「スポーツ・ソウル] 11/08/03 (Cinewel.com 提供)
【チュンムロ(韓国のハリウッド)が獲得した今年最高の巨大魚(リアルインタビュー)】
1994年にKBSドラマ『愛の挨拶』でデビューして以来、新人時代から‘スター’の座を固守
して来た彼が演技生活10年ぶりにとてつもない大事件を起こした。トレードマークの銀縁の
メガネから漂う洗練された風貌、揺れるウエーブヘア、ソフトなほほ笑みで積み上げた10年
間の牙城を崩して、メガネをはずし髷を結い、おまけに服まで脱いで観客の動員にかかった。
イ・ゼヨン監督の新作『スキャンダル-朝鮮男女上熱支社』を通じて彼はそれまでの上品で
爽やかなイメージをあっさりと脱ぎ捨てた。朝鮮時代きっての蕩児チョウォン役を引き受け
て、冷徹な表情の裏に隠した淫蕩な本音を事もなげに吐き出す好色漢を演じ、封切り三日で
100万人の観客を動員した彼は、今年チュンムロが釣り上げた最高の巨大魚だと言い切るこ
とができる。
生れついての勝負師は、易しいことよりスリリングな方を選ぶ。
その間、100を越えるシナリオを受け取ったという噂があるが、その数多いシナリオの中から
『スキャンダル』を選択した彼の真意を知りたい。
“これまで私が演じて来た役柄の大部分がメロジャンルでの優しい貴公子だったせいか、渡
されるシナリオの90%以上が既存のイメージの延長線上にある役柄だったんです。それまで
演じたことのない役柄、会ったったこともない人物を演じてみたいという欲求は、俳優だっ
たら誰にでもあると思います。私も私の中にいる別の自分の姿を取り出して表現したくて
『スキャンダル』を選択したんです。”
彼は物静かに柔らかいトーンで話しはじめた。
“多くの方々が、初めての映画だから一番アプローチしやすい人物から始めるのが基本の手
順であり、ベ・ヨンジュンが一番得意とする演技から始めなさいという忠告も頂きました。
人々は危険だからと引き止めましたが、私としてはたくさん学んで進歩した姿を見せたかっ
たんです。はじめから易しいこと、楽なことだけを探し求めていたのでは、その人は進歩
することができないのではないですか?人々に私の中にある可能性を開いて見せたかったん
です。 ”
メガネをはずして、服も脱いで。
彼のトレードマークである銀縁のメガネとウエーブ・ヘアはどこにも見あたらない。代わり
に髷を結って髭を付けた。映画を見るまでは、10年間ドラマだけをやってきたベ・ヨンジュン
が映画に、それも史劇に、おまけに天下の浮気者の役が合っているのかどうか非常に心配を
した。しかし、映画を見た瞬間、すべての心配が一瞬にして消えさった。いい! これなら
充分だ。大成功だ。
“チョウォンは高位官職を厭って多くの女たちと風流を楽しむ朝鮮最高の風流人です。生涯
憧れ続けて、手に入れることができなかったチョ氏夫人を手に入れるためなら危ない取り引
きをすることもためらわない蕩児です。心に女を入れる部屋は一つでも、その部屋を出入り
する人が随時変わるというチョウォンの台詞のように、この女からあの女へとうまく渡り歩
きます。それでも、この映画がただカサノバと妖婦ののんべんだらりとした色宴だけ描いた
ものではないことは、映画を見ればわかることです。私たちの人生の中心にはいつも愛があ
るように、結局天下一の浮気者であるチョウォンも真実の愛を渇求して、叔夫人を通じて真
の愛に目覚めるようになります。”
ヌードシーンは女優のみならず、男優もためらうほど難しいことなので、映画初出演の彼に
とっても、当然難しい過程だったことだろう。
“ヌード・シーンを負担に感じる年齢を、自分はもう越えたと思います。演技者はいつも、
まともな演技をするための用意をしていなければ、どんな作品でも最高の演技を見せること
が出来ないんです。服を脱いで露出するということではなくて、俳優は演技のために裸で飛
びこんで、目に見えない新しい服を着るのだと思います。私の中にある原始的な自分を演技
によって開放出来ました。これが初めて演じる情事シーンだったので、もうちょっとうまく
演じることが出来たはずなのに、そうすることが出来なかった事がとても残念ですが。”
古語のセリフのせいで、彼はNGのオンバレードを繰り広げた。
映画『チング』以来、大部分の映画で「なまり」がまるで「薬屋の甘草」のように必ず使わ
れた。最近ではドラマ『茶母』以後また史劇で見られる古語のセリフがトレンドになってい
る様相だ。しかし古語を流暢に話すのは簡単なことではない。
“古語に不慣れな上、話し方も違うので出したNGはすべてセリフのためだったと言っても過
言ではないほど、セリフのために手こずったんです。私の話し方はちょっとゆっくりですし、
言い方自体も柔らかいトーンなので、さらに大変だったんです。”
すぐれた演技力、秀麗な映像とずば抜けた美貌の俳優、それに山野を流れる清流のように流
麗なセリフが『スキャンダル』を形成している要素だ。
じっと座って見て楽しむにはとても良いが、実際に演技する者にとって、多くの苦労があっ
たであろう事は子どもの目にさえ明らかなはずだ。
“セリフ表現のみならず、人物に関しても役柄のモデルがいなくて、演技するのがすごく大
変でした。周りにチョウォンみたいな浮気者が一人でもいればその人を手本にするのに、そ
んな人がいなかったんです。それでもイ・ゼヨン監督が微に入り細に入り指導して下さった
ので、演技する上で非常に助けになりました。”
ベ・ヨンジュンは浮気者なのか?
作家は自分が創作した人物を「私の子」という言葉で表現し、俳優は自分が演じた人物を「
私の分身」と表現する。チョウォンの姿にもベ・ヨンジュンの姿がそのまま反映していると
いうことですね。どの部分か皆さんは見当がつきますか?
“私は浮気者ではないのに、(モニターに)映る私の姿の全ての瞬間の表情、言いぐさ、ゼ
スチャー、その他があまりにも自然なんです。私の中に浮気者の素質が眠っていたようです。
概して私は真面目で勤勉に生きて行こうと努力する方ですが、どこか片隅には浮気者気質も
あって、詐欺師気質もあるんじゃないでしょうか? そんな姿が今度の映画の中に溶けだした
んだと思います。それを私は恥ずかしく思ったり悪いとは思わないです。自分が持っている
さまざまな色を多様に引き出すことができる俳優、それが本当に素晴らしい俳優だと思いま
すから。”
映画を見て来た筆者に、友人達は映画はどうだったかとか、ベ・ヨンジュンの演技はどうだ
ったのかとか、幾度となく聞かれた。ただ行って見てくれば済むことを...怠けものなんだ
から...チッチッ。その度に筆者は“ベ・ヨンジュンはちゃんとした演技ができる”と一蹴
し、自分で直接行って見なさいと宣伝した。‘演技が出来る’と書くことができるように、
まともな演技を見せてくれた彼に感謝する。彼が見せてくれたプレイボーイ演技は、それは
彼が演技したものであろうと、自分自身の中から湧きだしたものであろうと、”とても良い”
を通り越して”そのものだ”と言いたい。
映画監督を夢見ていても、どこにでもカメラを担いで出かける写真家になっても、ドラマを
やっていても、映画を撮っていても、彼がどんな姿で現われても、これからはよりいっそう
余裕のある、より自由な人間になっていくことだろう。
『スキャンダル』で彼はそれまでの状態から一皮むけて、本物の味を出すための焼き直し作
業を行ったのだ。 これからの彼は顔がハンサムなだけの俳優ではない。演技力を兼備した、
名実共にチュンムロの財産となった。観客の一人として、彼の“大家族”の一員として大変
嬉しい^^
-梨仙縁(zzambo0904@naver.com)
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