地域の歴史と文化
 
■ 南僧尾神楽獅子  神戸市無形民俗文化財

 応仁の乱(1467~77年)で京都から逃れてきた能の一派「福王流」が、集落内松尾神社に奉納するために踊ったことが起源とされています。また当地の神楽獅子は類例の少ない雄獅子で、他地区で多く見られる雌獅子とは異った荒々しく勇壮な動きと、能の節をつけた踊りが最大の特徴となっています。
 毎年開催される南僧尾厳島神社秋期例大祭では、次の七つの演目が奉納されます。

清め 神楽獅子奉納者及びそれを見る人に事故が無いことを祈念しての舞。 
 1 荒神祓い  鈴と幣を持った獅子が、三方の神々を招祭する舞。 
 2  剣の舞  病気や災難など、全ての災いを祓う舞。
 3  猿獅子 二匹の猿が獅子と戯れる、と言う狂言の舞。獅子を弄ぶ〝さんまんたる猿〟と、それに怒り狂う獅子の動きが見所。 
 4  五尺踊  〝五尺踊り〟の唄に合せての優雅な舞。
 5  牡丹獅子 お多福が牡丹の花を手にして獅子と戯れる華麗な舞。
艶やかなお多福の仕草と、物乞いに狂う獅子の振る舞いが見所。 
 6  花の舞 雄獅子ならではの勇壮な舞。境内狭しと動きまわり、それとテンポの速い〝登り〟は、百獣の王の本文を表しているかの様。 
 7 寝獅子 舞に舞って疲れ果てて暫し一睡するも、やがて元気を取り戻し、はつらつたる姿を表す舞。 
     
  
■ 南僧尾観音堂    兵庫県重要有形文化財

  室町時代後期に新善寺本堂として建立されました。戦国時代の天正6(1578)年に新善寺は兵火で焼失しましたが、この建物のみ屋根を焼くにとどまり、その後豊臣秀吉の命により修復されました。以後、村の観音堂として今日まで大切に護持されてきました。
 また堂内の宮殿から発見された堂頭日記には、延徳元(1489)年から天12(1584)年の村人の生活が記録されており、当時を知る貴重な資料となっています。


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