第一回目 わたし的プレイ観の様な・・・
いきなり弱気で始まってしまったが僕は気が弱いのでOKなのだ(笑)
私はよく、マスターさんやプレイヤーさんにキャラが絡まないと言われる
・・・まったくもってそうなのだが、問題は実は別の所にあるのだよ。
ふっふっふ・・・その問題とは?
始めから知り合いのキャラなら問題は特にないのだがそうでない場合が問題。
始まってから知り合いになる場合キャラを作る段階でキャラ同士の傾向が
著しく違うとどう考えても絡まないという状況に陥ってしまう場合が多い。
かくいう私は、それほど(私の尺度)へんちくりんなキャラを
プレイしないときでも他のPCと絡めない場合が多い
何故なのか?
それは、キャラを生かしたいからなのだ(生活のにおいがする等の事ね)
キャラは生きているそれが基本コンセプト最近考えるようになったのだが・・・
キャラが生きてくるとどうなるのか?
ロールプレイが楽しくなる!(自分のね)
すると、そのキャラが自分の足で歩き始めることになる(暴走はしてはいけない)
その段階をにくると訳の分からない絡み方をしてくるPCを敬遠してしまう・・・
(一般常識的に自分ならどうするのか?このキャラならどうするのかをロールプレイできてない場合ね)
やはり、越えなければならない壁なのかな?
この辺は譲り合いの精神でキャラの方向性を曲げてまで他のPCに絡んで
ロールプレイしなければならないのか?
シナリオのためにキャラを捧げるのか?
嫌ではない、楽しければよいのだからそうこれは遊び(G=ゲーム)
しかしそれではあまりにもキャラがかわいそうではないのか?
妄想、空想、想像の産物ではあるために実在はしないのだが確かに生きていると感じる
(そうキャラ達は自分たちの世界のカケラ)
キャラを殺す殺さないで論議が起きることもあるが、キャラの方向性をゆがめることも
キャラを殺すことになってしまうのではないのだろうか?
そう考えるとTRPGで大事なのは何なのだろうか?
シナリオが大切なのだろうか?それさえ進めば万事うまくいくのだろうか?
(キャラを曲げてまでシナリオ遂行)
楽しければよいのだろうか?楽しかったらシナリオを破綻させても良いのだろうか?
(楽しむためにシナリオを破綻させる)
簡単だよねどちらも不正解だね。
この辺のバランスが難しくて毎回のようにドラマを生む(事もある)
(それが、また楽しいのだが)
私の場合はキャラクター先行型シナリオ遂行タイプでありたいし
そう言うプレイスタイルだと思っている。(違ったらごめんね)
もちろん、TRPGはコンピュータRPG(以後CRPG)ではないのだ
これをしなければならないという足枷のような物は基本的にない。(例外有り)
自由にプレイしても良いと思う、それがTRPGだから。
(けど考えてみよう、今のプレイおかしくない?)
今度マスターに頼んでシナリオに絡まなかったそのまま話しすすめてもらおうかな
そういうのも有りだと思う、マスターは大変だけどね(笑)
(基本的に駄目なプレイなのだが・・・・)
シナリオのない自然なロールプレイ、TRPGの一つの理想形態だと思う(僕は)
キャンペーン等でキャラや関係を固めて少しスパイスの利いた日々をロールプレイする
(あるマスターに、それに近いプレイをさせていただいているので大変感謝している)
私にとって理想の形(私にとってだからね)
プレイヤーとマスターをかなり選ぶのだがそんなTRPGができるように頑張りたい。
何?そこまで考えていつもプレイしてるのかって?
最近はよく考えてるよ、でも私はエンジンかかるの遅いから・・・(笑)
第一回終わり