合わせ鏡

 砂嵐の唸り声が遠くから迫ってくる夢を見た気がする。夢と現の狭間にある混沌に溶け込んでいた俺は、その耳障りな音から生えてきた腕に首根っこを掴まれ、昼間だというのにどことなく薄暗い部屋にいる自分の元へと放り出された。
「……ん、ぐぅ……」
 ところどころ塗装が剥げている炬燵の天板に突っ伏していたせいで、水糊を塗りたくったように強張っている腰と背中を思い切り伸ばすと、ようやく瞼がゆるゆると開き始めた。耳をすっぽり覆って離れないヘッドフォンからは、さっきの夢に出てきた「さぁぁぁぁ」という音が絶え間なく垂れ流されている。白と黒のノイズを映した19インチのテレビの電源を落とし、物言わぬ小型スピーカーを頭から引っぺがした。
「ふぁ……」
 生欠伸という言葉がまことに相応しい、生ぬるい吐息を右手に受け、血の巡りが悪い頭を一振り。一瞬くらっとする。いつもと同じ、気だるい俺の目覚めだった。
 昨日は何をしていただろうか。顔を洗って辺りを見回すと、我ながら汚いと思える部屋の片隅に、レンタルビデオ屋の青い袋が転がっていた。
「そうか、新作のホラーを借りに行ったんだったな」
 で、いつものように部屋の電気を消してヘッドフォンをつけ、音量をできるだけ上げて、テレビの前に炬燵で陣取って見始めたんだった。が、その後の記憶がすっぽりない。あまりの下らなさにそのまま眠ってしまったようだ。全く、「今世紀最大の恐怖」のキャッチフレーズが聞いて呆れる。巻き戻しが完了しているテープをデッキから引きずり出し、半ば放り出すような感じで袋に詰め込んだ。
「金返せ! って言って返してくれるわきゃないわなぁ……」
 窓の外と同様に木枯らしが吹き荒れる財布の中身を見て、俺は灰色の溜め息を吐いた……

 ……な、何だこれは?!
 一体どうなってるんだ、これは今日、俺が起きてからの行動と全く一緒じゃないか! 何の冗談だ、これは……。
 言いようもない悪寒に囚われながら、俺は続きの文章に目を走らせた。

 マニアなどとのたまうつもりはないが、およそ日本でホラーと名のつくものには一通り目を通しているつもりだ。小説、ビデオ、映画などは勿論、無け無しの金で購入したパソコンで始めたインターネットでも、その手のサイトを片っ端から見て廻っている(現在進行形である)が、未だ心底から「怖い」と思えるものに出会っていない。運が悪いだけなのか、それとも自分の感覚が他の人とずれているのか。
 怪しげだとは思いながら、『恐怖の会』という名前のメーリングリストにも登録してある。俺はごくたまにしか発言しない―その上愚痴にしかならない―で、そこから色々な情報を仕入れては試しているのだが、こちらもいまいち当たりがない。
 どうしてこんなに俺が「恐怖」を追い求めるのかは、自分にもよくわからない。適当な大学に入って、毎日ぶらぶらと過ごすという怠惰な日々を送る俺の心の底が、そういう「刺激」を欲しているのかもしれない、と勝手な自己分析をしているのだが。……しかし今のところ、ホラー小説その他の効果は芳しくない。暇潰しにもならない、というのが正直なところだった。

 ふと見ると、扉に備え付けの新聞受けに大き目の封筒が突っ込んである。味気もくそもないスチールのドアからにゅっと突き出たそれは、あっかんべーをする舌のようにも見える。馬鹿にされているような気がして、我知らず勢いよくそれを引き抜いていた……

 馬鹿な……そんな馬鹿な!! そんなことがあるはずがない、これは夢なのか? 悪夢なのか? もしそうなら、早く覚めてくれ……。
 全身が震える。歯の根が合わない。それでもページを繰る指は止まらない。

「……何だ?」
 差出人の名前はない。持った感触は、大きさ、重さ共にハードカバーの本くらいだ。振ってみても特に音はしない。箱系ではないらしい。まさかこんな一般人のところに爆弾なんぞ送ってくる物好きもいないだろうが、一応警戒しつつ白い封筒を破り捨てた。  中から現れたのは、果たして一冊の本だった。しかし、カバーには何も印刷されていない。真っ白な紙をひょいと巻きつけたような感じがする。背表紙、裏表紙も同様だった。
「何だこりゃ?」
 不審に思いながらも表紙をめくってみると、一枚の封筒が栞のように挟まれている。中にはワープロ書きの文章で、これまた無味乾燥なB5の用紙にこう書かれていた。

『突然のことで、さぞ驚かれていることでしょう。非礼をお詫び致します。
 さて、この度あなた様宛てに送らせて頂いた本は、私が書いたホラー小説です。自費出版で本らしくはなったのですが、今のところ試し刷りなので、装飾は一切しておりません。メーリングリストなどでいつも「心胆寒からしめるホラーがない」とこぼされているので、一度お試し頂きたいと思いまして、勝手ながら送付させて頂いた次第です。
 感想は、後日またお願いします。それでは』

 奇妙な申し出だった。手紙を雑巾のように捻り潰してそこらへんに放り投げると、その問題の本を手に取ってみた。
 大体、メールで俺の愚痴を聞いたところで、どうやってうちの住所を調べたというんだろう。メーリングリストの管理人にはそんなもの知らせていないし、有り得るとすれば、併記してあるメールアドレスからプロバイダにハッキングして、個人情報を取得するという方法ぐらいだが。
 また、「感想は後日」などと言っているが、住所や宛名やメールアドレスが書いてあるわけでもないのにどうしろというのだ。また別便で手紙でも送りつけてくるつもりなのか。
「……まあいいか。取り敢えず読んでみよう」
 炬燵に足を突っ込みながら独りごちて、俺は1ページ目を開いた。

*

 まだ途中だが、思っていたよりも面白かった。
 登場人物の名前が、全部『恐怖の会』のメンバーであるところを見ると、やはりこの本の作者もメーリングリストの会員なのだろう。ツボを押さえてあるというか、割とスタンダードな内容で、大して期待していなかった分、それなりに楽しめた。何より、出てくる人達の描写が生々しく、顔や性格すらも頭に思い描けそうなぐらいだ。よほど筆が立つ人が作ったに違いない。
 ただ、一つ不満なことがある。この本はアンソロジー形式になっているのだが、それぞれの短編のラストがどれも似通っているのだ。行方不明になったり、恐怖に負けて自殺したり……。内容がいくら面白くても、これでは興醒めしてしまう。もうちょっと斬新なオチは思い付けなかったのか。惜しい。
「お? 今度は俺か。楽しみだな」
 タイトルは『合わせ鏡』。現代ホラーの定番小道具である鏡をどう使っているのか楽しみだ。今までよりも少し大きな期待を寄せつつ、俺はページをめくった……

 嘘だ! そんなことがあるわけがない! なぁ、冗談なんだろう? 頼むから、誰かそう言ってくれ……。
 汗が額に滲み出て、頬を、顎を伝い、本の上にぽとりと落ちた。


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