、遠近法や、立体感、照明などに関わるものであれ、視野を限定するものであれ、あるいは一定の器具を通して見る映像であれ、際立った特異性を持った《見せる装置》として現れていることを示している。
     賢治の『銀河鉄道の夜』は、泉鏡花、江戸川乱歩、安部公房らの文学と並んで、日本の代表的幻想文学として取り上げられ(特集幻想文学の手帖 国文学」33巻4号 昭63・3)ていることからも、『銀河鉄道の夜』に内包する《見せる装置》にアプローチすることは今後の、この分野における分析手法の進展に資すると考えられる。
     文学作品はアートである。従来のように意味や作家の意図を読み学ぶための教科書ではない。テクストの中に「表現」、「表象」、「表出」……されるさまざまな「表…」要素は、作家あるいは全知の語り手によって統御されていると考えられてきたため、テクストの隠れた統轄者「光学装置」の存在が、ヴェールに覆われ希薄となっていた。本研究においては、あらゆる「表…」を担う「光学装置」のクリエーションの論理を明らかにしていく。  

     

書棚の散歩−第2段−

 

 こちらの原稿も1年近く御無沙汰となってしまいました。御無沙汰していた間本は増えたのか。多少は増えました。しかし僕の購買力以上に賢治さん関連書籍というのは増えているものです。従ってその場合は素直に図書館のお世話になる事にしています。
 そうするとそれはそれで又困った事になるのですね。図書館の蔵書でも又紹介したくなる本が出てきてしまう。ですがこの連載の原則はあくまでも僕の蔵書からの紹介と最初に自分で足枷を付けてしまった以上どうしようかと悶々としていた訳です。
 自分勝手は充分承知の上でその原則、今回より変更させて戴きます。今回より自分自身の本棚及び図書館の本棚から拾い上げた本を紹介して行く事にします。その方がまだ良い結果が生み出せると思いますので。
 そんな訳で今回は図書館の本棚から紹介します。といっても多分皆さん前回の例会で御覧になった筈の本です(出席してない方、ゴメンナサイ)。 「宮沢賢治 文語詩の森」/宮沢賢治研究会著/柏書房・柏プラーノ/99年6月20日初版 がそれです。この本との出会いは余りにも偶然的だったのですね。その日に澤田さんが文語詩についての発表をする抔とはつゆ知らず、ましてや彼女もまたこの本を手にしていたとは予想すらもしていなかったのです。僕としてはただ久方ぶりの例会なので賢治さんモードに頭を切り替えたいが為にこの本を借りたというだけの話なのです。
 参りました。兎に角、参りました。森の中を彷徨っている心算だったのが実は林の中に過ぎなかった、そんな心持です。賢治さんの文語詩というのは単なる気の迷いの産物ではなかったのですね。口語詩と同じく、否それ以上に練り上げられようとしていた賢治さんの「スケッチ」だったのだという事を易しい言葉で解き表そうとして成功を収めているのには舌を巻きます。文語詩をこれから読もうとしている方、是非この本を傍らに置きつつ読んで下さい。
 確かにこの本は「研究書」ではありましょうが、その根底に流れているのは作品に対する「愛」であります。それが理解の一助となっているのですね。ご近所の図書館で見かけたら、是非手に取って下さいませ。時間の損とはなりますまいよ。   

タイトル雑録R−何を踏むのか青ぞらの脚−

 

 随分抽象的なタイトルだと筆者自身頭を抱えております。それでも賢治さんの言葉から受けたインスピレーションには違いないというのも又事実。何とかそのインスピレーションの源泉を捜し当て、能書きを認めてみようと思います。
 まず出典から。ちくま文庫版全集第3巻121頁、歌稿391番。この様な歌です。

「青空の脚」といふもの ふと過ぎたり
      かなしからずや 青ぞらの脚

 これが雑誌に発表された時には、こうなっているとか。

「大空の脚。」と、いふことを、ふと気付く。
       かなしからずや、大空の脚。

  希臘神話の昔、落ちてくるかも知れぬ天空を支えるという罰をあたえられたのはアトラスという巨人でした。アメリカのアトラス山脈に、そして世界地図に名を残す彼です。神話によればアトラス山脈は彼の化身した姿なのだとか。
 関係のない話でお茶を濁すでない?承知しております。ですがこうしないと自分でも源泉を捜せないのです。御容赦を。
 閑話休題。
 この二首を比べるとどうも哀れみの種類が違う様な気がする。後者の「大空の脚」に対する哀れみというのは、立派そうに見えたのに実際はみすぼらしかったという存在に対してのやや侮蔑を含んだ哀れみの様な気がするのに対し、前者の場合は、何の為に何を踏みつけて通り過ぎようとするのか自分でも判っていない「青ぞらの脚」という存在に対する共感を含んだ哀れみの様な気がするのです。
 希臘神話を引用したのは「大空の脚」に対する哀れみの正体を知りたいと思った故にです。天空に向かって高く聳える峰。しかし、その前身はといえば罰を受けたが故にその役目をこなしていたに過ぎず、山と化身したのも延々続く苦しみから逃れたいが為。意地悪な視点は百も承知。舞台裏は知らない方が良いという格好の例なのかも知れない。・・・何か八つ当たりめいていますね。
 「青ぞらの脚」。一体どういう存在だったのでしょう。賢治さんにとって自分を踏みつけるだけの敵だったのか。それとも、出口を捜したくて仕様がない賢治さん自身の分身的存在だったのか。踏みつけられていたのは賢治さん自身なのか、賢治さんを阻む何者かだったのか。
 青臭いのを承知の言葉で表現すれば、その意味する処は多分「青春の衝動」です。一歩間違えれば自らをも敵ともしかねない荒々しさ。それを随分長い間忘れていた様な気がします、ね。
 判ったような判らぬような文章となりました。ですが暫く又お付き合い戴こうかと思っております。どんなタイトルが果たしてこれから出てくるのやら。筆者自身にもわかりかねますが、まあ、宜しくお願いします。

編集後記

 
  • 残暑きびしい中、それでも我が職場の鈴虫は死に急ぐかのように鳴き競っています。確実に季節は移ろい、会報19号を何時出したかも忘れる有様…いえ、これは偏に私の怠慢です。  
  • 隔例会毎に読書会をすることとなりました。参加をお待ちしています。