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大阪民衆史研究会の諸活動

 このページでは大阪民衆史研究会の活動を紹介します。内容は会員や「会」の主張、意見、さらに小論文や資料の公開などです。

(掲載期間が満了した記事は「活動資料室」へ移動しています。「活動資料室」もご覧下さい)

2016年総会における開会の挨拶

尾川昌法

はじめに
 ただいまより、会則に基づいて2年に1回の総会を開催致します。
 はじめに、前総会(2014年8月3日)以来の2年間をふり返って3つの報告をしておきたいと思います。
 一つは、後で事務局から詳しく報告されますが、この2年間、毎月1回の研究例会を開催し、毎月1回の「会報」を発行してきたことです。このほかに紀要『大阪民衆史研究』を発行し、いくつかの集会や研究会に共催団体として参加しました。研究会として当然のことではありますが、毎月欠けることなく研究例会を開催し「会報」を発行して着実な歩みを続けています。事務局担当者のご苦労に感謝するとともに、この持続する活動をこれからも引き継いで参りたいと考えています。
 第2に、研究会を支えてきた大事な方々を失ったことです。物故者には研究会設立以来22年間会長をされてきた向江強さん(2015年9月20日、86歳)、大教組執行委員などを歴任し会員として支えていただいた寺本敏夫さん(2016年6月1日、89歳)、そして「会報」の編集、発行を長期にわたり担当されてきた森紀太雄さん(2016年7月21日、85歳)たちがおられます。総会に先立って、これらの皆さんに対し謹んで哀悼の意を捧げるものであります。
 第3に、『大阪民衆史研究』別冊号として発行を決めた『島田邦二郎史料集成』の翻刻、解題、語註がこの2年間の作業でようやく終わり、後は研究論文を残すのみという段階まで来たということです。発行を決めてから時間はかかりましたが、期待に応えられる充実した内容になる、と思っています。

「歴史認識」の問題
 私たちは今、憲法を破壊する反立憲主義、戦後民主主義の潮流を覆し逆流させようとする安倍自公政権と対峙しています。戦後最大の危機であり、歴史の岐路に立っている、と言われることもあります。2012年12月26日発足後の第二次安倍自公政権は、消費税増税(2014・1実施)、特定秘密保護法(2014・12・10施行)、武器輸出三原則を撤廃し武器輸出を推進する防衛装備移転三原則の閣議決定(2014・4・1)、集団的自衛権行使容認の閣議決定(2014・7・1)、安全保障法制(戦争法)の強行採決(2015・9・19参議院)、など反民主主義政策を強行しています。
 この政治情勢のなかで、2015年8月14日に閣議決定し、翌日に発表された安倍首相の「戦後70年談話」に、注目したいと思います。政権の反動的諸政策の根底に流れている「歴史認識」が、そこによく現れていると思うからです。「歴史認識」を問題にするのは、今日の社会が歴史研究に何を求めているのかを考えてみたいからです。
 「70年談話」は、まず主語を曖昧にした文章で飾られ政権担当者としての主体性と責任が欠落しています。当時の国内外のきびしい批判の目を意識した政治的発言でしかありません。さらに、日本近代のはじまりから戦後70年の歴史をたどりながら間違った歴史像を伝えています。
 冒頭から「アジアで最初の立憲政治を打ち立て」、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」、と歴史を歪曲したように、近代日本の膨張主義、侵略戦争と植民地支配の事実と責任にふれることがありません。安倍首相らの主張する「従軍慰安婦」否定論や南京大虐殺否定論がこの「談話」に矛盾なくすっと入り込めることを考えてみれば、歴史の歪曲やその曖昧さにすぐに気づくでしょう。
 「談話」はまた、「計り知れない損害と苦痛」や「尊い犠牲の上に現在の平和」がある、これが「戦後日本の原点」だと述べています。安倍首相を含む靖国神社派の発想にほかなりません。「戦後70年」は、誰もが認めるように、ポツダム宣言受諾と新憲法制定にはじまるのですが、「談話」はこのどちらにも一言もふれることがありません。ポツダム宣言が日本国民の「民主主義的傾向の復活強化」、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重」の確立を要求し明記していたことを完全に無視しています。
 ではなぜポツダム宣言や新憲法を無視するのか。それは第二次世界大戦にどう向きあっているか、その歴史認識に関わっていると思います。同盟国であったドイツの戦後70年とくらべるとはっきりします。ドイツでは「アウシュヴィッツ解放70周年記念式典」や「ダッハウ強制収容所解放70周年式典」などが開催され首相、大統領が出席し「ナチズムのすべての犠牲者に対する責任」を語っています。「第二次世界大戦の終結」から連想されるものは何か、という問いに対して、ドイツ市民の世論調査は「強制収容所の解放」、「ナチズムからの解放」、「ナチス独裁の終焉」など「解放」の認識が上位を占めており、「1945年5月8日の無条件降伏によって、ドイツは忌まわしいナチズムから解放されたという認識は、ドイツで一般的である」、と報告されています(木戸衛一「ドイツの<戦後70年>――『解放』認識の定着と揺らぎ」、『唯物論と現代』55号)。「ナチズムからの解放」というドイツ市民の一般的な認識の存在が、メルケル首相が困難な状況のなかで国境を開放し難民受入れを明確に表明できる背景になっているとも指摘されています。  ドイツ人と日本人の「戦後認識」は明らかに違っています。日本では、国民の人権と民主主義が徹底的に弾圧された軍国主義支配から解放され、民主主義国家として再建を開始したという「戦後認識」はけっして一般的ではありません。第二次世界大戦の終結とは、何の終結であったのか、何から解放されたのか、多くの日本人の「戦後認識」から欠落しているように思います。戦後歴代の保守政権はこれを曖昧にしてきました。
 この「戦後70年談話」を支持し、この政権を支持する一定の勢力が存在することは、最近の国政選挙結果からみても明らかですが、その根元にこの「戦後認識」の問題があるのではないでしょうか。歴史教科書問題に端的に現れている保守的教育行政の効果だけでなく、もっと深い問題が隠れているのではないか。今日の歴史研究に求められている課題の一つがここにあるように思います。立憲主義、民主主義を拒否し憲法改悪を推進する政治を阻止するためにも必要な研究課題であろうと思います。  「歴史認識」問題の一つとして、歴史研究の課題について話させていただきました。議論のきっかけになれば幸です

大阪市の歴史と文化のシンボル、大阪市民の財産、大阪城天守閣、美術館、博物館、動物園など文化施設を府に移管・没収する「大阪市の廃止・解体」に反対するアピール

 大阪市の廃止・解体(いわゆる「大阪都」構想)の賛否を問う住民投票が5月17日に実施されます。もし賛成票が上回り、大阪市がなくなれば、大阪城天守閣、大阪市立美術館、大阪歴史博物館、大阪文化財研究所、大阪市立東洋陶磁美術館、大阪市立科学館、大阪市立自然史博物館、天王寺動物園など大阪市の重要な文化施設が、大阪府に移管・没収されます。移管・没収された後は、「二重行政解消」の名のもとに、廃止、統合、さらには売却されることさえ危惧されます。
 126年の歴史を持つ大阪市をなくし、大阪市の歴史、文化を象徴する市民の大切な財産が奪われることを見過ごすわけにはいきません。
 大阪市は古代から先進的で優れた文化を創造し、育み、発信してきた歴史があります。近世は「天下の台所」として栄え、経済的な繁栄をもとに庶民による上方文化を形成してきました。大阪の庶民は、進取と自治の気風をもち、自力で文化施設もつくり、充実させてきました。現在の大阪城天守閣は大阪市民の寄付で復興し、「権力の城」ではなく、「市民の城」として存在しています。市立美術館や市立博物館の所蔵品の中には、大阪市民と企業人が大阪市に寄贈したものが多く含まれています。天王寺動物園は今年で開園100周年を迎え、全国でも有数の規模をもつ大阪市の動物園として、多くの市民に親しまれています。 私たちは、大阪市民の財産である文化施設を守り、未来に継承していくために、大阪の文化を愛するすべての人に、「大阪市の廃止・解体に反対」の声を上げてくださることをよびかけます。

          2015年5月1日

よびかけ人 (50音順)

石部正志 (関西文化財保存協議会代表)
中川哲男 (元天王寺動物園園長)
吉村元雄 (元大阪市立美術館館長)
脇田  修 (元大阪歴史博物館館長)
渡辺  武 (元大阪城天守閣館長)

アウシュビッツを訪ねた日 その8

林 耕二

 「優生学」とナチズム
 19世紀末、ダーウインの「進化論」を社会に適用した社会ダーヴィニズムをもとにイギリスでゴルトン(ダーウインの弟子)による「優生学」が成立した(1883年)。「優生学」は「子孫のよりよき発展のために人間の肉体的・精神的遺伝素質に関してそれを向上ないしは低下させる種々の原因を追求する」ものである(『世界大百科事典』平凡社)。ゴルトンの優生学には「常習犯の隔離や精神障害者の生殖の制限」も含まれ、その影響はアメリカの数州での「断種法」、移民排斥法(1924)、禁酒法導入にも及んでいる(佐野『ナチス「安楽死」計画への道程)。
 ドイツで1890年代からイギリス優生学の影響を受けて成立した「民族衛生学」は、人間の肉体的・精神的特徴の遺伝的原因を重視するところから、「進化論」の自然淘汰論を人間に適用して、社会問題の原因を人間の資質に還元し、治癒不可能な病人や精神病患者の断種や排除を提起した。そして同時に、ドイツ人(アーリア人種)を民族的に優位と考える立場から、その純血と健全性を追求した。  「民族衛生学」の立場から、カール・ビンデイングとアルフレート・ホーヘは、共著『生きるに値しない生命の根絶の許容』で、不治の病人の殺害や「痴呆症」患者を「厄介者」と呼び、経済効率の観点から安楽死の必要を説いている(佐野前掲書)。またエルビン・バウアー、オイゲン・フィッシャーらの共著『人類遺伝学と民族衛生学の概説』は「ナチス優生学のバイブル」とされ、その要点は「人間の行動は遺伝子によって決定づけられ、健常者よりも多くの子孫を残す傾向にある劣等な遺伝子保持者を排除することが、民族衛生にとっての最善の事柄」(佐野)であるとする。ヒットラーは獄中で同書を読み、『わが闘争』に、「肉体的にも精神的にも不健康で価値のない者は、その苦悩を自分の子どもに伝えてはならない」と書き、それは、のちに断種法(1933)と「安楽死」計画につながることとなった。

    ドイツ国民の閉塞感とナチスの台頭
 第一次大戦後、敗戦したドイツはベルサイユ条約で課せられた膨大な賠償金を、アメリカからの資金導入で戦勝国(英仏で全賠償額の75%を占める)などに支払い、英仏などはアメリカに戦時負債の返金を行っていた。1929年にウオール街ではじまった恐慌でアメリカに資金が引き揚げられたために、ドイツ経済はゆきづまり世界の資金の環流は止まり世界恐慌となった。ドイツではどん底の不況と超インフレ(1923年時、1Kgのライ麦パンの価格は3990億マルクであった。)により国民の生活は破たん、失業者が町にあふれた。そのような社会の閉塞感を背景として、ナチスが台頭した。同時にドイツ共産党も失業した労働者を中心に支持をひろげていった。
  ナチスは国民の鬱積した閉塞感を利用し、その時々に応じてドイツの敗北や不況、失業など経済的困難の原因となる対象をデマにより攻撃し支持をひろげていったが、当初は資本家も攻撃対象であり、一時は共産党と変わらない批判をしていたが、保守層、資本家と手を組み出すようになって次第に資本家批判は影を潜め、すべての災いはユダヤ人であり、共産主義者であると攻撃し、障害者や不治の病人、アル中患者なども社会に負担をもたらす「やっかい者」とした。中世においてペストがヨーロッパで大流行したときに、ユダヤ人がペストの原因であるとの噂が流され(これは実際にユダヤ人が拷問されてそのような自白をさせられた)、ユダヤ人の大量虐殺が行われたことと相通じる状況が20世紀に再現された。
 反ユダヤ主義は中世以来全ヨーロッパ的に存在してきた歴史であり、ヨーロッパ史の裏面は、ユダヤ人迫害の歴史である。各時代の歴史的条件と歴史を通底する反ユダヤ主義思想がむすびついて、その時々のユダヤ人迫害が起こった。
 反ユダヤ主義と障害者、少数者、社会的弱者攻撃の共通点は、社会の「やっかい者」 として、それらを「いけにえ」にすることによって、社会に存在する閉塞感、危機感の解決をすりかえようとするものである。ヒットラーはヨーロッパ史を通じて社会的危機の際に絶えず噴出する反ユダヤ主義を利用し、遺伝子学を中途半端に利用した未完成な「優生学」という学問を理論的根拠にして、アーリア人種の「純血」と「健全」を「汚す」ユダヤ人と障害者などの社会的弱者を攻撃して国民の支持を得、彼らを排除、抹殺したのである。

 「ファシズムの心理構造」
 ナチスのユダヤ人虐殺と障害者などの「安楽死」計画は、今日では多くのドイツ国民に知られていたのではないかとされている。1930年代の圧倒的なドイツ国民によるナチス支持、ヒットラー政権の成立と、その後行われていったユダヤ人や障害者の抹殺 がなぜ可能であったのか、それは当時のドイツ社会の特殊性なのか、あるいは私たちの社会でも起こりうることなのか。
 障害者などのナチスによる「安楽死」計画は、この問題で重要な視点を私たちに与えている。『灰色のバスがやってきた』(フランツ・ルツイウス)の翻訳者である山下公子は、この問題について的確な指摘をしている(以下同書「訳者あとがき」より)。
 障害者の「安楽死」計画とその後のユダヤ人絶滅にいたる一連の事実について「同じ一つの姿勢がある。つまり、相手を、自分とともに生きている同じ人間とは認めていないということである」そして、ヒトラーは「馬鹿ではない。むしろ卓越した感覚の政治家」であり、その理由は「人間が意識していない、いや、むしろ意識すまいとしている無意識の差別をスルリと取り出してきて、『これぞ民族共同体繁栄のための正義』と称揚してみせる。その洞察力の確かさである。」としている。そして、「遺伝疾患」の障害者と、その介護者を例にとって、「介護者は善意である。善意で考えて、自分一人でとても生活できないこの障害者が、このうえさらに障害をもった子供を世話できるわけがないと判断し、この障害者が『不妊措置相当』の判決を受け、しかるべく措置されるように計らったとする。その奥にはもしかしたら、これ以上負担が増えてはやりきれないという、自分の都合もあったかもしれない。しかしその介護者に、自分が世話をしている障害者本人を殺すつもりは、少なくともその時点ではまったくない。」ところが、「その後その同じ社会が、必ずしも合法的とは言えないかたちで(ヒットラーは「安楽死」計画の立法化を拒否していた。)障害者当人の生命を処理しているとわかった時、介護者はそれを、まったく潔白な気持ちで拒否することができなくなっているのである。」
 そして山下は次の結論に至る。「社会の側が、自分の心の奥にある差別を『正義』と認めてくれたのによりかかった瞬間、自分自身もその社会の罠にかかるのだ。全体主義国家においては、そうやって『共同体』から排除された者を待っているのは、多くの場合、現実の死刑執行であった。『共同体』の側にいれば勝ちだったし、そうでなければ自分の命が危なかった。」そして、現在の社会のもとでも「根底にあった心理的な構造そのものは、残念ながら変わることなく、『ナチ時代』のドイツでも、現代の日本でもそこにあり、機能しているように思われる。『差別』などと呼ぶにはあまりにも小さな『違和感』の次元から、すべては同じ構造をもっている。」として、例えば通勤電車の中で泣きわめく子供や、車いすで乗車してきて通路をふさいでいるような人という次元の異なる例をあげ、そこに、双方に共通する周囲の心の動き、「いやだな」「え、なんで」という感情の揺れという問題を指摘している。それは「『迷惑』だという感情が、その存在はいない方がよいという内的な意味の構造をもつことは否定できないと思う。そしてその構造そのものは、たとえば『ナチ』の障害者「安楽死」計画処理を支えたものと、本質的には同じものなのである。」としている。同時に、こうしたいつでもある個人の感情の構造、「自分の価値観に抵触するものを排除しようとする構造」は、「社会の側が一部のグループの価値や好悪の判断を社会全体に通用すべきものと認めたり、規範化すること」によって全体主義を支えるものに変化してしまうのである。

ふたたびあやまちをくりかえさないために
   ファシズムへの階梯は、経済問題などを背景とする国民の閉塞感をもとに、個人の「迷惑感」「自分の価値観に抵触するものに対する嫌悪感」の利用や、権力によるマスメデイアを利用した宣伝による国民意識・感情の操作などにより増長する。
 現在の日本では、ヘイトスピーチや一部のマスコミ、インターネットを利用した嫌中・嫌韓キャンペーンなどが行われて、安倍内閣の集団的自衛権容認、憲法改悪の動きを支える役割をはたしている。これらの大がかりな仕掛けによる世論操作のある一方で、橋下徹(大阪市長)が先日発表した「非行問題生徒の隔離政策」などが注目される。大阪市内の学校で問題を起こした生徒をランク分けして、非行の程度が高い者を当該の学校から隔離して専用の「施設」に「収容」し、「専門」の指導員が生徒一人に対して複数で指導するという案であった。
 橋下の提起は根本にある教育政策の貧困を棚上げにし、問題を指摘していかにも強力な指導のように市民受けを狙うというやり方である。提案は、多くの心ある教職員からは支持されないだろう。世界最長の労働時間を強いられている日本の中学校教員の定数をふやし、生徒一人一人の指導を手厚くすることこそ重要である。鑑別所と学校の間のような施設に送られる時点で、生徒の心にひびく指導は不可能となり、生徒は学校を辞めるか、その施設が同じような生徒の一大勢力拠点となってさらに反抗するかのどちらかであろう。
 提案の問題点は、それだけではない。街頭インタビューで提案に賛成する人もいた。「まじめに勉強する生徒がばかをみる」ということは、そのとおりである。「やっかい者」は隔離するのがよいと。このように思う人も必ずいるだろう。むしろ大部分の普通の人は、そのように思う心がどこかにあるはずだ。みんな心の底でひそかに思っていたが、「市長がそんなことを言ってくれた。それなら、そういうことでしょうがないじゃないか」と考える。橋下の言動は市民が「めんどうなこと」「やっかい者」と思っているが、排除するということは良心が痛むことを行政が引き受けてやってくれるということで、個人の良心の痛みを麻痺させてしまう。ここに、市民の心の奥に横たわるものと、それを取り上げて強引に政策とする橋下のような政治家とが共鳴する関係、「ファシズムの心理構造」とも呼ぶべきものが起こりうることを警戒すべきである。

私たちをとりまく社会情勢について2014年度総会に当たって、開会の挨拶

会長 尾川昌法

 開会の挨拶をさせていただきます。前総会(2012・7・29)から2年間の私たちをとりまく社会情勢の変化と、私たちの直面している課題について考えてみたいと思います。
(1) この2年間をふり返ると、はっきりとした大きい政治状況の変化を指摘することが出来ます。2012年12月16日の衆議院選挙で政権与党の民主党は敗北し(308人から57人)、自民党が大勝利をしました(119人から294人)。その結果、12月26日、安倍晋三を首班とする第二次安倍自公政権が成立しました。翌年2013年7月21日の参議院選挙でも自民党は圧勝し、「自民一強体制」といわれる政権になります。すでに「憲法改正草案」を発表し(2012・4・27)、全面的な憲法改悪と「戦後レジームからの脱却」を党是とする自民党と安倍自公政権は、この参議院選挙後、いっきに反民主主義的反動的政策を強行していきます。国民生活の格差と貧困を拡大する新自由主義的構造改革と世論を無視する政策の強行です。
 政権成立から1年後の2013年12月は、この政権の危険な性格をよく示しています。特定秘密保護法の強行採決、南スーダンの国連平和維持活動で陸上自衛隊の弾薬1万発を韓国軍に無償譲渡、そして靖国神社参拝を強行したのでした。特定秘密保護法(12・6)は、思想・良心の自由など人権を侵害するものであり、政府の一方的情報が優勢な情報となる情報管理社会を作り出すものです。自衛隊の弾薬無償譲渡(12・23)は、武器輸出を禁じてきた武器輸出三原則の政策を破った戦後はじめての他国軍隊への武器提供でした。3ヶ月後の本年4月1日、ついに、この三原則を撤廃して、武器輸出を認める「防衛装備移転三原則」を閣議決定しました。安倍首相の靖国神社参拝(12・26)は、日本の侵略戦争と植民地支配を認めず賛美する歴史観を、またもや明らかにして、中国や韓国との外交関係をぶちこわし、国際社会に失望を与えました。
 世論を無視する安倍自公政権の政策は、次々と実施されています。消費税増税、生活保護法や年金制度改悪、労働保護法制の規制緩和、教育制度の改編のほかに、TTP交渉、原発再稼働、米軍基地の移転拡張、そして、へイト・スピーチなど排外主義的ナショナリズムを許容し煽動しています。
 本年7月1日には、またもや暴挙を重ねて、憲法の平和条項についての解釈を変更し、集団的自衛権行使を認める閣議決定を行いました。私たちは、昨年12月の特定秘密保護法について、「反対し廃案を要求する声明」を公表し(2013・12・2)、その問題点を指摘しました。ここでは、集団的自衛権行使を認める閣議決定について、その問題点を指摘します。ここに安倍自公政権の危険な性格が代表的に示されています。 
 @集団的自衛権行使とは、他国政府の戦争に参加することです。人を殺し、殺されることがない戦争は歴史に存在しません。戦争は最も深刻な人権侵害です。平和に生きることは最も基本的な人権であり、その侵害は許されません。そもそも憲法9条は、「戦争」、「陸海空軍その他の戦力」、「交戦権」を抛棄しているのです。
 A政府与党内の協議による内閣の「解釈改憲」は、歴代内閣の憲法解釈や国会論議を一 方的に無視した横暴な専制主義であり、近代民主主義政治の原理である立憲主義を踏みにじり否定するものです。
 B憲法の原則である平和主義を覆すばかりでなく、基本的人権尊重主義、国民主権主義を否定するものであり、さらに、長い戦争の惨禍の反省からつくられた憲法とともに、私たちが営々として築き上げてきた戦後民主主義を破壊し、国民の民主主義運動に敵対するものです。民主主義の進歩と発展という歴史の流れに逆行するものだといわねばなりません。
 要約すれば、平和憲法と近代民主主義政治の原理、そして戦後民主主義をいっぺんに覆そうという政策です。安倍自公政権の危険な性格が、ここによく現れていると思います。

(2)  今、私たちは戦後の歴史のなかで重大な岐路に立っているのではないでしょうか。19世紀ドイツの有名な法社会学者であるイェーリングは、「世界中の全ての権利=法は闘い取られたものである。闘争がなければ権利=法はない」(『権利のための闘争』)、と言っています。憲法を擁護し、憲法が保障する人権と民主主義を擁護し、さらにそれを発展させる闘い。この闘争が、岐路に立つ今の私たちが直面している歴史的課題だと思います。
 安倍自公政権に反対する国民的共同の闘いは日増しに強くひろがっています。 脱原発を要求する各地の運動、九条の会の運動、首相官邸をとりまく抗議行動、など新しい形態と規模をもって市民運動が起こっています。集団的自衛権行使を認める閣議決定に対しても、世論調査の多くが、反対者が過半数をはるかに超えることを示しています。新聞その他のジャーナリズム、学者、研究者、宗教者、文化人らの団体やグループ、個人が反対の声をあげ行動を起こしています。多数の地方議会が反対の意見書を可決し、158に達することを伝えています(6・28現在)。
 裁判所もいくつかの注目すべき判断を示しています。 最高裁は、婚外子の法定相続分差別規定を違憲とし、子どもの平等権を明示する判決を出し(2013・10・7)、明治以来の民法改正が実現しました(2013・12・5)。京都朝鮮学校のへイト・スピーチ裁判で、京都地裁は人種差別撤廃条約を適用して街宣禁止、損害賠償を判決し(2013・10・7)、大阪高裁は、この一審判決を追認、維持しました(2014・7・8)。福井地裁は、大飯原発差し止め裁判で、生存を基礎とする人格権こそが最高の価値を持つ、として運転中止を判決しました(2014・5・21)。これらの裁判に戦後民主主義の発展を見ることが出来ます。戦後、私たちが築き上げてきた民主主義は確かに前進、発展しています。なにより、解釈を変更しても憲法本文はそのままに存在していることに、この政権の追いつめられた弱い姿がうつしだされています。

(3)  反民主主義的反動的政策を推進する安倍自公政権の思想的基盤には、間違った非科学的歴史認識、いわゆる「歴史修正主義」があります。「従軍慰安婦」問題についての間違った理解、「ヒットラーの手口に学べ」発言、日本の侵略戦争と植民地支配を否定する歴史認識などが、この政権の閣僚や同調する維新の会の政治家たちによって繰り返されています。
 治安維持法体制下で思想・信条の自由、言論・集会・結社の自由を奪い取られ、共産党弾圧からエスカレートして自由主義者や宗教家が弾圧され、一切の言論活動が圧殺された情報管理社会の時代がありました。同時にそれは中国侵略戦争からエスカレートして東南アジア侵略とイギリス・オランダ・アメリカとの戦争、世界戦争に至る時代でもありました。それは紙の表と裏のようなひとつの歴史です。自民党と安倍政権の「歴史認識」は、この歴史を墨で塗りつぶし、隠蔽しようとしています。
 愛国心教育などの排外主義的ナショナリズム批判とともに、この非科学的歴史認識への批判を重視しなければならないと思います。私たちは、創立20周年の総会で、研究会の初心について、「民衆の視点から原則的に歴史を認識する」、と確認しました(2010・7・31)。「原則的に」というのは、科学の方法論に従って科学的に、という意味でした。
 私たちは今、『島田邦二郎史料集』の編集をすすめています。自由民権運動の民衆闘争と民主主義運動の歴史的伝統を掘り起こし継承する意義を持つものであり、ぜひとも成功させなければなりません。
 研究例会のいっそうの充実と会員の拡大も、重要な私たちの課題です。
 私のこの報告が、2年間の活動の総括、これからの活動方針の討議を深めるために役立てば幸いです。

府庁本館に残る特高警察跡

山崎 義郷

安倍内閣の歴史逆行にストップ
 安部自公内閣は2013年12月6日、憲法違反の天下の悪法「秘密保護法」を強行成立させました。そして安倍首相は盟友アメリカの自粛要請にも躊躇することなく12月26日には靖国神社 参拝に踏み切りました。
 過去の侵略戦争と植民地支配を肯定・美化し戦前に回帰するような暴挙に対して 2014年の年明け早々から「秘密保護法」の廃止を求める国民的共同行動が広がっています。そこで戦前の暗黒政治の象徴である「治安維持法」のもとで大阪府庁がどのような役割を果たしていたか、府庁本館に残されている特高警察跡からたどってみましょう。二度と歴史の誤りを繰り返さないため、退職者会でも語り継いでいく一助になればと思います。

府庁本館に今も残る「特高」の痕跡
 現在の府庁本館は1926(大正15)年に建てられた3代目の庁舎です。江之子島に ある2代目庁舎同様に正面玄関の最上部に「菊の紋章」が飾られていました。つまり天皇制による地方支配の象徴として掲げられたのですが、敗戦を契機に新憲法公府の 際「新憲法の主権在民の理念とそぐわない」と、当時の大阪府職青年部の指摘により取り外されました(府職労35年史参照)。
  大逆事件の直後、1911(明治14)年に特高警察は発足し、大阪府庁にも翌年特別高等警察課を設置。「特高」のことをご存知でない方も、小林多喜二が逮捕されたその日のうちに東京築地署で拷問を受け虐殺されたことをご存知の方も多いと思います。
  その特高警察は、府庁本館の4階、5階に置かれ(今の監査委員事務局辺り)、地下の北側に「取り調べ室」があったとの証言があります。
 また、地下の南側には留置場があったと伝えられ、今でも中庭から見ると窓際に鉄 格子が残っています。 GHQの指令で敗戦の年の10月6日内務省が「特高」の廃止を指示しましたが、現在まで公安警察などに姿を変えて国民監視の体質は継承されていると考えると、今回の強行採決の意図が何か明らかではないでしょうか・・・!!「悪法」は廃止しかありません。  ※ 府職労退職者会結成40周年記念文集より(一部編集を変えています)

2014年2月2日掲載

特定秘密保護法案に反対し廃案を要求する声明

2013年12月2日
大阪民衆史研究会

 私たちは、国会で審議中の特定秘密保護法案に反対し廃案とすることを求めます。
 この法案は、政府の裁量によって「秘密」がいくらでも拡大される曖昧さを持ち、秘密とされた情報を取り扱う公務員や、それを調査し情報を提供する市民を重罰によって拘束し人権を侵害する危険 なものであり、政府による一方的情報が優勢な情報となるような情報管理社会を作り出すものであると言わねばなりません。
 私たちは、目も耳も口も封じられ侵略戦争へ総動員されていったかつての治安維持法体制と15年戦争の歴史を知っています。この過ちを反省して、戦争後の現憲法は平和・主権在民・基本的人権尊重を原理として制定されました。法案は、この憲法が保障している思想・良心の自由、集会・結社・言論・出版その他表現の自由、学問の自由などの基本的人権をないがしろにする危険なものです。また、主権在民を原則とする民主主義政治は、市民による政府の監視を前提として成立するのであり、そのために不可欠な情報公開の原則は世論尊重の原則とともに一般に認められていることです。  
 9月3日から17日の15日間、政府の行ったこの法案のパブリックコメントは、法制に規定する半分の期間でしかなかったにもかかわらず9万件以上の意見が寄せられ、その77パーセントが反対意見でした。11月25日、衆議院の法案審議特別委員会が行った全国で一カ所の福島市での地方公聴会は、7人の公述人全員が反対あるいは慎重審議を求めるものでした。この公聴会の翌日午前、衆議院の法案審議特別委員会は採決を強行し法案を可決しました。代表的全国紙を含んで地方紙ら新聞・ジャーナリスト、出版編集者、弁護士、作家、自然・社会・人文の諸科学を問わず多数の学者、研究者、宗教家などの団体、グループ、個人がこぞってこの法案に反対の意思を表明しています。法案に反対する広範な世論は、今も日ごとに広がっています。世論を無視することは許されません。いったい何故、今この法案が必要であるかさえ不分明のままに、性急に安倍政権は成立を急いで暴走しています。  
 私たちは、人権と自由、民主主義を擁護しなければなりません。  
 私たちは、この特別秘密保護法案に断固として反対します。直ちに廃案とすることを要求します。

民主主義の深化・発展のために

尾川 昌法

 12月16日の総選挙で自民党政権が復活したが、しかしそれは単純な歴史的回帰ではない。
 @民主党の大敗北(前回308人から57人)は、この3年余の民主党政治への失望と拒否を明らかにしている。
 A自民党の大勝利(前回119人から294人)は、党首自身も認めたように自民党の全政策を支持したものではない。「自民党が大きく議席を伸ばした」理由をたずねた選挙直後の世論調査では、「自民党の政策を支持した」7%、「民主党政権に失望した」81%であった(朝日、12・19)。
 B選挙結果は、投票者の意思表示ではあるが全有権者のものではない。3・11大震災後最初の国政選挙であったが投票率は戦後最低(59、32%)を記録した。いくつもの条件はあるにしても政治不信の広がりを示しているだろう。
 C今回もまた、各選挙区で一位の者しか当選しない小選挙区制度の欠陥を明らかにしている。自民党は、小選挙区の場合、約4割の得票率(43%)で、約8割の議席(79%)を獲得している。多くの死票があり不公平は明らかである。  要するに、争点をぼやかし、維新の会など乱立した政党の中で旧政権党が選択されたのであって、消費税増税、脱原発、TPP、米軍基地撤去、憲法改正らの直面する諸課題について自民党の政策が支持された結果ではない、といわねばならない。しかし、自民党はチャンスとして、党是とする改憲の道を加速させ、7月の参議院選挙を重視した様々な策動を展開するだろう。
 2013年の政治情勢がこのようなものだとすれば、改憲を許さず平和憲法を擁護する闘いは最も重要な私たちの政治的課題となるのではないか。それは平和憲法とともに私たちが戦後に築き上げてきた民主主義の成果を擁護し深化、発展させることにほかならない、と私は思う。
 この憲法の重要原則の一つは基本的人権の尊重である。そしてその人権の根幹にあるのは、前文と九条に示されているように、幸福と安全を追求獲得する手段を伴って生命と自由を享受するという平和的生存権である。
 したがって平和的生存権を現実のものとして獲得することは、とりもなおさず戦後民主主義の発展にほかならない、といえるであろう。民衆の視座から地域社会に根を張って歴史を学び研究する私たちに、今求められているのは、さらにいっそう丁寧に地域における民主主義発展史を探究すること、それを例会、会報、機関誌に反映してもっと多くの人々に差し出すこと、である。私たちはこうして歴史の発展に参加したい。

2013年1月12日掲載