The birth of "ADDER" part.:はじめに

 

新MGMGBは1962年から1980年まで生産された最多量産MGスポーツであると共に、世界最多量産オープン2シータースポーツカーの座を長年に渡って保持し続けた、イギリスを代表するスポーツカーの1台だった。

同時に1925年以来MGブランドの故郷だったアビンドン工場から送り出された最期のスポーツカーでもあった。

 

「英国病」という名がまことしやかに世界中で語られた1980年代。「MG」の名は日々苦難に満ちた英国自動車産業の中にあって、単にスポーティ・ヴァージョンに与えられたグレード名称に過ぎなかった。しかし一方で半世紀を越える歴史の中で生み出された歴代のMG達はヒストリックカーの世界において確固たる地位を築いていた。

中でも80年代に世界を席巻したセーフティ・ヒステリィの影響で消滅したライトウェイト・オープンスポ−ツというジャンルにおいて、最期の1台であったMGBはこの分野を愛し続ける人々にとっては市場に流通している台数も多く価格も手ごろという貴重な存在でもあった。

それゆえMGBは生産終了後も世界中で現役のスポーツカー、あるいは入門用のヒストリックカーとして愛され続けたのである。

すでに生産が終了している自動車を乗り続けるためには、当然それを支える販売/流通/修理/補給などの仕組みが必要である。MGBは残存台数が多いがゆえにわずかといえども一定規模の市場が存在し、生産終了後これらのシステムが自然発生的に構築されることとなった。

MGBに関係するほとんどすべての部品が再生産され、それが世界中のMGBオーナー達に地元のショップを通じて供給される体制がいつしか出来上がったのである。

 

そうした中で本国を除く、いやひょっとしたら本国を含めてすら世界中で一番MGを愛していたと言っても過言ではない自動車先進国日本から、MGBに対するオマージュとも言うべきモデルが発表になるに及んでライトウェイト・オープンスポーツカーは世界的な大ブームとなって奇跡の復活を遂げた。

それは源流である英国においても例外ではなかったのである。

 

「スポーツカー・ブランドとしてのMG」の復活を高らかに宣言する役割を担って登場したRV8はこうした背景から生まれた。

今述べた要件の一つでも欠けていたら、RV8の姿は現在路上にはなかったことだろう。しかしRV8が実際に走り出すまでには、その裏側で起こった様々な危機を様々な人たちの情熱で乗り越えなければならなかったのである。

 

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