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会報No.2 −サファイアの岸辺 黄水晶の黄昏−目次
- 第3回例会報告
杉澤 法広 - アニメ映画「グスコーブドリの伝記」鑑賞記
友田 清司 - 「グスコーブドリの伝記」を上映して
上條 正子 - 賢治NEWS
- 「松田屋処世十訓」より賢治を偲ぶ
森永 敦子 - 蔵本案内
杉澤 法広 - 優しさと烈しさ
川崎 貴 - 戯れごと−タイトルついて
杉澤 法広 - 編集後記
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第3回例会報告 |
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7月9日(土)PM2:00より第3回「神戸宮沢賢治の会」例会が行なわれました。
杉澤法広氏により「グスコープドリの伝記とペンネンネンネンネン・ネネムの伝記の比較」というテーマでの発表、その後の質疑応答から賢治の言葉選びの妙、賢治のユーモアetc. 様々な賢治談議にと展開し、5:00過ぎに閉会致しました。
『ネネムとプドリの迷宮』 一発表に至るまで−
「こんな筈ではなかった。」
第2回の会合の最後に口をつい滑らせて、第3回の席上での発表を約束した後、僕の胸の中ではこの台詞が家に帰るまでの間、ずっと繰り返されていた。弾みとはいえ飛んでもない事を引き受けてしまった。とは言え、黙って引き下がる訳にはいかない。プドリについて話しておかなければならない理由が僕にはあるのだから。
そもそものきっかけは7月8日まで遡る。その日図書館から借りた本の中の1冊こそがスタート地点だった。本の題名は『宮沢賢治・イーハトープの森』。著者は清水正。千葉の方の大学教授らしい。内容は、「グスコープドリの伝記」の作品論であるらしかった。
大体賢治さんの作品論には2つの姿勢がみられる。矢鱈と誉めちぎるか、矢鱈と貶すかだ。だが、いずれにしても根底には賢治さんへの愛情(作品への愛着も含めて)が満ちあふれているのが普通で、全く見当外れの作品論を展開しているものはごく一部に過ぎなかったと思う。
しかし、この著者のものは全くの異質であり、異端である事この上なかった。第一、 愛情が一欠片もなかったのだから。
この著者にとって賢治さんの作品と言うのはイチャモンを付けて貶し、自分の優れた視点を世に知らしめる為の出汁として利用する存在でしかない様で、「論述」と称するものを読んでいる間、余りにも気色悪かった。この人は「森」を少しも見ていない様である。プドリの存在はまだ林に過ぎない。先駆作品の「ネネム」や改稿設定メモの中に存在する「ノルデ」達と合わせて初めて森を形成するのである。諺によく言ったもめだ。《木を見ても森を見ず》とは。
そして数日後の第2回の賢治の会。雑談が進む中で、僕の中で頭をもたげた思いがあった。(賢治さんの実像は作品と表裏一体を成していた。ならば、ブドリだけを見て断ずるべきか?ネネムの存在にも意味はある筈だ。)僕は、ついうかうかと、第3回の席上での発表を約束してしまったのである。
僕なりの結論としてはこうだ。ネネムとブドリはジキルとハイドの関係にある。どちらか一人だけでは存在し得ない。何故そう思うのか。賢治さんの実像を見れば想像が付くと思う。確たる保証もなく、甲斐性もないままの上京。そして晩年の異常な迄の献身生活。人間、決して善悪いずれかの一色では存在し得ない。善人の中にも一抹の悪が存在する筈であるし、悪人の中にも一欠片の良心は存在する筈だ。その様な仮定の下で作品を読み比べてみると道は案外と楽に見つかった。賢治さんも人間だったのである。選ばれた修羅などではなく。
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アニメ映画「グスコーブドリの伝記」鑑賞記 |
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8月26日に、兵庫県私学会館で『グスコープドリ伝記』のアニメ映画の上映会がありました。画面が美しくて飢饉のイメージがはたして子供たちにどれだけ伝わるかな、という心配もしましたが、自らの命を犠牲にして、たくさんの人たちを救う仕事に向かうとき、妹のネリに泣かせたり、その仕事の大成功の瞬間にはペンネン技師に悔しい表情をさせたりすることによって、プドリの生き方が観る者の心を強く揺さぶったのではないかと思います。映面の終わりに、出演者や監督をはじめいろんな役割の人の名前が背面に出てくる段階になると、よく席を立ったり、ざわざわとなることがありますが、この映画の終わりでは、誰もが席を立たずに喰い入るように画面を見つづけていました。観客席が満員になるかどうかではなく、観客のほとんどに感動を与えることを「成功」と呼ぶならば、この映画は成功したと思います。そして観ることのできなかった人たちに、もしもまた機会があるなら、ぜひとも観ることをお勧めしたい映画でした。原作の良さを十二分に発揮させることができているといえるのではないでしょうか。
(毎日新聞9月2日号にもこの映画の感想が掲載されておりましたのでご紹介します。)
冷害やききん、地震災害といった過酷な自然と人々の闘いの物語である。大地震に見舞われた土地だけに生々しいリアリティーが感じられ、みんな見入っていた。それにしても、賢治は心やさしい人だったとつくづく思う。(中略)プドリを助ける“俸大な農民” 赤ひげ、“空飛ぶ博士”クーボ一博士などのキャラクターもいい。子供は大喜びする。しかし、作品はそれにとどまらない。(中略) 「みんながつらい思いをしないよう、日照りだの寒さだのを除く工夫をしたい。」こう述べるプドリの願いは、賢治自身のものでもあったはず。子供向きのアニメ映面ではあるが、賢治の生涯と重ねて見る人も多いのではなかろうか。
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「グスコーブドリの伝記」を上映して |
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「グスコープドリの伝記」の映画上映の時にはいろいろと協力して頂き有難うございました。お客さんは少なかったものの、新聞等に沢山載せて頂いて映画の宜伝にはよくなったと、宮本さんと喜んでおります。
私は小学6年の時に賢治を読んでファンになりました。賢治が他の生物の命を惜しみ、ベジタリアンであった事がその頃の私をひどく驚かせました。それからいろんな本を読み、結局、賢治はあらゆる生物の幸福を求めて生きていく事…これを訴えたかったのだと思います。そして、それは他の何よりも大切なのです。ずっとそう思い続けていた時、宮本さんと出会い、動物愛護活動を始めました。宮本さんも賢治に興味を持って下さって、映画を上映しようという事になりました。映画上映なんて始めてで、ほとんど全部宮本さんにして頂いて申し訳なかつたですが、この映画を他の方がまた上映されると聞き、本当によかったと思っています。
賢治を一般の方により深く知ってもらうため、「神戸賢治の会」でも何か企画したいですね。
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賢治NEWS |
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来年の賢治生誕百年に向けて、映画製作も盛んになっているようです。今回は、賢治の教え子にインタビューした記録映画「賢治の学校その1・種山ケ原」と賢治の伝記映画「春と修羅(仮)」、アニメーション映画「賢治のトランク」の3作をご紹介します。
「賢治の学校その1・種山ケ原」は、「賢治の学校」主催者鳥山敏子さんらが、90年9月から94年8月まで賢治の教え子10数人にインタビューと撮影を行なったもので、その収録時間は210時間にも及び、シリーズ化を計画し、その第1作目だそうです。賢治の教え子といえば皆さんもうかなりのご高齢だと思いますが、この映画に登場する根子吉盛さんも今年8月、87才でお亡くなりになったそうです。上映時間1時間。
この映画は11月3日4日に大阪で上映されます。場所は大阪市立弁天町市民学習センター、時間は10時〜5時(講演会、音素会も同時に行なわれます。上映予定時刻はPM1時半)、入場料大人1000円・子供500円。申し込みは大阪市立弁天町市民学習センターへ。
「 春と修羅(仮)」は、製作フジモトプロダクション、監督は加藤哲監督、脚本は牧野立雄さんと加藤監督との共同オリジナルです。賢治が盛岡高等農林学校の研究生になり、花巻周辺の地質調査を始める大正7年から『春と修羅』を自費出版する頃までをフィクションを加えて映画化するそうです。加藤盤督は、「“世界全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない”と理想を追求し続けた一人の青年の夢(春)と現実的な苦悩(修羅)を、現代の視点から描きたい」と抱負を語り、「日本の自然と、賢治の自然との共生する先駆約なメッセージを、21世紀へ向かう世界の人々にアピールする国際的な作品に完成させたい」ということで、来年7月に完成し、外国映画祭にも出品される予定です。(『キネマ旬報』95年9月上旬号より)
この映画は製作予定が遅れており、配役等はまだ発表されておりません。賢治役を誰が演じるかは、興味深いところですが、イメージを壊さない演技を望みたいですね。
アニメ「賢治のトランク」は、『氷河鼠の毛皮』『猫の事務所』『双子の星』の3話オムニバス形式。制作は角川書店、共同映画、監督は人形アニメ「雪渡り』を監督した四分一節子さん他。監修は賢治学会代表理事の原子朗さんです。
宮沢清六さんの「兄のトランク」を元にしたプロローグが挿入されるそうです。上映時間90分。
年内に完成され、来年春〜夏に公開予定です。
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「松田屋処世十訓」より賢治を偲ぶ |
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賢治さんの作品を読みながら、いつも私は、その作品を書いた時の賢治さんの気持ちを想像します。悲しくなるくらいまじめでやさしい賢治さんという人が、どうして花巻という小さな町で育まれたのだろう、と不思議に思っていました。先日花巻の歴史資料館を訪れて、その疑問を解く鍵を一つ見つけました。
ここに紹介するのは、花巻地方の商家「松田屋」の家訓です。現代でも十分に通用するどころか、私達がこのごろ忘れてしまった事を思い出させてくれる気がします。そして花巻という小さな町に住む人達の心が少しわかった様な気がしてうれしくなりました。近ごろの社訓なんかよりずっと、つつましくやさしくすてきだと思いませんか。
松田屋処世十訓
一、今日一日は未来永劫再び逢ひがたき一日なりと心得て時間を徒らに費さゞる事
二、一樹の蔭と雖も未来永劫の住所なりと心得て不實の思を作ざる事
三、一粒一片の徴物といへども皆是れ神仏の光明なりと心得て粗略に致さゞる事
四、一家の親しき中といへども各自の要務と用品とを厳重に差別し決して乱用乱費せざる事
五、手足は用れども尽ぬものなれは璞を磨くの思ひにて如何なる労働も楽しみて勤むる事
六、夫婦主従の親しき中といへども馴れて我儘の起らば初対面の時の心にたちかへり見る事
七、他人より嘲 叱責を受くるは他日の光明なりと心得深く我身を省みて己は人を誹謗ぬ事
八、総て感激の余り怒り哀み且つ喜ぶ心の起こりたる時は正身座實相を観じて言語を発せざる事
九、人に逢ふ時は好き嫌いを問はず総て愛敬を以てしかりそめの契約も自己の分限と實行時間の有無を考えて取り結ぶ事
十、唯独り住み唯独り行くといへども神明仏陀の照鑑ある事を信じて善悪因果の免れざる事を恐れ慎む可き事
右條目今日一日堅く相守り申すべきものなり。
(「松田屋処世十訓」花巻歴史民族資料館蔵)
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蔵本案内 |
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本を集め出していつの間にやら15年。今や蔵書もささやかながら(と言っても3桁になっているが)増え、本棚も2本用いている有様。その中で賢治さんに関係する本も数十冊は集まっている。今回から、若干のスペースを頂いて数点ずつ御紹介してゆこうと思っている。暫しお付き合いを。
今回は、編集部のリクエストにお答えして、『合言葉はクラムボン』林洋子著−径書房−を取り上げる事とする。
この著者の林洋子さん、知っている人は知っているだろうし、知らない人は全く知らない人だと思う。賢治さんの朗読を始めた人としては先駆者とも言える人だろう。その林さんが朗読運動−クラムボンの会−を始めた頃の報告レポート風のエッセイがこの本である。当時のレパートリーは、確か『やまなし』と『よだかの星』。用いる楽器はアンティークのタンバリンとアイリッシユ・ハーブ。
とても簡単にはこの面白味を説明できない。林さんと聴衆との、賢治さんを介したふれあいのあたたかさにじんわりと浸って戴くには、読んで下さった方が余程早いと思う。
読んでみたいと言う希望をお持ちの方は杉澤まで。但し、第1回の貸し出し先は決まっているので悪しからず。
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優しさと烈しさ |
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賢治の童話は優しく、温かい、けれどもどこか悲しく、厳しいということは、賢治の童話を読まれるとどなたも感じるところだと思います。
「賢治さんは、いつもにこにこしていた」と証言する人はたくさんあるし、「家族たちと一しょに食事するときでさえ、何となく恥ずかしそうに、また恐縮したような格好で、物を噛むにもなるべく音をたてないようにした」という清六さんの思い出にもあるように、賢治という人は柔和な穏やかな人柄であったようです。
しかし、〈いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾しはぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ〉という烈しさは、たたみかけるリズムの良さと相俟って、童話から読み始めた読者を、オヤッと立ち止まらせる迫力があります。自らを修羅と言い切り、詩の最後は〈(このからだそらのみじんにちらばれ)/いちょうのこずえまたひかり/ZYPRESSEN いよいよ黒く/雲の火ばなは降りそそぐ〉と締め括られています。また、東京への家出の折の状況を、知人への手紙の中で「あしたにしようか明後日にしようかと二十三日の暮方火鉢で一人考えて居りました。その時頭の上の棚から御書が二冊共ばったり背中に落ちました。さあもう今だ。今夜だ。時計を見たら四時半です。汽車は五時十二分です。……」と書いているような、思い詰めた挙句とはいえ衝動的とも言える出奔のエピソード。
さらに、「いかりは赤く見えます。あまり強いときはいかりのひかりが滋くなって水の様に感ぜられます。遂には真っ青に見えます」「滝ノロ御法難六百五十年の夜私は恐ろしさや恥ずかしさに顫へながら燃える計りの悦びの息をしながら、…花巻町を叫んで歩いたのです」等、親友保阪に宛てた手紙の文面などにも、賢治の本質を見るような気がするのです。そして、〈もうけっしてさぴしくはない/なんべんさぴしくないと云つたとこで/またさぴくなるのはきまっている/けれどもここはこれでいいのだ/すべてさぴしさと悲傷とを焚いて/ひとは透明な軌道をすすむ/ラリックス ラリックスいよいよ青く/雲はますます縮れてひかり/わたくしはかつきりみちをまがる〉と一途に求道の道を進むのです。求める道は法華教ですが、この烈しさは、天才と言われる人がしばしば持ち合わせている特質かもしれません。しか賢治の場合先にもふれた優しさが、烈しさの奥に潜み、求める心の烈しさに燃やされ、悲しみとなったのではないでしょうか。そしてやがて燃え尽きて、飛翔して星になったよだかのように賢治もまた星になって輝いているのでしょう。
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戯れごと−タイトルついて |
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賢治さんの作品には、余り秋らしい風景は無いようです。ですから、秋らしい風景を連想するタイトルを、なんてリクエストされてもう−んと考え込んでしまいます。
今回は変則技で行きましょう。秋の誕生石であるトパーズとサファイアに因んで、タイトルを付ける事に致しましょう。賢治さんは、宝石を使って作品に様々豊かな色彩を付けるのが好きだった様です。トパーズも登場はするのですが、プラジルではトパーズと言えは黄水晶の事になるそうですので、そちらのイメージを拝借してみましょう。
秋の空はゆっくりと黄水晶に暮れ泥んでゆきます。川の岸辺にはサファイアの砂利が敷き詰められ、まるで、過ぎ去った夏を懐かしむかの様にキラリキラリと光るのです。
秋の誕生石には他にオパールもあるのですが、今回はそっと触れずに置きましょう。貝の火を消してしまったホモイの悲しみが、伝染してしまうと少々辛いでしょうから。
何か文章になった様な、ならなかった様な感じですが、今回より、気力と体力が続く限り杉澤がタイトルを考えてゆくつもりであります。呆れずにお付き合いの程を。
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編集後記 |
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- 来年の賢治生誕100年に向けて、「神戸宮沢賢治の会」でも何か出来そうなことがありましたらご提案下さい。
- この会報はタイトルが毎号変わります。今回は秋らしいタイトルということで、杉澤さんに考えていただきました。
- 森永敦子さんが盛岡に転居されることになり、10月22日送別会を行いました。今後とも会員として、盛岡から最前線の情報を発信してくださるそうです。
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