「Angel」

(1) 誕生日

――閑静な高級住宅街――
中でもひときわ目をひく瀟洒な建物。この家に、この物語の主人公、
ハン・ジウォン(23)が住んでいる。(彼の部屋にカメラが入っていく。部屋中に
散乱するロボットの模型や部品)よく寝ているジウォン。3月某日、朝7時。
とぼけた顔の人形が「起きろー」と連呼する。寝ぼけ眼で起き上がり、「いい子だ、
ピーター」と言いながら人形の頭を軽くたたくジウォン。人形はぴたりと止まる。
「ふぁ〜眠い〜。もうちょっと寝かせてくれよー」
そう言いながら、パジャマのまま洗面所へ。歯を磨くジウォン。
(広いダイニングキッチン)この家に来てすでに20年になるお手伝いのハナが、朝食の準備をしている。
「ハナさんおはよう」
「おはようございます。ジウォンさん、今日は紅茶になさいますか?それともコーヒー?」
「コーヒーがいいなぁ」
窓からさんさんと光が入り、のどかな朝。ジウォンがトーストを食べていると、玄関に車の止まる音。
「えっ?」「あらら」二人同時に驚く。インターホンが鳴る。
「あ、はい。おかえりなさいませ」慌てて玄関に赴くハナ。次いで、にぎやかにこの家の主ハン・スンギ
氏(52)がダイニングに入ってくる。堂々とした体躯の紳士。たくさんの荷物を持った部下も2名(中年
男性と若い美人)入って来る。
「君たちはもう帰っていいよ。(女性秘書に)キム・へジョン君、私は今日は社には出ないから後はよ
ろしく頼む」
「かしこまりました」
黙って出て行く美人秘書を見ながら、いつ見てもこの人には、あとほんの少しの愛嬌が足りないなぁ
とジウォンは思う。
「お帰りなさい、お父さん。早かったですね」
「おー、ちゃんと顔を見せてくれ、私の大事な一人息子」ぎゅっと息子を抱きしめる父親。抱かれなが
ら、勘弁してよという表情のジウォン。
「ちゃんと食べてるか?また痩せたんじゃないのか?」
「(笑いながら)食べてるじゃないですか、ほら。いくら食べてもお父さんのような体にはならないよ、
僕は...(死んだ母親に似たから、と言いそうになり、思わず口をつぐむジウォン)」
「そんなもん食っても力にならんぞ。ハナさん、私には味噌チゲだ」
「はいはい、ただいま。ご用意致します」

「小遣いは足りてるか?」
「充分足りてます。それより今週の金曜日はちゃんと空けてくれていますよね?」
「なんだ?」
「えっ、忘れたの?お母さんの命日じゃないですか。なんだ、命日を思い出して慌てて帰って来たんだ
と思ったのに」
しまった、という表情の父親。「うむ。何としても都合はつける」
朝食を食べ終わり、席を立つジウォン。
「もう行くのか。いよいよ4年だな。相変わらずロボット三昧か?その...彼女とかはおらんのか?」
「ええ」曖昧な笑顔を残して去るジウォン。
玄関に見送りに来たハナ「お父様を責めちゃいけませんよ。お忙しすぎるんです」
「ハナさん、オヤジが忘れていたのは母さんの命日だけじゃないよ。今日は僕の誕生日だ」
「あっらー、そうでした!」
「ま、別におぼえてもらってたからどうってことでもないけどね。ハナさんだって忘れてたくらいだから」
ジウォン、笑いながら出て行く。

「旦那様、大変ですよ。今日はジウォンさんのお誕生日です」
「えっ、そうか...なぜさっき言わんのだ?これじゃイエローカード2枚で退場じゃないか」
「それが...私も忘れておりました。ジウォンさんは笑ってらっしゃいましたけど、お気の毒です」
スンギ氏、ふと何事か思いついたように席を立ち、電話をかけ始める。
「あ、もしもし私だが、例のもの、今日こちらに持って来てくれないか。急で悪いんだが」

――大学――
ゼミが終わった後、談笑するジウォンと親友のチョン・スンファン。
そこに、ガールフレンドのソン・ミナが、香水の香りをぷんぷんさせながら揚々とやってくる。華やかで
美人だが化粧が濃く、とうてい学生に見えない。ミナが近づいた途端、くしゃみが止まらないジウォン。
「ハ、ハ、ハックション。何つけてきたんだ?」
「俺、嗅いだことあるぞ、この匂い。そうだ、先週デパートで発表会をしてたやつだ」
「あら、スンファン鋭いわね。兄がパリから帰って来てお土産にもらったの。ヴェルサーチの新作よ」
「ヴェルサーチだか何だか知らないけれど、その香水で僕の周囲1メートル以内に近づくなよ。僕は
スンファンと違って、免疫がないんだから。あー酔いそうだ」
「待てよ、俺だってないぞ、そんなもの」
「だめねぇ、ジウォンは。ほんとに子供なんだから」
「子供とか大人とかそんな問題じゃないだろう。ファー、ハ、ハックション!」
「はいはい。わかったわよ。ところで、二人にお願いがあるの。二人一緒で丁度良かったわ」
「高いぜ」とスンファン。
「何よ、まだ何も言ってないじゃない。実は私の知り合いが幼稚園を経営してるんだけど、そこに、
最新型のロボットがいるんですって。子供たちの遊び相手としてね。でも、よく動かなくなるらしくて、
一度ちゃんと修理してもらえないかって。どう?今から行ってやってくれない?」
「今からぁ?」逃げ腰のスンファン。
「今日は午後から休講でしょ。バイト料出すって」
「これから合コンなんだ」
「じゃ、いいわ。ジウォンは?」
「お金は別にいらないけど...今まで動かなくなった時はどうしてたの?」
「頭を叩いたら、とりあえずは動くんですって」
「だめだよ、むやみやたらに叩いたりしちゃ!ますます壊れるんだから。さ、行こう!場所はどこ?」
「ありがとう!やっぱりジウォンだわ。あー、でもジウォンさん、その愛と慈悲の精神をもうちょっと私
に向けて...」
「僕ならいつでもお相手させて頂きますが」
「君はいいわ、スンファン君」

――幼稚園――
黙々とロボットの修理をするジウォンとスンファン。おかまいなしに走り回る園児たち。
「合コンに行くんじゃなかったのか?」
「断りました」
「こっちはバイト料出るから?」
「それもあるけど、面倒くさくなっちゃって」
「へ?そうなの?スンファンはいつも一番人気だって聞いてるよ」
「そう、だからつまんないんだよ。ジウォン、一回くらい来いよ。強力なライバルが来ないとやる気が
出ない」
「御免こうむるね、スンファンみたいにうまくしゃべれないし、俺はロボットのスーザンだけで充分だよ」
「もったいないねぇ。ルックスも頭脳も家柄も申し分ないのに...それはそうと、すごいね、この幼稚
園の設備、半端じゃないぜ。いくら私立って言ってもなぁ。こんなロボット置く?寄付金とか高いんだ
ろうなぁ」
「スンファン、自分の幼稚園時代なんて憶えてる?俺は一個強烈なのがあるんだ。先生が好きで、結
婚してやめた先生の家を探して追っかけて行ってさ、帰り、道に迷って大騒ぎになった。母親に叱ら
れたのは後にも先にもその時だけだ」
「へぇ、お前にもそんな頃があったのか、いや、俺は安心したよ。人間の女には興味がないのかと思
ってた」
「バカヤロー」

二人は、子供たちが帰った後も修理を続けた。スンファンは保母の一人とさっそく仲良しになり、いつの
まにか楽しそうに談笑している。自分はなかなかそういう風には出来ないなぁと思いながらも、ジウォン
はスンファンのそういうところが好きなのだ。修理を終えたロボットを外に出し、テストで動かしていると、
一人の少女がずっと門にすがってジウォンを見ているのに気がついた。日は既に暮れかけていた。
「君、ここんちの幼稚園の子?」
「ううん、違うよ。ホギョンはもっと遠くから来たの。おじちゃんはおもちゃのお医者さん?」
「違うぞぅ」
「えっ??違うの?」
「おもちゃのお医者さんだけど、おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんです」
「ふぅん...。じゃ、この子を治してあげて。前は歩けたのに、今は動かないの」
小さな体に背負ったリュックの中には、予想外に大きな木の人形が入っていた。くるみ割り人形の兵隊
さん。木ではあるが、動くようになっている。
「へぇ、こんな重いのに背負ってきたんだ。ホギョンちゃんは優しいなぁ」
人形の細部を調べていると、若い女性が血相を変えて走って来た。
「何してるのホギョン!さ、帰りましょう」
「あのね...」 何か言おうとする少女を遮り、
「あなた!こんな暗がりで、こんな小さい子をどうするつもりですか!」
「どうするつもりって...」
「さ、ホギョン。急いで!」、
腕を引っ張られて連れて行かれながらも、少女はまだ「兵隊さんが...」と話し続けている。
ジウォンはなぜか胸が痛んだ。

「わはは、なんだって?少女誘拐犯と間違われた?君が?そりゃ、よっぽど被害妄想の強い女だなぁ。
こんな人畜無害な男をつかまえて」
「笑い事じゃないぞ。あ...」
「なんだ、どうした?」
「これ...」ジウォンは人形をそのまま持っていた。
「返さなくちゃ」
「でも、その子の住所とかわかんの?」
首を横に振るジウォン。何気なく人形をさぐってみると足の裏に小さくスタンプが押されている。
「すみれ愛育園。ひょっとして孤児院かな?...」

帰り支度をしていると、ミナが車でやってきた。
「お疲れ!夕飯おごるわ」
「おっ」
「悪いけど、僕はバスで帰るよ。親父が帰って来てるんだ」
「アメリカから?あと一ヶ月くらい滞在するとか言ってなかった?」
「うん、急にスケジュールが変わったらしい。いつもああだから別に珍しくはないけど」
「今度××に出来たタワービルのインテリアも、おまえんとこの親父さんの会社が全部請け負うん
だってな」
「そうらしい。よく知らないけど。今日は僕の誕生日だから、主役の僕がいないと寂しがるだろうし」
「あ、そうだったわね。ごめん忘れてた(車の中に置いたプレゼントをそっと隠すミナ)。でも息子の誕
生日をちゃんと憶えてるなんて、お父さん偉いじゃない」
「そう言われれば、俺んちなんて誰も憶えてくれてないなぁ」
「まぁね、二人っきりの家族だからね」笑うが寂しい。
「じゃ、スンファン乗って」
「では、お言葉に甘えまして。ジウォン、また明日な」

ミナの運転する車の中。奇妙な沈黙。
「香水落としてきたのか?」
「うん、シャワー浴びてきた。ジウォンがあまり苦しそうだったから」
「渡せばよかったのに、それ」
「えっ?」
「俺の目は節穴じゃないぜ。ミナ、お前本当に心からジウォンが好きなのか?」
「えっ、どういう意味よ」
「あいつが持ってる“寂しい匂い”みたいなものが好きなだけじゃないのか?」
「わからないわ。そうかもしれないし、違うかもしれない」
「あいつはな、意外に手強いぞ。ミナのような女の子はタイプじゃないんだ」
「わかってるわよ」
急にブレーキがかかる。
「スンファン、悪いけど、今夜は帰って。この埋め合わせはきっとするから」

――ハン家の玄関――
家に入るなり、走ってくるハナ。
「ジウォンさん、お父様がガレージでお待ちです」
ガレージに回って驚く。車が1台増えている。なんとなく察しはつく。
「おお、帰ったか。どうだ、この車。ニューモデルだぞ。デートにも最適だ。誕生日のプレゼントだ。黙っ
て取っておけ」
なぜか、壊れた人形をリュックに背負っていたホギョンを思い出すジウォン。
「父さん...こんな車、必要ないよ。学校は車の通学は禁止だし、第一、こんな派手な車、僕には似合
わない」
「せっかくだから受け取ってくれ。わたしはもう、何をあげたらお前が喜んでくれのるかわからなくなって
きたんだ。そんなことを言わんでくれ」
「僕を喜ばせようなんて無理する必要、どこにもないんだよ。僕には、父さんがいるだけで充分なんだ。
でも、食事はいつも一人だし、TVで面白い番組をやっていてもこの広い家で笑ってるのは自分とハナ
さんだけ。時々発狂しそうになる...この一年、一ヶ月以上家に留まったことがある?金儲けなんて、
もういいじゃないですか...僕はもういいよ」
「ジウォン...」

――ジウォンの部屋――
PCにスンファンからのメールが届く。
「すみれ愛育園の住所わかったぜ。マジで行くのか?親父さんの車があいてなかったら貸してやる」
相変わらずぶっきらぼうだが、押さえるところは押さえている。スンファンらしい。添付された地図と写真
をしばらく眺めていたジウォン、何か思いついたように立ち上がる。

――父親の部屋――
「お父さん、さっきはすみませんでした」
「どうした?わざわざ謝りに来たのか?おかしな奴だな」
「お父さんのおかげでこんなに恵まれた生活が送れているんだということを忘れてました。車、お言葉に
甘えて、頂きます。ただし、車種を変えてもらえませんか?すみませんワガママばかりで」
「そうか...やっと自分の車を持つ気になったか。で、何がいいんだ?」
「SUVタイプ。JM」
「なるほど、そうか、ああいうのが今は人気なんだな。よし、わかった。さっそく交換してもらおう。どうだ?
ついでにあれも持っとかんか?いや、冗談だ。その...スポーツタイプということは、どこか遠出でも
するのか?ジウォン、その...ほんとにいい人はいないのか?」
「どうしたの?お父さんこそおかしいよ(屈託なく笑う)。再婚したいんでしょう?僕は止めないよ」

「大学、卒業したらどうするつもりだ?ここを引き払って一緒にアメリカで暮らさんか?」
「卒業したら、大学院に行く。僕はここがいいよ。ソウルが性に合ってる」
「ロボット工学ならアメリカの方が進んでいるだろう?」
「そうでもないよ、僕らが研究しているのは老人介護とかも出来るもっと柔らかいロボットなんだ。彼女、
キム・へジュンさんて言ったっけ?(いたずらっぽく微笑みながら)部屋も余ってるし、ここに来てもらえば?
もっとも僕のことが邪魔だと言われても、すぐには出て行けないけど」
「ジウォン!」
 

     (2) 孤児院 

次の日曜日、さっそく買ってもらったばかりの車で、江原道へ。スンファンの地図を頼りに、すみれ愛育園を
さがすジウォン。意外に簡単にその建物は見つかった。こじんまりとした古い建物。車を降りると、外で遊ん
でいたホギョンが目ざとくジウォンを見つけて走って来た。
「おじちゃ....おにいちゃん!」
ホギョンの後に続いて白髪まじりの老夫人が姿を現した。
「私はここの園長のパク・ミンジャですが、どちらさまですか?」
「失礼します。ハン・ジウォンと言います。先日江南の聖マリア幼稚園のそばでホギョンちゃんと出会いました。
その時この人形を預かったままになっていたんです。壊れていたので直してほしいとホギョンちゃんが..」
「まぁ、わざわざ...」
「なおった?」
「ああ、ちゃんと動くよ、ほら」
ジウォン、人形を動かせてみせる。そっと遠巻きに見ていた子供たちがうれしそうに駆け寄る。
「どうぞ、中に入ってください。何もありませんがお茶でも」
「ありがとうございます」
気がつくとホギョンがジウォンの袖口を引っ張っている。「うん?」
「あのね、歩けない兵隊さん、他にもいっぱいいるの。全部なおしてほしい」

「ホギョン、ジウォンさんはお忙しいんだからおねだりはいけません」
「いいよ、そこに連れて行ってくれるかな?」
ジウォンはその部屋に入るなり、ハッと胸を突かれた。たくさんのおもちゃが散乱しているが、みなどこか壊れ
ている。決して経営状態は楽ではなさそうだ。
「よし、わかった。これから毎週ここに来て全部直してあげる」
「わぁ〜い」
「いい加減なこと言わないでください!」
どこかで聞いた声だと振り向くと、この前会った女性が立っている。よく見るとなかなかの美人だ。
「出来もしないことを子供に約束しないでください」
「いえ、嘘じゃないですよ。来週から毎週来ます」
「ソウルに住んでいる学生さんでしょう?そんな暇、どこにあるんですか?」

「車だとそんなにかかりません。それにぼくは機械工学が専門だから、これくらいのものは直せます。こんな壊
れたままじゃ子供たちがかわいそうじゃありませんか」
「安っぽい同情はやめてください」
「スリョン、やめなさい。失礼ですよ」見かねた園長が割って入った。黙って出て行くスリョン。
「ごめんなさいね。あの子はオ・スリョンといってここで働いています。本当はとっても気立てのいい優しい子なん
ですよ。でも、ちょっと辛いことがあって、今は人を信じられなくなっているんです。以前、あなたのようにここへ
来て子供たちに同じような約束をした人がいたんです。でもその人の目的はスリョンで、子供たちへの約束は
一つも守られませんでした。子供たちはずっと待っていたのに...スリョンは子供たちを傷つけたのは自分だと
思って、とても後悔しているんです。どうか許してやってください」
「許すも何も。僕は気にしていません」
「ジウォンさんは学生さんでしたね?おいくつですか?」
「先日23になりました」
「そうですか。スリョンはああ見えて25歳なんですよ。あなたよりお姉さんなの。でも、同世代の友達がいないか
ら仲良くしてやってください」
「園長先生、僕は来週も来ますよ、絶対ね」

ジウォンは壊れ方のひどい人形を2体預かって孤児院を後にした。

――ジウォンの部屋――
家に帰るなり修理を始めるジウォン。人形は案外手強かった。学校のレポートをこなしながらの作業で、ついに
金曜の夜は徹夜になった。土曜日は父もハナも留守で、ジウォンは用意された朝食も食べず、一人黙々と最後
の仕上げにかかっていた。

レポートと修理の両方が完成すると、さすがに気が抜けた。一瞬ふんわりと浮かんだような気分になったかと思
うと、それきり意識が飛んだ。気がつくとソファに転がっていた。いったいどれくらいの時間、倒れたままになって
いたのかと、時計を見るジウォン。2時間もたっていることに愕然とする。しかし、なかなか起き上がることが出来
ない。なおもぼんやりとソファに伸びていると、帰宅したハナが心配そうに入って来た。
「ジウォンさん、何度もお呼びしたんですよ」
「えっ、いつ?」
「たった今...お顔の色が良くないですね」
「そう?徹夜したからだろ」
「徹夜なんていけません。朝食も召し上がってないじゃないですか。風邪をひかれたんじゃないですか?」
「大丈夫だよ」
ジウォンは笑ったが、その夜から発熱した。しかし、彼は約束を守らなければならない。こういう時頼りになるの
は親友である。
「スンファン、頼みがある。例の孤児院まで一緒に行ってくれないか?車を運転してほしいんだ」
「いいけど、大丈夫なの?なんなら俺が一人で行ってきてやるよ。おもちゃを届けるだけなんだろう?」
「いや、どうしても、僕が行かなきゃダメなんだ」
「へぇ、妙に熱心だなぁ。まさかとびきりの美人がいる、とかじゃないだろうなぁ」
「ウン、美人だけど、とびっきりおっかないのが一人いる」
「あ、例の、君を誘拐犯と間違えたヒト。なるほど...じゃあ俺も拝ませてもらおう」

――孤児院――
「...そういうわけで、これがお預かりした人形です」
スンファン、園長に律儀に挨拶をしている。
「じゃ、ジウォンさんはわざわざあなたにこれを...お体は大丈夫なんですか?このせいで無理をなさったの?」
「いや、実はそこにいるんです。でもここに来ると子供たちに風邪をうつすかもしれないからって...」
「まぁ」
スンファンは先ほどから園長の傍にいるスリョンが気になっている。スリョンは黙って園長の傍に控えているが
特におっかないという感じでもない。しかし美人だなと見とれていると、スリョンの表情が一瞬緩んだ。ジウォン
が車から降りて、ドアのところで一礼したのだ。車に向かって歩いていくスリョン。
「約束守ってくださったのね」
「ええ、言ったでしょ。でもひどい風邪でホギョンちゃんたちにうつしたら大変だから、今日はこれで退散します。
また来ます。来るなと言われても」
「ありがとう。来るな、なんて言わないわ」

――車の中――
ずっと笑っているスンファン。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「今日の貸しは高いぞ。俺はとんだ狂言回しじゃないか。高熱を押してまで行こうとする理由が、非常にわかり
やすくて俺は嬉しいよ」
「なんだよ、スンファンまで、親父みたいなこと言うなよ」
「いやぁ、どうしようもないマザコンだと思ってたから、良かった、良かった。しかし、美人だったな。結構面食い
なんじゃないか、ミナになびかないはずだ」
スンファンの言葉を軽く受け流しながら、スリョンを思い出しているジウォン。そのうちウトウトし始める。一方、ミ
ナのことを考えているスンファン。

       (3) 秘密

――病院――
風邪の診察に来たジウォン。待ち時間が長く退屈している。ロビーで偶然スリョンを見かけ驚くジウォン。スリョン
は心療内科の診察室から出て来たようだ。
「スリョンさん!」
少したじろぐスリョン。
「ジウォンさん、風邪はどうですか?」
「ええ、もうほとんどいいんです。熱も下がったし。スリョンさんとこんなところでお会い出来るとは思いませんでした。
こんな遠くの病院まで通われてるんですか?」
「ええ。ついでがあるんです」
「そうですか、少しお話しませんか?」
「ええ...でも、いいんですか?」
「ああ、順番ですか?今断ってきます。いいんですよ」
「ここはちょっとざわざわしているから裏手に出ません?私、いい場所を知ってるんです」
珍しく、スリョンの方から積極的に先を歩いた。何か決心した風でもあった。
病院の裏側は全く静かで時折病人が散歩する程度だった。片隅のベンチに二人は腰掛けた。スリョンは静かに話
し始めた。
「ジウォンさん、もう気付かれたと思いますが、おもちゃ全部傷んでたでしょ。新しいのを買うお金がないんです。子
供たちを食べさせるだけで手いっぱいで。園長はあのお歳ですし、孤児院の閉園を考えておられて、それで子供た
ちの里親を探しているんです。だから私はその手続きのために、毎週ソウルに出て来ているんです。この前、江南
の幼稚園の前でお会いしたでしょ。あの時もホギョンの里親になってくれそうな方のお家に一日泊めて頂いた帰り
だったんです」
「そうですか...あ、スリョンさん、僕に敬語は使わないで。僕の方が年下なんだから、もっと気楽に話してください。
で、ホギョンちゃんはそのおうちにもらわれていくんですか?」
「いえ、ダメでした。ホギョンが、どんな我慢でもするから園に置いてくれと言って泣きだして...(涙ぐむスリョン)
ごめんなさい」

「いや、僕まで泣きそうだ。また安っぽい同情って叱られるかもしれないけど」
「そんな...ごめんなさい」
「スリョンさん、僕は7歳で母を病気で亡くして、兄弟もいなかったから、ずっと父親と二人きりなんです。だからあそ
この子供たちのことは他人事とは思えない。もちろん僕は経済的にも恵まれていますから、同情とどこが違うと尋
ねられてもうまく答えられないけど。なんとか出来ないものかなぁ...」
「今、いろんな福祉の団体に働きかけているところなんです...」
「そうだ、スリョンさん、どこか悪いんですか?ごめんなさい、こんなことを聞いて。答えられなかったらそれでもいい
んですが、心療内科から出て来られるところを見てしまいました」
「ええ、病気と言えるかどうか...。もうずいぶん前から、私にまとわりついて離れない男性がいるんです。初めは
優しかったので、つい気を許したのが間違いでした。でも、子供は好きじゃないし、だんだん本性が現れて来て...
とにかくしつこいんです。こちらがはっきり断ると、無言電話がかかってくるようになりました。こうやってソウルに出て
来ても、時々跡をつけられているみたいなんです。それで段々眠れなくなってしまって...」

「なんてことだ。警察には連絡しました?」
「ええ、でもその男性と、無言電話や跡をつけて来る人が同一人物だという証拠はどこにもないから、被害妄想じゃ
ないのかとよく言われます」
「ひどいな。何かあったらどうするんだ。スリョンさん、とにかく体を壊しては元も子もない。我慢は禁物です。自分ひ
とりですべて解決しようなんて思わないこと、いいですね」
「ありがとうジウォンさん。なんだかお兄さんみたいだわ。園長先生や子供たちが心配するから、このことは普段あま
り話題にしないの。こんなにきちんと話したのはあなたが初めて」
「やっと僕を信じてくれたんですね。そうだ、僕の携帯電話の番号を言っておきます。困ったことがあったら電話を下
さい。きっとですよ。喧嘩は弱いけど、いざとなったら悪知恵くらい働くかもしれない」
子供のようなジウォンの笑顔を見ながら、スリョンはしかしその笑顔にうっすらとまとわりつく寂しさを、孤児院の子供
たちを見るのと同じ気持ちで感じ取っていた。

――病院内、ソン・ミンジン医師の部屋――
ミナが兄の病院に遊びに来ている。長身でハンサム、頭脳明晰で優秀な内科医である兄は、ミナの自慢である。
「ふぁぁー、いい天気ねぇ。こんな日に病室でいなければならない人は気の毒だわ」
「そういう気持ちが少しでもあるなら、帰りに献血していきなさい」
兄の二階の部屋の窓から病院の裏庭を見下ろしていたミナの目が、ふとある一点で止まる。ベンチに座っている男
女。一人はまぎれもなくジウォンだが、相手は見たことがない。ジウォンはその女性の手を握って何か言っている。ミ
ナは体中の血液が逆流しそうな苛立ちを感じて動揺する。
「ミナ、俺はこれから出かけるけど、ミナはどうする?車で来たの?車じゃなかったら乗せて行ってやるよ。ミナ、ミナ?」
「え?、ああ、いいわ。私も車だから」
兄の部屋を出て裏口に向かうミナ。

――ベンチの前――
立ち上がって歩き出したジウォンとスリョン。向こうから歩いてきたミナとばったり出会う。
「あら」
「おっ、どうしたの?」
「そっちこそどうしたの?私は兄がここで医者をしてるから会いに来たの」
スリョン、こころもち後ろに下がる。面白くないミナ。
「そうか、ここだったな。僕はぶらっと、その...風邪はもういいんだけど、ハナさんがうるさい。(ミナの視線を感じて)
あ、こちらは、オ・スリョンさん。孤児院につとめていて...」
「あ、この間スンファンと行った孤児院ね。はじめまして、スリョンさん。私はソン・ミナです。ジウォンとは同じ大学の友
達です。どうかよろしく。それじゃ」
ミナはスタスタと通り過ぎた。あっけにとられるジウォン。
スリョンはその一瞬でミナの思いを知った。ミナは生まれて初めて、強烈な敗北感を味わった。

――スリョンの部屋――
眠っているスリョン。夢を見てうなされている。
一人で夜道を歩いているスリョン。地下道に入る。誰かの足音。スリョンが止まると相手も止まる。怖くなって走り出す
スリョン。向こうからジウォンが歩いて来る。夢中で走るスリョン。ジウォンの胸にすがる。が、顔を上げるとそれは違う
男の顔で、ぎょっとするスリョン。すかさず唇を求める男。夢中で払い除けるスリョン。
自分の悲鳴に驚いて目覚める。あまりの怖さと悲しさで泣き始めるスリョン。ベッドから起き出してキッチンで水を飲む。
窓から月が見える。携帯を取り出してメールをする。
「ジウォンさん、きっともうお休みね。こんな時間にごめんなさい。もし起こしてしまったのならもっとごめんなさい。もし
起きてたら、窓の外を見てください。綺麗な月が出ています。とても怖い夢を見ました。怖くて死にそう。助けて」
すぐに返事が返って来る。
「僕も月を見ていました。ここから腕をうーんと伸ばして抱いててあげる。だから安心して。だ・い・じょ・う・ぶ」

    (4)事件

――ジウォンの部屋――
ジウォンがスリョンに電話をかけている。出会ってから一ヶ月半、ジウォンの週末ドライブはすっかりローテーションにな
っている。
「あ、スリョンさん?今から出ます。えっ、誰もいないの?」
「ええ、今日は里親さんとの面会日なの。園長先生もお留守です。でも、私とホギョンはお留守番」
「そうか、ホギョンちゃんもいるなら絶対行かなきゃ」
「あら、ホギョンがいなかったら来ないつもりだったんですか?」
「そんなことないですよ、意地悪だなぁ」
「ジウォンさん...今朝また無言電話がありました。怖いから絶対来てくださいね」
妙な胸騒ぎをおぼえるジウォン。
「わかりました。じゃ今日は特別に助っ人を頼みましょう」
「スンファンさんね、お会いしたいわ」
「あいつはああ見えてテコンドーの有段者だから頼りになりますよ。僕だっていざとなれば...」
ジウォン、スンファンに電話するが、なかなか連絡が取れない。
「もしもし、ジウォンです。おばさん、スンファンは今どこですか?」
「ごめんなさいね。実は明日オープンのお店の手伝い、昨夜徹夜でやらせちゃったのよ。だから、今ぐっすり寝てるの。
急ぎなら起こそうか?」
スンファンの家は人気の焼肉屋で、ソウル内に2号店を出す準備で大忙しである。
「あ、いえ。可哀想だから起こさないで。起きてからでいいですから、来れるようならすみれに来て欲しいと伝えて下さ
い」
一抹の不安を感じながら出発するジウォン。車での2時間が異様に長く感じられる。

――孤児院――
気のせいか森閑としている。孤児院に子供がいないのだから当たり前だが、それだけではない空気。
「スリョンさん!スリョンさん?」動悸が高まる。
普段子供たちが遊んでいる部屋を覗いてみる。ホギョンが倒れており、肘や膝に擦りむいたような傷がある。
「ホギョン、ホギョン」
うっすらと目を開ける。ジウォンとわかり首筋にしがみつくホギョン。震えている。
「おねえちゃんが...」
「ホギョンちゃん、痛いところはない?
「平気」気丈に頷く。
「もう大丈夫だから、絶対動かないでここにいるんだよ」
ジウォン、着ていた上着を脱ぎ、ホギョンをくるむように着せかける。
ジウォン、孤児院の中を必死で探すがスリョンの姿が見えない。ふと思いついて、裏口に出る。裏の道は雑木林に続
いている。必死に逃げるスリョンと追う男の姿が見える。走るジウォン。
「やめろ!」
ジウォン、男に追いつき、背後から跳びかかる。ぎょっとする男。腰が抜けたようにその場にへたりこむスリョン。
男とジウォン乱闘となる。なかなか勝負がつかない。息の上がる二人。ふいに男がポケットからナイフを取り出す。ジ
ウォン、冷静な頭できっかけを測りながら、男を追い詰める。男、ジウォンに飛びつき、ナイフがジウォンの腕をかすめ
る。が、勢い余って足を取られ、そのまま雑木林を滑り落ち、途中の木で頭を打って気を失う。ほっとしてジウォンも失
神する。泣きながらジウォンににじり寄るスリョン。
「ジウォンさん!ジウォンさん!」
けたたましい音と共に、表からスンファンが飛び込んで来る。倒れているジウォンを見て驚く。
「おい、大丈夫か?ジウォン。何だよ、つまんない気ぃ使いやがって。たたき起こしてくれりゃ良かったんだよ」
呆然としたままのスリョンに気付く。
「スリョンさん、怪我はないですか?」
はっと我に返るスリョン。「ええ、私は。それよりジウォンさんの腕が...」
かなり深く切れたようで血が流れている。
「歩けますか?包帯とかあります?あ、それから警察を呼んでください。そうだ!犯人は?」
「下に...」
二人で雑木林を覗き込む。男はまだノビている。スンファン、ジウォンを背負って孤児院の中に戻る。

――病院――
腕に包帯をしたジウォンが寝ている。胸にも包帯が巻かれている。傍で見守るスリョンとスンファン。急を聞いて駆けつ
けたミナもいる。ホギョンが小さい手でジウォンの手を握っている。
「念のために頭のCTも撮っておきましょう」と担当医。
「頭を輪切りにしたらスカスカでさ、バカって出たらどうしよう」とジウォン。
「何、言ってんのよ」とミナ。
「ある意味、バカかもなぁ」スンファンが追い討ちをかける。
「そうよ、死んでたかもしれないのよ」
「大げさだなぁ。こう見えてもちゃんと計算して追い詰めたんだぜ」
「ごめんなさい、私のせいで...」
「なんで謝るんですか!スリョンさんは被害者じゃないですか!」
起き上がろうとして顔をしかめるスリョン。
「ダメよ、肋骨2本折れてんだから」

「痛いの?」とホギョン。ジウォンの胸に手を伸ばすその手を優しく握るジウォン。
「大丈夫だよ。痛くなんかないよ」
「治ったら俺がテコンドーを教えてやるよ」
「そうだ、あの男どうなった?」
「逮捕されたよ。木で頭打ってさ、こーんなでっかいコブ作ってたよ」
「それで、あの男が無言電話とか跡をつけたりしてた奴ですか?」
「ええ、そうみたいです」
「そうですか...じゃ、スリョンさん、これで今夜からよく眠れますね。良かったなぁ」

「ったく、子供みたいな奴だな」
「あなたにこんな怪我させて、もっと眠れないわ」
「親父さんに連絡しようと思ったんだけどな」
「ああ、またニューヨークに行っちゃったんだ。今度の契約は大変だから、これくらいの怪我で呼ぶわけにはいかないよ」

「ジウォン、いくら金持ちの息子でも、おまえの日常は寂しいねぇ...スリョンさん、こういう恵まれない奴だから、せい
ぜい相手してやってください」
「えっ...」 はにかんで俯くスリョン。
複雑な思いでジウォンとスリョンを見つめるミナ。


       (5) 真実

――ミナの部屋――
鏡台の前で化粧を落としているミナ。泣いている。
「ミナ、ミナー?」 母親が入って来る。
「あら、どうしたの?何かあったの?」 黙っているミナ。
「さ、こっちを向いて。ママに話してちょうだい。そんなミナ、らしくないわね」
「ママ、私、美人よね?」
「ええ、とっても綺麗よ。だって、ママの自慢の娘だもの。誰かがあなたのことをブスだとでも言ったの?」
「ううん、そうじゃなくて。20年近くも傍でいるのに、私のこと全然視野に入っていない男がいるの。くやしくって...」
「ジウォン君のことね。もしや、とは思ってたけど、ミナはやっぱりスンファン君じゃなくてジウォン君が好きなのね。でも、
ジウォン君はあなたとは合わないわ」
「えっ?ママまでそんなこと言うの?スンファンにも言われたわ」
「ジウォン君は...そうね、一言で言って、とても難しいひと」
「そう?子供じゃない」
「ううん、違うわ。その反対。なんだか老成してしまっているひと。複雑で、なかなか簡単には入り込めないひとよ」
「ママ...」

「ここに座ってママの話を聞いてちょうだい」 二人並んでソファに腰掛ける。
「昔、うちとジウォン君の家は隣同士だったから、ママは亡くなったジウォン君のお母さんのこともよく憶えているの。と
っても綺麗で優しい人だったわ。一人息子のジウォン君を、それはそれは愛していたの。彼女が亡くなった時あなたは
まだ幼かったから、本当のことを教えられなかったのよ」
「病気じゃなかったの?」
「ジウォン君のお父様はその頃から仕事が軌道に乗り始めて大忙しだった。今と変わらないくらいソウルと海外を行き
来してたの。だからスヨンさんは、あ、ジウォン君のママのことね。いつも寂しそうにしていたわ。大きなおうちでハナさ
んといつも三人だった。ジウォン君は弱かったからお医者様に連れていくことが多くて、うちのパパがついていってあ
げたこともあるのよ」
「その辺は憶えているわ。すぐ熱を出してた。私とスンファンは平気だったのに」
「あなたたちは転んですりむいても笑ってたわ。ママは絶対お似合いだと思うけど...それでね、スヨンさんはだんだ
んノイローゼみたいになっていって、誰とも話をしないし、ご飯も食べなくなって、とうとう入院しちゃったのよ。いくらな
んでも、これではダメだってことになってお父様を呼び戻したの。でも帰ってくる前の日に、スヨンさんは病院の窓から
飛び降りた...ジウォン君の目の前でね」
「そんな話、初めて聞いたわ」
「だって話してないもの」
「ジウォンも、お母さんは病気で死んだって、いつも言ってるわ」
「きっとそう思っておきたいのね。ジウォン君はお母さんの病室にいたの、ハナさんと一緒に。ハナさんがちょっと部屋
を出た隙に、スヨンさんはベッドから起き上がって、窓から...ほんの一瞬のことで、ハナさんが部屋に戻った時は、
ジウォン君は凍ったみたいに突っ立ってたらしいわ。全然泣かなくて、お医者様が、こういうのは精神的によくないから
ちゃんと泣かせてやってくださいって言うんだけど、泣かないのよ。お父様がしばらく抱いて寝て、そしたら一週間目に
わぁわぁ泣いて、やっとみんなちょっとほっとしたのを憶えてる。それから後しばらくはお父様は家にいて仕事をなさっ
てたんだけど、やっぱりまた忙しくなってきて元通りの生活。でも、ジウォン君は文句一つ言わないであそこまで大きく
なったの。あんまりいい子すぎて不安になるわ。どこで発散しているのかと思うのよ。特に暗いということもないし、性
格だって偏ってないし。でも、何が欲しいのかどうしてほしいのかが全然見えてこない。自分の中で全部完結させてし
まってるような..。
欲とか我儘とかも、時には表に出さないと。きっと心の奥の深い部分は自分でも封印したままなのね。ミナにはちょっ
と荷が重い相手だわ」
「ありがとうママ。なんだかとってもすっきりしたわ。辛い話だったけど。私ったらジウォンのこと何もわかってなかった
のね」
「人の気持ちなんて、そう簡単にわかるもんじゃないわ」

――翌朝、ソン家のリビング――
電話が鳴る。
「はい。あら、ジウォン君?体はもういいの?そう、良かったわね。ミナならいるわ。ちょっと待ってね。え?今夜?私も?
いいの?おじゃまじゃない?ちょっと待ってね」
「どうしたの?ママ」
「ジウォン君よ、今夜内輪で快気祝いをするから来ないかって。ママにも来てって言ってるわ。なんだか昨日の話、聞
かれてたみたいね(笑)」
「あ、もしもし、私。ウン、空いてるわ。珍しいのよ。あ、ママも招待してくれるのね。嬉しいわ。美人母娘で目の保養さ
せてあげる」
「ミナったら...どうしましょう。大急ぎで美容院に行かなきゃ」

――夕刻、ハン家のリビング――
ジウォンを囲んで、スンファン、スリョン、ミナ親子。嬉しそうに給仕するハナ。にぎやかな笑い声。
「おばさま、全然年取らないですね。ミナさんより美人だと僕は思います」
「ひどい!ジウォンったら...」
「しばらく見ないうちに、ジウォン君ってそういうことも言える人になったのね」
「ええ、スンファン並に。あ、でもお世辞じゃありませんよ、本心です」
「あ、僕もおばさまに1票」
「何よ、スンファンまで。あなたたちママにゴマすって何か狙ってるの?」
スリョンも一緒になって笑っている。スリョンのことが少し気になるミナの母。
「スリョンさんっておっしゃったわね。あなたのご両親は今どちらにいらっしゃるの?きっとお母様は綺麗な方なんでしょ
うね?」
一同ハッと顔を見合わせる。
「私、両親はもういないんです。私が中学生の時、交通事故で亡くなりました。両親が弟を連れて海水浴に行った帰り、
居眠り運転のトラックにはねられて...。その日は私だけテニス部の合宿で行けなかったんです」
「あら...ごめんなさい。悪いこと聞いちゃったわ」
「いえ、いいんです。隠すことでもないですから。一気に一人になってしまって、母の妹にあたる叔母が独身だったので
私を引き取ってくれたんですが、その叔母も2年後に病気で亡くなりました。その時今の施設の院長先生と知り合った
んです」
「そうなの...苦労なさったのね」
「いえ、苦労だなんて、大して...でも、時々すごく寂しくはなりますけど」
「そうか...じゃ、僕なんかまだ恵まれているんだな。父がいるだけでも。ほとんど留守ばっかりだけど」
「ジウォンさんのお母様ってどんな方だったんですか?きっと綺麗な方だったんでしょうね」
「どちらかと言うと美人だったと思うけど、小さかったんで、あまりよく憶えていない。ほんとは...自殺だったんだ」
「えっ?」
動揺する客たち。ハナの手も止まる。
「僕の父はあの頃から急に仕事が忙しくなって、今みたいに出張ばかりでした。母は寂しさが高じて精神状態がおか
しくなって入院していたんです。あの日ハナさんが病室を出て行った隙に、ベッドから出て僕の手を握って言ったんで
す。ジウォン、一緒に行きましょうってね。でも、僕は、パパを置いて行くのは嫌だ、って言った。そしたら、母は寂しそ
うに笑ってすっと窓を飛び越えました。気がついたら落ちていた...」
「ほんとなの?俺、初めて聞いたよ」
「ジウォンさん....」動揺を隠せないハナ。
「ハナさん、僕は大丈夫だから、そんな顔しないで。スンファン、初めて話したんだから、君が知らないのは当たり前
だよ」
「ジウォンさん...ごめんなさい。私がお母様のことを聞いたばっかりに...」
「違うんだ、スリョンさん。やっと話す気になったんですよ。今日はおばさまもいらっしゃるし。ご存知でしたよね?」
「ええ、でも最後にあなたに話しかけたというのは知らなかったわ。お母様はあなたのことが心配だったのね、きっと」
「そうだと思います。今でも時々、あの時いいよって言ってあげたら母は飛び降りなかったんだろうか、と思うことはあ
りますけど、よくわからない。考えても仕方ないことです」
しばし沈黙が支配する。スンファンの携帯電話が鳴り、全員一挙に現実に引き戻される。
「じゃ、私はこれで。あとは若い人たちだけでごゆっくり...」
「あ、ママ、私も一緒に帰るわ」
「あら、そう?じゃ、そうしましょうか?」
「私も失礼します」
「あ、俺も帰るわ、明日早いんで。スリョンさんは僕が駅まで送るよ」
「うん、頼む。しかし...なんだ、みんな急にいなくなるんだな」苦笑するジウォン。

――玄関――
見送りに出たジウォンに、思い出したように小さな包みを渡すミナの母。
「忘れるところだったわ。この間部屋の模様替えをしたら、こんなものが出てきたの。うちの主人が撮影した昔のビデ
オよ。あなたのおうちと合同でクリスマスパーティーをした時の。渡そうかどうか迷ったんだけど、今夜あなたの話を聞
いて、渡してもいいかなと思ったの」
「ありがとうございます」
三々五々客たちが帰った後、リビングの窓辺でぼんやりしているジウォン。不安げに見つめるハナ。

――ミナの母が運転する車の中――
何やら考えている様子のミナ。
「ママ、私、忘れ物をしたからジウォンの家に戻るわ。ここで降ろして」
「送って行ってあげるわよ」
「いいからママは帰って。私はタクシーを拾うわ」
ミナの母黙って頷く。

――駅――
思案げなスリョン。意を決してタクシーに乗る。

――ジウォンの家――
「あ、ミナです。ちょっと忘れものをしちゃって...」
リビングに通される。ジウォンはもういない。
「あのう...ジウォンさんは?」
「あ、ご自分のお部屋だと思いますよ」
そっと階段を上がるミナ。ジウォンの部屋を覗いてみるがいない。ふと隣のスンギ氏の部屋を見るとわずかに光が漏れ
ている。そうっとドアを開ける。広々とした父親の部屋には、大型のTVがあり、ジウォンがぼんやりビデオを見ている。
幼いジウォン。若く美しい母、笑っている父。見ながら声も立てずに泣いているジウォン。ミナ背後から近づいて、ジウォ
ンを抱きしめる。
「うん?ミナ?なんだよ、戻って来たの?」
ミナ、ジウォンの前に回り、両手で優しくジウォンの顔を包む。静かなKISS。

――リビング――
「すみません、忘れ物をしてしまって...」
今日は忘れ物が多い日だなとハナは苦笑する。
「さっき、ミナさんも忘れ物とおっしゃって、多分ジウォンさんのお部屋だと思います」
急に気が重くなるが、引き返すわけにもいかない。二階に上がるとスンギ氏の部屋のドアが半開きになっており、光が
漏れている。そっと覗くスリョン。二人のKISSを目撃する。驚いて身を隠すスリョン。足早に階段を降り、そそくさと帰ろう
とする。
「あら?もう?見つかりました?忘れ物」
「ええ。私の勘違いでした.。そう、勘違い...」
ジウォンの家を出て、やみくもに歩くスリョン。泣いている。

        
(6) 寂しさの行方

――ジウォンの部屋――
「あ、ジウォンです。今日のことだけど...えっ、みんな留守?」
「ええ、ホギョンもいません(ドアの隙間からそっと覗いているホギョン)。だから来て下さっても...」
「そうですか...ホギョンちゃんもいないんですか...仕方ないな。じゃ、来週また」
素っ気無いスリョンの態度に首を傾げながら受話器を置くジウォン。

――孤児院――
受話器を置き、ため息をつくスリョン。
「どうしたの?ため息なんかついて。ジウォンさんだったの?今日は来れないって?」
「ええ。急に用が出来たそうです...」
「そう...怪我の方はもういいのね?」
「うそ!」突然部屋の中にホギョンが入ってくる。
「園長先生、スリョンお姉ちゃんは嘘ついてるよ。誰もいないから来なくていいって、お兄ちゃんに言ったんだよ。ホギョン
もいないって言ってた...ホギョンはいつも待ってるのに...」
「ほんとうなの?スリョン。ジウォンさんと何かあったの?」
「いいえ、何も...」小走りに部屋を出て行くスリョン。

――孤児院  園長の部屋――
「どうしたの?スリョン。あなたらしくないわ。ジウォンさんと会いたくないのなら仕方ないけれど、ホギョンを使って嘘を
ついたのはよくないわね。子供の前で嘘は禁物って、あなたもよく知っているでしょう」
「申し訳ありません...先生、園長先生はオアシスという会社をご存知ですか?」
「オアシス?オアシスって、あの高級家具の?」
「そうです。やっぱりご存知ですよね」
「高すぎて買えないけど、ショールームの前を通るたびに素敵だなぁといつも思うわ。オアシスがどうかしたの?」
「ジウォンさんは、あそこの社長さんの一人息子なんです」
「そう...道理でどことなく育ちのよさそうな感じはしていましたね。あなたはいつそれを知ったの?」
「この間の事件で犯人をつかまえた時、病院に警察の人が来て、そこで知りました」
「で、彼があまり立派なおうちの息子さんだから気が引けて会うのが嫌になったの?それとも彼のおうちで何か言わ
れた?彼はそんなことにこだわるような人には見えなかったけど...」
「ジウォンさんは、そんなこと、これっぽっちも言う人じゃないです。誰にでも優しくて...。でも、すごく大きくて素敵な
お家で...お友達もお金持ちのお嬢さんで...なんだか...」
「スリョン、あなたがそんなことで自分を卑下する人だとは思わなかったわ。そんなことを考えるなら、おつきあいは
やめなさい」
ミナとジウォンのKISSを思い出し、涙ぐむスリョン。そっとスリョンを抱き締める園長。

――夜、ソン家、兄ミンジンの部屋――
「兄さん、いないの?ちょっとドイツ語の辞書借りるわよー」
兄の書斎に入り書棚を物色するミナ。ふと机の上の書類に目をとめる。ジウォンの名前が見える。「要再検査」のスタ
ンプが押されている。書類を手に取り、読み始めるが専門の用語ばかりでよくわからない。しかし、みるみる顔つきが
こわばってくる。兄のミンジンが部屋に戻ってくる。
「おおっ!びっくりするじゃないか!」ミナの様子に気がつき、
「ああ、ジウォン君とは確か友達だったね。(顔色をうかがいながら)友達以上か...」
「ねぇ、これって本当なの?」
「まだ、疑いあり、という段階だ。だから一刻も早く再検査を受けさせた方がいい」
「なんで兄さんがこれを持ってるの?」
「例の事件でジウォン君が運ばれた時、手当てをした病院の医師は後輩なんだ。あそこはうちのような最新の設備が
ないから、こういう微妙な検査の時は時々こちらに依頼が来るんだよ」
「検査してみて、何もないってこともあるのね?」
「もちろん。だから余計きちんと検査しないと...。ジウォン君って、家族は確かお父さんだけだったね?」
「ええ。でも、ほとんどアメリカなの。兄さんも知ってるでしょ?ほら、オアシスの...」
「そうか、そうだったな。オアシスの社長の息子だ。と、いうことは、お母さんは...。仕方ないな、本人だけで話を聞い
てもらうか。ミナ、兄さんがきちんとやるから、誰にも言っちゃダメだぞ。スンファン君にも」
「わかってる...」


――孤児院の隣の大きな家――
オアシスと書かれた配達のトラックが止まっている。近寄るホギョン。荷物を出した後の荷台はがらんと空いている。
こっそり乗り込むホギョン。運転手と助手はそれに気付かずホロをかぶせ、トラックは一路ソウルへ。

――孤児院――
「ホギョン!ホギョン!」スリョンが不安げな表情でホギョンを探している。
「どうしたの?」
「あ、園長先生、ホギョンがいないんです」
「いない?いないって...最後に見たのはいつ?」
「朝御飯の時はいたんです」
「子供の足ではそう遠くまで行けないわ。みんなで捜しましょう」
1時間近く周囲を捜すがホギョンは見つからない。
「暗くて迷うってこともないしねぇ...」
「もしかして、変な男に誘拐されたんじゃ...ホギョンは可愛いから」
皆、口々に勝手な想像を始める。
「園長、警察にお願いした方が...」
古参の女性職員の一言で、警察に依頼することになる。

――オアシス社、家具工場――
先ほどのトラックが止まっている。
「あれぇー」運転手がすっとんきょうな声をあげる。
「どうしたんすか?先輩」
「見てくれよ、あれ」幼い少女がダンボール箱にもたれてスヤスヤ寝ている。
「おじょうちゃん、おじょうちゃん、さぁ起きるんだ」
「ふぁー、あ、おじちゃん。ここはオアシス?」
「おじょうちゃん、オアシスを知ってるのかい?確かにここはオアシスだけど、子供の遊ぶところじゃないよ」
「ジウォンお兄ちゃんはどこ?」
「ジウォンって誰だ?そんな社員いたか?」
「さぁ...俺が知ってるのは社長の息子くらいですよ」
「え?社長の息子?そうか、ジウォンって言うのか。でも、なんでお前が知ってるんだよ」
「前に週刊誌に載ってたんすよ。えへっ、そんでもって俺んちの息子と同じ名前なんす」
「エライ違いだな。それにしても、どうするか?もしかして隠し子?」
「まさか、社長の息子はまだ学生のはずですよ。それにお兄ちゃんって言ってるじゃないすか」
「わからないぞ。どうせ金持ちのドラ息子だろう。とにかく本社に連れていってみよう」
「いいんすか?」
「ああ。どうせ、午後は非番だ」

――ハン家リビング――
「あら、スンファンさん、いらっしゃいませ。ジウォンさんですか?いらっしゃいますよ」
「ジウォンさん、スンファンさんがお見えになりました」
「どうしたの?せっかくの休講なのに...珍しいね。昼飯でも食ってく?」
「あ、いや、すぐ帰る。あのさ、俺この間ここに手帳忘れてなかった?」
「いや。第一忘れてりゃ、すぐ学校に持って行ってあげるよ」
「そうだよなぁ...勘違いかな...」
「スンファンさんの忘れ物って、この間の快気祝いの時の?」
「知ってるの?ハナさん」
「いえ、スンファンさんの手帳は知りません。でも、皆さん忘れ物ばかりでどうなさったのかなと思いまして。
おかしな方たちですねぇ」
「皆さんって?」
「ええ、最初はミナさんが忘れ物をしたと言って戻って来て、2階に上がられたでしょ?」
「ウン、ミナはね」一瞬スンファンの顔色が変わる。
「そのあとすぐにスリョンさんも忘れ物をしたと言って帰って来られて2階に」
「えっ?何だって?スリョンさんも戻って来たの?」
「まぁ!お会いにならなかったんですか?勘違いだったと言ってすぐに帰られましたよ」
「そんな...(ジウォン、あの夜の出来事を思い出し、それをスリョンに見られたかもしれないことに激しく動揺する)
そうか、それで...」
スンファン、ジウォンの表情から、一瞬にしてあの夜のことを理解してしまう。

――オアシス本社・秘書室――
「えっ、5歳くらいの女の子?迷子ではないのですか?うちの配送のトラックに乗り込んでた?困りましたねー。
わかりました。ともかく私がそちらに行きます」

――オアシス本社・ロビー――
「おじょうちゃん、お名前は?」
「イ・ホギョン!ジウォンお兄ちゃんに会いに来たの〜」
「そう、どこから来たの?」
「すみれ愛育園」
キム秘書、携帯を取り出す。
「あ、もしもしオアシス社のキム・へジョンです。ハナさんですか?実は、ジウォンさんに至急連絡を取りたいんですが。
えっ?休講で、いらっしゃる?」

――オアシス本社・秘書室――
社長室にあった写真を持って来てホギョンに見せるキム秘書。
「ジウォンお兄ちゃんはこの人かな?」
「うん!」こっくりと頷くホギョン。困惑顔のキム秘書。
ジウォンが秘書室にかけこんで来る。
「あ!お兄ちゃんだ!」
「ホギョンちゃん!どうしたの?みんな知ってるの?(ホギョンを抱き上げて)どうやって来たの?大丈夫かい?」
「うん、トラックに乗ったよ(ニコニコしている)」
「すみません、キムさん。この子は僕の知り合いの孤児院の子です。ご迷惑をおかけしました。トラックの運転手さん
にはお礼を差し上げておいてください」
「はい、わかりました。彼らはホギョンちゃんをジウォンさんの子供さんと思っているようでしたよ」悪戯っぽく笑うキム
秘書。彼女が笑っている顔を初めて見たジウォンは少しばかり感動する。
「そんな、勘弁してくださいよー、彼らにもちゃんと説明しておいてください」
「あ、もしもし。こちらはオアシス社の秘書室キム・へジョンと申します。はい、少々お待ち下さいませ。ジウォンさん、
すみれ愛育園に繋がりましたよ」
片手で受話器を受け取るジウォン。
「あ、もしもし、ジウォンです。スリョンさん?ホギョンちゃんが今ここにいます。驚きました。今朝そちら方面に行って
いた、うちの配送用のトラックに乗り込んだようです。ええ、元気ですよ、とても。ともかく今から僕の家に連れて帰り
ます。明日そちらに送って行きますから心配しないで。今ホギョンに代わります。あ、あんまり叱らないでね」
「あ、お姉ちゃん、うん、うん、怖くなかったよ、ぜ〜んぜん」
ジウォン、キム秘書に向かって、
「今回は父と一緒じゃなかったんですか?」
「ええ。私は来週からあちらに。こちらでの契約も残っていますので。ジウォンさん、お茶でもいかがですか?」
「あ、いや、いいです。この子を連れて帰らないといけないので。キムさん...笑った方がずっと素敵ですよ。
さ、ホギョン、お兄ちゃんの車で家に行こう」