
MIDI "Who Needs You"; Thanks to Toshiya-san
やあ久しぶり! 昼でも夜の天使、ジョン・ディーコンです。
僕の誕生日をみんなで祝ってくれるなんて嬉しいなあ。
カッコいい僕に乾杯して、バースディ・ソングを歌ってくれるなんてね。
……えっ? 違う? だったら何?
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2004年8月19日(曇り:台風接近中)
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ジョンの誕生日にビデオ上映会をしよう!という今回の趣旨に賛同し、当日集まって下さったのは計6名(きよまあさん・BanKさん・Letterさん・砂丘。さん・ここさん・ねこ娘さん)。大阪だけでなく、福岡や名古屋、静岡から日帰りで駆けつけてくれたツワモノ・ディーコニスト根性に感謝。
最初は部屋でミック・ロックの写真集「KILLER QUEEN」を眺めつつ簡単な自己紹介タイム。なぜかヌード写真のページで手が止まっている皆さん。まっ、ウブなのね。
半時間後にマンション1階のシアター・ルームへ移動。たぶん10〜15人くらいでぎゅうぎゅう詰めになってしまいそうな部屋ではあるが、4時間300円という借り賃の安さとモニターの大きさが魅力だ。実はこの日のために、年代順にジョン関連映像をまとめたVHSテープ2本を用意してあったのだが、順番無視でウェンブリーのJOHN CAMを先に鑑賞。ううむ、でかい(画面が)。クールだ(ベースが)。恥ずかしい(短パンが)。
その後、「おしながき」に沿って順次鑑賞。画質の荒さが目立つものもあるが、おおむね楽しんでもらえて何よりだった。なかでも1984年、ロジャーと来日した際のにこやかなボケ具合(「ファンキー・トマト〜東京ROCK TV〜笑っていいとも」)、1987年の青いカツラでロケンロール(Stutter Rap)の人気は高かった。また、華やかな授賞式にインベーダー・セーター&赤いトレーナー・パンツという、ドレスコード完全無視のディーコネートの極致を見せつけるAmerican Music Award(1981年)でも、受賞直後のはじけっぷりと合わせて大いに沸いた。そのほか、「エマちゃん」(Live In Budapest)やベジャールのプレミア・ショウ(The Show Must Go On)の映像も、皆さんの胸をわしづかみにしたようだ。むろんそれぞれ違う意味で。
予想外にウケたのが、1981年のブラジルでの、カジュアルなスタイルのインタビュアー(通称:ジャージのオヤジ)。
珍しく4人まんべんなくインタビューに答えていて、端々でジョンのアップが映るからという理由でリストに入れてみたのだが、「オヤジとジョンの息がピッタリ」という声が上がったのが新たな発見だった。最初はジョンの名前を失念していた(ブライアンとのやりとりで疲れたのか?)ジャージのオヤジだったが、質問して・答えて・訳してを繰り返すうちにいつしか(質問なしで)見詰め合っただけで会話が始まる関係になっていくのだ。オヤジのポルトガル語訳を思い遣るジョンの切り上げ具合が上手いのか。カメラマンも必要以上にジョンにズームしていたし、やはり南米で愛された男は違うと再確認。
時間の都合上、ラストをNo One But Youで締めたせいで少々しめっぽくなってしまったものの、部屋に戻ってから皆さんの手土産(わざわざありがとうございました!)をつまみつつ談笑し、なごやかにお開き。(蛇足ながら大阪組は近所のファミレスで「ボヘミアン・ラプソディ」を2度耳にして、さらにロイヤルホストがジョンと同い年であることを知った)。お疲れ様でした皆さん!
ところで……「お誕生日おめでとー、ジョン!」と言い忘れてませんでしたか私たち(というより私がか)……「何のための集まりだったんだい(泣)」by ジョン
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