このページは、ウィンドウを最大化すると読みやすくなります。


4(解答編)

「別に、それほど難しく考えなくてもいいんですよ」
 じれる僕を見つめて、意地悪そうな笑みを浮かべながら綾乃さんは話し始めた。
「解読のキーワードは、括弧で括ってあるようにヒント文なら『娘』、暗号文なら『騎士達』と『夜』です。……ところで葉月さん、人の名前を簡単に表すとき、一番手っ取り早い方法はなんだと思います?」
「は?」
 質問の意味がよく分からない。
「もう少し言い換えるなら、人の名前の別の表し方、ですか」
「? ……別の表し方といえば、せいぜいあだ名かイニシャルぐらい……」
 ――イニシャル?
「そうですね。だから私は、真っ先にこの文章はイニシャルを表しているんだと考えました。細川吾郎さんならG・Hですね。さて、ヒント文にはなんと書いてありましたか?」
「……『我は娘≠ノ無視されし者なり』です」
「『娘』を英語で書くと、綴りはどうなりますか?」
 いくら語学が苦手な僕でも、中学英語ぐらいはマスターしているつもりだ。さっきのボールペンで、手帳の端にDaughter≠ニ書いた。綾乃さんはにっこりと笑って、
「この中に、黙字と呼ばれる発音されない文字が含まれていますね。GとHです。これを無視された≠ニ解釈すれば、ほら、イニシャルのG・Hになりました」
 ――こ、こんな簡単なことが分からなかったのか……。
 僕は恥ずかしさで顔が紅潮していくのを感じていた。
「暗号文も同じ要領ですね。『騎士達』はKnights=A『夜』はNight≠ナすから、『騎士と共にあり、夜と共に消えゆく者』は……」
「KとS……。つまりイニシャルがK・Sの人物……」
「先ほどの三人のお名前を見る限り、該当する方はお一人しかいらっしゃらないようですね。多分その方が、暗号文の答えだと思いますよ」
 ある先輩の顔と名前が脳裏に浮かんで、僕は慌てて席を立った。慌てすぎて膝をテーブルにぶつけてしまったが、そんなことを気にしていられない。いや、気にならないほど僕は焦っていた。プレゼントを貰ったら、必ずお礼をしますと言い残して、僕は猛然と部室にダッシュした。

 部室には、相変わらず煙草をくわえている細川先輩を筆頭に、三回生の面々が全員揃っていた。
「お、その顔だと、どうやら答えが分かったらしいな。『犯人はお前だ!』……なんてな」
 またも人気推理アニメの台詞を引用し、自分で言って一人で笑っている。細川先輩は本当に機嫌が良さそうだった。口振りからして、僕が一番乗りらしいことが想像できた。他の連中も、僕と同じように難しく考えすぎているのかも知れない。
「私が出したヒントも、少しは役に立ったかしら?」
 恵理子先輩がぽーんと肩を叩いた。また脇腹を突っつかれるんじゃないかと警戒していたが、別に何もされなかった。「何を教えたのぉ?」と訊ねているのは亜紀先輩だ。長く綺麗な髪をかき分けて、その耳元に恵理子先輩が何事か囁いている。
「やりましたね、葉月君」
 さっきと同じ場所で本を読んでいる和実先輩が、綺麗な目をこちらに向けて微笑んだ。男の僕でも一瞬胸がときめくような、危険で素敵な笑顔だ。この人だけが、三回生の中で唯一煙草を吸わない。嫌煙家の僕にとっては非常にありがたい存在だ。入部当時に女性と見間違うほどと称された美顔は、柔らかな笑みを湛えてなお一層輝いていた。
「……それで、あの暗号が示す女性とは誰だい?」
 細川先輩の隣で一緒に煙草をふかしている圭先輩が、一度は掃除したらしい灰皿にメンソールを押し付けた。そうでなければ、とっくに吸殻が溢れ返っていることだろう。山盛りになった煙草の墓場に、墓標のように口紅のついたフィルターが突き立てられた。
 僕は大きく深呼吸をして、男っぽい口調が魅力的な全身を黒色に染め抜いた格好いい女性を指さして宣言した
「あの女性とはあなたですね、相馬圭先輩」
 一同から拍手が沸き起こった。



 さて、その後どうなったかというと……。
 下馬評最有力候補の雅輝は、まさにタッチの差で部室に駆け込んできた。僕が既に正解してしまったことを知ると天を仰いで悔しがった。グラハム・ベルの心境とはこんなものだったのかも知れない。
 次にやって来たのは夏ちゃんだった。さすが英文学科、僕とは違って実力で解いたらしい。あの程度の暗号に苦しみ抜いた挙げ句、他人に答えを教えて貰った僕はいささか心苦しかった。
 もっちゃんと幸奈は、降参のような形で部室に現れた。二人とも別に悔しがる様子も見せず、もっちゃんに到っては「やっぱりかなわなかったろ?」と逆に嬉しそうだった。なぜか幸奈は、謎めいた微笑みを浮かべていた。
 で、問題のプレゼントだが、なんとも嬉しいことに、僕には部長、夏ちゃんには副部長の肩書きを戴けることとなった。我がクラブは、部内の統率を取るためには、やはり実力のある者を、ということで、伝統的にこういう引き継ぎの形をとるらしい。選ばれし者には、もはや選択の余地はない。
 雅輝はこういう面倒臭い役職は大嫌いで、「試合に負けて勝負に勝った」などとほざいている。夏ちゃんはやる気満々らしく、なんだか嬉しそうにも見えた。もっちゃんはほっと胸をなで下ろしていた。そして「実は、そんなことじゃないかと思ってたんだ。でも、どっちにしろ暗号は解けなかったから同じことだね」と、先輩の罠(?)を見事にかわして「してやったり」と舌を出す幸奈がいた。
 で、僕はといえば。
 やっぱり人間、ズルをすると天罰が下るということを再認識すると同時に、今朝から続いていた悪い予感は、やはり外れてはいなかったのだ、と深い溜息をついた。
 そして、先輩からのプレゼントがこんな形だったので、綾乃さんへのお礼をどうしようかと真剣に悩んでしまうのだった。


――了――

To 『A la carte』  To Home