めりーの思い出

1993年の秋のことでした。どこからかメリーのお庭にやって来ました。
中学生だった娘と小学生だった息子が、鰹節をやって仲良くなってしまいました。
それまで、犬や猫は飼った事がなかったし、ウサギを2羽飼っていたので
うちの子にすることは躊躇しましたが、可愛い泣き声とスリスリ攻撃に負けてしまいました。
最初数日はテラスに箱の家を作って外で居させましたが、
窓の外から部屋に入れて欲しいと鳴く声に、またまた負けてしまいました。
この日から晴れて「メリー宅の家族」となりました。

車で帰宅してガレージへ入れていると、何処からか現れて門のところで待っていて
門の所まで歩いてくると、今度は玄関のドアーの前に一目散。
そして、しっぽを上げて早く家に入ろうと催促する。家に入ったら餌箱の所に直行なのだ。
カリカリのフードが好きだった、缶詰やレトルトの物は嫌がった。
大好きなのは「鰹節と煮干」、おやつに与えていた。
リビングの出窓がお気に入りで、よく外を眺めたり、お腹をみせて伸びきって眠っていた。
若い頃は狩りが得意で、スズメ、ネズミ、などよく捕まえては見せに来た。
「めりー」と言うと可愛い声で「にゃぁー」と返事をする、家の中では壁をガリガリしたりしない良い子だった。
家族中のアイドルだった。皆、外出から帰ってめりーの姿が見えないと「めりーは?」と聞くのだ。
息子とは兄弟のように育ってきた、そして家族間の潤滑油の様な存在だった。

2004年6月後半、何となく元気がない、そういえばだんだん痩せてきていると思った。
痩せているのに腹部が膨れてきた。
動物病院での診察の結果、「猫伝染性腹膜炎」の疑いという事だった。
詳しい血液検査の結果、完治困難なこの病気と確定した。
ネットで調べてみたが、「猫伝染性腹膜炎」は、発病したら必ず死に至る怖い病気だった。
なんで「うちのめりー」がこんな病気にと、運命を恨んだ。

毎日、注射器で薬を飲ませるのが日課になった。
夏の間は小康状態に思えたが、食欲はますます無くなった。
10月に入り、痩せ細っているのに胸水や腹水が溜まり苦しそうになった。
腹水は栄養なので抜いたら弱るそうだが、胸水は苦しそうなので2度抜いてもらった。
直後、目に異常がきたのかよく見えていないような時期があった。
10月の後半から息子の部屋に棲みついたが、好きなようにさせてやる事にした。
息子はなるべく出かけないようにして、昼夜面倒を看ていた。
あんなにお利巧で、粗相なんかしたことが無かったニャンコなのに、
砂の所にはなかなかしてくれない。ペットシートも総動員だった。
シートのない所にすることが多く、ふき取り消毒をすることも一仕事だった。
食べないので口元に持っていって少しでも食べさせようとしたり、
頭を撫でてやると少し食べたら、次からは食べさせる時は撫でてやったり、
カロリーの高いフードを買ってきたり色々工夫したが、食べなくって、どんどん痩せていった。
やがて、鼻から膿のようなものが、口から血液が流れ出るようになり、苦しそうな様子だった。
病状が悪化してからは、猫らしい動作を余りしなくなり、寝る事も少なかった。

もう歩けない程弱っていたのに、最後の朝(12月5日)、メリーの部屋のドアーの前まで来て倒れていた。
ずっとめりーを見守っていたが、その日の夜9時前、めりーは天国へと旅立ってしまった。
動けなくなっていたが、夕方まで「めりー」と呼ぶと「にゃぁ」と応えてくれたのに。


めりー、やっと楽になれたね。よくがんばったね。11年間ありがとう。めりーのこと忘れないよ。



2005年1月10日 「めりー」の追悼として