会報No.19表紙

会報No.19
−ベーリング行き最大急行−

目次

  1. 第21回例会報告−『心象スケッチ』における<装飾・修飾>
    森本 智子
  2. 『やまなし』のこわい所
    妹尾 良子
  3. イーハトーヴ便り〜イーハトーヴの光と風(17)〜
    森永 敦子
  4. 書棚の散歩−第1段−
    杉澤 法広
  5. タイトル雑録Q
    川崎 貴
  6. 編集後記

第21回例会報告−『心象スケッチ』における<装飾・修飾>

 昨年の11月14日、神戸女学院の浜下先生の研究室で例会が行われ、「『心象スケッチ』における<装飾・修飾>というタイトルで、発表させて頂きました。内容は、9月に行われたイーハトーブセンター主催の研究発表会での発表とほぼ同じです(ただし、タイトルの変更−もとのタイトルは『心象スケッチ』における<装飾>」−等、多少の改変は加えました。
 ここ数年、私は、宮沢賢治の文学を同時代との影響関係から見ていくという作業を行っていますが、今回は「心象スケッチ」(といっても「心象」に関しては先学の方々の研究成果がありますので、主として「スケッチ」の方)と、同時代の美術文献との関係を考えてみました。当然の事ながら、賢治の「スケッチ」は、文字で書かれたものなので、同時代関係を探る場合、島崎藤村の『千曲川スケッチ』(1912年)など文学作品との比較から考えることもできたのですが、この当時、文学とその他の芸術ジャンルとの境界が相互浸透していたむきがあったことも考慮に入れると、まずは、その中でも「美術」との関係を考えてみる必要があるように思ったのです。
 「スケッチ」やその訳語である「写生」は、当時、「有のまを写す」といった意味あいで使用されることが多かったのですが、実際、賢治の「心象スケッチ」も、例えば『注文の多い料理店』の序に「どうしてもこんなことがあるやうでしかたがないといふことをわたくしはそのとほり書いたまでです」とあるように、同時代の影響の下にあることがうかがえるのです。それを踏まえて考えると、ここで、重要な問題に突き当たります。それは、『春と修羅』の表題詩のタイトルなどに付されている「mental sketch modified」という言葉をどう解釈するのか、ということです。「mental sketch」の方は、「心象スケッチ」と訳していいのかと思うのですが、気になるのは、その後に続く、「modified」です。先行研究の中には、これを「装飾」としているものもおあります。仮にそうだとするならば、折角、「有りのまま」(賢治の言葉にならえば「そのとほり」「このとほり」)に写したことを強調している、「心象スケッチ」をここではわざわざ、「修飾」し直しているということになります。
 けれども、俳句における写生がそうであるように、文学において、「スケッチ(写生)」が往々にして自身が完成したものと考えられるのに対して、美術においては、それは最後の目的ではなく、そのための準備段階であると考えられていたことが、当時の文献を見ていると分かります。そして、これは、賢治の「心象スケッチ」においても言えることなのです。例えば、書簡の中で賢治は「心象スケッチ」を「或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会ある度毎に、いろいろな条件の下に書き取って置く、ほんの粗硬な心象スケッチ」に過ぎない、と説明します(森佐一宛封書/1925.2.9)。賢治にとってもまた、「心象スケッチ」は完成されたものではなく、ある目的のための一段階であることがここからはうかがえます。おそらく技術の問題ではなく、少なくとも理念においては、賢治は当時の美術における<スケッチ・写生>の思想の影響を多大に受けていたのではないでしょうか。
 また、美術においては、「写生」が向かう先は、完成された「風景画」であったようなのですが、そのためには「意匠」を用いることが必要とされます。これは具体的には、構図を決めたり、色調を整えたり、バランスを重視したり、といった「有のまま」らしく自然を変形させる工夫のことなのですが、これを美術では、「装飾化」と呼ぶのです。ここからは、文学においては、<スケッチ・写生>をする際に、少なくとも表向きは、「有のまま」を写した文章をおとしめるものとして否定された<装飾・修飾>が、美術においては、肯定的に捉えられていたことが分かるのです。
 盛岡高等農林の図書館に収められ、当時大変普及率の高かった、『美術辞典』(石井柏亭・黒田鴨心・結城素明編著/1914.11/日本美術院)では、「装飾」の実例として、「装飾画」という項目を挙げ、「自然画、写生画に対する言葉で、自然を其侭写生せずに、之を変形(モヂファイ)して描いた画」と説明します。ここで注目したいのは、「変形」という字にわざわざ「モヂファイ」とルビ打ちがなされていることです。つまり、「写生」という準備段階を経て「装飾画」へと変化を遂げる、そのプロセスを「変形」、つまり「モヂファイ」と呼ぶのだ、ということです。そしてこの流れは、賢治の「心象スケッチ」から「mental sketch modified」への変換過程にも当てはまるのではないでしょうか。すまり、準備段階である「粗硬な心象スケッチ」の修練を積んだ上で、それを次の段階へと「モヂファイ」する必要性を感じていた、と考えるわけですが、そうなれば次に考えなければならないのは、賢治にとっての「装飾画」とは何なのか、ということです。ここで私は、賢治にとって、最も意味を持っていたであろう「装飾」行為として、これも美術から多大な影響を受けていた「造園学」における「装景」という思想を取り上げました。この「装景」については『宮沢賢治研究 ANNUAL VOL.8』に再録して頂きました拙稿「宮沢賢治と装景」で既に述べていますので、詳しい説明はそちらに譲りたいのですが、「装景」(風景装飾)とは「人工」によって破壊せられた風景や天然風景の欠陥を見出して、これに装飾を加えること」(田村剛『造園概論』/1918.7/成美堂)を目的とするものです。つまり、自然のありのままの状態では風景として物足りない部分を、人間の力で補って理想的な「第二の自然」を造り出すことを目指した、当時の造園学を象徴するような考え方であり、これこそ最も肯定的な<装飾・修飾>行為であったのです。
 「竜と詩人」という賢治の初期童話は、賢治流の「装景」のエッセンスがこめられているような作品です。ここには「風がうたひ雲が応じ波が鳴らすそのうたをただちにうたふ」ことができる(いわば「心象スケッチ」ができる)詩人スールダッタが登場します。彼は、更には、「星がさうならふと思ひ陸地がさういふ形をとらうと覚悟する/あしたの世界にかなふべきまことと美との模型をつくりやがては世界をこれにかなはしむる予言者/設計者」であると讃えられます。つまり、スールダッタは、現在の自然の姿をとらえられるだけでなく、自然の声を聞くことによって、自然が「そうならふ」とする方向を読み取り、詩にすることができる存在であり、また彼がそれによって「新しい世界の造営」を目指すことが可能であることが示されています。つまり「心象スケッチ」の作業を経て、次にそこから得たものを糧に、まだ見ぬ「新しい世界」への模型を作り、それを「造営の方針」とすることが詩人であり「予言者/設計者」の役割であったのです。
 自然の声を聴いて、それを写すことを主眼としたであろう「心象スケッチ」と、そこに根差しながら、自然と人が共同で押し進める「新しい世界」を目指すことが、ここには描かれているのですが、このまだ見ぬ「あしたの世界」こそが、賢治にとっての「装飾画」であったのではないでしょうか。つまり、「modified」とは、「有のまま」の「心象スケッチ」を<装飾・修飾>することで、現実と理想という空白を埋めていこうとする企画であったのではないか、ということが現時点での私の仮説です。もちろん、この論はまだまだ不十分であり、当日みなさんから頂いた意見も参考にしながら、今後は実際に「mental sketch modified」と指定されている作品を中心に、具体的な検討を行い、論をふくらませていく必要があることを痛感しています。ただ、実は今回、この論を進める中で一番強く感じていたことは、私自身が、「装景」という言葉は知っていながらも、<装飾・修飾>といった概念をやや否定的に捉えていた、ということです。ともすれば「虚飾」といったマイナスイメージを想起させるこの言葉も、当時の美術文献や、現代のすぐれた美術論などを参考にする時、また違った読み方ができるように思うのです。そしてそういった観点から、賢治作品における<装飾・修飾>の概念を捉え直すとき、今まで見過ごしていた大切なものがみえてくるのでは、と考えています。

『やまなし』のこわい所

 この前、うちに遊びに来た娘の友だちが、本棚を見て話しかけてきた。「宮沢賢治の本があるね。国語で『やまなし』を習ったよ。あのクラムボンって何だろうね。」確かに、ふしぎで印象に残る言葉だ。
 そんなわけで、久々に『やまなし』を読んだ。私が『やまなし』を初めて読んだのがいつだったかは、ずっと昔すぎて覚えてないけれど、5月の陽光と12月の月光の川底の幻燈というので、ドキドキするくらい、きれいな情景の話と思っていた。でも、今回読んだらこわい話と思った。
 最初に「クラムボン」。何なのかわからないまま、かぷかぷわらったり跳ねたり殺されたりする。これだけでじゅうぶんこわい。そのうえ、兄は弟の頭に脚をのせて、「なぜ、殺された」なんて言うんだもの。「クラムボン」は兄弟が死について考えるきっかけになり、死の象徴のようなのに、「わらっている」のだから、私は、すっかり気が遠くなってしまう。「クラムボン」の後はかわせみの登場。ここではっきりと兄弟は恐怖を目の当たりにするのに対して、父親は、「魚はこわい所に行った」と言い、恐怖を回避させようと樺の花まで持ち出すけれど、もう父親が「こわい所」と、はっきり決めつけているから、兄弟に深く恐怖心が根づいたと思う。
 月日がたって、平和に過ごしている兄弟のところに、今度は月光の光の中でやまなしが落ちてきた。父親は「いい匂いがするし、二日もすると沈んでおいしいお酒になる」と、言うけれど、私には、「おいしいお酒」が「死んだ果物」に感じられ、月光にゆれる青じろい波と、枝にひっかかったやまなしの美しい情景が、「死を待つ情景」に思えてしかたがない。
 そしてこの作品には子どもが登場するのに、母親(女性)は登場しない。「女」という短編には、「やみ」「恐ろしくて青い」という表現で女を描いている。賢治にとって「死」は 美」なのではないだろうか。そして「女」は・・・?なんだか考えるのもこわい。

イーハトーヴ便り〜イーハトーヴの光と風(16)〜

 皆さんこんにちは。今日はだれでもできる宮沢賢治の不思議体験という話をしてみたいと思います。実際に私が体験してとっても楽しかったので、ぜひ皆さんにも感じてもらえればなぁと思っています。
 先日私は、福島県の大信村というところのゴンタクラという美術館兼喫茶店兼雑貨屋さん兼ペンション、おまけに敷地内に畑とお祭り広場神社まであるという素敵なところに行きました。
 仕事ではなく、あくまでプライベートで、その日は通称「お太鼓クラブ」の日で、皆さんは「シャンベ」という太鼓をご存知でしょうか。「シャンベ」はアフリカの太鼓で丸太を臼のようにくり貫き山羊の皮を張ったものです。この太鼓は叩き方と叩く位置を変えること8種類の音が出るそうです。私は初心者だったので、基本の叩き方から始め4種類まで教えてもらいました。でもいい音を出すのは結構難しいのです。それをみんなでリズムを変えながら叩く練習をしました。何人かずつに分かれて2種類のリズムを重ね合わせたり、とても楽しいときが流れました。そして太鼓を叩く人とリズムをとって踊る人に分かれてやってみようということになりました。私は踊る側になりました。6拍子のリズムに合わせて無心になっていたとき、それはやってきました。
 たくさんの歌声が聞こえてきたのです。ちゃんと男性と女性のパートがあって大勢の時と少しの時、流れるような詩と浮き浮きするような詩が次々に聞こえてきます。実は、これは倍音と呼ばれるものです。太鼓の振動が空気を伝わり、その部屋の中に有ったものたちが共鳴し、同じ波動が強まって歌をうたい始めるのです。同じ波動を持つものたちが集まってそれぞれのパートを受け持っているので、いろんな声が聞こえてくるのです。これはとっても不思議な気分です。部屋の中に有る全てのものが一緒に歌ってる、こんな素敵な体験は初めてです。
 全てのものたちと一緒に音楽を楽しんでいる自分は、まるで賢治になったみたいだと思いました。もしこの「シャンベ」を叩いてみたい人は、次のところに問い合わせてください。一回の参加費は500円です。これは新潟から車を飛ばしてきてくれる「シャンベ」の先生の足代にしかなりませんが、「ゴンタクラ」のオーナーは皆が楽しめればいいよね、」ということで開催しています。
 問い合わせ先−「ゴンタクラ」福島県西白河郡大信村隔戸字ざらくぼ1-1

書棚の散歩−第1段−

  

 こちらの原稿も1年近く御無沙汰となってしまいました。御無沙汰していた間本は増えたのか。多少は増えました。しかし僕の購買力以上に賢治さん関連書籍というのは増えているものです。従ってその場合は素直に図書館のお世話になる事にしています。
 そうするとそれはそれで又困った事になるのですね。図書館の蔵書でも又紹介したくなる本が出てきてしまう。ですがこの連載の原則はあくまでも僕の蔵書からの紹介と最初に自分で足枷を付けてしまった以上どうしようかと悶々としていた訳です。
 自分勝手は充分承知の上でその原則、今回より変更させて戴きます。今回より自分自身の本棚及び図書館の本棚から拾い上げた本を紹介して行く事にします。その方がまだ良い結果が生み出せると思いますので。
 そんな訳で今回は図書館の本棚から紹介します。といっても多分皆さん前回の例会で御覧になった筈の本です(出席してない方、ゴメンナサイ)。 「宮沢賢治 文語詩の森」/宮沢賢治研究会著/柏書房・柏プラーノ/99年6月20日初版 がそれです。この本との出会いは余りにも偶然的だったのですね。その日に澤田さんが文語詩についての発表をする抔とはつゆ知らず、ましてや彼女もまたこの本を手にしていたとは予想すらもしていなかったのです。僕としてはただ久方ぶりの例会なので賢治さんモードに頭を切り替えたいが為にこの本を借りたというだけの話なのです。
 参りました。兎に角、参りました。森の中を彷徨っている心算だったのが実は林の中に過ぎなかった、そんな心持です。賢治さんの文語詩というのは単なる気の迷いの産物ではなかったのですね。口語詩と同じく、否それ以上に練り上げられようとしていた賢治さんの「スケッチ」だったのだという事を易しい言葉で解き表そうとして成功を収めているのには舌を巻きます。文語詩をこれから読もうとしている方、是非この本を傍らに置きつつ読んで下さい。
 確かにこの本は「研究書」ではありましょうが、その根底に流れているのは作品に対する「愛」であります。それが理解の一助となっているのですね。ご近所の図書館で見かけたら、是非手に取って下さいませ。時間の損とはなりますまいよ。   

タイトル雑録P

  

 童話「氷河鼠の毛皮」の舞台となっている、12月26日夜8時にイーハトーヴの停車場を発車した列車です。この季節のイーハトーヴは、もう充分に寒いことでしょう。現に12月26日、イーハトーヴはひどい吹雪で「町や空はまるっきり白だか水色だか変にばさゝした雪の粉でいっぱい、風はひっきりなしに電線や枯れたポプラを鳴らし鴉なども半分凍ったやうになってふらゝと空を流されて行」くぐらいなのに、更に極寒のベーリングへ向けて列車は出発するというのだから、想像するだに身も凍りそうです。
 賢治の作品には「銀河鉄道の夜」をはじめ、列車が登場する作品が少なからずあります。列車は移動手段に過ぎませんが、密封された車内はひとつの世界で、乗客は座席に腰を降ろし、あるいは立ったまま、列車の揺れに身を任せる心地良さに誘われ、しばしの夢想に耽ることができます。そこには、乗客ひとりひとりのドラマがあり、また、たまたま同じ客車に同乗した赤の他人同志の運命的結合のドラマがあります。だから、推理作家はよく列車を作品の舞台に選びます。
 「氷河鼠の毛皮」もまた、冒頭よりミステリアスな雰囲気を漂わせながら、列車が走るにつれ、曰くありげな登場人物たちの描写によって、車内は次第に何かが起こりそうな緊迫感に包まれて行きます。そして案の定事件は起こります。が、事態は呆気ないほど安穏に収まります。
 乱獲者に対する控えめな告発というより、お互いの犠牲の上に成り立った、あらゆる生物の生命の悲しい宿命に、折々挿入される窓外の冷たく美しい景色が共振して、幾重にも身の凍るお話です。 

編集後記

  
  • ご無沙汰しており、年末年始のご挨拶が遅くなりましたが、旧年中は皆様お世話になりありがとうございました。また、今年もよろしくお願いいたします。  
  • このところ非常に忙しく、私自身些か参ってしまっているのですが、お陰様でようやく19号を発行できました。お力添え下さった方々にお礼を申し上げます。
  • 「イーハトーブ便り」でお馴染みの森永敦子さんが、昨年末より実家に戻られています。お父様の看病のためですが、文中にもありますように、また近々、今度は福島に転居されるそうです。従って「イーハトーブ便り」は終了となりますが、これからも継続して話題を提供していただきたいと思います。  
  • 会員の阿部義武さんが、昨年亡くなられました。まだお若かったのでとても信じられない思いです。確か岩手のご出身で、賢治生誕100年のセミナーの折に、骨身を惜しまず尽力してくださったこと、昨日のように思い出されます。ご冥福をお祈り申し上げます。