「冬のソナタ」という運命
自分のパソコンを持った時から、ホームページ開設は頭の中にありましたが、「あなた
がホームページを持てば死ぬ」と友人たちには声を揃えて言われ、そうでなくても少な
い睡眠時間をさらに削ることになるということは、誰よりも当人が痛いほどわかっている
ことでもありました。それ故に自分のホームページを持つということは、夢のまた夢に
終わってしまいそうな予感すらありました。
しかし、いっそ作ってしまえば意外に何とかなるのも世の常で、それでも次の一歩が踏
み出せなかったのはなぜなのか?それは、結局「ホームページで何を表現したいのか?」
その答えとなるべく対象物に出会っていなかっただけのことなのだと、今なら思います。
物心ついた頃から好きだった「書く」という行為。流されていくばかりの日々の中で、も
う一度素直に自分の日常を書き連ねることから始めてみよう、そう思い立って書き始め
た日記。しかし、それは思いがけず収穫の多い作業でもありました。「あなたの日記は
文字が多くて、まるでフジツボ」と親友に笑われた通り、他の方の日記とは比べものに
ならない文字の量で、よほど物好きな方か友人以外訪れない、細々とした営みであり
ました。しかし、それでも毎日読んで下さる方が出来、自分も文章の訓練になり、ひい
ては自分の行動や言動を一歩引いたところから見る、良い機会になりました。岡田達
也さんと藤原竜也さんを中心に据えて観劇記をメインにするはずが、生来の好奇心が
頭をもたげ、テーマは多岐にわたって広がっていきました。
そして…….
2003年4月1日、大好きだったレスリー・チャンさんが自ら命を絶ちました。エイプリル
フールの悪い冗談かと疑う間もなく、それが容赦ない現実として立ちはだかった夜、
一人部屋で泣きました。才能も時間もまだまだあったはず。なのになぜ?
レスリーさんの思い出を整理するには時間が必要です。私は彼に関するすべてのもの
を封印し、丁寧にしまいこみました。いつか懐かしく思い出せる日が来るだろう…
ある日、仕事に疲れた頭でぼんやりテレビを見ていると、いきなり冬の風景になりまし
た。普段私はNHKのBSをつけっ放しにしています。音や画面がうるさくないからです。
それはドラマのようでしたが、少し様子が変でした。明らかに東洋人なのに吹き替え
で、妙な違和感がありました。少し老けた高校生たちが出て来て、クラスメートが死ん
だと言って皆泣いていました。ははーん、これか、前にNHKで紹介していた韓国ドラマ
は…と黒田福美さんの顔を思い出し、少し見てみることにしました。死んでしまったらし
い少年の顔を見たいと思いましたがなぜか全く出て来ず、舞台は一気に10年後に飛
びました。やっと演ずる俳優にふさわしい年齢設定になり、ヒロインは建築関係の現場
に顔を出していました。ここで私は一気に身を乗り出しました。どうやら、ストーリーが
設計事務所を中心に展開しそうになったからです。私は建築設計の会社で、もうウン
十年働いています。建築家にも設計事務所にもかなり詳しい(笑)。それらしい打ち合
わせ場面さえない、雰囲気建築家のドラマを昔はよく見ました。おいおい、またまたお
洒落な設計事務所にかっこいい建築家が出て来るんじゃないだろうねぇ…。こうなっ
たらいっぱい突っ込んでやろうと、冷やかし半分で見始めました。スキー場のリニュー
アル。直しても直しても突き返される図面。鬼のように厳しい若い理事。フランスで建
築を学んだ超エリートで家柄も良く、ジグソーパズルが大好きな男。視聴者の空想を
これでもかと膨らませきったところで、彼は登場しました。この瞬間恋に落ちた人がい
ったいどれだけいたでしょう(笑)。大方の予想を裏切る柔らかな茶色の髪と銀縁の眼
鏡。にこやかに微笑みながら、しかし彼はヒロインに対して甘さとはほど遠い言葉で、
まさに仕事をこなしてゆき、私の中で一気にポイントを獲得したのでした。
茶目っ気たっぷりに、「今まで僕に興味を示さなかったのは、あなたが初めてだ」と彼が
言い放った時、私は思わず手をたたきました。どんな気障な台詞を言っても決して嫌味
にならない、品格のようなものが彼にはありました。
声の良さ、美しい笑顔、抑制の効いた泣き顔。仕事に対する真摯な姿勢、私生活が謎
であることも、私にとっては好材料でした。
驚くべき早さで、私はイ・ミニョン=ペ・ヨンジュンに日常を絡め取られていきました。それ
から後の傾斜については、今更言うことはありません(笑)。
私は初めて真剣にホームページを持ちたいと思いました。やっとその対象に出会った
のです。レスリーが去った4月に舞い降りた神様のプレゼント。私は今ではそんな気さ
えしています。