
|
以前「オイル」の感想を日記に書いた時、文末に「次は私の大好きな『ハムレット』だから、下手に やったら承知しないよ」と結んだ。どこの馬の骨かもわからない一介の凡人にこんなことを言われ ても迷惑以外の何者でもないだろうが、この言葉が届いたのかと思うほど、素晴らしいハムレット ぶりであった。「オイル」で苦戦していた人と同じ人物かと疑うほどである。常々「蜷川さんの“良 かったよ、竜也”の一言のために頑張っている」と公言して憚らない彼にとって、久々の師とのコ ラボレーションは、何より彼自身が幸福で、そのために芝居に色気や艶まで生まれてきている。 つまるところ、役者自身も楽しめないと客を満足させることなど出来ないということだろう。
「ハムレット」ほど世界中で愛され上演され続けている戯曲はないだろう。私は小学生の時「小公 子」やら「家なき子」などを飛び越えてシェークスピアにはまってしまい、図書館の本を片っ端から 借りまくった。ただ、「ロミオとジュリエット」は一番つまらなく、何度も繰り返し読んだ記憶がない。 ひたすら恋愛に拘泥する主人公たちに感情移入出来ず、一方でハムレットには恋に近い感情ま で持った恐ろしく生意気な小学生だった。 その頃TVの名画座でローレンス・オリビエの映画版を見、頭の中で描いていたものに動きがつい てますます好きになり、再放送の度にTVにかじりついて見た。そして、長らくこの演技が私のハム レット像の基本になった。
解釈の仕方はいろいろあるが、良く言えば思索型、悪く言えば優柔不断。いつもぶつぶつ独り言 を言っていそうな、そういうかなり内向的なタイプの人間として描かれることが多いが、いつもいつ もそれでは世界中でずっと上演され続けている意味がない。本質さえきちんと押さえれば、大きく アレンジしたりいくらでも触れるところがシェークスピアの魅力なので、逆に演出家の手腕が問わ れる。蜷川氏自身「ハムレット」の演出は何度も手がけており、現に前の市村版ハムレットからも まだそんなに月日は経っていない。市村版は私も見たが、やはりハムレット王子はもう少し若い 役者の方がいいと思った。舞台役者に年齢はないとよく言われるが、それでもやはりそれをやる 旬というものがあるように思う。 蜷川氏がどういう気持ちで若手を揃えたのか私ごときには知る由もないが、今回は若い人が揃っ た分舞台に躍動感があり、何より主役のハムレットに熱気がある。藤原版は歴代のハムレットと 比べても遜色ない、いや特筆すべきハムレットになったのではないか。
若いということはきらきらした可能性を秘めている分、自己満足に陥りがちで芝居が上滑りになる。 今回、小栗旬のフォーティンブラスなどはその典型的な例である。長身でメイクの映える容貌は 観客を引きつけるには充分で、客席の温度が自分にも伝わるのだろう。高揚感ばかりが先に立ち、 ただ大きな声で吠えるという状況に陥ってしまう。基礎が出来ていない若い俳優には舞台はそれ ほど甘くはない。出番は少ないが芝居の幕引きを担っているのだ。精進して千秋楽までには「野 性的な中にも品格のある」フォーティンブラスになってほしい。
今回のように、金網で囲まれた前半はともかく、何もない真四角のセンターステージで四方から客 に囲まれて演技するというのは恐ろしいことに違いない。藤原竜也という人は15歳から蜷川氏に 叩き上げられ修羅場のような舞台に何度も立っているので、若手では珍しく、その怖さをよく知って いる人である。そしてその怖さを払拭してくれるものは日々のたゆまぬ稽古でしかないということも、 彼は知っている。ひたすら3時間半をハムレットとして生きる彼を見て、「オイル」も無駄ではなかっ たなと思った。私がこんなことを書けばファンの贔屓目としか思ってもらえないのが残念だが、他の 若手俳優とは歴然とした違いがある。台詞の強弱・抑揚申し分ない。もともと得意だった狂乱の演 技はともかく、どちらかといえば苦手な部分であった「軽味」。仮にも一国の王子で、常に「殿下」 と持ち上げられることに慣れた人物特有の「育ちの良い鷹揚さ」がさらりと出せるようになったのだ。 これは彼にとって大きな進歩である。ごく自然に客席から笑いが取れるようになろうとは...
井上芳雄のレアティーズは抑制が効いており、端正で品がある。素直過ぎる演技のような気もする が、既に土曜より日曜の方が良かったので、きっと日々成長していく人だと思う。鈴木杏のオフィー リアは可憐だが、固い。子供にしか見えない。こちらが期待しすぎたのかも知れない。
是非もう一度見たいと久し振りに思った。芝居全体の総括はすべてが終わってからにしよう。そうそ う、私たちの数列前の席で野村萬斎さん、成宮君、嵐の二宮君が並んで観劇していた。彼らの目に 藤原「ハムレット」はどのように写っただろうか?
|
|