<Bee-3:邪道か究極か?>

 

Bee−1ラストショット2 「Bee−3」。僕がこよなく愛する、我が3代目のMGBに付けた愛称であり、確認できている限り、日本唯一の「車検を持つMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデル」である。

 因みに<Bee−1>は1985年から‘88年まで約3年半所有していた78年式UB2日本仕様。<Bee−2>はその<Bee−1>を大阪府箕面山中で自爆させた後の1989年から’95年までの約7年間所有していた72年式BM日本仕様。そして<Bee−3>は<Bee−2>と入れ替わりに1996年から僕の下にある。

 

 僕がこの<Bee−3>と共に、毎年秋に軽井沢で開催されるMG乗りの祭典「MGデイin軽井沢」に初めて参加した時、あるエントラントが僕に言ったものだ。

 「キミがこんなクルマを買うなんて、意外だ」と。

 その方の愛車はMGBよりも更に古く、非常に高いレベルでレストアを施されてコンクール・ドゥ・エレガンスでウィナーとなる資格十分のヒストリックMGだった。

 その人から見れば、<Bee−3>のような改造車など、まさに「邪道」以外の何者でもない。いや、その人だけではない。およそ「ヒストリックカー」、それも英国のそれを趣味としている人ならば、多くの方の感想も似たようなものだろう。他ならぬ僕自身が、そうした感覚を理解できるのだから。

 

 僕自身は、「ヒストリックカー」はそれ自身一つの文化的遺産であり、芸術品だと考えている。それは「モビリティ拡大の世紀」である20世紀を象徴する交通機関であると同時に、「大量生産の世紀」を象徴する機械製品であり、更に「大衆芸術の世紀」を象徴する作品群でもあるからだ。

 ゴッホの絵を購入したからと言って、それを勝手に切り刻んでトリミングしたり、クラシックな額が気に入らないからと言ってクロームメッキのステンレス製の枠に入れたら、「非常識」との謗りを免れないだろう。

 要するに僕が言いたかったことは、「自動車を芸術品と考えたとき、その姿は極力生まれた当時のそれを維持するべきである」という事だ。

 

 一方こうした純粋芸術品と、自動車のような工業生産品との間には、大きな違いがある。

一つは、その数である。

 例えばエッチングのような版画でも、その数は多くてもせいぜい3桁のオーダーだろう。これに対して自動車は桁が倍以上あるのも珍しいことではない(無論、中には版画並の数しか残っていない車種もあるが)。

 もう一つは、純粋芸術品は鑑賞する他にはせいぜい燃やすか重石にするくらいの実用性しかないが、自動車は人と物をA地点からB地点まで運送するための輸送機関という重要な実用性を有している点である。

 自動車という機械製品は、「工業デザイン」の分野の中でも特異な存在として分類されることもある。それは多くの機械製品が、特にその価格が上昇するほど基本機能に重きが置かれて価値を判断されるのに対して、自動車だけは「好き」「嫌い」という感性領域の判断がその価値を大きく左右するからである。その価格たるや、ヘタをすれば住居にも匹敵するほどなのにもかかわらず、である。

 例えばバブル最盛期にはフェラーリ250GTOがオークションにおいて、15億円で日本人によって落札されたという。しかしそのフェラーリを真夏の東京の都心に乗りつけたとしよう。彼は涼しい顔で隣を走るターボ付の軽自動車と同じ程度の速度でしか移動できないことだろう。そうした「輸送機関」としての価値だけを取り出したならば、彼の15億円と6年落ちの軽ターボ車の15万円は同等ということになってしまう。

 そこが自動車の面白い点でもある。

 

 さてここで問題なのは、「MGBは芸術品なのか」という事である。

 確かにMGBは生産終了から30年以上経過している。しかしその生産台数は52万台を超えている。また、その基本的なポテンシャルは現代の交通環境にあっても十分実用に足るものである(異論もあろうが、僕はそう解釈している)。

 僕にとっては、MGBとはあくまで「現役のスポーツカー」なのであり、マツダMX5もMGFも立派なライバルなのである(異論はあろうが、僕はそう解釈している)。

 そう考えたとき、僕はMGBをアップデートすることにいささかのためらいもない。モディファイを施し動力性能/運動性能そして実用性を向上させることによってMGBを使う頻度を増すことができるなら、それはMGBにとって一つの幸せではないだろうか。

 <Bee−3>は、この考えの延長線上にあるものなのだ。

 

 ただしこの考え方は、本来のコンクール・ドゥ・エレガンスの目的とはまったく相反するものだ。僕の解釈では、コンクール・ドゥ・エレガンスとは「自動車を『芸術品』と捕らえ、後世の人々にその生まれた当時の姿で渡すために日々努力している人に、賞を持って報いる」のが目的のイベントである。ただの高級車の見せびらかし大会ではないのだ。

 鍵は自動車を「芸術品」と捕らえるか、「実用品」と捕らえるかの、根本的な解釈の違いにある。だから僕は後者の考え方に立ってMGBと接している限り、正規のコンクールでの入賞など望んではいないし、受賞するべきでもないと考えている。

ただし「ユニーク賞」や「チューニング賞」などの「実用品」と捕らえた時の番外編的な賞であれば、これは大いに狙っている。

 

 僕の悪いクセで、話がいささか脇道に逸れ過ぎたようだ。

 実は僕がMGBトゥアラーにローヴァV8エンジンを搭載したこの改造モデルの存在を知ったのは、実は<Bee−1>に乗り始めて1年ほど経った頃のことである。

 その頃僕は<Bee−1>の素直なハンドリングを楽しみつつも、「モア・パワー」の欲求が起こり始めていた。

 <Bee−1>はフットレストを装着し、サスペンションにロアリング・キットを組み込んだだけで、体の余計な部分に力が入ってしまうのが回避され、それまでの唐突なロールが漸進的なものとなり、コーナリングが劇的なまでにコントロールしやすくなったのだ。こうなると次に欲しいのはコーナーから立ち上がるときの前への踏ん張り、つまりパンチ力のある脱出加速だった。

 しかし僕にとってあくまでMGBとは「日々の足から休日の趣味までを、1台で満たしてくれるオープン・スポーツカー」である。これからするとエンジンのチューンアップは最高出力の向上と引き換えの低速トルクの低下など、実用性の低下を招くおそれがあった。

 150馬力の3リットル直6エンジンを搭載したMGCは、過大な前輪荷重が災いした強アンダーステアが<Bee−1>のハンドリングに及ばない。一方全軽合金製エンジンの恩恵で前輪荷重が(ということはハンドリングが)MGBと変わらないと期待できるMGB V8は、GTボディしかない。

 つまりMGBにこだわる限り、すべての点で僕の希望を満たすモデルはなかったのである。

 

感傷戦士 そんなある日、僕は書店で偶然1冊の書籍に目を留めた。新書版のその小説の表紙イラストに、稚拙ではあるが明らかにMGBトゥアラーMk.1が描かれていたからである。

 その本の名は「感傷戦士」。日本の作家が書いた、全2巻のSFアクション小説である。内容は超人的な肉体能力を秘めた一族の生き残りである少女が、日本国内でクーデターを起こすのに彼女を利用しようとする同族の男と死闘を繰り広げるというものである。

 まあ小説の出来不出来は別として、この小説の中で主人公の少女が駆るのが1963年式のMGBトゥアラーMk.1、しかもエンジンをローヴァV8に換装したモデルという設定だったのである。

 これを読んだ時の僕の第一声は、「その手があったか!」というものだった。

 あらためて考えてみれば、そもそもGTとトゥアラーのボディの違いはフロント・スカットルから後ろだけであり、MGB/GT V8がローヴァV8搭載のためにMGBのボディに施した構造的改造はわずか。しかも元々そのほとんどは後のUB2にも適用されたものばかり。してみればトゥアラー・ボディにローヴァV8を搭載する、というのもあながち非現実的なアイディアではないと思われた。

 さらに調べてみると、本国英国にはその名も「V8 Conversion Centre」という店さえ存在するほどであり、ヒストリックカーの専門誌上の売買欄ではむしろありふれた物だと言う事が分かったのである。

 こうなると、問題はいかにしてそのクルマを日本に持ってくるかだった。当然車検は専用で取らなければならないし、そのためには排ガス規制を通さなければならない。そのために必要な手続きと費用、そして何よりその作業をやってくれるようなショップがあるのか、ということが最大の難関だった。

 

 ところが、そのコンバージョン・モデルの1台が、事もあろうに何と日本にあったのである!

 それを僕に伝えてくれたのは、高校時代からのクルマの悪友だった。彼は僕とは異なりイタリア系を専門としていたのだが共に「カーグラフィック」誌の愛読者であり、誌上の広告で見かけたそのクルマの事を教えてくれたのだった。

 その広告を出していたのは、当時MGBにも力を入れていた東京・烏山にある老舗外車ショップだった。しかし電話で問い合わせた僕が聞かされたのは、「450万円」という価格だった。

 これは一見すると法外な価格に思える。どこの誰が「450万円のMGB」を買うと言うのだろう?

 しかしイギリスにおけるMGBトゥアラーV8コンバージョンの価格は、当時も今も大まかに1万から2万ポンドの間にある。これを当時の円-ポンドレートである260円で換算すると、これは大体260万〜520万円ということになる。これに輸送費/通関費用、さらに車検を取得するための改造や申請費用を計算に入れると、実は450万円という価格はむしろ割安とさえ言えるものなのだ。

Bee−2 その後僕は前述のように<Bee−1>をアクシデントで失うことになるのだが、その時の後継車として再び候補には上がったものの、やはり絶対価格としての450万円はいかんともしがたく、この時は「カーマガジン」誌の個人売買欄で見つけた72年のブラックメッシュグリル日本仕様のMGBに落ち着くことになる。

 これは最期のメッキバンパーMGBであり、更に最期の右ハンドル/SUツインキャブ95馬力のMGB日本仕様でもあった。グリル・デザインもむしろエレガントなMk.1よりもスポーティであり、しかも年式が新しいという点で、僕にとっての「ベスト・オヴ・MGB」の1台だったから、<Bee−2>が安い価格で見つかったことはこの上もないラッキーなことだった。

 その後も僕は<Bee−2>を駆って大阪から東京まで赴き、自分の目でMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデルを確認した。ブリティッシュ・レーシング・グリーンを身にまとい、メッキバンパーの外観にモディファイされたそのMGBのエンジン・ベイには、確かにアルミ・シルバーに鈍く光るローヴァV8エンジンが鎮座していた。

 

 それから5年の歳月が流れた1996年。僕は1989年から<Bee−2>と共に東京に居を移していた。

 そんなある日、ネット(と言ってもインターネットではなく、「パソコン通信」の頃だが)友人の一人が「MGBが欲しい」と言い出し、彼に付き合って都内の主なショップ巡りをすることとなった。結果的には彼の意に添う物件はなく、彼は最終的に1台のRV8を購入することになるのだが、それはこの話とは関わりのない事だ。

 そのショップ巡りの最後が、烏山だったのである。

 

 その日はたまたまショップの社長が店にいる日で、僕は何の気なしに昔見たMGBトゥアラーV8コンバージョンの消息を尋ねた。帰ってきた答えは意外なものだった。僕があの日見たときのまま、ショップの倉庫に眠り続けているというのだ。しかも年々帳簿上の価値を下げながら。

 僕は昔価格を尋ねた時、その金額の高さに手が出なかったことを語った。そこで帰ってきた言葉こそ、まさに晴天の霹靂だった。

 「290でいいよ」

 瞬間的に考えたのは、5年以上倉庫に眠ったままのクルマを再度路上に出すために必要な費用だった。

 僕は尋ねた「車検は?」

 社長は答えた「付けて」

 これがすべてだった。

 かくして日本唯一のMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデルはエンジンを始めとするオーバーホールを受け、いつか我が物にする日のためにと取っておいた<Bee−3>の名と共に、遂に僕の下にやってきたのである。

 僕がMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデルの存在を知ってから10年、実車を初めて見てからも6年半の月日が流れていた。

 

 <Bee−3>は元々1985年にこのショップがMGBに力を入れていた頃、店の看板車とするべく「V8 Conversion Centre」に直接オーダーされた車だった。ベースとされたのは1977年式のUB2だが、英国仕様の右ハンドル車である。

 輸入にあたっては少数輸入車の優遇処置が活用された。この制度では1台車検を通せば、同仕様で10台までの輸入について限定的な型式認定が受けられる。しかしMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデルでは後にも先にも<Bee−3>が唯一の例であり、これが僕が<Bee−3>を「日本唯一のMGBトゥアラーV8コンバージョン・モデル」と呼ぶ理由である。

<Bee−3>はウレタンバンパーが装着された状態のまま日本に輸入され、車検を通すための改造が施された。その後ショップ名義のまま2年ほど客の手元にあったのだが、その客が2000ccにボア・アップしたMGBに買い換えるのに伴ってショップに戻ってきた。

そこで社長が自分で乗るためにMk.1仕様の外観やBMC・Cパーツスプリングの装着、果ては215/50サイズのピレリP7を履くための特注3ピース・アルミホイールなど様々な改造が更に加えられたのだが、完成したところで倉庫に入れられ、以来「眠れる森の美女」と化していたのである。

社長もよもやこのクルマを本気で欲しがる人間がいるとは思ってはいなかったフシも見受けられるが、それでもお互いの希望が見事一致したのである。これは類い稀な幸運としか言い様のない出来事だった。

僕の手元に来る段階で、<Bee−3>は僕のイメージである「BLMCがMGBトゥアラーV8をカタログ・モデルとしていたら」に合わせる為に外観をMk.1からブラックメッシュグリルに変え、「V8」のエンブレムも手持ち資料を総動員して位置を決めて装着した。

そして唯一心残りだったタイヤ&ホイールもMGデイで知り合った「4人目のMGB/GT V8オーナー」の方から譲っていただくことが出来、ここに晴れて<Bee−3>は僕がイメージした通りの姿形となったのである。

メカニズム的に僕が入手してから大きく手を入れたのは、キャブレターである。当初からV8コンバージョンではスタンダードなホーリィ・ダウンドラフト4バレル・キャブレターが装着されていたのだが、入手直後からエンジンの異常回転というトラブルが発生した。ホーリィ・キャブレターのマニュアルや、<Bee−3>入手に合わせたかのように出版されたコンバージョンの手引書「How to give your MGB V8 power」の記述を元にキャブレター・サイズを縮小し、解決を見た。

 

これが<Bee−3>である。

MGBという車種がカタログ・モデルの範疇で持っていた潜在能力を最大限に発揮すると共に、ユーノス・ロードスターやMGFはおろか、ホンダS2000すら上回るトルク・トゥ・ウェイト・レシオを誇る「現役のスポーツカー」。

これこそが僕の考える「究極のMGB」の一つの形なのである。

 

<余計なエピソード>

 実は僕が<Bee-3>を手に入れるにあたっては、裏に極めてプライベートなエピソードがある。

 その頃僕は後の妻と付き合い始めてから4年目も終わろうとしていた。お互い結婚する事は同意していたのだが、彼女は大学院でとある資格試験に挑戦し続けていて、結婚はそれに目途が付いてからという彼女の意思について僕も同意していた。既に慌てる歳でもなかったし、それに「今すぐ」という話になってもこちらにも「都合」というものもあった。何しろ常日頃「月越しの金は持たない」と豪語していたとおり、貯金などと言うものは皆無だったのである。と言っても、さすがにそろそろ延ばし延ばしにしている年貢の納め時の頃合いでもあった(まあ後になって、その年貢には「子供の養育」という「延滞金」がある事に気付かされることになるのだが)。

 そんなある日、いつものように彼女と毎晩定例の電話をしている中で

 「いい加減、結婚資金を貯めなきゃなぁ」という会話を彼女と交わした。これはまったくの本音だったし、受話器の向こうの彼女の反応もごくごく穏やかで自然なものだったが後で聞くと、内心は相当嬉しかったとの事だった。

 問題は、この会話をしたのがMGB探しの都内ツアーの前夜だったという事だ。そう、この会話を恋人と交わした12時間ほど後に、僕は後先考えずに貯金ゼロで300万円ほども借金を背負う事になるのである。そうと知っていれば「まだ結婚は先になりそうだから」などと物の言い方もあっただろうに、事もあろうに結婚資金の事を持ち出した「舌の根も乾かぬうちに」とは正にこの事である。

という訳で、10年越しの夢が叶って意気揚々と自宅に帰る<Bee-2>の車内で僕の脳裏に浮かんだのは「この事を、何と彼女に伝えようか」という大問題だった。無論「選りにも選って、昨日あんな事言わなきゃ良かった」と生涯最大の後悔はしたものの、それこそ「後悔先に立たず」である。

クルマが手元に来るまでとぼける、知らぬフリをするなどあれこれ考えては見たものの、結局辿りついた結論は「正直に白状する」だった。

その夜・・・

「・・・クルマ買い替えた」

「はいっ!?

「いや、10年間探していた僕の理想のクルマが、思いもよらない値段で見つかったんだ。それはね・・・(以下<Bee-3>についての必死の説明が数10分続く)」

「ふーん。で、幾らだったのっ?」

「・・・290」

ふーん

僕はこの時「ああ、終わった・・・」と覚悟した。

まあそれでも結局この4年後に僕は彼女と無事結婚する事になる。これは彼女が「元を取りかえさなきゃ、気が納まらない」と腹を据えたせいではないかと僕は密かに睨んでいるのだが、真相はそれから20年以上経った今でも聞けず終いである。

 

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