ウィメン ジュンアン the Women Joong-ang(200411月号)
韓国語原文/Lemonhttp://www.yongjunie.net/
英訳/ youngsun

ぺ・ヨンジュンのモムチャン・プロジェクト

最初のリアクションは「本当に信じられない!」、次は合成ではないのかという疑いだった。わずか4ケ月で
すっかり変わってしまった彼の体形、写真に見る別人のようなペ・ヨンジュンは、本物の彼でなく作り物だと
思った人もいたかもしれない。映画ランボーもどきのニセ筋肉を装着しているのではないかと思う人さえ
いただろう。だが、いかにしてこの写真集が作り上げられたのか、その全課程を知ったならば、彼らは疑った
ことを詫び、これまで以上にペ・ヨンジュンを賞賛するのではないだろうか。

モムチャン・プロジェクトが始まってから、ペ・ヨンジュンは鶏胸肉と1日に何リットルかの水以外はとらなかった。

写真集のオファーを受けた時、彼はこう言った。「ファンの皆さんに、確実に、きちんとした姿を見せることが
大切です。最初の写真集なので、私自身にとっても意義深いものにしたい。美しい、絵になる背景の前で
ただポーズを取るだけというものでなく、映画やドラマ撮影のようにシビアな仕事にしたいのです。写真集
のオファーは日本からもたくさん来ましたが、私は常々、韓国の会社と組んで写真集を作りたいと思って
いました。ありのままに自分を見せるためにはプロデューサーと文化的相違があっては難しいだろうし、日
本の皆さんも、日本でなく韓国でのペ・ヨンジュンを見たいのだと思いますから」

ペ・ヨンジュンの新しい挑戦は今回のプロジェクトの発端となり、それは完了までに実に約9ケ月もの時間を
要することとなった。製作費には約40億ウォン、さらに宣伝費に10億ウォンがかけられたという。その費用は、
一般的な写真集のそれを上回る。この写真集を手掛けた製作会社Comaのアートディレクター、チョン・ヒョク
本部長曰く、「映画製作にも劣らない」。それこそ、撮影前に彼が言わんとしたものだった。

9ケ月の間、絶え間なく用意され続けたさまざまなやるべきことの中で、最も特筆すべき出来事は、
結果的にペ・ヨンジュンの身体そのものであった。プロのトレーナーと共にボディシェイピングを開始してか
4ケ月たってはじめて、彼は自分の身体の状態に満足した。

プロジェクトの最初の4ケ月間、彼はほとんど公に姿を現わさず、全ての時間をバーベルでのトレーニング
に当てた。彼は、今流行りのモムチャンを真似するだけ、というようないい加減なことはしたくなかった。やる
からには最高の肉体を得たい。その強い気持ちが、彼をどんな試練にも耐えさせた。

ペ・ヨンジュンによると、ボディビルの基礎は単にエクササイズをすることではなく、「身体作りの80%は食べ
物が左右する」という。モムチャンになるためには、食生活をすっかり変える必要がある。プロジェクトの開
始以来、彼は鶏胸肉と1日に何リットルかの水以外とらなかった。朝食、昼食、夕食….いつもそこには鶏胸
肉があった。塩と砂糖の摂取は短期間で良い成果をあげるのを妨げてしまうというトレーナーのアドバイス
通りにそれを控えた。彼は偏った栄養状態に苦しみ続け、それは周囲の人々をひどく心配させた。しかし、
完璧を追求する彼の苦闘の前に人々はあえて口を挟まず、誰も彼を止めなかった。

トレーナーによると、鶏胸肉は質の良い筋肉を作るために絶対的な効果があるという。しかし、その味わい
は、食通達が避けるほどパサパサと固い。グルメなレストランを訪れることを楽しみとするペ・ヨンジュンに
とって、それは堪え難いものだったに違いない。さらに、肉を噛み続けることは彼の歯にも悪い影響を与え、
ついにはミンチにしてまで食べなくてはならなくなった。だがそれでも、彼はプロジェクトを中止しなかった。

撮影前日、その状況はさらに厳しいものとなる。彼は鶏胸肉どころか、一滴の水もとらなかった。筋肉は最
後の一滴が身体から排出された時にベストの状態になるというトレーナーの言葉に従ったのだ。既にもう
体力のほとんどを消耗した状態で撮影は始まり、それは終了までに6時間を要した。最後のカットが終わっ
た時、彼は誰かに支えてもらわないと立ってはいられない状態だった。いかにしていわゆるモムチャンに
なったのか、そのプロセスを説明する前に、彼は警告をすべきだろう、「誰であれ、どんな理由であれ、決し
てプロのサポートなしでは真似しないでください」と。しかし同時に、彼は自分自身に対しては密かにこう
言うかもしれない。
「私はやった。またしてもやり遂げた。」

「ドキュメンタリー」を選んだ、生まれながらの格闘家

この10年間、スターの座を保ち続ける一方で、ぺ・ヨンジュンは旅をしたいという願望を持ち続けていた。
が、ふらりと気ままに旅へ出るには彼はあまりにも有名すぎる。この写真集のもう一つのプロジェクトで
ある「トラベル」は、そんな彼の欲求を少しでも満たそうと計画されたものだった。最初、プロデューサーは
ヨーロッパでの撮影を提案した。それは旅としても十分に満足できるものになるだろうし、何より、美しい
を簡単に作りあげることができる。ぺ・ヨンジュンも、古いヨーロッパの建物が素晴らしいスタジオに
なり得ることはよくわかっていた。しかし、彼はその提案に反対した。

「難しい仕事になるかもしれませんが、私をよく知り、私の真価を認めてくれる場所、つまり、アジアで撮
影したいのです。特に、今までに訪れたことのない国で。ヨーロッパでの仕事はまた後からでも可能です
から」

結果的に、マレーシアとタイが撮影地に決まった。ぺ・ヨンジュン曰く、それらの撮影は簡単ではなかった。
トラベラー・プロジェクトの40ものコンセプトは、39ヶ所のそれぞれ違った場所で撮影された。ところで、撮
影中のペ・ヨンジュンはかなり変わっていた。一般的なアーティストとはかけ離れた風変わりな彼の様子
を、アートディレクターのチェン・ヒョク氏はこう説明する。

「彼はスタイリッシュに見せたがらなかったのです。普通、アーティストはできるだけクールに見えるよう
ふるまうのに、彼は、より自然であることを強調しました。そういうわけで、この撮影はまるでドキュメン
タリー映画のように進んでいったのです。彼はカメラを見つめることさえなかった。今までと全く違った新
しいペ・ヨンジュンを見せようとしていたようでした。」

ぺ・ヨンジュンをよく知る人は、彼のことを生まれながらの俳優とは言わず、むしろ生まれながらの
格闘家と呼ぶ。自分の作品に対して高い志を持って専心し、勝利を味わった後も、さらに大きな闘い
に挑み続ける彼。
写真集の撮影中、彼はそんな格闘家としての姿をたっぷりと見せてくれた。