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  • 天狗の詫び証文(伝承の旅)

    綾部市経済部商工観光課設置の案内板の一部です。(弥仙山登山口付近で)
    綾部市経済部商工観光課設置の案内板の一部です。(弥仙山登山口付近で)

    天狗の詫び証文

     上林の谷あいにそびえる君尾山(きみのうさん)、そのお山に
    建っているのが光明寺。聖徳太子が建てたともいわれ、もう千年前。
     そのころは、若狭と京都を結ぶ交通の要衝として栄え、山を中心に
    72坊舎を数えたともいわれる。
     この光明寺にいまも伝わる話として、光明寺の二王門
    (鎌倉時代建立)の辺りに天狗が住みつくようになったという。

     この天狗は、
     和尚さんが寺におられるときは静かにしているが、留守になると
    真夜中に大声を出して驚かしたり、大風を吹かして屋根や稲木を
    飛ばしたり、子供のおやつを取り上げたりしとったということじゃ。
    (子供とは、寺で学問を学んだり、僧の修行をするために集まって
    きている塾生)

     その夜じゃ。「ドスン」と大きな音がしたかと思うと、だれも
    いないはずの本堂で「どんじゃん、どんじゃん」と鐘・太鼓の
    音 真っ暗闇がいきなり百目ろうそくを百本も二百本もつけた
    ほどの明るさになり、真っ赤な衣を着た坊さんが所狭しと
    何百人 ズラリと並んで読経がはじまり、読経に合わせて
    首が一回転 顔はと見るとのっぺらぼう まるでホウズキの
    化け物じゃ。

     子供たちは口々に「天狗じゃ  天狗じゃ 天狗の仕業じゃ」
    と庫裏の奥へ。ひとかたまりになってブルブル震えとったんじゃ。

     何時くらいたったかのう。
    やっとのことで和尚さんが帰ってこられたんじゃ。
    「ふもとから見ると本堂に明かりがよく見えたが、また天狗の
    イタズラか 困ったもんじゃ」と山門に立ち「エヘン」と
    せきばらい一つするとどうじゃ。

     いままでこうこうとついていた明かりがぱっと消え、元通
    りの真っ暗闇じゃ。
    和尚さんのお帰りじゃとばかり飛んできた子供たちは、口々に
    「和尚さま、天狗でございます」と半泣きじゃったということじゃ。

     翌朝、和尚さんは天狗を呼び寄せ「のう、天狗。寺の境内に住むことは
    いっこうにかまわんが、子供たちや、村人に迷惑をかけてはいかん」と
    言うて聞かせたんじゃ。
     天狗が言うには「のう、和尚。寺の山門に、酒気をおびた者は
    山門に入ることを許さず、と書いてあるが、寺の中にはたくさんの
    酒があるではないか。それを守れば悪さはやめようではないか」
    それを聞いた和尚さんは「もっとも  もっとも」と承知をしたんじゃ。

     気を良くした天狗は、今までの悪さの「詫び証文」を和尚に差し
    出し、そうそうに立ち去ったということじゃ。
     それ以来、天狗は二王門から姿を消したということじゃ。
    大トチの木の洞にでも引っ越したんかも知れんのお。

    (「改心」したのは、天狗?、和尚?)
    綾部市経済部商工観光課発行のパンフから引用)
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